明日は都合により17時からの営業とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
先日、ある方とお話していて気づいた自分の思い込みがあります。
「エゴのやることはわるいことに違いない」
これまでいろいろ教えていただいて、理屈は分かってきていたつもりでしたが、本心とエゴの見極めについて考えていたところ、そのことに気づかされました。
エゴであっても、良い考え方をすることがあります。
考えてみたら当たり前で、覚醒しているわけではないので、これまでほぼエゴだけで生きてきたはずです。
にもかかわらず、以前よりはマシな生き方ができているのは、エゴだけとは言いませんが、それがいい方に働いたからと考えてもおかしくはないな、と。
ところが、これまでの思い込みだと、エゴを否定してしまっていました。
目的がよりよく生きること、だった場合、エゴであっても内容を検証してみて、納得できるものなら、無理に本心と区別する必要はないんですね。
まだまだ理解が浅いことを実感しました。
それでも、そのことがわかっただけでもかなり嬉しかったです。
新刊に書かれていた空海の「反省」は、「良いエゴ」のいい例ではないでしょうか。
習慣化させて無駄なエネルギーを浪費しない、というエゴの傾向を上手に利用し、反省を習慣化することで、エゴを使って成長していくことが出来るということを実証してくださっていると思います。
少しそれますが、求聞持法について。
それ自体はよくできた道具のように考えています。
使い手の境涯を反映させてくれるもので、良くできた超一級品の包丁で例えて考えてみました。
超一流の技術を持つ方が使えば、その技術や才能を遺憾なく発揮させて超一流の料理を生み出しますし、私が使えば料理は下手なりに仕上げられる程度のもので、むしろ手を切りかねないよく切れる包丁となり、狂気を帯びた方が使えば凶器にもなりうる、そんなイメージです。
なんにせよ、そうしたいい習慣を身につけていくことは、成長を求める生き方には非常に有意義なことなんだと思います。
薄まってきてはいますが、私には話を鵜呑みにする性分があります。
それは、だれかを特別視することでその方の発言等をすべて正しいと思いこんでしまうため、その内容を観察して検証するような考え方をしません。
そういうことにはきちんと頭を使っていかないと、誤った情報や考え方により翻弄されていきます。
反省する、ということを身につけていくには、やはり考えるということが大事になりますね。
明日の3/5(土)と、来週3/8(火)は、都合によりお休みいたします。
3/21(月)は営業を予定しております。
ご予約いただければ待たずに入れますし、空いていれば予約なしでご来院いただいても受付できますが、その場合は一度ご来院前に確認のお電話をいただけると間違いありませんので、ご協力をお願いいたします。
施術時間は40分、60分、90分、120分とありますので、決めかねているような場合は目的に応じてご相談ください。
延長も可能です。
40分だと、時間が無い方がとりあえずという感じで受けられることが多いです。
60分であれば、なんとなく疲れている方への施術としては通常こちらなりますが、お話も含めてということであれば90分以上でご予約いただけると助かります。
また営業時間外であれば、メールでお問合せに対応をさせていただきますので、お気軽にご利用ください。
※メールの場合は返信が遅くなることがあります。直前などギリギリの時間帯は受付対応が間に合わないこともありますので、数日前など余裕をもってお問い合わせいただけると助かります。
あと、これまで施術を受けてくださった方の中で、「患者様の声」を書いてくださる方がいらっしゃれば、お願いしたいです。
こればっかりは私には書けません。
神伝式施術に限らず、シンプルにマッサージを受けての感想や複数回受けてのものなども募集します。
また、ご自身の気づきなども含めて書いてくださると他の方の参考になりますので、ご協力いただける方はよろしくお願いいたします。
最近考えていて分かったことです。
意志の強い人は、常日頃から頭を使ってよく考えているんですね。
それに付随していろいろお話を聞く機会もあり、いま、考えるということが楽しくなってきています。
昨年初めて観に行ったイベントが今年の4月にも開催されます。
きっかけは患者さんのお一人が、イベント関係者だったため、ご厚意もあり家族で両国まで行ってきました。
国技館自体は違うイベントでも過去に訪れたことがありますが、若い方たちの熱気がすごく、メインホール以外のあちこちでもダンスバトルが繰り広げられており、退屈しないどころかメイン会場にたどり着く前に見入ってしまったほどです。
特に印象的だったのは、小学生の子たちが誰よりも真剣に踊り、大人顔負けのパフォーマンスをしていたことでした。
動きはもちろん、目から伝わるその真剣さに嬉しくなってしまいました。
ようやくたどりついたメイン会場は、もちろんとても広く、演出も迫力満点でした。
限られた時間の中で沢山の観衆の視線に囲まれながら、自分の力を発揮しようとする気持ちの強さに、観ていて引き込まれてしまいます。
メイン会場以外で踊るダンサーの数の多さと、素人目にもレベルが高そうと思えるパフォーマンスの数々を観た後では、メインステージに踊ることの意味も違って見えてきます。
テレビで何気なく流れるダンスの映像があると思いますが、映像を見ているだけとは明らかに異なる迫力や盛り上がりに高揚感など、日常生活とは違うエンターテイメントの世界を楽しめると思います。
このイベントを教えてくださった患者さんからお話を聞くと、自分がやりたいこと、ダンスをこの会場で全力でやろうとしている人が集まっています。
それはダンサーに限らず、運営スタッフの方たちにも言えることのようです。
ご興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
ダンスアライブ2016 4月24日(日) 両国国技館
http://www.dancealive.tv/2016japanfinal/top.html
shigeさんは、私の大学時代の先輩です。
プロレスが大好きな九州出身で、名古屋の大学で出会いました。
一(はじめ)の開業に際してもご自身のブログでご紹介してくださり、「料金とサービス内容」のページ内にリンクをはってあります。
初めて会った学生時代から、熱い人だな~、と感じていましたが、shigeさんのブログを読んでいると、波乱万丈とまではいかないまでも、いろいろと経験されているのがわかります。
それを文章にするのがまた上手で、今回の「はじめに-commencement-」からのシリーズは、自己の失敗談をさらけ出しながら前を向いて進もうと必死に取り組んでいる様が書かれており、その熱意に引き込まれていきました。
更新は不定期ですし、「全14回」と書いておきながら「20回くらいになると思う」と後日言われたので、 いつ一区切りつくかわかりませんが、是非読んでいただけたらと思います。
エゴや本心はなかなか区別がつくものではありませんが、全力で取り組むことは加減なしですから、区別をつけようとすること自体がちっぽけなことに思えてきます。
なにか伝わるものがあるのではないかと感じましたので、ご紹介させていただきました。
shigeさんのブログにコメントも書き込んでいただけると、shigeさんの意欲もより一層高まると思いますので、書いていただける方がいるとうれしいです。
よろしくお願いいたします。
shigeさんのブログ
写真は一昨日、息子が描いてくれたUFOの絵です。
ちょっとわかりづらいですが、手前にマンション、奥にオフィスビが建ち、その間を巨大なUFOが飛んでいるのを、2年ほど前に自宅近くで観たそうで、そのことを一生懸命話ながら描いてくれました。
その時私はいなくて、妻と娘と三人で散歩していた時の事だそうです。
そんなに立派なUFOを間近ではっきり見れたなんていいな~、と内心思いながら話を聞いていました。
昨夜は違うブログを書こうとしていたのですが、「やめとけ」の一言があり、その後なぜかネット回線がつながらなくなる事態に・・・
保育園の子供たちの間で流行っている歌があまりにくだらなすぎて面白かったのでご紹介したかったのですが、ちょっと下品過ぎた内容だったからでしょうか、反省させられた感じで慣れない復旧作業をしてくたびれました。
一方で、昨日今日と施術では新たに気づくこともあり、慌ただしいながらも充実した感じがしています。
これまで教えていただき、みなさんにお話したりこちらで断片的に書いてきたことなどを先日整理してみました。
まだ途中ですので全体像ではありませんが、それぞれつながりがある事柄ですので、ある程度一覧のようにして、よりわかりやすくお伝えできる方法などを探しています。
当初「こういう意味」と思っていたことでも、時間の経過とともに理解が深まると、またちがった視点が出てきます。
お伝えしてきたことの全体像を通して行きつく要点は、非常にシンプルですし、聞けば「ああ、そんなことか」と思われるかもしれません。
ブログにもいろいろ書いてきたつもりですが、時折いらしてくださった方の口からちゃんと伝わっていると分かる言葉が出てくることもあるため、そういう時はがぜんやる気がでてきます。
要点に関しては宇宙全史の新刊を通して、改めてその重要性を確認できた気がしています。
私が要点と考えていることの一つですが、「真剣に生きる」ことを「考える」。
私もそうですが口癖になっている方も多い「難しい」(考える気はありません、問題をそこには感じていません)の一言で、目をそらすことができます。
目を向けて時間をかけて少しずつ考えることもできます。
いままでの習慣通りだと、難しいですかね。
「難しい」は「変わる気が無い」という表明になることがあります。
一度も考えたことが無い方は、一度考えてみるといいのではないでしょうか。
「変わる気がない」が何を意味するかは新刊を読んでお考えください。
私もこれまで考えてこなかった人間ですので、考え始めて日が浅いのですが、ご来院の際にお尋ねいただければ、私の出来る限りでお伝えしたいと思います。
おかげさまで今週は当日のご予約申込みなども多く、活気のある一週間となりました。
ご来院いただいた方たちはもちろん、ブログを読んでくださっている皆さまにも感謝して今週を終えます。
ありがとうございます。
来週もご予約が徐々に入っていますが、空き時間もございますので、ご来院いただける方はご連絡を心よりお待ちいたしております。
よい週末をお過ごしくださいませ。
私も教えていただいたことのなので身につけている途中ということもあり、きちんとできていることではないことを、まず先にお伝えしておきます。
以前も少し書いたかもしれませんが、エゴを踏まえて情報を読み解くようにすると、あまり勘違いや間違った情報の解釈にはならないのではないでしょうか。
人それぞれに様々なエゴという得体のしれないものがありますが、その濃淡や偏り具合などの影響で、情報を受け取る際にも、発信する際にも、その情報はなにかしら歪められていきます。
例えば、100%の純度の情報が伝わってきたとして、意識の中での歪んだエゴの主導権率が40%だった場合、その方の受け取る情報は60%の純度になります。
それをまた他の人に伝えると、さらに歪みます。
情報を流す側に意図があり、その人の都合で情報を発信されていたとしたら、真理・真実とよべるような状態からは程遠い状態になっていると考えられます。
ウソが混じった情報になっている、ということです。
ですから、そういうのはなんとなく雰囲気で感じることもあって、うさん臭くおもうこともあります。
結果、「信じられない」という状態に陥り、陰謀論などに振り回されてしまうのかな、とも思うのですが、これだと「否定して見ないようにする」、「近づかないようにする」、「なるべく自分は安全なところで安心して暮らしたいから、考えないようにして自分の理想を追いかける」ということになるのではないでしょうか。
それはそれでいいのですが、エゴを前提に考えてみると、例で挙げたケースでは40%は確かに歪んだ情報かもしれませんが、残り60%は真っ当な情報なのですから、ここを見るようにしていくと物事のとらえ方が変わると思っています。
(これができていなかったと実感していますし、多くの方に見受けられる傾向のようにも思います。)
考え方を変える、エゴを薄くする、ということをするわけです。
実際世の中に出回っている情報については、どこまでどうなのかわかりません。
ですから、丁寧に一つずつ読み解いていくことで、勘を養うというのでしょうか、大事なことのかけらを拾い集めていくのがいいようです。
否定する、ということは、無いものにしようとすることです。
しかし、形は変われど、存在しているものを無くすことはできませんので、できないことをやり続けるようなことは無意味ですから、否定するのではなくまずは存在を認め、それをどう使うか、どう対処するか考える、ということが現実的な考え方になるのではないでしょうか。
もしかしたら1%しか真実は無いかもしれません。
しかし、どっぷりつかったこの世界から抜け出るためには、そのかすかなかけらを拾い集めて自分の知恵に変えていくことでしか、方法はないようにも思えます。
また1%が分かれば、それが信じる根拠ともなり、鵜呑みにして人に支配されたり、依存して責任を人に押し付けるようなことはしなくなります。
自分のエゴを認められるようになると、他人のエゴもわかるようになります。
エゴを認めるようになると、完ぺきにできなくてもしょうがない、と考えられるようになります。
私の場合はそこから、できる範囲で精いっぱいやる、ということの意味も徐々にわかってきました。
すると、否定する必要がないことがわかってきますし、ありのままの自分を徐々に受け入れていけるようになると思います。
ありのままの自分であれば、楽に生きられます。
私は、こんな感じで情報を読み解く際に、考えるようにしています。
ここ数カ月、私の周りではベビーラッシュでした。
今日もご近所からいらしてくださった若いお父さんは、パパ歴3カ月。
一生懸命育児をされており、疲れ切った状態でご来院されました。
その際にお話させていただいたことで、つい見落としていることが多いご自身の入浴について書いておこうと思います。
小難しい理屈ではありません。
毎日でなくていいので、自分に合った温度で入浴すると疲れが抜けやすいですよ、というものです。
赤ちゃんや幼児と一緒に入浴していると、もっぱら子供のほうが敏感なため、入浴温度が大人が気持ちよく感じるよりもやや低くなることが多いのです。
半身浴で長時間入る場合などはそれでもいいでしょうが、体が感じる気持ちのいい温度ではないこともあります。
子供を抱っこし、寝不足で仕事や家事をこなしていれば、体も当然疲れてきます。
疲れた体は筋肉が硬くなっているため血行が悪く、少し熱めでないと気持ちいいと思えません。
緩むきっかけをつくってあげれば、あとは睡眠でさらに体を休めて気分よく朝を迎えられます。
子供を誰かに任せられるのであれば、そういう入浴の時間を作るといいのではないでしょうか。
宇宙全史の新刊についてです。
最近の私のなかのイメージとして、「陰始は否定の権化」というものがあります。
これは前巻に書かれていた『「滅びたい」という究極の自己否定』がその理由です。
陰始が、「滅びたい」とまで思えるようになった理由は、「否定しないものの考え方ができない」もしくは、「したくない」からなのかもしれません。
新刊の中で陰始度について「他人の思い」とありました。
(「自分が無くて陰始に操られている度合い」を「他人の思い」と書かれていました。)
非常に毒された印象を持つかもしれません。
「やられちゃってるな・・・」、みたいな。
ただ、竜馬の章でも書かれていましたが、自他の思いの方向が当面の課題をクリアするのに合致していればその時はあまり問題ではなく、「結果としてのエネルギー配分が重要」とあり、自分が困るようなエネルギーの取られ方をしなければいいようです。
自分の思いが弱い(自分をおろそかにする)ほど陰始に操られやすく、「自分だけ」に偏りすぎる(他者をおろそかにする)のもまた問題です。
私たちは今の段階での大前提として「他者とともに生きる」ということをなによりも最優先に選択しています。
これらは教えていただいたことでもありますが、「自分だけ」、「他人だけ」ではなく、広く見渡せるところからどちらも否定しない在り方を探す、そんな考え方ができることが一つ大事だと思っています。
最初に書いたように、「否定しないものの考え方」を陰始が苦手と仮定すると、それを身につけた場合に陰始度は下がることが予想できます。
「否定しないものの考え方」を突き詰めていったわけではありませんが、陰始の発端となる否定の始まりはこれかな、というものに今回気が付きました。
それがあっているかどうかはわかりません。
ただ、それは私たち一人一人にも影響を与え、それに気づいていくことで、私たちの意識の隅々までいきわたって蓋をしているものを転換する起点にもなるように思えます。
それ自体はここで書いたかどうか定かではありませんが、これまでいらした方にはお話したことが度々あったことなので、「それに気づいた」というよりは、「つながりが見えてきた」という言い方のほうが適切かもしれません。
すこし具体的に理解が進んだ感じがしたので、書き留めておこうと思います。
先日のブログ、「情報の読み解き方」にコメントをくださった方々がいらっしゃいますので、よければそちらもご覧ください。
たくさんの人に伝わらなくても
ただひとりの人に伝わることがあります
ひとりの人に伝わらなくても
思いがけずたくさんの人に伝わることもあります
繋がり響きあいながら
私たちは生きています
今を生きる事の楽しさを通して
私たちは生き抜く術を身につける時期にきています
行動にはその人が一番大事だと思うことがベースにあり、行動にはそれが現れています。
「一番大事」は、「一番自分にとって利がある」ということ。
本心であれエゴであれ、大事だから「やりたい」という気持ちがあるから行動に移せるわけですから、それは好きでやっているといえるわけです。
このことを以前から何人かの方に教えられてきました。
「好きでやっていることだから」「俺の人生じゃないから」「本人の自由だから」など、言い回しは様々ですが、それがようやく自分の中で一つ噛み砕けた感じです。
以下も教えられてきたことの確認を兼ねて書きます。
日常生活では人は自身の価値観に従って行動しており、それを他者が否定して他者の思いを押し付けるのは、その人の「一番」にとって変わろうとすることになるわけです。
それが例えどんなに効率が悪く愚かな行為に見えても、です。
自分(主体性)を無くさせ、その相手を支配しようとしているともいえます。
相手が変わりたいと思い人に尋ねた時には、それが「人に聞いて自分をよくするために変わりたい」が一番に来たことになっていれば、それに応えることは支配関係の構築にはならないと思います。
そうすれば、否定をしないで相手の自由な生き方を認めた行為になるのではないでしょうか。
違うケースもあります。
それはブログ「情報の読み解き方」に紫陽花さんがコメントしてくださったように、卑下して自分の一番を差し出すケースです。
支配される方が自分の得になると判断し、やはりこちらも好きでやっています。
ですから、正論などで諭しても、それはご本人が自分で気づいたり、変わりたいと思って人に尋ねようとしない限りは、あまり意味をなさないかもしれません。
よかれと思っても押し付けになるならば、相手の意思で尋ねてくるまで「待つ」ことをまずは自身の勉強と思って過ごすほうがよさそうですね。
私の取り組み中の課題でもあります。
この待つという事には相当な覚悟を要し、同情や非情さについての理解も欠かせませんので、ある程度時間をかけてじっくりやるほうがいいテーマだと思います。
取り組む方は早めに始めるといいと思いますが、やはり自分のタイミングがありますので、その気になったら、ということがやはり大事にはなるのではないでしょうか。
「自由な生き方」に関することなので、この先どこかで必要になると思っています。
これまでも時折ありましたが、とくにここ何回かブログやコメントに書かせていただいた内容は、基本的に施術時にお話している内容でもあります。
私が大事だとおもっていることでもあり、ときにはそれらを「伝」でフォローしてくれていたりもします。
そうした内容は施術時にお話すればいいのですが、各地からわざわざいらしてくださる方もいますし、近隣であっても貴重な時間を割いてのご来院だとおもいます。
そうした貴重な限られた機会にすべてお伝えしたいのですが、時間をかけて理解していっていただきたいことや繰り返し話すことで落とし込む必要のあることもあるため、施術時間内では足りない、そういう感じもこれまで何度もありました。
理解まではいかなくても、前もって知っておいていただければ話をしやすいこともあり、できるところから要点ごとにブログにまとめるようにしています。
分かりづらいところ、関連させて考えてみたいことなど、気になることがあればご予約時やご来院の際にお尋ねください。
明日と次週土曜日はご予約でいっぱいです。
21(月)は営業いたします。
※21日は17:30から空きがありますので、お問合せをお待ちしております。
「情報の読み解き方」の補足です。
読み解く際、相手のフィルターはもちろんですが、こちらのエゴのフィルターを忘れてはいけません。
勘違い、思い違い、そうしたことの原因でもあります。
前回例として60%の純度をだしましたが、あれは目の前に現れた時点での状態であり、それをこちらがエゴを通して受け取ったり、頭に入れた時点で、更に歪みます。
なぜなら、受け取った60%に対してこちらが純度30%だったら、18%程度しか理解できていないことになるからです。
ですから、
「なに間違ったこと言ってるんだこの人は」
「わけわかんない」
と失敗を責めたり相手を否定するのではなく、この18%から100%にどう近づいていけるか考えた方が自分が成長するから大事だよね、と考えるようにしています。
備忘録として。
本日いらしてくださった患者さんが、私の施術を受ける当初の目的を達成されたそうで、
「クリアしたよ」
とOKを初めていただけました。
これまでは「この期間までの目標はクリア」というケースはあったのですが、全面的にOKというのは初です。
実際そういうお話もさせていただきました。
ご本人もびっくりされていましたが、わたし自身もここ最近うすうす感じていた自分の仕事の意味と合致する結果で、驚きと共に納得もでき、うれしい時間となりました。
人それぞれ目的や意味は違いますので、ここでは具体的な内容はひかえます。
ただ、世の中の動きが停滞しているように感じていたこともあり、水面下で着々と進んでいる準備を実感することで、改めて気を引き締めている機会ともなりました。
先が見えないで地道に取り組むことには、時につらさもあると思いますが、あきらめないで頑張っていただきたいと思います。
教えてくださった方がいて知りましたが、ブログの表示がキチンとされていませんでした。
修正はしたのですが、2015年3月のブログは違う月のブログが2つほど掲載されてしまっています。
修正の仕方が分かりませんので、それはそのままにしておきます。
ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。
昨日は日曜でしたので、家族サービスで御殿場までお出かけしてきました。
考えてみると春休みの3連休ですから、混んでいて当たり前で、渋滞を体験しに行ったようなものでした。
ただ、思っていたよりは早く出てこれたこともあり、思いつきで祖父母のお墓のある浜松の親戚の家にまで足を伸ばすことにしました。
前職が決まったときには、祖母が夢に出てきて、
「人に喜ばれる仕事だから、がんばってやりなさい」
と言われたことを覚えています。
余談ですが、祖父は事業をやっていた関係で、当時法人の集まりで本田宗一郎さんとも交流があり、私の記憶に残っている祖父の名言?が、
「あいつは、本当に悪いやつだった・・・」
です。(なにを見聞きしたのやら・・・)
一昨年の開業時は特になにもありませんでしたが、祖父母は無条件でかわいがってくれた思い出しかなく、
「開業の報告にようやくこれた」
という気持ちでした。
浜松といってもはずれのほうなので、穏やかな環境で小一時間ほど過ごせたのは、いい気分転換にもなり、また明日から頑張ろう、と思えるひと時でした。
先週あたりから、これまで教えていただいたことを整理しようと、紙にいろいろ書き出しています。
結構な量があるため、まずは全部出せるだけ出してみようとやっているのですぐにまとまる感じではありませんが、いくつか言葉を並べて書き出していくとつながりが必ずどこかにあり、一つにまとまっていく過程は改めて驚きと感動があります。
そうしたまとまりを、今度はよりシンプルな言い回しに変えていくことが目標です。
物事がわかるというのはうれしいですね。
あまいところや未熟な面はあるものの、行動が変わってきたことで、自分のことを好きになれたことがわかります。
また、黒脛巾さんのコメントからきっかけをいただき、お祈りについての理解が深まりましたし、自身のエゴも再確認できました。
根拠が自身の中にあるからだと思いますが、直にお話しても文章を読ませていただいても、言葉に力がありますよね。
整理していることとは別に、身の回りのことや情報から今後の展開を少しずつ感じていることもあり、いらしてくださる方たちから見えてくることもあるため、毎日が新鮮です。
感じていることの一つですが、先日の年度の切り替えが一つの節目だったのではないでしょうか。
私自身は相変わらずエゴが顔を出しており、「黒脛巾さん、幸せそうだな~」と考えることもありましたが、エゴへの対処の仕方も少しずつ身についてきているため、実践しながらお伝えしてきたことを確認できている感じです。
クズみたいな考えも浮かびますが、都度修正する癖も付き始めているので、いい傾向だと思います。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
今週も一週間お疲れ様でした。
整理中のことをすこしまとめた状態で残しておきたいので、備忘録として掲載しておきます。
メモですね。
全体像としてはまだまだで、とりあえず一部分をまとめた感じです。
とはいえ、いくつかに項目分けできる内容を一つにまとめて書いてあるので、長いです。
人に分かりやすく説明したり、読んだ方の理解が進むようにするために、いずれ項目分けして書くつもりではいます。
自分向けのものを掲載しているということでご勘弁を。
施術でなにか変わることもあると思いますが、こうしたことの理解がどれほど自分を成長させてくれるのか身をもって実感していますので、これを読んでそう思えた方は次の節目までにレベルを上げられるようご自身でも頑張ってください。
いらしていただければ、これらを踏まえてお話もします。
施術前に限らず施術後日も、なるべく質問する前にこの内容の理解に努めていただけると助かります。
そうしていただくと、いらした時にどこがどうわからないか聞いていただけたますので、その方が貴重な時間を有意義に使えると思います。
よろしくお願いいたします。
写真は息子との久々の合作です。
無意識に働く「エゴ」というものがある。
「エゴではない自分」を「意識的な自分」と、とりあえず考えてみる。
「意識的である」とは、「考えている」ということ。
「生き方を変える」という言葉を例にとった場合、それを他の言い方に置き換えてみると、「考え方を変える」と言い換えることが出来る。
つまり、「生きること」は「考えること」。
「真剣に生きる」とは、「真剣に考える」ということ。
「想い(考え)・言葉」によって「行動」がなされ、その「結果」が「運命」となっていく。
真剣に考えれば、真剣に行動し、後悔のない結果がでる。
真剣に生きてその日を感謝で終えることができたなら、その感謝の気持ちでお祈りした時に、お祈りと合致した自分である。
「考える」とは、本心がエゴをコントロールする働き。
しかし、無意識の働きは「思い込み」という形でも存在し、「考える」ということにも巧みに入り込んでいる。
この入り込んでいる思い込みは、他人の考え、自分の考えではないもの。
だから、「考えること」はエゴをコントロールするために必要な働きではあるけれど、その働きの精度を上げるには、まず「思い込み」というものをなんとかしないと、なかなか思うようになっていかない。
つまり、自分の中にある他人の考えに気づいて、それをどうするか一度考えてみる。
例え他人の考えであっても、それが自分の方向性に合致して「いい方向性」を出してくれる場合もある。
「いい経験を積んでいる物事をわかっている人」や「きちんとした覚醒者」の話などはそのいい例。
しかし、エゴのフィルターもあるので、内容をよく見なくてはいけない。
「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」。
エゴベースで生きている社会なので、濁りが混じっていて当たり前。
否定的に見ないで、「どこに大事なことがあるのか」で読み解く。
神のふりしてダマす存在もいる。
凡夫のふりをして、真理を話す存在もいる。
鵜呑みにしない。
「覚醒に近づく」か「覚醒するまで」は本心の働きが不十分なので、エゴが生きることをカバーしている。
エゴは本心に代わって身を守る働きでもある。
無意識の働きなので、意識的ではない、ということ。
意識的でないため、癖として自動的にパターン化されたものを実行する。
意識的であれば思うようにしていけるが、無意識である限りは「本心の都合」と「エゴの都合」は異なることが多いため、思うようにならないことが多い。
一方で、時に無意識の働きが思うような結果に導くこともあり、それはその人にとってエゴがいい働きをしていることになる。
エゴは限られた範囲の中で物を考える。
理屈にしてもそう。
「本心が発露するまで生き残ること」がエゴの当面の大きな役割なので、エゴはそれを全力で行うが、限られた範囲の理屈で動こうとするため、大きな視点から見ると「理屈に合わない考え方で好き勝手にしようとしている」ように見えてしまう。
しかし、エゴにとっては目的に合致したそのレベルでの行動なので、いいわるいの話ではないし、ウソもない。
しかし、その行動のもとが他人の考えで思いこまされていた場合、それは本心とは違うからウソになる。
「他人の考え」で「行動」して、「自分のおもうような結果」になることはまず無い。
「自分の想い・考え・言葉」に基づいて「行動」したものが、自分の思うような結果になった時、思うように生きられる「いい運命」といえる。
「自由に生きられている」といえる。
素直とは後者であり、前者はウソのある生き方。
エネルギーをかすめ取る仕組みとは、そういうウソを仕込むこと。
陰始度とは、そうしたウソのことではないか。
だから、本心に素直に生きられれば、陰始度はあまり気にしなくてもいいもの。
「素直に生きるための意志の強さ」があれば影響を受けづらいとしたら、その意志の強さを磨けばいい。
意志の強さとは、自信。
自信とは自分のやってきたこと(実績)を認めること、それを信じること、根拠にすること。
自分や他者のできなかったことを責め、否定する癖は、自信をつけさせない。
自他を責めて否定する癖が思い込みとして仕込まれている。
そのことに気づくこと。
気づいて変えていくこと。
それができると意欲が出てくる。
意欲はエネルギーとなる。
自分の中にエネルギーの源泉を見つけて理解すれば、外からエネルギーを集める必要はなくなる。
人から奪う必要がなくなる。
人を支配したり、身の安全のためと勘違いして支配される必要が無くなる。
思うように生きられたら、自由に生きられたら、意欲はもっとわいてくる。
自由に生きるとは、外にエネルギーを求めないこと。
自他の自由を認めるとは、自分や人の自由を否定しないこと。
意欲を奪うようなことをしないこと。
真剣に生き、真剣に考え、全力で生き、それが素直な想いに基づいており、ウソ無く自由に生きられるようになれたなら、20年後も地球に残るということ。
真剣に生きるために、真剣に考えるためには、思い込みを無くしていくこと。
エゴを無くすとは、思いこまされた他人の考えを改め、自分の考え方に変えていくこと。
だから、エゴを無くすというよりは、エゴを薄くするでいい。
否定する必要はない。
否定することは、無くしてしまえ、ということ。
無くす必要のないものならば、エゴを否定するのではなく、その存在を認めてどうしつけていくか考え、どうコントロールするか意識すればいい。
野放しな自然もいいが、手を加えることで活きる自然もある。
原人のエゴはおそらく前者であり、前者のような境涯に至らない私のエゴは後者となる。
簡単にまとめれば、「素直に真剣に生きることが大事」。
無意識に働くエゴが強いならば、私達の場合は真剣に生きているか考えてみるといい。
そこから何かが見えてくる。
見えてこないならば、まだ考え方が足りないということ。
真剣に考えることでエゴが薄くなり、エゴが薄くなれば全体性とのつながりから全体性のエネルギーが流れ込む。
そのエゴではない全体性からのエネルギーが流れ込んでいたら、なにも気づけないはずがないから、見えてこない、気づけない、というのはまだ考え切れていないということ。
「難しい」の口癖で考えようとしないのは、考え切らないで途中であきらめる傾向の現れ。
自他を否定的に捉えることで、やり切る意欲を削いであきらめてしまうこともある。
地道にやらないと、なかなか変わらない。
途中で否定したり責める癖が意欲を損なう。
その癖も気づいたら変えていくといい。
気づいたところで変えていけばいい。
エゴを抱えて生きていれば、全体性で生きているわけではないから、完ぺきにやれるはずもない。
不完全さを認めて、修正しながら生きていくことをすればいい。
その延長上に空海がいる。
空海はそれをやっていた。
前回「とりあえず」ということで、一部まとめたものを掲載しました。
お気づきの方もいるとは思うのですが、使っている言葉はごくありふれたものばかりです。
「特別なことに価値を見出そう」というエゴで見ようとすると、「なんだ、そんなことか」ということで終わるお話です。
私が教えていただいて驚いたのは、その繋がりであり、順序です。
前回の内容は、これまでブログでは断片的に書いてきたことや口頭でお伝えしてきたことを、改めてひとまとめにしただけなのですが、そこから見えてくる全体像があり、その全体の理屈の中で物を考えていると、自分や他者のエゴの歪みが分かってくるようになります。(言葉は粗いものの、前回の書き方のほうが全体像がつかみやすいかと思い、長い文章ながらも掲載しました。)
真理や真実を学ぶ重要性がようやく分かってきました。
軌道修正が早く的確に行えるようになり、成長が早くなります。
宇宙全史でお伝えしてくださっている内容もそういったものであり、以前の私はまだ未熟でしたので理解できていないことが多かったです、というかほとんどわかっていませんでした。
よりよく生きるために、こうしたことを学んで段階を上げていただき、自分の成長の糧としていただけたらいいなと思います。
これまで何度も書いてきたことではありましたが、なかなか思うように伝わっていない方が多かったので、お伝えする方法を今後も模索していきます。
「シンプルな言葉で全体の働きを捉えやすくしていくこと」が、一つ課題として分かっていることです。
あとは、お伝えする内容はもちろん、順序も雑でしたので課題です。
特別なことが好きな方向けに、ちょっと余談を。
今朝起きた時にお祈りをしていると、節分の時に感じた青と白のエネルギーに加え、緑の光も発している膨大なチャクラのエネルギーと思えるものが、映像として浮かんできました。
その光の内容は特殊な感じもし、17日が楽しみになっています。
全体としていい方向に進んでいけるといいですね。
(※後から気づいたのですが、当初書こうと思っていた内容からずいぶんそれてしまっていました。
内容とは一致しませんが、タイトルはそのまま残します。)
明日はまだスケジュールに空きがありますので、ご予約をお待ちしております。
先日息子の小学校の入学式でした。
翌日から登校するようになり、それまでの保育園の雰囲気とは違う環境に多少困惑するかと思いきや、楽しい時間を過ごせているようです。
食事を毎回30回噛む習慣のため、食事等かなりのんびりできているのはいいのですが、今朝は早速遅刻しそうになっていました。
わたし自身の運動不足解消もかねて一緒に登校に付き添っており、朝から汗をかいて一日が始まっています。
普段がバイクでの移動なので、歩くようになるだけでもずいぶん景色がちがって見えることもあり、ちょっと楽しいんですよ。
学校近くに菜の花が咲き乱れている川があり、そのそばを通った時に初日はカワセミを一度見つけ興奮、翌日はカメを子供と見つけて喜び、いつもきまったところにたたずむアオサギ(名前をクロサギと最初思っていました)を毎日見つけては話題にし、今朝は遅刻しそうになりながらも川面も彩る桜の花びらに春を感じながら、楽しみなリフレッシュタイムともなっています。
新生活という方もいるでしょうし、なにかを新しく始めなくても環境が多少なりとも変わっていりでしょうから、気持ちよく毎日を過ごせるといいですね。
先日の備忘録のようなものをまた書きたいと思っています。
まだ収集が付かないのですが、時間もあまりなくなってきたような気がしており、早めに意欲のある方にお伝えできるよう、もう少しまとまったら掲載しようと考えています。
BBSの更新がありましたので、考えたことを一部書いておきます。
●「誰が」とは、どの程度のエゴの歪み(陰始度?)を有している人なのか、ということ。
エゴのフィルターの「歪み」や「濁り」によって、全体性から来たもの(情報など)の純度が下がる。
純度が下がる、とは、その人の都合によるウソや、未熟さや理解不足による誤解や勘違いなどが混ざる、ということ。
しかし、それらが混じっていても「いいもの(純度の保たれているもの)」も含まれているので、やたらに否定はすることもないし、鵜呑みにもしないことが大事。
対象をよく見て考えてみるといい。
●「どこ」とは、行きつく先が「エゴ(歪みや偏りや濁りで行き止まりの状態のエゴ、全体性から区別された者)」なのか「全体性(循環、大本の自分)」なのか、ということ。
歪んだり偏ったエゴにエネルギーが行きつくと、そこから先にスムーズに流れていかない。
行きつく先のエゴ自体は、エネルギーが集まってくるから非常に気分がいい。
楽して得したいエゴが強いと、自分の外、「他者から手軽にエネルギーを取れればいい」となる。
エネルギーを奪うために平等関係ではなく隷属関係に持ち込もうとし、「お互いの自由を認める」という方向性ではなくなる。
自分を成長させて自由に生きる、という発想になりづらい。
行きつく先が全体性であれば、循環する。
やったことが、形を変えて返ってくる。
成長して扱うエネルギー量を増やせば、生きやすさが増す。
エネルギーの源泉を、自分自身に見出すことでもある。
今朝息子に付き添って小学校まで行く途中、今シーズン初めてつばめを見ました。
何気なく思える日常のできごとですが、季節のうつろいを感じることで、なにか体のなかが変化する気がします。
歩く速度で見える景色は、スクーターや車から見える景色と何か違いますね。
教えていただくことや考えることで見えてくるあれこれがありますが、続けているとなにかしら変わってくるもので、ここ数日は整理を繰り返しています。
施術も違う視点から取り組みに奥行きと幅が見えてきているので、形にしていきたいと考えています。
先日、とある稽古会に参加してきました。
教わりながら体を動かしていくなかで実感したことが、
「目一杯体を使っていない」
ということです。
普段はそこまでの必要性を感じないので、使えていなくても問題を感じないのですが、一定の「納得がいく感覚」というのでしょうか、「ここまでやったら動かしたといえる」という基準がわかってくると、雑に体を使っていることがわかります。
頭を使って考える、ということも似た感じだと思います。
雑さに気づければ、ひとつ成長したと思っていいのではないでしょうか。
BBS左の更新がありました。
九州の地震についてはまだ収束していませんし、連動してどうなっていくのかわかりません。
これからの時代、まだまだいろいろなことが起こると言われていますし、自分のあり方として「考える」ということ抜きにこれからどうにかなっていくとは思えません。
何か起きなくても、自分のあり方についてはよくしていきたいと、最近は前より素直に思えるようになってきました。
知識として知っていても理解できていないエゴの私には、自覚できていない「雑」が多々あります。
もっと自分の成長に素直に向き合っていけるようになりたいです。
※ネット上で見つけたものですが、荻上チキさんの書籍を全文公開しているそうです。
支援について考えるだけでなく、被災に備える意味でも一度目を通されるといいかと思います。
すぐに公開できるよう前もって取り決めてあったことを考えると、真剣に考えているからこういうことができたんでしょうね。
「災害支援手帳」:荻上チキ著
http://books.kirakusha.com/saigaishien/
昨日の宮古島のトライアスロンレースは、ちょっと驚きました。
BBSの更新か非公開情報で「顛末」が語られることになると思いますので、そちらを待ちたいと思います。
一夜明けましたが、わたし自身は特別変化を感じてはいません。
ただ、「変化の気配」はあるような気がしています。
明確な実感の伴うものではありませんので、エゴで作り出している感覚もしれません。
それにしても、昨日の東京はひどい風でした。
自宅近くに大きなけやきの木があり、いつもは朝目が覚めると窓から青々とした葉を空いっぱいに広げて気持ちのいい寝起きとなるのですが、昨日の風に葉がずいぶん飛ばされて、近所中その落ち葉だらけでした。
なんだか荒れているな・・・という感じの休日を過ごしています。
予定ですが、都合により来週の25(月)・26(火)はお休みすることにしました。
27(水)から再開します。
また、GWの御予約も徐々にいただいておりますので、ご検討中の方はお早めにご連絡いただけるといいかと思います。
(※営業日時について、詳しくはトップページをご覧ください)
よろしくお願いいたします。
来週の 25(月)・26(火) は私用で急きょお休みすることにしました。
水曜日から再開予定です。
今朝、息子の登校に付き添った帰り道で、カラスに後ろから頭を小突かれました。
人生二度目。
ほんとう久しぶりに腹を立てて怒ったものの、手が届くわけでもなく、あきらめてまた歩き出すとまた狙ってきたため、次回通る時には覚えられてしまっているでしょうから、道を変えることにしました。
子育て中は人間に限らず、いらだつものなんでしょうか。
今の時期は注意されたほうがいのかもしれません。
けっこう痛いんですよね、あれ。
宮古島のレースについては特にわかりませんが、プリンは正解だったようなので、よかったです。(なにがだろう・・・)
「無理なく当たり前にできること」が、全体性を損なわないということ。
全体性を損なうような、エゴの好き勝手にさせていない状態。
昨夜、BBSに書き込みをしたのですが、控えておくことを忘れてしまいました。
残してあればこちらに載せたのですが、BBSで掲載されるとは思いますので、そちらを見ていただき、考えていただければと思っています。
御自身の整理にもなりますし、出来る方は今回のwombatさんからのご質問に回答をされてみてはいかがでしょうか。
今回BBSの更新に気づき、時間があまりなかったものですからざっと目を通した直後に妻に話をしました。
「『BBSの更新があってね、五井先生が何を考えているか答えてください』という感じの課題が出されていたよ」と、それだけ話しました。
すると、話し終わらないうちに、『「※※※※※※※※」ってことでしょ?』と即答。
このところの更新そのものを妻は見ておらず、内容をほぼ知らないままインスピレーションだけで答えていましたが、どうなんでしょうか?(笑)
洞爺湖に行って以来、妻のつながりはかなりよくなっていますので、私の考えも似たようなものでしたし、ご回答が楽しみです。
今はまだ考えている最中の方もいると思いますので、他の方の考えを邪魔してはいけませんし、妻のコメントは※にて書かせていただきました。
次週の3日(火)、4日(水)は営業いたします。
まだスケジュールに空きがございますので、平日ご来院が難しい方、年度初めの忙しさで疲れがたまっている方など、連休明けから気持ちよく働けるようこの機会にお越しいただいてはいかがでしょうか。
お問合せをお待ちいたしております。
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