BBSに掲載されたものを、備忘録代わりにこちらにも残しておきます。
書いた時整理したつもりでしたが、いま読み返してみると、もう少し整理して書いた方がよかったと分かります。
ちなみに、妻の先日のコメントは「自分で考えなさい」でした。
虚空蔵55様、みわ様
右のwombat様のNo.2813のご質問と虚空蔵様のご回答を読ませていただきましたので、私の思うところを以下に書かせていただきます。
自分の成長のためはもちろん、読まれている皆さんの為になればうれしいです。
①『今回の質問に関しまして五井先生は沈黙されています。』とありましたが、なぜなのでしょうか?
一つには、「自分で考えなさい」ということがあると思います。
「あてにする」「鵜呑みにする」、そうしたことで主体性を損なっている人が私も含めていかに多いことか、とこのところ考えさせられていました。
五井先生のような方達は、教えを求める者に対してある段階までは道理や真理、真実などを教えるために積極的に講話などされるのだと思います。
そして人が自分の人生を生きるためには、その教わった事を踏まえて自分で考えて行動に移していかなくてはいけません。
しかし、主体性を育むために指導をされているはずが、依存体質を育んでは問題になります。
30年後に延びるかもしれないと言われている中で、『5月中頃の(東海大地震の)前兆の有無は皆さんの祈りの段階に委ねられました。』とも書かれていました。
ですから、依存傾向で現状維持に陥りがちな私たちのレベルを上げるための喝ではないかと思います。
他には、虚空蔵様が左のNo.323で書かれていた「質問の五井先生からのお言葉はすべて事実です。」ということではないかと思います。
いまはこれ以上の話をしても、総合的に判断していい方に向かないから保留、ということではないでしょうか。
また、虚空蔵様がお祈りについて左のNo.324で「自分で何とかしますので、フォローをお願いします」ということを書かれていたのでそう思ったのかもしれませんが、「お祈りに対する取組をそろそろ見直して、都合で祈るのではなくきちんと感謝のお祈りができるようになりましょうね」「そういう方向性を出せる人を増やしていきましょうね」という含みが沈黙のなかにあるような気がしました。
②『五井先生のガンジーに対する身贔屓ではないのですが、シンパシーを感じるところ』というのは、出身や仲間であるということがあって、より正確なお言葉が発されなかった、ということなのでしょうか?
このご質問については、身贔屓の「身」のところについて思うことがあります。
普通に考えたなら「身うち」という言葉で捉えると、出身星が同じアルデバランという意味にも取れるのかもしれません。
しかし、wombatさんが書かれていた「仲間」にあたるかどうかはわかりませんが、この場合は「ある一定段階以上の覚醒を果たした存在」としたなら、その共通項にある者同士のシンパシーだと思います。
陰始という存在を筆頭にこの地球世界に張り巡らされたシステムの中で、一定以上の存在が数多くこれまでも下生されてきたと思うのですが、結果を出せた (高い覚醒を果たせた) 方達はそのうちのはたして何%くらいいらっしゃるのでしょうか。
こちらや別巻、非公開情報などを読むにつれ、裏では殆どと呼べるくらい大半の方達が挫折されたのではないかと思えます。
そう思っておりましたので、方向性のことはあるにせよ一定の結果を出したガンジーに対しての五井先生の在り方を考えた時、身贔屓という言葉を目にしてもあまり違和感を感じませんでした。
(読みこみ不足の可能性は否めませんので、この機会に確認できるなら活かしたいと思います。)
また方向性にしても、「自由を認める」という在り様であれば、五井先生がガンジー自身から直接問われない限り、通常は五井先生から積極的にお話することではないことではないでしょうか。
これまでは「学びになるから」という理由で様々な事柄を開示して下さっていたと思うのですが、①のご質問での私の見解である「自分で考える」ということを示されての沈黙であれば、特になにかをおっしゃっていただかなくてはいけない理由のほうがあまり見当たらないように思えます。
ですから、「正確なお言葉が発されなかった」という言い方もできるかもしれませんが、それよりは「経験した者にしかわからない世界のお話だから多くを語られなかった」ということのような気がします。
その境涯にない私たちに話してもやはりわかりませんので、混乱を招く分私たちの成長の効率がわるくなるため話さなかったことがある、ということかと考えています。
光明思想の五井先生の在り方として考えると、「否定」で捉えない考え方ということがまず浮かびます。
例え一種の恩寵であったとしても、ある一定以上の覚醒を果たすことは恩寵を受けられるなりのことをやったから到達できたことなので、否定的にならずにそのことは認めましょうね、いいことはいい、やったことはやった、ときちんと認めましょうね、ということでガンジーに対する評価を発言されたように思えます。
以上です。
よろしくお願いいたします。
今朝は北海道東方沖で地震があったようです。
なんとなく気になる地震でしたが、その後、昼過ぎにお店の準備をしていると結構はっきりと聞こえる地鳴りがありました。
気になりネットで調べてみると、2回あったようで、一つは20秒ほどだったそうです。
数日前には大田区や川崎あたりでも地鳴りがしていたようですが、地鳴り自体は以前からまれに耳にすることがあったので、一応気を付けていようとおもいます。
その後、改めて地震の履歴を見てみると、大阪や和歌山(紀伊水道)に茨城でも今日は地震が発生しています。
九州の地震と連動し始めている可能性もあるでしょうから、備えの確認は念のためしておくといいかもしれませんね。
見えないところで大きく動き始めている、そんなことを以前から感じていましたが、身近になってきました。
(これを書いている間に、さらに2回地鳴りです。だれかのお腹の音ならいいのですが・・・)
前回、前々回、前前々回、のブログにそれぞれコメントをくださった方たちがいらっしゃいます。
私より人生経験豊かな方たちのコメントですので、そちらも是非お読みください。
皆さんはGWをどのようにお過ごしでしょうか。
昨日の近所の道路は混みあっていましたが、今日は非常に車の数も少なく快適でした。
皆さん、どこかにお出かけになったんでしょうね。
5日(木)と7日(土)はお休みさせていただきます。
6日(金)は都合により15時からの営業となりますので、よろしくお願いいたします。
慈悲とは
つつみこみ
わけへだてなく接すること
昨日は自宅周りで遊ぶ息子に呼ばれて行ってみると、テントウムシのたくさんいる木を見つけていました。
一緒に見ていると、ちょっと珍しいものもいて、しばらく一緒に観察していました。
私が子供のころにみていた図鑑には載っていないような虫を、この歳になってから近所ではたまに見ることがあります。
こういう身の回りの発見には、しばし時間を忘れて過ごすことが出来る楽しみがあるため、よかったです。
メールでのお問合せについて、です。
昨日もそうなのですが、Yahooメールでお問い合わせいただいたケースについて、こちらに届いていないことがございます。
基本的に、メールをいただければ早めに返信するようにはしております。
こちらからの返信が無い場合は、メールが届いていないこともあるとお考えいただき、お手数ですが営業時間内にお電話にて再度ご連絡いただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。
これはメモ代わりです。
・衣食足りて礼節を知る
・P.348:正常な自立心(自我)が獲得できる
・「たとえ部分的に苦しんでいるにせよ、苦しみは苦しみ」
ここには書かないかもしれませんが、エゴについて、これらの関係性をちょっと考えてみたいと思いました。
(※以前のブログ「2016/5/1 No.2827」の内容について、補足で書いています。)
自分の都合だけでなにかをすることは、「利用する」ということ。
「自分が困った時だけ」、「全力をださないで楽をしたい時だけ」、という都合がある。
「楽をして得をしたい」、「自分は変わらなくても、取り組まなくても、そのことが何とかしてくれる」、「自分は得をするに値する特別な存在である」、などが下地にある。
「やったことが返ってくる」、「やった分だけ変わる」、という発想とは違っている。
「宝くじ(高額賞金)が当たる気がする・・・」と大したこともしていないのに毎回奇跡を信じて買う行為のようなもの。
(以前は、たまにやってましたが、もちろん当たらなかったです・・・)
全体性を損なうやり方をしすぎてしまえば、どこかで修正がはいる。
ウソの分だけ歪みができていたのを、全体の流れを損なわない状態にする働きがでてくる。
それが、恒常性の維持。
自分だけの都合で利用できるということは、その利用する対象を自分よりも下に見ていることになる。
自分のほうが上だよ、支配できる関係だよ、と考えている。
弱肉強食とは、力あるものの都合が優先される、ということ。
だから力を集め、強くなり、自分の思うように生きられるよう取り組むが、そこで「自分だけの都合で」、とすると方向性がおかしくなる。
利用する者より利用されるものが下位とすれば、利用されるものは利用する者より力が無い、という理屈が考えられる。
そういう思いでやったことは、そういう結果(※1)しかでない。
それでも、思い通りに生きられていることにもなる。
(※1 どれだけお祈りの効果があっても、その効果は制限されたものになってしまう。)
しかし、上位であっても自由を認め、そういう都合での使われ方をゆるすことにより、主体性を損なわないあり方として、五井先生があるように思える。
お互いの自由を認める様子が、お祈りには現れている。
以上、不完全ですが補足と整理を兼ねて書いてみました。
参考になればうれしいです。
「否定すること」は、「無いこと」にしようとすること。
「ある」ものをむりやり「無い」とすれば、理屈に合わないため無理が生じる。
無理が通れば道理がひっこむ。
だから、否定は全体性の働きを損なう要因となることがある。
否定しない考え方を身につけていくことで、全体性を損なわない奥行きのある方向性が見えてくる。
都合の話の補足です。
人はエゴをもって生きているから、完ぺきにはなにごともなしえないので、都合で動くしかない。
だから、都合で動くこと自体は悪いわけではない。
上位の存在であってもなんらかの都合で動いていることに変わりはないわけで、自由意思で生きることが認められているのだから、都合とは方向性ともいえる。
都合が合わない、とは、方向性が合わないとも考えられるので、一緒にいる気がないなら離れていけばいい。
弱肉強食なので支配や強奪などにより自由意志が否定されることもある。
観音様のように魂の永遠性などの先を見通せないと、ちょっと生きるのがしんどいのが今の地球ではないでしょうか。
嫌なものは嫌とし、命がけで身を守る、というのが基本姿勢だと思うのですが、ここはまだ覚悟が足りてないのでわからないところです。
以下、まとまりなくまた書き連ねたので、よければお読みください。
やや長めです。
これからの時代は、お互いの自由を認められる社会、ウソや矛盾を減らしていく方向性。
ありのままに近づくので、着飾った虚飾やウソはばれて、身の丈にあった姿になっていく。
特別なことを求める気持ちは、ありのままとは違う方向性にもなることがあり、注意したい。
「これしかない」という考え方も、時にエゴをつよくしてしまうため、その意味をよく考えてみる必要がある。
「無きゃ困る」「依存」は無理をしているのかもしれない。
「無ければ無いでいい」「あればあったで使う」なら否定は無いし、「無理」も無い。
思っていることと行動が一致した状態になればいい。
ありのままを素直に認められていないから、何かあるときにウソや虚飾がバレやしないかと不安になり、平常心を保てなくなる。
ありのままを認められるようになることが、平常心を保てるようになるために必要なこと。
自信が大事になる。
実力相応になっていく。
お祈りが感謝行であるならば、ウソの少ない、感謝の気持ちでのお祈りにしていくほうが自然。
程度の差はあるけれども、祈らないよりは都合であっても祈れば祈っただけ変わる。
しかし、どうせなら都合で祈るよりも、感謝の気持ちで祈れると、よりいい。
感謝して祈らなくては「いけない」、だと素直な思いとは違うし、できなかった時に自分に対して否定的な気持ちになり葛藤を生じカルマが増えてしまう。
無理はしない。
いまできないなら、できないでいい。
まずは、できるようにしていく「つもり」になれば、それだけでも方向性がでるのでよしとして、意欲を高めながら徐々に取り組めるようにシフトしていくと無理が少ない。
感謝の気持ちで祈れたときは、思いと行動(お祈りとその文言の意味)が一致して、ズレの少ない、ウソの少ない、深いお祈りになる。
より良いものとなる。
思いと行動が一致していないときは、思うような結果がでない。
それは自分の思いではなく、自分以外の誰かから思い込まされたものだからかもしれない。
全体性を損なうエゴは、素直な自分の想いではなく、そうした他者からの思い込みであることがある。
全体性に馴染むエゴは、自分の素直な思いと方向性があっている。
エゴを薄くする、とは、全体性を損なうエゴを、素直な思いに近づけていくこと。
思い込み、考え方を変えていくこと。
思い通りに生きられるようにしていくこと。
段階にもよるが、やるべきこと、とはこういう取り組みであるといいのではないか。
自分に向き合う、とは、こうした思い込みに気づいて、気づいた時に変えていくこと。
気づいた時に取り組むことなので、常にできることでもない。
思い通りにならないことを不自由という。
だったら、自由な生き方は思い通りに生きられること。
そういう方向性で自力を磨いて伸ばしていく、その取り組みのためのフォローを、見守ってくれている存在達はしてくれている。
自力がつかなければ、フォローはただの虚飾になってしまう。
フォローを外してみた時に、「以前と変わっていませんでした」では、新しい時代に生きていくだけの力を備えていないことになる。
「20年後に地球に残ります」と言っても、これでは行動が伴っていないことになるので、そういう結果になってしまう。
やるべきことは、やったほうがいい。
なんとかしてくれる、ではなく、なんとかする、という気持ちを大事にするといい。
今回の内容はこんな感じでしょうか?
「アナと雪の女王」
https://www.youtube.com/watch?v=cvj3-MZO9Tw
長くなってしまったので、ここまでにします。
他のブログと重複するところもあり、今回も整理はできていません。
いろいろ考えていると次々出てくるので、書けるときに書いておこうという感じです。
少しでも意欲のある方は頑張っていただきたいということもあり、ブログにいろいろ書くようにしています。
とりあえずでもいいので、読んでいただけるならばうれしいです。
内容については、読む際に御自身でも考えながら読んでみてください。
私が気づいていない理解不足なところもありますが、今後も考えながら少しずつ分かりやすくしていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
写真は、息子に付き添っての登校途中で見つけたナマズです。
地面の下で大きなお仲間が揺れ動くというイメージが、妙に納得できたのは不思議でした。
タイトルの「楽して得したい」についてですが、パワースポットがわかりやすい例かもしれません。
抽象的な物言いばかりになりますが、人には器と呼ばれるものがあります。
人間を磨いて、経験を積んで、その人の器は大きくなります。
この器なりのエネルギー量しかその人は扱えないとすると、パワースポットに行っても器なりのエネルギーしか入りませんが、器以上のエネルギーが手に入るような気がしてしまうのが私たちの「楽して得したい」の表れだと思います。
順序としては、まず器を広げて、そしてその広がった分に見合っただけのエネルギーが入る、というのなら問題ないはずです。
ですから、まず器を広げる努力をすることを考えられればいいわけです。
因果応報というなら、「やったことが返ってくる」という理屈ですが、やってないことが返ってくると期待してしまうところが課題になることが多いと思います。
以上、簡単に書いてみました。
ナマズです。
明日は都合により、17時までの営業とさせていただきます。
土曜日はまだご予約ができますので、お問合せをお待ちいたしております。
自分の限界までやった時に顔を出す「エゴの不完全さ」がある。
「もう無理」「これ以上はできない」など。
しかし、「滅びたい」という全体性を損なうエゴと異なり、自分の限界までやる生き方は真剣に生き、やるべきことをやって全体性を損なわない「命を活かす生き方」をしているため、全体性を向いている。
方向性が全体性を向いていれば、成長しながらいつかは全体性に繋がっていくことができる。
一方「全体性を損なう方向性」だと、閉塞感が強くなり、生きづらい感じが強くなる。
ともすると限界で姿を現すそうした自己否定を、見守る存在たちは全体性の働きとして包み込み、限界を超えた先を示すことで「損なう方向性」を「損なわない方向性」に転換するように促しているのではないか。
そして感謝の気持ちで全体性に身を任せることができるようにしてくれるのではないか。
見守る存在の優しさ、フォロー、全托とは、そういうものではないかと思います。
なぜ否定しない考え方が大事かというと、自由を認める生き方ができるから。
自分の自由は認めるけれど、人の自由は認めない、だと、平等だと思っていないことになる。
「自分は特別」だと思っている。
そういう特別さは、全体の働きとはすっきりなじまない。
調和しない。
28日(土)は都合によりお休みしますが、前日までに御予約いただければ、17時から1件受付いたします。
明日もまだ予定に空きがございます。
お問合せをお待ちいたしております。
考えていることや反省点の他、いただいた近況報告のメールなどから感じることがあります。
内容は細かいこともあるので省きますが、以前とは物事の理解度が変わってきている方たちもいらっしゃいますので、以前は分からなかったことが分かるようになっているかもしれません。
何度も目を通してくださった方もいると思いますが、改めて善悪についてなどの過去のブログに目を通していただき、個々のつながりを感じ取っていただけたらいいかと思います。
左に「備忘録」としてまとめたもの(まだ抜けているものもあります)を、よければご利用ください。
平常心を保つための方向性、ということを先日のブログで少し触れましたが、そうしたものを身につけるための内容でもあると思っています。
先週末、妻から調べものをしてほしいと頼まれました。
自他公認の機械音痴の彼女がスマホに変えてから、妻が自分で検索しているところを見たことが無かったため、
「たまには自分で調べたら?」
と話すと、ごにょごにょ愚痴を言いながら、突然待ち受け画面にむかって話しかけ始めました。
「画面に向かって話しかける」というどこかで仕入れた知識ですが、まったく画面に変化はなく、あえなく撃沈。
その後、Googleを開き再度話しかけ成功したかに見えたのですが、今度はどういう流れか不明ですが、検索キーワード「認識してますですよ」から写真の画面の内容が表示されました。
『自分がダメなやつ、と認識してから、すべてが始まった』
なにか意味ありげです(笑)
妻はなにか納得したのか、見るなり大笑いしていました。
「ダメなやつ」はどうかと思いますが、「自信」についてはいらした方にたびたびお話をしており、ここではあまりふれていないかもしれないので、機会を見つけて整理してみたいと思います。
BBSの更新がなされ緊張が増している方もいると思いますが、これまでの学びの確認として実地テストが行われたようなものですし、現状を見直して軌道修正するいい機会になるのではないでしょうか。
ブログで書いている内容はくだらないものもありますが、大事なことも沢山含まれていると思っています。
ある程度理解が進むとおのずと整理されてくる内容を、(よくいえば)ちりばめてあります。(整理されていないだけですが)
軌道修正の際に読んでいただいてもいいかと思います。
ご覧のように写真は白鷺ですが、カワセミを見たんですよ♪
しかもつがいでした!
スマホのカメラではとらえきれず、近くにいた白鷺で我慢です。
昨夜の雨で増水していた大田区の呑川沿いを午前中に通った際、ボラの稚魚でしょうか、群れが沢山いて白鷺が一生懸命エサ取りしていました。
その動きが面白そうなので足を止めて少し見ていると、青い閃光が!
お世辞にもきれいな川とは呼べないところですのでちょっと驚きました。
以前この川で誰かが逃がしたのか、アリゲーターガ―という巨大魚が3匹ほど捕獲されたこともあります。
あちこち見ていると、いろいろいますね。
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