施術に関してのマイブームです。
足、特に足の指周辺の硬さを緩めること、にいま注目しています。
以前は気づかずあまりしっかり見ることのなかった点でした。
興味を持ちはじめると自然とそういった方面の情報が集まってきて、むかし習ったけどできなかったようなことができたりもします。
5本指の靴を休日は履き、鉄球で沈む練習をして、時々自分の足をさわっていたところ、20年近く前に病気で麻痺がのこってしまった足に力が入るようにもなってきました。
また、患者さんで足指用のゴムのグッズを教えてくれた方は、半身麻痺で拘縮があるのっですが、足首だけでなく上肢の拘縮も少しずつ緩みやすくなっています。
さらにその方は肺気腫を患っており、血中酸素濃度が平均82と相当低かったのが、数日前からなぜか平均88~90に上昇しています。
原因はわかりませんが、足の指を緩めることによってなにか体全体に変化をもたらしてくれている感じがして、さらに興味がわいてきました。
いざ注目してみると、足首はやわらかくても足の指が意外に硬い方がかなりいらっしゃいます。
グッズを使ったり、自分でもんだり動かすなど、手入れしてみると結構体調にいい効果を実感できるかもしれません。
テレビなどで芸能人の方が、足裏マッサージを受けて悶絶する光景など見たことがあると思うのですが、まだああいう感じで痛い施術になってしまうことが難点です。
もっと効果的に痛みを感じなくても改善を促せるようにすることが課題です。
昨日はお世話になっている先生の最後の勉強会でした。
本部での勉強会で自分では理解できないことを、こちらでは独自の視点から指導してくださることで理解を促してくださっていたので、今後の自分の取り組みに大きな影響をおよぼすはずです。
他県の実家に帰られることが理由で、2月の節分を前に一つの区切りを迎えた感じがしています。
また、お隣で小さな商店をやっている御夫妻が、年齢を理由に明日閉店することになりました。
これから長いお付き合いになるとおもっていただけに残念です。
神棚をなくし、お正月も神社仏閣への参拝を基本的にいかなくなりましたが、旧暦の大晦日にちなんだ節分は豆まきをしようと思います。
やったほうがいいですよ、というお話をBBSで以前に見ていたためですが、年間の行事ごとというと今後はこの豆まきくらいしか無いのかも知れません。
けっこう生活がシンプルになってきました。
なにを書こうか、と考えている間に、更新が一日遅れてしまいました。
暮れに大晦日から実家に帰省して、新年を迎えました。
体調も含めていろいろありましたが、実家にいたため年末はギエムの最後のボレロをテレビで観ることができ、3カ月ほど続く腰痛が元旦はなぜか改善したものの、翌日からは前以上に悪化、子供たちと書きぞめをし、近所の探索でつららを見つけ、初夢は立派な庭園を観覧していたところにテロリストが侵入し「やばいぞ!」という感じで、いいんだか悪いんだか、あっという間に時間が流れていった感じです。
腰痛は何とかならないものかと尋ねたのですが、「肉体改造だからしょうがないじゃない」のつれない一言。
しかし、それを裏付けるように施術中だけは痛みが消えています。
元旦は丁寧なご神託もあり、いま読み解いているところです。
何年か前に初もうでで山の神社に向かったことがありました。
登坂の雪道に前輪駆動のスタッドレスタイヤはなすすべもなく撃沈、時間を改めて出直したこともありましたが、今年は同じ時期とは思えない暖かさでしたね。
昨年からエゴについて勉強させてもらっていますが、今回の帰省では両親のエゴをみることで自分自身のエゴを気づきやすくしてもらった感じがします。
少しでも前に進む年にします。
皆さんに一人一人にとって、佳い一年となりますように。
今年も一年よろしくお願いいたします。
昨日は午前中に物思いにふけっていたところ、中学や高校時代に作り上げていった思い込みについて考え始めていました。
大学に入り環境が変わったことで忘れていましたが、両親それぞれから受け継いだエゴというものがあったのかもしれないと考え始めた時、自分のあり方、親子関係、夫婦関係、仕事などへの取り組み方、どれもこれまで違うと思っていたものが笑ってしまうくらいことごとく両親と同じエゴの道筋をたどっていたことに気づいたのです。
正直ここまでとは思っていなかったので、なかなかの衝撃でした。
学生時代にアダルトチルドレンの本を読んで気づきかけたことはありましたが、理解は足らなくとも知識はあるので、今回はよりいっそう自覚できました。
父親から受け継いだもの、母親から受け継いだもの、それぞれ良くも悪くもあるのですが、課題という見方でエゴにしぼって考えていくと、善悪のお話にもあった「都合」という言葉が頭に浮かんできます。
ここをもう少し考えていきたいと思っています。
昨夜は宇宙全史を読み返してみると、以前理解できていなかったことがわかってきました。
言葉を置き換えてみるだけでこうも違うものかと嬉しくなってしまうこともあり、今後の人類の獲得すべき形質から今の課題を読み解けるのではないかとも感じ、まずは今考えるべき課題を紐解いていくことで、前に勧めそうな気がしています。
昨日いらしてくださった患者さんが、年末年始にオーストラリアに行かれ、エネルギーを充電してきたからなのでしょう、これまでより深みのあるお話になりました。
その方の準備が整うと、やはりそれに見合った内容の言葉なりお話というものがでてくるようです。
私も元気をもらった感じです。
そのお陰か、久しぶりに今朝は夢の世界でお祈りができました。
施術に反映できるよう、一つずつ知識を落とし込んでいきたいと思います。
明日は12時から営業します。
今週の9日(土)は勉強会のためお休みいたします。
次週の11日(月)は、祝日ですが12時から営業いたします。
よろしくお願いいたします。
先日のブログで少し触れましたが、元旦に私に向けての言葉がありました。
以下がその内容です。
万物の営みからの実りを叡智として受け取る
それがあなたのつとめです
今生果たせる課題は限られていますが
たゆみなく続けることで開かれる道筋があることを信じて
祈りと共にありなさい
審神者(さにわ)をきちんとすることで
あなたのおろす言霊は
より精度を増し
奥行きとひろがりと共に
人々の心のみならず
あなた自身の魂の源泉に通じる道筋を明るく照らし出してくれるでしょう
夢をもって生きるのではなく
志を強くすることで得られる活力こそが
真実のあなたの道となります
年が明けて、自分なりに変化を実感しながら毎日を過ごしています。
暮れまではそれほど間近に感じていませんでしたが、3月に息子の卒園が迫ってきました。
私が園児だった頃は、保育園の先生達が卒園アルバムを作ってくれていましたが、息子の卒園アルバムは父母も手伝っての製作になるため、昨夜は写真のデータを引っ張り出してきてあれこれ考えながら眺めていました。
産まれる前、誕生後、入園、妹が産まれお兄ちゃんになり、卒園が近づくことで6年という月日を俯瞰して見程度る感じがしました。
私も父親として6歳です。
親子共々、これからまだまだ成長が続きます。
本日、トップページのスケジュールが消えてしまっていました。
先ほどアップしなおしましたが、ご迷惑をお掛けいたしました。
ブログの更新がなかなかできていません。
考えすぎてわからなくなっている時期、というよりは、書くことが浮かばない感じです。
開業して間もなく「なるべく毎日書きなさい」と言われたこともありますが、わからないなりにいろいろ書き続けていけば少しは頭がましになるかもしれないと思い、なるべく更新をしています。
先日、過去に書いたものを読み返して笑ってしまい、書き始めた頃より成長したことを実感しました。
頻繁に読んでくださっている方もいますので、より読みやすく実のある内容を書けるようにしていきたいと思います。
日常生活で気づくことも増えてきて、先日はある方のお話を聞いていたときに、その方の考え方に含まれる「否定」ということが、展開を滞らせていることに気づかされました。
対立軸をつくることは、時に意欲を引き出すこともあるとは思うのですが、大きな視点から眺めてみると、ちょっともったいない感じがしました。
自分ができているわけではありませんので、こうした機会に自分を見つめる視点にするようにしています。
今日は今シーズン初となる本格的な降雪があり、冬らしい景色の中で寒さに震えながらバイクを運転し、いま足の指がしもやけになったような痒さがあります。
寒かったです。
先日いらし方が北欧にも住んでいたことがあり、現地での生活のお話をしてくださったことがありました。
その内容は、冬場は-50℃になることもあると記憶していますが、そういう地域では外出時に外で足を捻挫などするとそこから動けなくなるため凍死することがあるのだとか。
寒さの怖さを一つ知りました。
余談はさておき、タイトルにもあったブログの補足です。
最初は私個人に向けてかと思いましたが、内容がわかるにつれ患者さんとお話を重ねるごとに感じたのが、みなさんの中にも必要な方がいそうだ、ということでした。
興味のある方はご自分なりに考えてみるのもいいかもしれませんが、私が感じた解釈は大筋でこのようなものになります。
年明けに掲載した「伝 新年の言葉」について、私の解釈を以下にのせておきます。
「万物の営みからの実りを叡智として受け取る
それがあなたのつとめです」
全体の働きの中で、自分のあらゆることを全体性と関連付けて考え理解していくこと
それが今あなたがやるべきことです
「今生果たせる課題は限られていますが
たゆみなく続けることで開かれる道筋があることを信じて
祈りと共にありなさい 」
エゴによって制限がある状態では、できることも限定されてしまいますが
あきらめないで取り組み続けることで、新たな可能性がでてくることを信じ
(エゴを薄くするためにも、全体性の働きを現している)お祈りをつづけるといいですよ
「審神者(さにわ)をきちんとすることで
あなたのおろす言霊は
より精度を増し
奥行きとひろがりと共に
人々の心のみならず
あなた自身の魂の源泉に通じる道筋を明るく照らし出してくれるでしょう 」
エゴ(自分のやったこと)をきちんとチェック、確認することで
やることが
よりよくなっていき
エネルギーが増していくと共に
関わる人達に対してだけでなく
自分自身についても本心に通じやすくしてくれますよ
「夢をもって生きるのではなく
志を強くすることで得られる活力こそが
真実のあなたの道となります 」
先のことばかり、耳障りのいい話ばかりに目を奪われるのではなく
「よりよく生きること」が一番大事なんだと
強い気持ちで目の前の物事に向き合っていくことでわき出る意欲こそが
あなたの自信の根拠となっていきます
以上です。
個別にお話しているとまた微妙に話の内容が変わりますので、わからないことがあればいらしていただいた時にお尋ねください。
先週からエゴとチャクラの相関関係についても少し気づかされたことがあり、それはもう少し整理出来たら書くかもしれません。
本日施術をしていた際に出てきた言葉です。
「依存」とは、もたれかかること
「委ねる」とは、力を抜くこと
施術中だとその意味も話していて納得いくのですが、あとで思い返してみるとしっくりくる説明ができません。
理解できていないことになりますが、それでもできる範囲で書いてみました。
・「依存」は、全体性という発想が無い、もしくは弱いまま、自分(エゴ)を保つために自分の都合でなにかを使うこと、と考えました。
何かが無いと困るという不安があり、不足感といえるかもしれません。
・「委ねる」は、自分が全体性の一部だと理解して、全体の働きを阻害させないため、エゴの好き勝手にさせない程度に意識的であること、と考えました。
大丈夫ということに気づく、ということでしょうか。
言葉にしてみることで自分の思い込みや理解度を知ることができます。
(※これが昨日のブログで書いた「チェック・確認」ということです。)
こうしたことを続けていくと自分の無意識を自覚しやすくなるため、自分のエゴについての理解が進みます。
エゴに気づくと意識しやすくなるため、エゴを薄くするためにはまずは気づくことが大事になります。
部屋に一人でいると思っていたら、実はそれまで気づいていなかっただけで他にも誰かいたとしたら、無視できなくなりますよね。
一度気づいてしまえばエゴの暴走はある程度押さえ込めるようになるので、考え方や行動が変化していきます。
そうしたことを教えていただき、1年ほどかけて今も経験させていただいています。
慣れないながらもPCを使いHPを管理しているわけですが、検索キーワードの一覧というものが見れるようになっています。
時折気になる言葉を見かけることもあり、今日もそうしたものが一つありました。
「宇宙マッサージ」
すごい壮大な感じですよね。
どこで受けられるんだろう・・・
先週あたりから施術内容が変わってきており、カウンセリングとしてお話をする割合が高くなっています。
「いま伝えておきたい」、そんな感覚が非常につよくあり、そういうタイミングでいらしてくださっていることもありますが、いい時間を過ごせています。
以前からよくわからずに漠然とお話していましたが、「第二の易行道」と私の守護霊様からお墨付きをいただいた、ある方から教えていただいたものがあります。
それをお伝えしながら、自分も学ばせていただいている今日この頃です。
今日はさらに新たな課題も与えられ、また一つ成長の道筋が見えていることがありがたいです。
「エゴを薄くする」ということについて、教えていただいたことでいま考えていることの一部を。
「生きやすくなるように、考え方を変えていくということ」
最近考える機会が多いのですが、エゴを薄くする、思い込みや考え方を変えていく、これらはやるべきことの中では優先順位がかなり高いと前以上に考えるようになってきました。
そのため、施術時間の半分程をそうしたお話にあてる機会が増えてきています。
エゴの好き勝手にさせているのは、なにも変える取り組みをしない肉体や、手入れをしない竹藪のようなものかもしれません。
体については、思うように動かしたければトレーニングを積んで無意識の部分を減らしていくことが大事ですし、好き放題にしていればだらしない体になることもあります。
竹については、「自然のままが一番」といって、人の手を加えない竹は雑然とした竹藪でしかありませんが、手を加えてよりよいものにしていくと竹林とよばれるようになり、おそらくそうしたところにはよりよい竹がはえてくるのではないでしょうか。
人のエゴも好き勝手にさせると雑然とするのだと思いますが、手をかけること(思い込み・考え方を変える)で好き放題にならなくなり、扱いやすいものになっていくように思えます。
竹藪と竹林だと、やはり風通しも違いますし、雰囲気もよくなります。
同様に、エゴについても(エゴに気づいて)手入れするという考え方を意識していただくことで、全体性との風通しをよくしていける可能性が高まると思います。
わかっていないこと、実践までいたっていないこともたくさんあるので、私も確認しながらお話していることではあります。
ただ、それぞれのつながりを感じながら考えられるようになってきたこともあり、それらはここに書いたことと関連させて、施術のカウンセリング時にお話させていただいています。
私自身は考えるということを、これまでの人生の大半で放棄してきました。
大事なことをたくさん教えていただく機会に恵まれていますので、知識を伝えるにとどまらないよう、まずは自分が理解し、いらしていただいた方には少しでも噛み砕いて伝えていきたいと考えています。
限られた時間ですから、できるだけ効率的に理解していただきたいですし、効果を感じていただけるとうれしいです。
余談ですが、先週は不思議な雲を見ました。
土曜にお店を閉めてバイクで移動していると、ふと見上げた空にほぼ日本列島そのままの形をした雲が浮かんでいました。
北海道から本州はもちろん、四国に九州まであり、沖縄は確認し忘れましたが、形もほぼそのままです。
大通りを走行している時でしたので、少しバイクを走らせていざ写メを撮ろうとすると、すでに形は変わり無くなってしまっていました。
はっきりしないメッセージはあったものの、エゴもまじりきちんととれていなかったため掲載しませんが、なんともびっくりです。
写真は息子作、「大怪獣ゴジラ」です。
私の頭の整理もあるので、今回もエゴについてです。
エゴについて教えてもらい、自身でも考えられるようになってきて感じたことがありました。
タイトル通りですが、
「もっとシンプルに捉えればいいんだ」
ということです。
「複雑に」「難しく」、そういう癖が染み付いているのが徐々にわかってきています。
全体性からエゴの自分をみると、限られたなかで物事を完璧に扱おうとしてしまい、窮屈な発想で複雑にすることで解決した気になろうとする、そんなエゴの傾向が見え隠れします。
「できない」「わからない」、そう認めることは全体性を少しでも理解して初めて口にできることなのかもしれません。
より大きな捉え方をしていくことで、無理が減ってくる感じがします。
見えているまま、感じているまま、思うまま、あるがままを認められるようになったら、エゴについての理解も多少は深まりますし、振り回されることもかなり減ると信じ考えています。
エゴを観察するヒントになると思うのですが、よく占いなどで個性や運命を体系化しているものがあります。
そうしたものはおそらく、エゴの分類分けにもなっているのだと思います。
私が施術に関して勉強させていただいているものにも、そのようなものがあります。
それらについて以前はよくわからなかったのですが、エゴの分類分けと考えると、なんとなく見えてくるものがあります。
判断材料としては、干支や血液型、生まれた日時、体型、動作など様々あります。
しかし、実際の人の多様さをみると、ちょっとかじった程度ではそんな単純に分けられるはずもありません。
ただ、要素としてそうしたものがあるとしたなら、それら要素が単独にあるのではなく、混ざり合っているのだとわかります。
比率が高いものが色濃くその人の個性の中心となり、あとは複数種類がまだらに構成要素となってその人の個性を彩っています。
それが多様さになっているのだと思います。
また、全体が変化し続けることを考えたなら、他からの影響や時期によってその比率が変わることも考えられます。
さらには他の要因との絡みもでてきて、複雑に多様化されたエゴが、DNAのその後の発露の仕方を特定していくのではないでしょうか。
もしくは、DNAがエゴを特定しているのか。
DNAもまたそのすべてを活用しているわけではありませんので、今後の多様性の幅が広がる可能性は未知数になります。
自分のエゴについて考えようと思ってもなかなか見えてこないのであれば(隠れているので)、そうした体系化されたものをヒントに探せるのではないでしょうか、という提案でした。
なにかよくわからない宣伝のようになってしまいましたね。
エゴで書いた文章ですので、私のエゴの含有率を考慮しながら読むようにしてみてください。
写真は息子作「ゲゲゲの鬼太郎」です。
原作よりも鬼太郎の妖怪感がアップしているところが気に入っています。
真理や真実とよばれるものは、全体性の働きを言葉にしたものだと考えています。
自分の発する言葉や行動がエゴ主体なのかどうか、それはそうした全体性の働きと照らし合わせて考えていくと、矛盾や無理が見えてくるため考えやすいのではないでしょうか。
「もっともらしいことを言っているけれど、ここは理屈に合わせて考えてみると矛盾しているよね」
とか、
「ここはちょっと考え方に無理があるんじゃないかな」
ということを少しずつ検証していくと、段階を経て巧妙なエゴにも気づきやすくなっていくのだと、体験的に感じています。
以前、ある方からとある提案がされたことがあったのですが、間髪入れずに
「いただいておきなさい」
と一言ありました。
神様のふりして偉そうにのたまうエゴの言葉を感じた時には、思わず笑ってしまいました。
また違う機会ですが、ぼーっと考えていた時に大げさな物言いで言葉が浮かんできたことがありました。
しかし、なにか違和感を感じ
「お前、エゴだろ」
と問いかけると、お茶目に
「ばれたか」
と返してきます。
これらは断片ですが、それでもエゴというものが分かってくると好き勝手にはさせないで済むようになり、例えるならば野生馬に鐙(あぶみ)や轡(くつわ)をつけて徐々に乗りやすくしていく、そんな感じです。
以前はエゴを薄くして無くしていく、と考えていました。
しかし今は、「エゴを無くすということはできない」ということを教えられ、それを前提に取り組んでいます。
馬の例えならば、自分が正しくてそれ以外は間違っている、自分が扱えないものは間違っている、消してしまえ、ということになりかねません。
エゴを否定する必要はない、と教えていただきましたので、もっとエゴについて知らないと話になりませんが、そういう考え方で勉強させていただいています。
まだ途中段階なため、勘違いや理解できずに悩んでいることもある粗い文章です。
しかし、他人のエゴは目に入りやすいですから、そうしたことも見てもらった方が考える足掛かりになるとおもっています。
少しでもレベルを上げたい、変わりたい、そう考えている方は、今の内に頑張ってほしいです。
書いている内容はくだらないことも多いのですが、ここを見ていただくことでその方が1%でも変わるならば・・・、そう願い書いています。
私の実感でもありますが、レベルが上がれば上がっただけ、見えてくるものが変わります。
以前のブログとダブる内容もありますが、いま感じていることを書いてみました。
読んでくださり、ありがとうございます。
本気で後悔するために
反省をするんだよ
だってそうしないと
本気で生きられないでしょ
本気にならないと
物事がすすまないでしょ
後悔のない生き方というのは
本気で生きることをいうんだよ
反省をする意味が
少しは分かってもらたかな
エゴは自分が間違っているって認めたがらないじゃない
だからさ
後悔することをおそれてしまって
反省なんかしたがらないんだよ
でね
反省したとしても肝心なところで
目を背けてしまうことが多いからさ
少しはマシな生き方をしようと思ったら
そういうことも考えながらやっていかないと
前にはなかなか進まないよね
考え方は道具なんだから
あなたが言うみたいに
使いやすくしていけばいいのさ
そうしたら
少しはマシな生き方ができると思わないかな
意識的でも平常心でもいいけどさ
それをいかしながら反省すると
よりいいよね
明日は土曜日ですが、ご予約いただければ17時から一件承ります。
無ければ15:30までの営業とさせていただきます。
土曜日は講習会があり、この時間帯はあまり営業しておりませんので、ご希望の方がいらっしゃいましたら、営業時間外であればメールにて、営業時間内で明日の15:30まででしたらお電話にて、お問合せください。
よろしくお願いいたします。
写真は、ねじったウナギの蒲焼きみたいに見えたので撮りました。
意味は特にありません。
今夜は東京に雪が降るのでしょうか。
みなさん、一日お疲れ様でした。
昨夕、妻が保育園に自転車でお迎えに行った帰り道、6歳の息子と2歳の娘を自転車に乗せ、
さらに荷物も積んだ状態で自宅近くの上り坂に差し掛かった時の事、
「もう無理!重くて自転車こげないっ!!(笑)」
と妻がギブアップを口にすると、2歳の娘から、
「お母さん、できないって思ったらできないよ!できると思えばできるんだよ!」
と言われたそうです。
2歳の娘の口をついてでてきた言葉に、
「親より道理を心得た子たちだな~」
と、びっくりしました。
妻に言わせると息子はさらに上をいっているらしく、なにを言われたのかたずねたのですが、よほど妻の耳には痛い言葉だったようで、頑として教えてくれませんでした。
来週はいよいよ節分です。
一つの節目なので、「やったことが返ってくる」もしくは「形になる」ときではないかと思います。
思うような結果が出なければ、「取り組みが足りなかった」「やり方がまちがっていた」ということですから、そこからまた「できる」と信じて、修正しながらがんばろうと思います。
思うようになったなら、うれしいですね。
先日BBSで大きな発表があり、ここ数日は落ち着かない方もいるのではないでしょうか。
やってきたことが形になる時というのは、うれしいですよね。
無事果たされることを願っています。
今日いらしてくださった方とのお話です。
好不調の波がありますが、低調の時ほど、どん底に近いところでつかみとった自分の信じられるものや大事に思えることほど、重要なのだと知りました。
最小単位の自己肯定感というもの、それを認められないらば、その上にどれだけいい経験を積んだとしても、最小単位の積み重ねである以上はなにも積みあがっていかないのと同じ、そういう言葉が出ました。
そこから思うような生き方にシフトしていくのも大変だとは思いますが、完ぺきにはできなくても、取り組めば変化もするし前進もします。
思うように生きられる、自由を感じて生きられたら、いいですよね。
やったことが返ってくるわけで、思うようにやって思うような結果が返ってきたなら万々歳です。
やってないことが返ってきたらちょっと怪しいので、そういう時は慎重に見定めてもいいと思います。
これまでの取り組みの中間発表としてどういう結果がでるのか、今回の節分はそういう気持ちで迎えようと思います。
明後日の朝がどうなっているのか、楽しみです。
全然関係のない話ですが、ちょっと目に入ったので興味のある方は見てみてください。
水木しげるさんの対談です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47443?page=2
写真は息子作「猫」です。
手塚治虫さんっぽいかな(笑)
昨日から数人の患者さんを施術して感じたことです。
いらした方たちが自分で気づくことの速度と深さが今まで以上に増している、そういう実感があります。
お話を聞きながらご本人の口から重要なキーワードが出てくると、それに関してのお話をしている最中に、どんどん吸収されていくのが分かります。
何かをつかんで喜んで帰っていかれる姿を見送ると、いい仕事ができたのかもしれないと思え、結構うれしいです。
本を読んだり人と話をしたりしながら、意識していつもより深く掘り下げてみるといい時期かもしれません。
来週も楽しみです。
前のブログでも書きましたが、明日はお休みになりますので、今週は今日までとさせていただきます。
皆様、一週間お疲れ様でした。
最近は、鵜呑みにしないよう心がけているつもりです。
長年の癖なので、気が付くと何も考えずに信じてしまうことがよくあるからです。
注意して物事を見るようにすると気が付けることもあるので、そういう時は
「これまでよく考えずに生きてきたな・・・」
と軽く凹み、
「いや、気づけるような成長をしたんだ」
そう切り替えています。
エゴについて知ることで「エゴを踏まえた学び方」ということが徐々にわかってきています。
エゴをあまり「意識しない」「考慮しない」物事の受け取り方が、鵜呑みといえるかもしれません。
効率的に学ぶためにも、また教えていただく方に対するマナーとしても、エゴの影響というものを考慮することは大事だと思っています。
意識するようになってから、それまでとは見え方が確かに変わってきたからです。
こういうことがわかってくると、けっこう楽しいですね。
写真は息子作、「レンジャーと敵」だそうです。
どちらかというと、憎めない悪友二人、という感じがしないでもないです。
出来る方はどうぞ。
出来ない私は観て楽しみました。
御存じの方もいるかもしれませんが、昨日知り合いから教えてもらったサイトです。
今日の昼間に届きました。
少しずつ読み進めていますが、各章が思いのほか短く、『20年後・・・』よりは読みやすく感じる方がいるのではないでしょうか。
大事なことも書かれていると思うので、飲み込みの悪い私は何度か読み返すことにはなると思います。
待っていたものを手にして読めるというのは、なんともうれしいですね。
まずは今夜、ひと通り読み切りたいと思います。
今日は午前の予定が空いたので、少し早く出勤してお店の窓の掃除をしました。
通りに面していることもあり、排気ガスだと思うのですが細かな埃がけっこうたまっていました。
軽く汗ばむ程度に掃除をし、きれいになったところでタイミング良くご予約も入り、気分よく一日を過ごせています。
明日と明後日は空きがあります。
土曜に空きがあることは珍しいので、ご検討中の方はこの機会にいらしていただけるといいのではないでしょうか。
「誰が地球に残るのか」については、昨夜はくたびれてほとんど読めずに寝てしまいました。
内容について思うことは昨日も書きましたが、地球に残る理屈は簡単だと思います。
今回わかりやすく書いてくださっていると思います。
しかし、理屈はわかってもその簡単なことができない理由が、やはりエゴなのでしょうね。
今日いらした方とのお話でもそうでしたが、自分の想いに素直になれば(エゴではありませんよ)、その優先順位を一番にもってきて行動に移していけばいいのだとおもいます。
そこを小難しく考えてかえってわかりづらくしたり、損得勘定で考え出してその損得勘定を優先順位の一番にすり替えてしまう。
エゴの特性を少しずつ理解していくことで、エゴを薄くする、ということがわかるようにもなり、生きやすくなっていくはずです。
問題は、エゴに主導権を取られている私たち自身かな。
読み返しながら、もっと考えてみようと思います。
ふざけたタイトルですが、今日はちょっとうれしい驚いたことがありました。
年末から何度かいらしてくださった方がいて、今日もお越しいただいたのですが、その方から
「むかし、※※から家にマッサージに来ていただいたことがありませんか?」
と聞かれ、ハッとしました。
約8年前ですが、当時勤めていた治療院で、その方の住所を改めて聞くと心当たりがあります。
驚くやら、うれしいやら、気分よく施術をさせていただくことができました。
息子作、仮面ライダー1号・2号です。
赤い目とスカーフが印象的です。
ちょっと残念そうな表情も哀愁漂い、みていて楽しいです。
描きたい、そう思って描いているため、夢中になって描き上げました。
ちょっとした達成感もあり、本人も非常に満足しています。
先日の患者さんとのやり取りの内容を簡単に残しておきます。
自身のエゴについてはなかなか気づけないものですが、その方についてもお伝えした内容が自覚の無いことでしたので、最初はピンと来ていませんでした。
そして、以前は損得で行動していなかったと自分で思っている、というお話になりました。
そこでわかったのは、
「損得で行動していなかった」
ということが、
「それを一番にはしてこなかった」
ということだったのですが、無意識にそこを歪めて解釈するようになっており
「そもそも、自分は損得勘定をもっていなかったんだ」
に変わっていたということです。
損得勘定を持たない人はまずいないでしょうし、一見して無いように見えたとしたら、それはおそらく意識してそうした感情をコントロールできている方だと思います。
そうした一見嫌な感じにみえるものを否定する必要はありませんし、それぞれの価値観の中でどう使うかは自由だと思うので、それを否定することは人の自由も否定していることになるのではないでしょうか。
よりよく生きる、という考え方だと、自分の本心からの想いをまずは一番に保ちつつ、それをもとにより良い結果をだすために損得も考えてみる、という考え方でいいかと思います。
他のエゴの要素についても同じで、基本的に否定する必要はないということが徐々にわかってきています。
参考になる方もいると思うので、気になる方は読んで考えてみてください。
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