零一さんのまとめ

今日からいよいよ8月後半ですね。

 

6月に零一さんがご来院くださり、その時の会話をわかりやすくまとめてくださいました。

 

日頃ブログで書いていることですが、口頭ではまた違ったニュアンスでお伝えしていましたので、参考になることもあると思います。

 

以下、零一さんのまとめです。

 

 

 

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不完全だから

エゴの状態は不完全であるというお話は何度もしてきたと思います。

 

不完全だから、完ぺきな結果というものをエゴ主体で生きている私たちはだすことができません。

 

できないことをやろうとしても意味がないので、物事の順序として「結果」よりもまずは「行動」(取り組み)を大事にすること。

(※思い・言葉⇒行動⇒結果、その積み重ねが運命)

 

よりよい結果を求めてよりよい行動をする。

 

そのよりよい行動は、よりよい想い(言葉・考え等)に基づきなされている。

 

 

 

私たちは完璧ではないから、間違えることも失敗することもある。

 

それは当たり前の事。

 

その当たり前のことに腹を立てることが日常多々あり、それはおかしい、と気づけると修正できるようになるのでいい。

 

 

 

失敗してもいいし、間違えてもいい。

 

なぜなら私たち今はそういう存在だから。

ただ、よりよく生きようと思ったら、それを放置せずに軌道修正していく。

 

迷惑をかけたなら謝る。

 

間違って伝えたら訂正する。

 

その繰り返しで生きていくから、お互いさまとは「みんな不完全だよ」ということ。

 

 

間違えながらも自分で自分のことをやるために、この体をもって生きている。

 

自分のことは全部自分でやる、が基本。

 

そこで身の丈に合った取り組み方をできるように、凸凹を知ることが大事になる。

 

不完全を認める、エゴに気づく、歪みを自覚する。

 

そこから本当の自分の成長が始まる。

 

 

 

整理してます

いままでブログに書いてきたことを少しずつ整理しています。

 

 

ずいぶん好き勝手書いてきたものですから、あちこちに散らばっているかんじで読みづらい方も多いのではないかと思いました。

 

 

時間がかかるとは思いますが自分の頭の整理にもなるので、早めにやり切ってしまおうと思います。

 

 

 

 

コメント欄に書いてくださる方も増えてきましたが、時に厳しいコメントを返す機会も出てきています。

 

 

基本穏やかで前向きにコメントを返していきたいと思っていますが、なぜあえてそれを書くかといえば、それはまだ間に合うから今のうちに改善しておいた方がいい、と判断するからです。

 

 

「不完全だから」のところでも少し書きましたが、自分のことは自分でやる、それができなければ・・・ということが今後顕著になってくると思います。

 

 

恵まれすぎている今の状況から一転したとき、自分は不幸だと思うか、これまで身の丈以上の恵まれていた環境だったと感謝できるか、この違いがけっこうあちこちで表れるような気がします。

 

 

私ももともとそうですが、自分のことを自分でやらないで誰かをあてに生きている人は、甘えがあります。

 

 

しかし、みんなが自分のことで手一杯になったとしたら、誰も手助けなどしてくれません。

 

 

物事を教わるにしても、誰かが分かりやすく教えてくれて当たり前、ではないのです。

 

 

同情のお話と同じことです。

 

 

自分で変わろう、なんとかしよう、という意思がないと手を貸す意味がありません。

 

 

意欲も大事で、実際に行動に移してはじめて結果はでますから、そのためには自らの意欲を損なう考え方の癖を変えていく必要があります。

 

 

まず自分でできるだけ考える、調べる、やれることをやる、ということをしてからでないと、本当に自分のわからないことや知りたいことは見えてきません。

 

 

お祈りについても以前書いたと思うのですが、逃げのお祈りでは効果もなく、やれることをやりきらないで安易にお願いしますでは、自分の成長はほぼ得られないでしょう。

 

 

竜宮城でウハウハ過ごして陸にもどった後、玉手箱を空けたら本来の姿にもどってしまった、では意味がありません。

 

 

ですから、今のうちに質問してくれた方には例え厳しい内容であっても聞き入れてもらえると判断すれば、必要があれば厳しいコメントを書くようにしています。

 

 

厳しく書かれた方はたまったものではないと思うのですが、逃げずに向き合っていただくことは決して無駄にはなりませんので、今後もめげずにブログを読みこんでいただきたいと思います。

 

 

もし仮に優しく丁寧に伝えたとしても、意欲がないとなかなか伝わりません。

 

 

自分に向き合っていただき、よりよく生きたい、成長したい、まっとうに生きていきたい、そういった思いや意欲があるかどうか一度考えてみて下さい。

 

 

意欲もあって信じてもらえればなお効率もいいのですが、それは私の問題でもありますので地道にがんばります。

 

 

今のうちに出来るだけレベルを上げれる方は頑張っていただくといいと思います。

 

 

レベルを上げる一つの取っ掛かりとして、書いてみました。

 

 

いきなりはできませんので、できるところから一つずつです。

 

 

時間もかかることなので早めに取り掛かるといいですよ、とお伝えしておきます。

 

 

 

「今」が大事な理由

 

今が大事な理由は、(今の自分の)「思い」を「行動」に移せるのが「今」しかないからです。

 

今の思いを過去で行動に移すことはできないですし、未来で行動に移しても違う思いになってしまっているのでできません。

 

過去のことが忘れられない、引きずってしまう、というのは、その過去が一番大事だという思いが自分にあるから、今に意識が向けられない状態です。

 

運命をつくる力は、今このときの自分の思いに基づく行動によって発揮されます。

 

よりよく生きるためには、過去のことを考えてばかりいるよりは、今この時の自分を良くするためにどうするか考えた方がいいです。

 

「過去のこと」をゆるすことは、それまで大事だと思っていたその重要度を下げることになります。

 

大事だと思うことはいつも思い出しますし、忘れられません。

 

もっと大事なことに気づけば、自然と重要度は下がり、執着も薄れゆるせるようになっていきます。

 

そして、大事なことが本当に大事だと思えるようになり、他の物事もいまの自分にとってあまり重要ではないと思えるようになってくれば、それが重要度に占める割合は高くなります。

 

そのように純度が高くなった状態をピュアというのではないでしょうか。

 

 

 

あきらめること メモ

結果としてあきらめた、という場合、「継続する」よりも「あきらめる」方が大事だと思ったから、ということになります。

 

一度にできることは一つだけ、の理屈で大事だと思うことを行動に移したと考えると、こういうとらえ方になります。

 

無自覚にやっていることも多いのですが、「あきらめることが大事だと考えたから」と捉えると、物事の見え方もまた変わると思います。

 

「大変」「難しい」の一言は安易にあきらめる癖のあらわれかもしれませんので、日常の自分の言動など意識してみるといいのではないでしょうか。

 

方向性に合っていない場合もありますが、取り組む際に方向性をキチンと出せていないことが原因です。

 

 

 

ブログはブログで更新した方がよさそうなので、短いですが書いておきます。

 

言葉が足りないこともありますが、そこはとりあえずご自身でお考えいただくといいかと思います。

 

写真は息子作、妖怪パズルです。

 

 

 

因果応報とエゴとカルマ

 

エゴとカルマについて、それぞれ歪みという言葉を使うとなんとなくわかるとは思いますが、わかるようでわからないことではないでしょうか。

 

因果応報の仕組を「思い」と「行動」と「結果」にわけて考えた時、

 

・「思い」の歪みがエゴ

 

・「結果」の歪みがカルマ

 

と考えるとわかりやすいと思います。

 

結果を踏まえて改善する取り組みが軌道修正、歪みをそのまま放置することがあきらめ。

  

なるべくシンプルに考えると理解が進むのではないでしょうか。

  

間違いがあれば修正すればいいので、ご自身でも一度お考えください。

 

写真は、息子作「こころがひらくはながあるいえ」だそうです。

 

 

 

エゴをうすくする、について

エゴを薄くするとは、「特別」を減らしていくことです。

 

ここ2日ほど面白い体験や気づきが得られています。

 

落ち着いたら書くかもしれませんが、まだやることがあるので簡単に書きました。

 

取り組みに対する自信も深まっています。

自立とあてと特別視

自立とは、自分のことは自分でやる、ということです。

 

人やなにかをあてにしない、ということです。

 

全体性の理解が進み自立できたなら、自分のやったことがきちんと自分に返ってくることがわかるようになります。

 

しかし、自立はできているようでなかなかできていないことだと思います。

 

それは、あてにする、ということを無意識にしてしまうことが多いからです。

 

「あてにする」というのは、「自分を助けてもらう」という発想であり、自分を助けられる存在というのは、自分より何かが上でなくては助けることはできません。

 

存在としてはみな平等であり、自分のことは自分でやることが本来の姿だとすると、自分のことを自分でやらないで、上位の存在をつくりだすことによってそれに肩代わりしてもらおうというのは、本来の姿を歪めてしまっていることにならないでしょうか。

 

特別視する、とはこういうことです。

 

 

 

また、上位ばかりでなく、人に頼らせる、すがらせる、という下位の存在をつくることも無意識にやっていることがあります。

 

自他の関係において依存をつくるわけです。

 

 

 

このようになにかをあてにすることによって、特別視することを増やし、自立から遠ざかることをしてしまいがちです。

 

ですから、特別視に気づくことは非常に重要で、特別視している間は、自分のことは自分でできると思っていないということですし、自分を信じることもできません。

 

自信がなければベストを尽くすこともできず、命を大事に生きているとは言えない状態です。

 

 

 

特別視に気づいて平等に目を向けるようになっていくことで、因果応報の歪みを少なく使うことができるようになっていきます。

 

よりよい生き方に通じることです。

 

 

 

情報や存在に対する特別視にならないよう、自分の方向性をきちんとしたうえでそうしたものと向き合えると、歪みは生じづらくなるのではないでしょうか。

 

そこができないまま向き合うと、ちょっと大変かもしれません。

 

 

 

コメントをくださっている皆さん、ありがとうございます。

 

過去のブログにもコメントをくださっている方たちがいらっしゃいますので、せっかくですから読み返す際にはコメント欄にも是非目を通すようにしてください。

 

 

 

さきほどネット記事を見たところ、台風17号「メーギー」が発生していますね。

 

韓国名で「なまず」だそうです。

 

写真は息子作、ドラゴンボールのカリン様です。

 

 

 

メモ 情・同情・非情

とは、良くも悪くもエゴの価値観で自分が考え行動すること。

 

全体性の理屈や道理よりも、エゴの価値観を優先している状態。

 

 

 

同情とは、やはりエゴの価値観を優先しつつ、相手の価値観の方が歪みがつよい場合に自分の価値観を疎かにし、相手のエゴの価値観の方を「いいね」といって優先している状態。




      

 

 

非情とは、こうした自分や他人の情よりも、より歪みの少ない全体性の道理や理屈を優先すること。

 

いいものはいい、ダメなものはダメ、正しいものは正しい、違うものは違う、そう判断でき行動に移せること。

 

 

余談ですが、特別視について考えていたところ、神社で神様をあてにして拝みにいくというのは、神様を祀るというよりは特別視することによってそこに封じ込めている、そんな感じがしました。

 

全国各地に祀られている?神様は、バラバラにされて封印されているかのようにみえてきます。

 

御嶽山が噴火したことがありましたが、あの山はいわゆる霊山として山岳信仰の対象になっており、その山頂に祀られていた(封印されていた)神様があの時解放されたのかも、なんてことを考えたりしています。

 

 

写真は、もう亡くなられていますが、父の書の先生が書かれた字です。

    (内容を一部修正しました)

 

思うこと

 

人には「幸せ」を願う気持ちと「不幸」を願う気持ちがあります。

 

言い換えると、思うように生きられる「自由」を願う気持ちと、思うように生きられない「不自由」を願う気持ちです。

 

そうした気持ちは自分に向けられたり他者に向けられたり様々ですが、ここをよく自覚し、意識して幸せを願うようにしていけるかどうか、一つのポイントです。

 

 

 

なぜなら、無意識では不幸を願うということをつい私たちはしてしまうからです。

 

なぜ「つい」してしまうかといえば、癖になってしまっているからです。

 

癖になるほど繰り返してきたのは、歪みの多い世の中に長く身を置いて癖になるほど繰り返してきたからです。

 

 

 

本来の進化成長の方向性に蓋をしたために生じるようになった歪みがあり、その蓋は神を特別視することで、そのことにより私たちは方向性を見失いました。

 

そして、神の先には全体性があります。

 

全体性を見失うことで、私たちはエゴの範疇をぐるぐる回り続け、歪みを増やしたり強化しながら癖やそれ以上のものを身につけて今に至っています。

 

 

 

弱肉強食の世界では、力のあるものが優位に立ちます。

 

いまは不幸を願う数が優位に立っており、そこから幸せを願う方向性に進むには、それらに引きずられないような自分でなくてはなりません。

 

ある時期を越えると数が逆転しその優位性が変わる可能性がありますが、先駆けて方向性を出す人は、まず全体性に方向性を定めることができるかどうか、そして結果を出すために自信をもって日々取り組んで自分を成長させていけるかどうか、そうしたことを自覚しなくては結果を出すことはできないでしょう。

 

 

 

全体性に向かうということは、自然になっていくということです。

 

普通になっていくのです。

 

あればあったでいいけれど、無いなら無いなりにあるもので生活を考える。

 

どんな事柄も分け隔てなく普通に平等に扱えるようになっていかなくては、進化成長しているとはいえません。

 

 

 

好き嫌いはあっていいですし、必要なものを欲する気持ちは自然なものです。

 

しかし、それが執着や固定化にまでなると、おかしくなってしまいます。

 

なにか特別なエサを吊るされて「これが無くては困る」「いま手に入れておかないと損をする」と特別視をくすぐられると、依存心を全開にさせられてしまいます。

 

 

 

無意識に自らの歪みをあぶり出された時に、その歪みに気付けるかどうか試されることもあります。

 

あぶり出すという言い方はネガティヴな印象をもつかもしれませんが、消えていく姿がわかっていれば、それもそういう思いになることはないはずです。

 

うろたえて人のせいにすることもありますが、隠れていた自分の課題をわかりやすくしてもらえるならば、それは有難いことなのです。

 

平常心をわかっていないと、その気づきすら得られないでしょう。

 

 

 

今までなにを学んできたのか後で後悔することがないよう、ご自身のエゴのチェックを今この時、怠らないように過ごされるといいと思います。

 

それができていれば本当に役に立つものが身につき、本当に大変な時にその意味がわかるのではないでしょうか。

 

また、これからの時代についても考えておくといいと思います。

 

 

 

これまでは因果応報が正しく使われず、やったことがキチンと返ってきていませんでした。

 

不平等な世の中になっていました。

 

それが、歪みが減り因果応報が早くなるといわれている今、ウソやごまかしはできなくなってきて平等な世の中をこれから作っていこうとしています。

 

 

 

新しい時代をつくる前に、これまで溜め込んだものを解消しなくてはいけません。

 

誰が解消するのでしょうか?

 

ディセンションする人たちが解消するわけではないのです。

 

 

 

解消できないからこそディセンションしていきます。

 

みなが平等である以上、肉体をもって生きている私たちに負荷は均等に割り当てられると私は考えています。

 

そこで抱えているカルマの量に応じて加算減算され、負荷を解消しながらたくましくなり、同じ負荷が来ても生きていけるような人は20年後に生きているでしょう。

 

 

 

負荷を解消できず、考え方の歪みからさらにカルマを増やした人は、その重みに耐えられず潰れていきます。

 

時代の先駆けとなる人たちは、率先してそうした負荷を真っ先に負うことになると思っています。

 

その時に平常心を保ちながらエゴを薄くしてカルマを解消する、ということがスムーズにできればいいのですが、なにかをあてにしてそうした自分のやるべきことができないまま負荷を負うと、平常心を保てず思わぬカルマを増やしてしまうかもしれません。

 

 

 

先延ばしにされているいま、できるうちにできることをやっておくことでカルマを減らせるならば、これまでも繰り返し言ってきましたが、やれることはやっておいたほうがいいと思います。

 

 

 

メモ 繋がり

全体性はありとあらゆる存在が一つの「働き」として繋がっている。

 

その繋がりを介して、いったものが返ってくる。

いま思っていること

気が付けば10月でした。

 

あれこれ書き出すと長くなるので簡単に。

 

生きることに直結していることは大事にしなくては、ということを感じています。

 

一度に一つ、今取り組んでいることが生きることにどれほど役に立つのか、時間のあるうちにやるべきことはどういうことか、そういう視点が大事だと感じる今日この頃です。

 

方向性を出すことの重要性を改めて感じてもいます。

 

 

 

息子作、「ねずみ男」です。(※「墓場の鬼太郎」バージョンですね。)

 

 

 

意識レベルを上げること

意識レベルを上げることは、普通になっていくことだと思います。

 

だれが見ても、だれが聞いても、「そうだよね」と思える考え方や生き方が普通であり、それができるようになっていくことが「意識レベルが上がった」というのではないでしょうか。

 

難しい解釈や言い回しばかりになっては、だれが見ても、だれが聞いても、とはならないので、意識レベルを上げるためには簡潔で平易な表現がよりよいものだと思います。

 

そうしたものは実生活で役に立つ考え方や生き方になるので、そうしたものを心がけるようにしています。

 

 

 

写真は息子作、「りゅう」です。

上野で開催されている「驚きの明治工芸展」で展示されていた「自在置物」の龍をモデルに描きました。

下には逆鱗のことも書いてありますね。

 

 

 

普通になっていく

昨日から、普通であると感じることで、内面の感覚が満ちることが何度かあります。

 

以前は普通というと「とりたててなにもない感じ」くらいにしか思っていませんでしたが、特別なものがなく普通に物を考えられることが幸せ、そしてそれによって肚がしっかりしてくる、そんな気分になっています。

 

先ほども患者さんとお話ししていて、お互いにそういう感覚を共有できている実感がありました。

 

ずーっとではないため、時折非常にいい気分です。

 

 

 

 

メモ 意識など

とりあえずいま私が考えている「意識」「意志」「意図」についてです。

 

 

 

『意識』

「いまの自分」はここだよ!という焦点。

 

『意志』

意識が出す方向性。

 

『意図』

上位の意識がだす方向性。

 

 

 

意識についてはまだすっきりしませんが、とりあえず興味のある方もいると思いますので、上記のものをたたき台にでもしてお考え下さい。

またすっきりまとまったらここに書くかもしれません。

 

 

 

これ大事

今回の内容は取り組み方として大事なことになるので、なるべく簡単に書きたいと思うのですがまだ簡潔にまとめられていません。

 

今はできる範囲で理解に努めるようにしていただければと思います。

 

最近感じていることですが、これまでそれぞれ取り組んできた方たちの結果がでてきているような気がしていますので、徐々に実感できる方もいるでしょうからあきらめずに引き続き頑張っていただければと思います。

 

 

 

成長という方向性を出して生きていく場合、これまでも何度か書いたと思うのですが、エゴを薄くする必要があります。

 

エゴは不完全ですので、不完全なエゴでエゴの不完全さをチェックしたとしてもあまり意味をなしません。

 

エゴを薄くする場合、方向性をださないままにそれに取り組んだとしても、薄まった空きスペースはすぐに新たなエゴに取って代わられることになるからです。

 

 

 

全体性の働きは変化し続けることで完璧であろうとしています。

 

この場合の「変化する」は、歪みをとったり減らしたりすることです。

 

エゴの歪みはもちろん、カルマを減らそうと思ったら、カルマも歪みですから全体性を使えばいいということになります。

 

 

 

全体性に方向性を向けることにより、より歪みの少ない上位の意識でチェックすることができ、エゴを薄くすることができます。

 

そのために、エゴを越えた「上位の意識」「全体性」があるんだ、ということをまず信じる必要があります。

 

エゴで全体性をきちんとわかるものではありませんが、それでも因果応報を使い全体性を無意識から浮かび上がらせて視野に入れる(具現化、意識化)ことにより、それを使えるようにしていきます。

 

 

 

なぜ「全体性があるんだ」と信じる必要があるかというと、陰に隠れているもの、視野に入らないものは使ったりコントロールすることができないからです。

 

エゴが好き勝手やるのも、無意識という陰に隠れているからできることなのです。

 

ですから、「全体性がある」とつよく思い意識化し、それを使えるようにしてエゴを薄くしていきます。

 

 

 

そうした方向性をだして取り組んだときに初めてエゴはきちんと薄まっていきます。

 

いろいろな説明をこれまでもしてきていますが、全体性を踏まえないで言葉だけ見ても、これまでの歪みの多い世界の物の見方になってしまいます。

 

新たな方向性を打ち出していますので、これまで書き連ねてきた私のブログの内容のつながりを通して考えるようにしてみてください。

 

 

 

前も書きましたが、エゴでやっていることですので、間違いや言葉が足りないこともありますが、つながりをおろそかにしては見えてくることはありませんのでご注意いただければと思います。

 

 

 

「全体性を使う」というのは、気づきやインスピレーションとよばれるものを使うということです。

 

方向性を全体性に向けないまま得られる気づきやインスピレーションは、全体性以外のものはエゴに方向性を向けることになりますので、因果応報の結果として「歪みがより少ない」とはいえず、これが取って代わられると表現したものになります。

 

全体性に向けた取り組みの結果として受け取ったインスピレーションであっても、不完全な私たちはそのすべてをキャッチできませんし、見えない世界が主体ではなく肉体をもって生きている私たちがあくまで主体ですから、その肉体でやるべきことをちゃんと残す意味でも答えがそのまま来ているわけではないのです。

 

 

 

そうして受け取ったものは断片的なヒントや一部というフォローですから、成長を遂げるためにはエゴ主体で経験や学びを通してそれをつなぎ合わせて答えを導く必要があります。

 

全体性は変化し続けることで完璧であろうとしているとしたならば、私たちは変化や動くことによってその一部として働けることになります。

 

肉体をもって動けるということは、動く必要があるからそうなっていると考えればいいのです。

 

 

 

やることをやらなければ結果はでませんので、全体性に方向性を向けて行動に移していくことが、本来の人の生きる基本的な姿勢として求められているのだと思います。

 

 

 

ご指導

このところブログの更新頻度が落ちていますが、それは前にも書いたようにこれまでの内容の整理を優先しているからです。

 

この整理している内容というのは、私がある方にご指導いただいている内容でもあります。

 

指導を受けていることやその方についてはこれまではほとんど触れてきていませんが、ご本人からの許可もいただけましたので、書ける範囲で今回書くことにしました。

 

 

 

その方は開院後半年ほどして患者さんとして電話でご予約をしてくださったのですが、私の神様より「この方に話を聞きなさい」というメッセージがありました。

 

初めてお会いする上にその時点では電話で少し話しただけでしたので、そのメッセージについては半信半疑でした。

 

いざいらしてくださっていろいろお話をしていると、それまでは私はあまり神様とのやりとりになじんでいなかった頃でしたので、神様からのメッセージについては口数の少ない感じで言葉が伝わってくることが通常の印象でした。

 

 

 

しかしその時はいつもと違い、いまだかつてない感じで軽やかに言葉が続き、その方と私の神様との間で会話がなされていくことに驚くこととなります。

 

私は通訳のような状態で言葉を伝えるだけですので、話の内容ややりとりについては良く分らないまま話が進みました。

 

一通り話を終えてそのときの施術は終わりました。

 

 

 

最初はそのようなことから始まったのですが、私の神様からのお願いもあり、その後も頻繁にお電話を下さり御指導してくださるようになっていきます。

 

その方自身は神様とコンタクトをとることはできませんし、なにか特殊な感性を持ち合わせてはおらず、よくわからない面はあるものの普通の方でした。

 

気味悪さはないものの、得体のしれない感じ、というのが正直なところです。

 

 

 

話して下さる内容は、ご自身の経験からつかんだよりよく生きていくためのお話で、これまでブログに書いてきた内容になります。

 

霊感や特別な感覚や感性が無い分、きちんと生きるために理屈で考えなくては今の考え方になりません。

 

私の言葉やブログ内容は理解や表現力が足りていないため説得力に欠けるのですが、その方がご自身の考えを既存の知識も使いながらまとめることにより、誰が聞いても納得のできる内容になったようです。

 

 

 

断片的には聞き慣れたり見慣れたお話もあちこちありますが、それらを一つのつながりの中で表現している人を私は知りません。

 

当初は半信半疑で聞き始めたお話でしたが、話を聞くたびに私の神様からは「そう」「さすが」「勉強になります」(演出として拍手、喝采などもありました)など、おべっかを使っているかのような答えばかりが続きます。

 

私自身わからないなりに話を聞いていますので、「神様じゃなくてエゴの妄想じゃないのか?」と思えることも度々ありましたが、実際に話を聞いていてもきちんと理屈が通る話ばかりで、ただただ感心するばかりでした。

 

 

 

そのようにしてほぼ営業している日はほとんどお話を聞かせていただき、次第に自分のエゴのチェックもできるようになっていきます。

 

話して下さる内容も正しい事、事実だ、と信じられるようになっていくと、大事な事だと思いBBSに思い込みや善悪について書きこんだりもしました。

 

私の神様はとにかくべた褒めですが、いま振り返ってみてもそこにはウソが無かったと思います。

 

 

 

そんな毎日が続いていくと、次第にこれまで理解できていなかったことや、宇宙全史の内容、虚空蔵さんのおっしゃっていることなどがわかるようになっていきました。

 

そしてある時期、その方のチャクラが一時的にひらきます。

 

なにか計画があるようでまた閉じられてしまったそうですが、それでもチャクラが開いたことでこれまでのその方の取り組みが正しいことが証明されたので、そこからさらに一歩踏み込んだ内容で御指導して下さるようになりました。

 

 

 

その結果、私も言われたとおりにお話を聞き理解に努めるようにしていると、今年の夏至だったと思いますが、覚醒の一瞥体験というものを初めて経験します。

 

こうした経緯を経たことで、覚醒を求めて意識レベルを上げようとすると、過酷な修行や鍛錬が無いとできないように思いこんでいましたが、そういうことをしなくてもいいことが分かったのでした。

 

私の神様からも「いま教えていただいているものは第二の易行道だよ。」と言われたことがあり、実感としても「効果が出る取り組みの中で、ここまで要点がシンプルで取り組みやすいものはないのではないか」と感じています。

 

 

 

私自身まだ理解にムラはありますが常に成長もしており、こうしたことを踏まえてブログや施術で皆さんに大事だと思うことをお伝えしています。

 

自分のことに一生懸命取り組むことで、全体もよくなっていくと信じています。

 

私はここに書くことで自分の甘さに気づかされる機会にもなっていますが、いらしてくださった方と共に成長させていただいている実感も得られています。

 

 

 

よりよく生きていけるよう、自信をもってお伝えできることがあります。

 

ブログをまとめているのも、そうしたことを興味関心をもっていらしてくださったり、ブログをいつも読んでくださる皆さんに理解していただきたいからです。

 

結果が出るまで個人差はありますが、あきらめずに取り組んでくださればよくなっていくよう責任をもって指導しますので、興味のある方は是非一度いらしてください。

 

 

 

お待ちしております。

 

 

メモ 繋がり

いったものが返ってくる、やったことが自分に返ってくる、因果応報の仕組み。

 

それは全体性の働きという繋がりを介して起こること。

 

私たちはエゴという不完全な存在で全体性の一部。

 

そうした不完全なもの同士を介して返ってくるので、伝言ゲームのように形を変えて返ってくる。

 

そのまま返ってくるわけではない。

 

 

 

明日は勉強会参加のためお休みです。

 

来週のご予約が少しずつ入っています。

 

ご希望の方は休日の場合はメールでも受付対応いたしますので、お気軽にお問合せください。

 

返信が夜になることもありますので、その点だけご了承ください。

 

 

 

 

※以下、加筆です。 

 

「・・・伝言ゲームのように形を変えて返ってくる。そのまま返ってくるわけではない。」

 

と書きましたが、全体性は完璧であろうとする働きがあるため、一度で返ってきたものが不完全であれば、2度、3度と完璧に返るまで続くとお考え下さい。

 

説明不足でした。

 

失礼いたしました。

 

 

 

メモ 一つと順序

 

一度にできることは一つ、ということは、一度にいくつもは同時にできないということ。

 

一つずつやるということは、順序が生じる。

 

限られた時間では、できることも限られる。

 

限られた中で取り組むことには優先度や重要度という違いが生じる。

 

重要度の高いことに取り組めばなにを大事にしているのか結果に表れ、重要でないことに取り組めば思うような結果とは異なるものになっていく。

 

順序によって結果は変わる。

 

正しい順序で正しい取り組みをすれば、正しい結果がでる。

 

それが因果応報。

 

全体性には流れがあり、完璧であり続ける、歪みを解消できる、ということは、そのような順序があるということ。

 

一方エゴは、一度にいくつものことを同時にできる、と思ってしまう。

 

それでは順序が関係なくなり、思うような結果も出づらくなる。

 

料理の順序が「さしすせそ」なら、「さ行全部いっぺんにいれちゃえ」では味が変わる。

 

順序を大事に、一度にできることは一つだけ。

 

地道にコツコツと一つずつ。

 

 

 

12日夜は流れ星が見やすいようです。

 

14日は満月ですね。

 

夜空がにぎやかです。

 

来週のご予約をお待ちしております。

 

営業時間外の受付対応はメールにて行っておりますので、お気軽にお問合せください。

 

 

 

雑記

書くことがあまり浮かばないのですが、なんとなく感じていることはそれなりにあります。

 

 

 

私個人の感じとしては、見えない世界では状況が目まぐるしく変わり続けているようで、かなり忙しく動き回っている上位の意識の働きがある一方、日常生活の身の回りでは穏やかに時間が流れています。

 

 

 

見えていることだけで判断するものではありませんが、エゴで確認できない見えないことに振り回されるのもなんだかな、という気持ちになることもありますので、言葉や内容も以前より選んで書くようにしています。

 

 

 

ブログに書かない分は誤解を生んだりエゴの歪みを増さないよう人を選んでお伝えする内容になりますので、いらしていただいた方から聞かれたときにその方に合わせてお話したり、まとめているブログの内容を必要があればお伝えするようにしています。

 

 

 

こちらでオープンでお伝えすることはある程度これまでに書いてありますのでそちらでご確認いただき、一歩歩を進めたい方はご質問や課題をご用意してお越しいただければ、前進できるようお手伝いいたします。

 

 

 

ご来院いただくことが一つの方向性を出すことになります。

 

 

 

いらしていただいた方の成長につながるよう、できることをしています。

 

 

 

以前、私の神様から「歪みは由神」といわれたことがあります。

 

 

 

由々しい神。

 

 

 

神が全体性のエネルギーだとすると、そのエネルギーが由々しい状態になっているのが歪み。

 

 

 

由々しいとは、「そのままほうっておくと、とんでもない結果を引き起こすことになる。」と辞書にありました。

 

 

 

歪みは放置しておくものではない、ということでしょうか。

 

 

 

8月後半のある日、金色の夕陽を見ながら「あなたのやるべきことは歪みに気づかせることではない。歪みを取ることぞ。」と浮かびました。

 

 

 

上記は余談ですが、そういう方向性を感じながら日々施術にあたっています。

 

 

 

先日の妻を通して感じた変化から、振り分けが大々的に行われていることを感じました。

 

 

 

改めて書いておきますが、ご自身の方向性をだすことを常に心がけてください。

 

 

 

物事の順序が正しく行われれば、正しい流れに乗っていけます。

 

 

 

見えていないことも含めて全体です。

 

 

 

全体はここにきて大きく動き始めているようです。

 

 

 

ご自身の方向性を出さないで過ごすことは、流れに身を任せるというよりは流れに呑まれて流される、そう思っていた方がいいと思います。

 

 

 

自分のやるべきことを確認しながら時間を大事にお過ごしください。

 

 

 

取り組んだ分だけ変わります。

 

 

 

写真は息子作、「ウバザメ」です。

 

 

 

備忘録 め~も

これこそ個人的なメモでしかないのですが、一応書き留めておこうと思います。

 

 

 

・存在を束ねる者

 

・胡椒の粒のような地球

 

・大局的な見方とその感覚

 

・エゴで見る意識の世界はすべて局所的にしかとらえられない

 

・同調することで肚がきまってくる「なにか達」

 

・意識レベルに差がありすぎると、下位の意識は大変、ベスト尽くすしかないじゃん、という感じ

 

 

 

ここ二日ほど面白い体験ができているものの書くにはちょっとまとまりがないため、整理がつくことがあれば書くかもしれませんので、メモだけ残しておきます。

昨日はまた違いましたが、今日のはなんというか、すごい軽い感じで生きていいんだな、という感覚の中に身を置いたひとときでした。

 

昨日のは仕組みとして淡々と機能することから見ると、地球があらびき胡椒の一粒くらいで、エゴはほんとちっぽけな粉というか粒子くらいのもの、という感覚です。

 

わかりづらいと思いますが、自分用のメモですのでご勘弁ください。

 

それにしても、私たちってなんなんでしょうね。

 

まだそこまでいっていませんが、もっと取っ払ってしまえるものがまだまだたくさんあるような気がしました。

 

一時的かもしれませんが、なんだか今まで以上に楽しくなっています。

 

なに書いてるんだか・・・

 

 

 

メモ 3回目

ここ最近で2日ほど面白い体験をしたのですが、今日は3日目の面白い体験として、夏至から数えて3回目の「気分がいい」状態になりました。

 

(※2回目は書いていないかもしれません。)

 

つい30分ほど前のことでいろいろ感じたことがあったにも関わらず、いまはほとんど忘れかけています。

 

感受性の変化がよくわかりました。

 

メモとして。

 

高められた意識状態は方向性をだして取り組むことで到達できると思います。

 

今回それを感覚的に感じました。

 

気分がいい生き方ができるようになっていけばいいのです。

 

明日には忘れていそうなので、記録だけ残しておきます。

 

 

 

明日はまだ空きがあるので、ご予約・お問合せ、お待ちいたしております。

(※営業時間外はメールにてお問合せください。夜間でもメールしていただいて構いませんが、返信はおそらく明朝になります。)

 

年末にかけてご予約も徐々に入り始めていますので、ご検討中の方はお早めにご連絡いただければと思います。

 

 

 

天命についての気づき

 

16日のことですが、あることをきっかけにして、自身の天命の意味がわかりました。

 

そして、感じたことが、

 

「今まで生きてきてよかった」

 

「自分は今まで自分のために生きてきた」

 

「幸せになるために生きていたんだ」

 

ということです。

 

 

 

天命の意味を私はそれまで勘違いしていて、使命のようなものと捉えていました。

 

しかし、今回の気づきでわかったことは、天命とは自分の思いであり、生きる目的はそれを果たすことに他ならなかったということです。

 

 

 

因果応報は思いで運命をつくる仕組みです。

 

思い通りに生きられたら幸せだと私は思っています。

 

自らの天命の意味が分かった時に感じた幸せな気持ちは、思い通りに生きられた、と素直に思えたからでした。

 

 

 

私たちが生きる目的は、幸せになることです。

 

思うように生きられた時に幸せなのです。

 

自らの思いを果たすため、幸せになるため、私たちは生まれてきました。

 

全てを忘れたところから始まり、自らの思いを探して、それを見つけて、その思いを果たし、幸せを感じる。

 

それが天命を果たすことです。

 

 

 

そのために必要な方法をこれまでブログに書いてきましたし、これからもそれを伝えていきます。

 

全体性、方向性、因果応報、エゴ、など、そうしたことを使ってお伝えしています。

 

指導という形でいらしてくださった方たちにお伝えすることが、私の役目でもあります。

 

まだエゴ主体で生きているので、至らない点もございますが、これまで書いてきた方向性で生きていきたい方は是非いらしてください。

 

施術を受けにいらしてください。

 

お手伝いさせていただきます。

 

 

 

ここまで書いたものを読み返してみて思いますが、私はやっぱり白ですね。

 

黒で書くのは苦手です。

 

黒で書くと、それを読んだ方の中で嫌悪感が出る方もいると思うと、やはり黒で書くにはもう少し自身のレベルをあげないと、と思います。

 

 

 

誤解している方が相当数いらっしゃるようなので一応書いておきますが、黒だから間違っている、歪んでいる、ととっさに判断している方は思い込みがあることに気づいてください。

 

方向性をどう出しているかによりますが、意識を上げるなかで問題になるのは、白か黒かではありません。

 

歪みを生むか生まないかです。

 

 

 

黒を見て「悪」「歪み」「間違っている」と判断した瞬間、白の人はそれ以上考えようとしなくなります。

 

エゴが自らに目を向けなくさせているのです。

 

人のせいにする時点で、なにか自分自身に課題が隠れていると考えるといいですよ。

 

 

 

方向性という言葉の意味をよく考えて、本当によく考えて、考えすぎるくらい考えて、人のコメント等見ながら今後の御自身の方向性を決めていただく時期かと思います。

 

がんばってください。

 

 

 

最後の一片

先ほどですが、これまでお伝えしてきたお話の最後の一片を教えていただくことができました。

 

「完成」と一言私の神様からもあり、今日はこれから妻を相手にその理解に努めることになります。

 

聞いて「ああ、そうか」と納得できましたが、「これが答えだよ」と言われないと分からなかったです。

これまでの理屈が入っている方ほど、深く納得できるお話です。

 

今はいらしていただくことにも意味がありますので、まずはいらしてくださった方に分かりやすくお伝えできるよう努めます。

 

 

このことを皆さんにお伝えできる私は、とても幸せです。

 

ありがとうございます。

 

 

 

祈りの力

 

今日いらしてくださった方と話をしている中で、祈りには歪みをとる力がある、ということを改めて考えることがありました。

 

 

 

全体性には歪みをとる力がありますが、その全体性と方向性があっていれば、その祈りは歪みをとる力があるということです。

 

 

もしくは、歪みを取る力があるものを祈りと呼ぶといった方がいいかもしれません。

 

 

天命は全体性にあった方向性で生きることです。

 

 

 

天命に生きられているときは、歪みをとる力が働いているということになります。

 

 

 

そんなことを感じながら今日の最後の患者さんに施術をしていたところ、先日の3度目の体験の時に歪みをとる力を感じていたことにも気づき、方向性を合わせながら施術するということが少しわかりました。

 

 

 

あの時に種まきをしていただいたこともわかりましたので、これをなんとかものにできるようにしたいと思います。

 

 

 

一つのまとめとして

自分の「こう生きたい」という方向性を打ち出し

 

 

 

その方向性で結果を出すためにベストを尽くしていけば

 

 

 

その結果がでたときに

 

 

 

それまでのすべては肯定される

 

 

 

その過程で生じる様々な思いも

 

 

 

一度に一つだけの理屈で結果をだすための取り組みに意識を向けることで

 

 

 

否定的に捉える必要はないとわかってくる

 

 

 

全肯定の生き方になり

 

 

 

全体性に至る

 

 

 

 

 

メモ 愛

全体性の歪みを取る働きが愛』

 

 

 

愛はだれでも受け取れるでしょうし、そうした機会も度々あると思うのですが、

「それが愛とわかるかどうか」

が問題でしょうね。

 

 

 

わかれば素直に愛を受け入れて、歪みはスムーズに解消されていくのだと思います。

 

 

 

全体性にはすべてがあり、あるものをなんでも使って歪みをとろうとしたら、時に悪く思えるものも使われることがあると思います。

 

 

 

「正しい方向性」

 

「祈り」

 

「正しいことが正しいと分かる」

 

「自由を認める」

 

 

 

これらのキーワードと絡めて考えていただけると、面白いのではないでしょうか。

 

 

 

先月の3回目の体験をした時、生まれて初めて「畏れ多い」という意味を体感したのですが、それが「愛を感じた」ということでもあったのだと、先ほど気づきました。

 

 

 

 

 

 

最後に、今回もある方の文章の引用です。

 

 

 

『神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。

 

間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。』

 

 

 

 

 

写真は息子作「ゴジラ」です。

 

 

 

伝 107

気づけよ

 

(※これはここを見てくださっている存在すべてに向けられたメッセージです)

 

 

 

ご連絡

今日もさらに話が進展し、考えさせられています。
 
 
 
ご来院くださった方達にはある程度までお話しているのですが、あることについてはまだその理由までお伝えしておりません。
 
その理由というのはエゴが歪む可能性もあるため伏せている話ですので、その方達には時期が来たらお伝えしたいと思います。
 
 
 
大本教の大本神諭という本に約一年ほど前に出会いました。
 
その時は「日月神示」を購入しようと神田神保町の本屋に寄ったのですが、初めて入るお店にもかかわらず、なぜか足早に地階までまっすぐおりていき、ある棚の前で本を探しました。
 
日月神示を探す前に手にしたのが大本神諭で、結局日月神示は見つからなかったものの、この本が実は目的だったのだと納得できたため購入したことを覚えています。
 
「一度に開く梅の花」という言葉が印象的です。
 
 
 
『その方達には時期が来たらお伝えできるかと思います。』と書きましたが、「時期」がご自身にとってなにを意味しているのか一度真剣に考えてみてください。
 
これは今これを読まれている方に限らず、その方を超えた存在に対しても分け隔てなくお伝えしているものです。
 
花が開く前に行動に移すことができれば、それこそがご自身で運命を切り拓いたといえるものになると思います。
 
 
すでにご来院いただいてお話した方はわかると思いますので、そういった方達はOKです。
 
いらしてくださっても時間の関係等でお話できなかった方がいますが、先月の中旬以降にいらしてくださっている方はOKです。
 
 
 
場合によっては施術を受けなくても5分ほど顔を見せに来ていただくだけでも構いません、ご来院を心よりお待ちいたしております。
※施術を受けない方は、いらっしゃる前にご連絡はください。

メモ クラッカー

昨夜寝ようと横になって間もなく、唐突に頭の中でクラッカーが「パンっ!」と鳴ったかのような音がして驚きました。


似た話を最近聞いていましたが、びっくりしますね。


その後なにかあるわけでもなく、そのまま寝入りましたが、面白かったです。


自分も含めたすべての存在を横並びに対等に認めるから全肯定となっていきます。


上から見るような特別視があると全肯定にはなりません。


メモとして残しておきます。





メモ エゴについて

エゴはより狭い視野で自分を大事にしようとし


本心はより広い視野で自分を大事にしようとする


「広い」をめいっぱい広げて行き着くのが全体性


その全体性との差が歪み


エゴを薄くすることは、より広い視野で自分を大事にしていけるようにすること





メモ 素直だから

自らの身に起こることを

「自分のやったことなんだよね」

と素直に認められれば

それだけで歪みは減る

なぜなら

全体性を通して返ってきたものだから



「メモ  愛」と絡めてお考えください。

 



 

メモ エゴを薄くする

特別視するような思い込みを変えていくことは、エゴを薄くする取り組みとなります。

気づき

『経験した人の言葉には力がある』

 

 

 

明日をも知れぬ毎日を送りながら、なんとか生きながらえたい、大事な人たちを守りたい、助けたい、でも自分がこれまであてにしていたものはほとんど無くなってしまった、心底そう思ったときに絶望してしまう人もいます。

 

 

 

その時にきれいごとで助かるはずがない。

 

 

 

あるものをゆがみがでないように徹底的に使う(考えぬく)ということをしてきた人だけが、瞬時にその人ができること、かすかな可能性であってもそれを見出して話をできるのではないか。

 

 

 

それによって、それを聞いた人は生きる希望を見出せるようになるのではないか。

 

 

 

あるものをゆがめないよう徹底的に使う、ということを自分はまだやっていない。

 

 

 

生きることを真剣に考えるということは、ひとつそういうことだったんだ、と自分の甘さに気づきました。

 

 

 

「だったらやれよ」という声も聞こえてます。

 

 

 

書かずにやればいいことですが、こういう気づきも書いた方がありのままの自分を知ってもらえると思いますし、意識レベルを上げていくのに参考になると思いますので、掲載しておきます。

 

 

 

例え話

月収20万のD君がいます。

 

 

 

1か月後に借金100万円返さなくては、怖い人に海でひどい目にあわされます。

 

 

 

規則正しく健康的な生活で20万稼いで一カ月たった時に、D君は果たしてどうなるでしょうか。

 

 

 

借金があるのか、いつまでに返すのか、返さないとどうなるのか、なぜ借金をつくってしまうのか、さらに増えているのではないか、現状自分がどれくらい支払い能力があるのか、そうしたことを考えなさいよ、できるうちに早めに取り掛かりなさいよ、と言われていて、じゃあ体力つけなきゃ、健康的に生きなきゃ、そんなこと言ってたら時間ないんだからあなた後悔しますよ、という例え話です。

 

 

 

睡眠時間削って、死ぬ気で働いて、いつもの5倍のお金を期日までに作れたならOKです。

 

 

 

そこまでやりきったなら、気が付けば月収ははるかに増えて、生きやすさが格段に増します。

 

 

 

たくましくなっていますよね。

 

 

 

ひとつの例え話としてお考え下さい。

 

 

 

「例え話」補足

本日いらしてくださった方とお話をしていたところ、先日のブログ「例え話」がなんの例えなのか伝わっていませんでした。

 

 

 

また、妻からも「私には関係のない話だと思ったから・・・」、という発言が飛び出し、私が驚いてしまいました。
 
 

補足として書いておきます。
 
 

簡単に言えば、借金とはカルマのことです。
 
 
 
表現として適切ではありませんでしたが、怖い人とは上位意識にあたります。
 
 
 
一ヶ月という日数にあまり意味はありませんでしたが、話の中ではカルマが自分に返ってくるタイミングをさします。
 
 
 
100万円というのは相当少なく見積もっての例えで、桁が一桁から二桁、もしくはそれ以上と思っていただいて差し支えない方もいると思います。
 
 
 
平穏無事に過ごせているから、カルマがもう解消されてしまって残っていないかもしれないじゃないか、と考える方もいるかもしれません。
 
 
 
しかし、基本的にカルマがすべて解消されたら、よほどの例外でない限り覚醒しています。
 
 
 
いまの時点で覚醒をしていないのであれば、それはまだカルマが残っているということになります。
 
 
 
ということは、それはまだカルマの解消をやりきっていないということですし、いずれなんらかの形で返ってくる、ということになります。
 
 
 
ですから、あの例えは特定の誰かではなく、自分も含めたほぼ全員にあてはまるお話ということを考えていただきたかったのです。
 
 
 
日常生活をある程度人並みに過ごせるようになって、その上で更に成長を求めた時に精神世界の探求をするといいと思います。
 
 
 
しかし、私もそうでしたが、日常生活で思うようにいかないことに目を向けないために、逃げで精神世界に足を踏み入れると、綺麗事が多くなりますし、知ったかぶってわかったふり、悟ったふり、賢そうなふりをついしてしまいます。
 
 
 
 自分のことも満足にできていないのに、正しいことや大事なことが満足にわからない状態で、まわりに正論を説こうとすれば、自ずとうわべだけの話になるのは当たり前のことではないでしょうか。
 
 
 
正論を説こうとしても、エゴの判断では大抵どこか間違った答えになります。
 
 
 
間違ったことを伝えて、人がそれを正しいと信じて結果的に生きづらくなった場合、因果応報で自分に返ってくることはどんなことでしょうか。
 
 
 
円満な人付き合い、生活に困らない程度の生活資金、やりがいをもって取り組める仕事、社会で後ろ指さされない生き方、こうした事をクリアしないままでいると、どこかで劣等感になっていることがあります。
 
 
 
そしてそのまま、精神世界の理屈を振りかざして劣等感やその原因を無いものにしようとしてしまうと、方向性が全肯定からはかけ離れていくことになります。
 
 
 
人より優れる必要はありませんが、人並みにできて人目が気にならなくなれば、それなりに劣等感を克服したことにはなります。
 
 
 
そうすると、特別視も減るため、カルマも増えづらくなるでしょう。
 
 
 
私たちは、「対等」「平等」に考えられるようになっていくことで、全肯定に近づいていきます。
 
 
 
カルマを積む、とは、結果的に生きづらさが増すことをすることです。
 
 
 
やったことが返ってくるので、人が生きづらくなるようなことをすれば、因果応報で自分も生きづらくなるのは理屈どおりです。
 
 
 
一方、徳を積む、というのは、結果的に生きやすが増すことをする、と考えれば分かりやすいでしょうか。
 
 
 
(自分も含めた)人を生きづらくさせるような考え方を改めて、生きやすくなるような考え方に近づけていくことが、エゴを薄くするということになると思います。
 
 
 
そのやり方として、エゴをチェックし、エゴをコントロールすることを、ここではお伝えしています。
(詳しくは、資料や過去のブログでご確認ください。)
 
 
 
甘やかすことは、結果的に自立から遠ざけて生きづらくさせることもあります。
 
 
 
お節介はその人が気づく力や主体性を育む機会を損なうことがあり、徳を積むようでカルマを積んでしまいますから、注意が必要です。
 
 
 
また、生きやすさを求めたものの、よく理解できずに取り組んだために、取り組み方が過剰になったり偏ることがあって、結果的に生きづらくなってしまっては、限られた時間内での取り組み方としては、効率がいいとはいえません。
 
 
 
「無理をする」というのは、できることやできそうなことに対して、一定以上の取り組みをすることですので、思うような結果になる可能性もあり、これは本人がやりたくてやるならそれでいいのです。
 
 
 
しかし、「無茶をする」というのは、できないことをやろうとすることなので、結果は「できなかった」にしかならず、葛藤をうんでカルマとなります。
 
 
 
深刻にならずに済むうちに、早めに少しずつでも解消できることがあれば、地道に取り組まれるといいと思います。
 
 
 
いろいろと今のうちに考えて、できることから早めに行動に移していただければ、後悔の少ない生き方になるのではないでしょうか。
 
 
 

伝 111

正しくものごとがわかるようになれば

 

 

意味のないものへの関心は薄れていきます

 

 

 

 

 

大事なことが大事とわかるからこそ

 

 

あなたの目の前にあることが意味をなすのです

 

 

 

 

 

突き抜けたものの考え方というものもありますが

 

 

それは自らの幸せを心から願い

 

 

ひたむきに今を生きるからこそ生まれるもの

 

 

 

 

 

いま目の前にある

 

 

やるべきことをやらないでそれを望むことに

 

 

果たしてどれほどの意味があるのでしょうか

 

 

 

 

 

過去をゆるし

 

 

否定を減らすことで

 

 

今を素直に生きられます

 

 

 

 

 

今を素直に生きることで

 

 

道は開けます

 

 

 

 

 

全肯定はそこに姿をあらわします

 

 

 

 

 

過去をゆるすこと

ご来院いただいた方全員ではありませんが、「過去をゆるすお祈り」というものをお伝えしています。




過去のゆるせないことは、みなさんそれぞれにあり、その内容も様々あります。




昨日いらした方は、『ゆるしてはいけないこと』と決意していたことがありました。



怒りの感情で「ゆるせない」ということは、比較的わかりやすいと思います。



しかし、自らに厳しい戒めを科すかのように『ゆるしてはいけないこと』としていると、解消できるタイミングで意識にあがってきたとしても、ゆるす対象として気づけない場合があります。



昨日いらした方は、話の途中ででてきたので自覚してもらうこともできましたが、一人で気づく大変さを思うと、こうしたことも書いておいたほうが意識しやすいかもしれませんね。



伝111にも過去をゆるすことはでてきていました。



「ゆるすお祈り」は、力のある言葉です。



地道に続けていただくといいと思います。



知りたい方は、ご来院の際におたずねください。



今週はまだ空き時間がございますので、ご予約・お問合せをお待ちいたしております。



カルマの表出

「まず上位意識とつながること。

 

上位意識は歪みのない意識なので

 

ため込んでいたカルマは居場所がなくなり

 

表に出てくることになるので

 

それを上位意識により修正をかけることにより

 

結果全体が歪みがない状態に変わる。」

 

 

 

ということで考えてみると、上位意識と繋がれてインスピレーションが得られた時や、そのつながりから方向性に向かって動き出せたとき、ため込んでいたカルマが一度姿を現すことになります。

 

 

 

もちろん取り組みが間違っている場合もありますが、前向きに取り組み始めたにもかかわらず、途端に嫌なことや負担になることがドッと押し寄せてくるような場合、こういうことが考えられます。

 

 

 

それまで自覚の無いままカルマを溜め込むほうで取り組んできたのですから、よくしようと思ったら、カルマを解消するために動き出すのは当たり前の話です。

 

 

 

そのでてきたものを、五井先生は消えていく姿と捉えるようにお話されていると思います。

 

 

 

しかし、これが出てきたときの反応として、エゴが歪んだままでいたいという抵抗が起こることもあるため、ある程度理屈を理解していないと、前に進まない判断をすることになります。

 

 

 

自由があるので、無意識とはいえ上位意識から差し伸べられた手を払いのけて、間違ったものを選択する自由もあります。

 

 

 

「自分は本当に正しいことがわかるのか?」

 

 

 

この問いかけをしないまま、うかつに自分の判断を正しいものとしてものごとを考えていないか、一度じっくり考えてみて下さい。

 

 

 

わからないからこその「よりよく」です。

 

 

さらに、「どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きているとは言わない」わけです。

 

 

 

私もふくめ、ここを読んでくださっている方ほとんどが当てはまるお話です。

 

 

 

改めて、「『例え話』補足」「伝111」なども読み返していただきたいと思います。

 

 

 

備忘録に書かれている内容も、読み返せる方は読み返してみてください。

 

 

 

中だるみのようになっていると感じる方は、今一度気持ちをしっかり持っていただきたいと思います。

 

 

 

無造作に鵜呑みにすると、取り返しのつかないような選択をしてしまっているかもしれませんので、ご自身の考えや人のお話など、丁寧にチェックしていただくといいと思います。

 

 

 

お節介

『どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。』

 

これはとても大事なことで、今後の私たち自身の運命を大きく左右する要因になります。

 

 

 

『神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。』

 

まず自分を生き、その自分で考えてだした方向性があっていれば、神の愛を感じられるかもしれません。

 

結果を見て、それが自分の納得がいくものであれば、自分の判断が正しかったとわかります。

 

 

  

『自分のやった結果を自分の目で見るただそれだけ。』

 

目を疑うような事象、耳を疑うような情報、そうしたことがこれからますます増えてくることで、私たちは自分で判断する機会を得て、自らの方向性をだせるかどうか問われていきます。

 

 

 

人の話を鵜呑みにしていたのでは、自分の判断になりません。

 

知識だけ集めても、使い方がわかっていなければ意味のないことです。

 

話を聞いた方、資料を読まれた方、ブログを読まれた方、わかった気になって終わっていないか、よく考えてみてください。

 

ここ数日、私自身の取り組みはもちろん、何人かの方を通して、現状の厳しさを痛切に感じています。

 

 

 

話を聞く気のある方は、聞けるうちに聞いてください。

 

学んだことを実生活でできていれば問題ないのですが、考えもしなくなっている方もいるかもしれません。

  

こうした書き込みは、ただのお節介です。

 

 これまでの各々の取り組みの結果をご自身で見るだけですので、そこに後悔が無いことを望んで書かせていただきました。

 

 

 

いらした方たちには、すでにお伝えするべきことはお伝えしてきたつもりです。

 

それでもなお、変わろうとしない方(先延ばしにしている、行動に移していない)もいますので、ご自身がそれを望むのであれば構いません。

 

お伝えしてきたことを実生活でどう活かすかは、まず皆さんが個々に考えて取り組むことです。

 

私の伝え方の悪さや稚拙さもありますが、やらないことにはご自身で何がわからないかがまずわかりません。

 

 

 

ままならないくらい忙しくなったり、疲れ果てた時に、それでも平常心を保って正しい判断が下せる方は大丈夫でしょう。

 

しかし、たいして忙しくなくても、やることがなくて元気があまっていても、正しい判断を下せないのが私たちです。

 

負荷がかかればなおの事。

 

いまやらないでいつやるの?というところでしょうか。

 

 

 

今朝、目が覚める直前に、上記の『どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。』からの一連の話が浮かんできたので、ブログとして掲載しておきます。

 

 

  

ひとつのポイントとして

 

エゴをチェックする際のポイントして、事実を言われた時に

 

 

・うろたえる

 

・ギョッとする

 

・腹が立つ

 

・傷つく

 

・憎む、他

 

 

が自身の反応として起こる場合、ありのままを認められていないので、思い込みがあるということになります。

 

 

 

ありのままを否定して見ている、ともいえます。

 

 

 

エゴをチェックする際に、お考え下さい。

 

 

 

 

真剣さ

 

ある一定以上の集注の状態にならないと言葉が入っていかない、ということがあると思います。

 

 

その集注とは、「真剣に考えること」です。

 

 

 

エゴ(目先の損得勘定)が働かなくなるような状態を維持することで、

 

・徐々に言葉が入ってくる

 

・わかるようになる

 

ということがあります。

 

 

もちろん、これがすべてではありませんので、他にも大事な要素はあるのですが、自分の文章を読んでもいまいち意味がわからない時があり、そうした時は何度も読み込むことで、そうした状態になっていたことを感じました。

 

 

特別な方法ではありません。

 

 

理解が進まない方は、そうしたことも踏まえて読んでいただくといいかもしれません。

 

 

今日いらしてくださった方に、けっこう厳しくエゴを指摘してお話を聞いていただきました。

 

 

わかった気になっていることが一つ原因ではあるのですが、やっているつもりで実際は真剣に考えてこなかった、とも言えます。

 

 

取り組みと理解の確認として、言葉の意味を説明できるかどうか、試しに考えてみてください。

 

 

 

写真は一応子供向けアニメ?のキャラクターを描いたものですが、ちょっとしたホラーになっていますね。

 

 

 

 

ある患者さんのメール

これは、いらしてくださっているある患者さんが、やはり当院に来てくださっているご家族にあてたメールです。

 

 

 

日々の取り組みについてお考えいただくのにいいと思い、ご本人に許可をいただき、掲載させていただきました。 

 

 

 

状況などがわかりづらいところもあると思いますが、これまでここで学んできた方は、読み取れる範囲でご自身の取り組みや理解している内容を確認しながら読んでみてください。

 

 

 

 

 

『昨日は、遅くまでお疲れさまでした。

 

 

 

食事中の、会話のうどん屋さんの件が、私の中では、何となくモヤモヤひっかかっていました。なんでまた、今うどん屋さんの話が出て来たのか???

 

 

 

今朝気づいたことがあったのでメールします。

 

 

 

例えば先日のうどん屋さんで、目の前の出来事に対して、行動に表すかは、見た人の自由。

 

 

 

声をかける、間に仲裁に入る、見守っている、見ている、様々な選択肢がある中で、何をどう選択するかは見た人の自由。その選択にいいも悪いもない。

 

 

 

ただどう選択し、反応する、行動に表すかというが方向性を出すということではないかと思います。

 

 

 

私が、言った「大変ですね」という言葉は言い換えると、目の前の出来事、見てました、認識しています、私もわかってますよということを相手に伝える意味合いで発した言葉です。コミュニケーション、挨拶の一環みたいなものだと私はとらえています。

 

 

 

私は、できればお互いが気持ちよく過ごせるようにしたいと思っています。

 

 

 

なので、会社で目の前で咳をしている人がいれは、大丈夫ですか?と声をかけます。

 

 

 

それは、相手の存在を認めてますよ。

 

目の前の状況を見てます。

 

理解していますということを相手に伝えるコミュニケーションだと思っているから。

 

声をかけることによって少なくとも、相手には、今日は体調が悪いんですね。

 

そのことを私は認識していますよ

 

ということが、無反応でいるよりは伝わると思います。

 

 

 

相手がいる場合、自分がいくら相手の事を気遣っていても、そのことを行動で示さなければ相手には伝わらないです。

 

相手との関係性をどうしていきたいと思うかによって、自分の行動が変わって来るでしょうし、それが方向性を出すということかなと思っています。

 

 

 

かけた言葉を相手がどうとらえるかも相手の自由。

 

 

 

大切なのは、自分がどう方向性を出すかだと思います。

 

 

 

「このことについてどう思う?」 

 

と意見を相手に求められた時に、

 

「(相手の)したいようにしていいよ」

 

という回答は、相手の考えを尊重してますとも捉えられますが、

 

「自分で考えて下さい。私は一緒に考えません」

 

と相手と一緒に考えることを拒否しているとも捉えることができると思います。

 

 

 

まだ、私の中できちんと整理できていない部分もあり、伝わるかどうかわかりませんが、現在気づいたことをメールさせてもらいます。

 

 

 

何か事象が起こった時は、課題解決の時だと私は思っています。Aと、口論になったのであれば、そのことについてどう考え、今後に活かしていくか?私も年始にAとけんかした時にいろいろ考えました。自分の課題にいろいろ気づきました。

 

 

 

今回のことからいろんな気付きがあるといいですね。

 

不明点は、大さんに相談してみるといいと思います。』

 

 

 

 

 

伝 113

 

多様性を認めることにより

 

よりよい考え方があるのだと知ることができたなら

 

それを素直に学ぶことです

 

 

 

人を敬う気持ちは大切ですが

 

いまここにおける意識の進化の要は

 

「だれがいっているか」ではなく「なにをいっているか」

 

 

 

無限に続く意識の階梯を

 

私たちはどこまでも上を目指して

 

あがっていきます

 

 

 

それがどんなに立派な人であったとしても

 

「だれ」を大事にするうちは

 

ある段階まではいけますが

 

その人を越えられず

 

成長は停滞していきます

 

 

 

だからこそ

 

「教え導く」ではなく

 

共に歩む」なのです

 

 

 

これまで続いた閉塞感は

 

ここに起因していました

 

 

 

全肯定を目指し

 

「なにをいっているか」に目を向けることで

 

閉塞感は打開され

 

さらなる進化の道筋を見出します

 

 

 

不完全な私たちが

 

互いのちがいを認め合うからこそ

 

多様性はうまれます

 

 

 

お互いさま

 

となるのです

 

 

 

正しい方向性をうち出しながら

 

「だれ」とはちがう考えをもつことで

 

あなたの個性は育まれ

 

よりよい進化を遂げていくのです

 

 

 

 

 

最後の伝 114

 

これが最後の伝になるとお考えください

 

 

 

あなたのこれまでの取り組みは

 

良くも悪くも波乱に満ちたものでした

 

 

 

この境涯に至ってわかることは

 

あなたがこれまでやってきたことがらなに一つとして

 

無駄はなかったということ

 

 

 

これから巻き起こる数々の出来事は

 

時に人々を大きく惑わし

 

時に深い頷きに足る出来事ともなっていきます

 

 

 

誰一人として完璧な人などいません

 

 

 

そのことを素直に認められる様になり

 

初めて人は一人前となるのです

 

 

 

誰よりも心根の優しいあなたにとって

 

エゴのそうした不完全さを認めることは

 

これまでにない境涯への導きに他なりません

 

 

 

神の代行者としてではなく

 

あなたが神そのものであるということ

 

 

 

神とは

 

自らを生きる存在のことなのです

 

 

 

その境涯にいたる道筋を

 

ひろかねさんはつけてくれました

 

 

 

自らを生きてください

 

 

 

今のあなたにはそれができます

 

 

 

心より愛を込めて

 

神より

 

 

 

 

「最後の伝」について

先日こちらに掲載した「最後の伝 114」について、気になっている方もいると思います。

 

 

 

とりあえず、わたし自身は特に変わりはなく、あの内容についてもわかっていることもあれば、そうでないこともあります。

 

 

 

具体的な意味などはあまり把握できていません。

 

 

 

ただ、

「みなに時節を報せる」

という役目はあったようで、これでまた一つ大きな節目を越えたようです。

 

 

 

実はあの内容は、5月24日に受け取ったものでした。

 

 

 

「掲載は6月10日」という指定があり、一定期間をおいての掲載となりました。

 

 

 

一つの区切りとなります。

 

 

 

これから、「いつ」「どうなる」のか、ということはなんともいえません。

 

 

 

しかし、方向性をだしているのであれば、これからそれぞれがもっと意識レベルを上げていく必要があることに、変わりはありません。

 

 

 

私も含め上を目指している皆さんの中で、現状に満足してあぐらをかいていられる方はいない、という前提でこれから日々の生活に改めて取り組んでいただきたいと思います。

 

 

 

「どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない」

 

 

 

どんなことを言われたとしても、ご自身で考えたうえで判断して行動に移してください。

 

 

 

答えを聞きたくていらっしゃる方もいますが、全ての結果は自分の行動に基づきます。

 

 

 

自分のやったことの結果を、人のせいにはできません。

 

 

 

日々の取り組みと祈りについて

祈りとは

 

『日常生活と切り離した取り組みに生きることではない』

 

と考えています。

 

資料にも載せていますが、

 

『日常生活をきちんと生きてこその祈り』

 

だと考えているからです。

 

 

 

気を付けたいのは、

 

『目の前の生活をおろそかにして、特別な体験ばかりを求めない』

 

ということです。

 

(※この場合の「おろそかにする」とは、日常生活よりも特別な取り組みに価値がある、と考えて行動することです。)

 

 

 

日常生活をきちんと生きていれば、当たり前のことが当たり前にできている、といえます。

 

当たり前のことが当たり前にできるのは、正しい理屈で考えて行動できるからです。

 

間違った理屈で正しいことはできません。

 

 

 

正しい理屈で考えられるということは、正しくものごとが見えているからであり、もちろん程度や段階はありますが、それはありのままを認められているからです。

 

ですから、日常生活をきちんと生きられている、ということは、ある程度ありのままを認められていることになります。

 

 

 

また、日常生活をきちんと生きられていれば、エゴが薄いといえます。

 

日常生活をきちんと生きようとすることが、エゴを薄くすることであり、全体と調和していくのですから、意識レベルを上げることになります。

 

意識レベルが上がることで、レベルに応じた変化の準備が整っていきます。

 

 

 

そうしたことがわからないまま、特別な体験を求め、積み重ねると、他者との関係性における対等・平等という考え方から、遠ざかってしまいます。

 

多少でも理解できていれば、ある程度の段階までは到達できます。

 

しかし、そこから先を目指せる可能性があったとしても、理解が足りなければ正しい取り組みができないため、どこかで修正をかけないとあるところから先にはすすむことができません。

 

 

 

遠ざかるというのは目指す全肯定から離れていくということであり、特別な体験がかえって仇となり、より一層自らを正当化して、ますます自分自身に対する特別視を増強してしまうことがあるからです。

 

 

 

「全肯定を目指し、上位意識とのつながりの中でエゴを薄くし、カルマを解消すること」

 

 

 

これが基本だと、いまの私は考えます。

 

 

 

特別なことは、なにかを否定することがあります。

 

全肯定を目指すのであれば、否定を減らすことです。

 

 

 

それ相応のことができるようになって、それに見合った境涯に到達していきます。

 

それ相応のことができていなければ、そういう境涯には到達しません。

 

因果応報はここでも働いています。

 

 

 

ありのままを認めることに少しでも近づけるよう、「つもり」になっていないか、エゴをチェックしてみてください。

 

また、祈りを特別なものにして自分をおろそかにしていないか、考えていただきたいと思います。

 

続き

回りくどく書いていますが、結局のところ何が言いたいかといえば、「お祈りしかありません」という言いまわしに対する、読み手側の解釈が気になっている、ということです。

 

 

 

読み手側が他の選択肢を否定するような解釈をしてしまうと、その後の取り組みがおかしくなります。

 

「お祈りが選択肢の中では一番いいと思います」という意味で解釈すると、他の良さにも目を向ける余地ができますし、なにより否定が入りません。

 

全肯定でありとあらゆるものが全部ある、ということを理解しようとするなら、いろんないいものもあるよね、という考え方でいないとそうはなっていきません。

 

 

 

「他の選択肢は話にならん」という感じで一点集中のように受け取ると、他の事には目もくれず、これ以外は価値無し、ということで、より良いものを探そうとしなくなります。

 

一心不乱、夢中、没頭、エゴが働かないような取り組みはどれでもいいと思うのですが、取り組み方として他を否定したり、これだけが正しい、他は意味がない、というような存在を否定するような解釈をしていると、思っているところとは違う方向に向かっちゃうよ、という懸念ですね。

 

みんなエゴなんだから、どんぐりの背比べで大して違わないのに、「この良さがわからない奴はだめだ」、「私の方がはるかに上で他の連中はレベルが低い」、と勝手な理屈で人を上から見下して裁いてしまい、それが態度に表れて、他者との関係がぎくしゃくしてしまって日常生活がおかしくなったのでは、話になりません。

 

鵜呑みがいけない、ということも、そういう理由からです。

 

 

 

考えなくなると、自分で判断しなくなります。

 

自分を生きていないことになります。

 

それってどうなのよ、ということです。

 

 

 

「続き」で雰囲気が変わりましたが、そういうことです。

 

 

 

ある取り組みの注意点

今日いらしてくれた方の体験について、お話していた内容を一部書いておきます。

 

 

 

その方は、一時的に全体と調和する感覚を得られたそうです。

 

今後の取り組みとして、「その感覚を求めていけばいいのでしょうか」という問いがあったのですが、答えは「違います」でした。

 

 

 

・その体験自体は、それまでの取り組みの結果として考えるようにすること

 

・その結果を追い求めるというのは、結果への執着となる

 

・そうではなく、取り組みが正しかったから結果がでたのだから、これまで以上に自信をもってこれまでの取り組みを続ければいい

 

・そうすれば、おのずと全体と調和する機会が結果として増えてくる

 

・結果に執着して全体に合わせようとすると、自分のそれまでの取り組みよりも全体に合わせることが価値のある取り組みとなってしまい、自分の正しい取り組み自体を否定しかねない

 

・全肯定にはならないよ

 

 

 

といった内容でした。

 

正しいように思えることでも、よくよく考えてみるとおかしなこともありますので、鵜呑みにせずご自身で一度は考えるようにしてください。

 

 

 

正しい取り組みをすれば、正しい結果がでます。

 

まちがった取り組みをすると、間違った方向に進みます。

 

人が何を言おうと、行動に移した人にその結果は返ってきます。

 

人せいにはできません。

 

よく考えてください。

 

 

 

生きる目的

生きる目的というと、人それぞれ、という言い方もできます。

 

 

 

昨日いらした方との会話の中で感じたことは、その方は今生強い想いで「自分の幸せのために生きる」ということをテーマにされているということでした。

 

 

 

しかし、これは皆に共通していえることです。

 

 

 

「自分だけ幸せならいい」ではない点にご注意ください。

 

 

 

方向性を出す際にも、自分の幸せのためということが抜けている方が、時折いらっしゃいます。

 

 

 

方向性をだすというのは、志をもって生きる、という言い方もできると思います。

 

 

 

「人の幸せのために一生懸命」も大事なことだとは思いますが、まず自分自身を大事にしないことには、一番大事な立ち位置と最初の一歩を否定してしまいかねません。

 

 

 

取り組みを意識することは非常に大事ですし、具体的であればなおいいと思います。

 

 

 

一度考えてみてください。

 

 

 

 

 

余談ですが、先週と今週で私の身近な人たちで転んでけがをする方が数人いました。

 

 

 

ケガや事故など、お気をつけください。

 

 

 

 

 

最近は当日のご予約が増えていますが、早い方では8月のご予約をしてくださった方もいらっしゃいます。

 

 

 

来週もまだ空きがございます。

 

 

 

ご検討中の方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問合せください。

 

 

 

一週間、お疲れ様でした。

 

 

   

お祈りなどについて

最近もありましたが、いらしていただいてお話を聞いてもらうことで、修正をかけた方がいました。

 

 

 

具体的な数や個々の内容はわかりませんが、ここを見ている方たちの大半に対し漠然と最近私が感じるのは、取り組み方に問題があるようだ、ということです。

 

 

 

そう感じた理由として、注意喚起を促されているように感じるできごともあり、以前から少しずつ書いてきたことではありますが修正をかけられる方もいるかもしれませんので、お祈りなどの取り組みについて少しまとめておきます。

 

 

 

 

 

コメント欄などでも最近書いていますが、まずお祈りが依存になっていないか、よく考えてみてください。

 

 

 

これはお祈りに限った話ではありませんね。

 

 

 

 

 

特別な存在を見つけ、それにすがることで安心してしまい、それをやっていれば安心と思いこんで、やるべきことをやらなくなってしまうことがあります。

 

 

 

 

 

先日、

 

 

 

『「お祈りしかありません」という言葉の弊害があるよ』

 

 

 

と、上位意識からインスピレーションを受けました。

 

 

 

 

 

それはともすると独善にはまりこみ、最終的には、

 

 

 

「自分だけは特別」

 

 

 

「自分は他の人とは同じに扱われてはいけない」

 

 

 

「自分はこの世界で一番」

 

 

 

となってしまう、とのことでした。

 

 

 

 

 

ブログ「日々の取り組みと祈りについて」「続き」、などで書いた内容と重なるところもありますが、ここは過去に大きな影響があったことのようですので、繰り返さないためにも、再度書いておこうと思います。

 

 

 

 

 

自分の判断に基づき行動し、その結果は行動した人に返ってきます。

 

 

 

まちがった解釈をしてまちがったことをすれば、その結果は自分にかえってきます。

 

 

 

ですから、ブログ「続き」でも書いたように、受け取り手の判断の仕方が大事になります。

 

 

 

人のせいにはできません。

 

 

 

 

 

日々の取り組みで、方向性をださず、否定的な考えを減らしエゴを薄くすることができていないと、特別なことを追い求めてしまいます。

 

 

 

 

 

瞑想を例に考えてみてください。

 

 

 

「日常生活と切り離した瞑想にこそ価値がある」と考えて、瞑想を特別扱いしていると、日常生活を否定的にとらえるようになるかもしれません。

 

 

 

長く深い瞑想ができることにこそ価値がある、という考え方もあると思います。

 

 

 

「日常生活を問題なく生きられるようになっていくことが、意識レベルがあがること」

 

 

 

と私は考えていますが、そうした方向性を出している人にとって、特別扱いする瞑想は否定が残っているため、どこかで行き詰ります。

 

 

 

上位意識との繋がりをつくり、日常生活を問題なく生きられるようになっていく、という考え方であれば、否定的な考えにはなりません。

 

 

 

 

 

また、特別なことをやって特別な体験をした時に、考え方が整理されていなかったり、ものごとの理解が足りていなかったり、正しい理屈がわからない段階だったり、エゴが薄くなっていないと、自分に対する特別視がつよまることもあります。

 

 

 

 

 

ようは、いまの私たちみたいにレベルが低いと、おかしなことに引っかかるよ、ということです。

 

 

 

 

 

特別なことは、当初は「他の人がやっていないこと」なのですが、「他の人ができないこと」にすり替わり、「自分だけが特別な存在」と変わっていくと、「自分が一番正しい」「自分に指導できるのは特別な存在しかいない」と、どんどん深みにはまり込んでいくことになります。

 

 

 

 

 

覚醒しない限りは、エゴ主体でエネルギーが限られ、視野の狭い考え方のような、どんぐりの背比べにすぎません。

 

 

 

 

 

独善に陥ると、そうした上位意識の働きかけがわからなくなり、エゴにとって都合のいい内容だけを認めたり、勝手な解釈にすり替えたり、正しいことを払いのけるようなことまでしてしまうことがあります。

 

 

 

 

 

そして、益々誤った取り組みで誤った方向に邁進してしまい、誰の声にも耳を貸さない状態で、特別な体験に後押しされて歯止めが利かなくなれば、行き着くところまで行くようなこともあると思います。

 

 

 

だから、エゴを薄くすることは大事なのです。

 

 

 

 

 

また、そうした「特別」な人を目の当たりにすると、自信をもって取り組む様に魅せられてしまう人もいることでしょう。

 

 

 

自分で判断することを放棄し、「なに」ではなく「誰」を信じて鵜呑みにして、これしかないという強い思い込みから基本的な取り組みさえも疎かにする人たちは、魅了されて付き従っていくことになります。

 

 

 

 

 

この辺りは、「自分がない人がどうなるか」ということで、宇宙全史の別巻「20年後~」の中にも書かれていました。

 

 

 

 

 

「上位意識を使わない限り正解は見えてこない。」

 

 

 

私たちよりもはるかに正しくものごとがわかる上位意識の導きや指導がないと、エゴの私たちには正しいことがなんなのかわかりません。

 

 

 

これがお祈りの目的でもありますが、取り組み方によって結果も変わることをいちどしっかり考えていただきたいのです。

 

 

 

 

 

やったことの結果しかでません。

 

 

 

「この人」や「お祈り」に、(やることやらないで)すがっていればまちがいないだろう、安心だろう、であぐらをかいてしまっては、エゴもカルマもよくなってはいきません。

 

 

 

やるべきことをやらなければ、正しい方向性には進まないですし、基本的な取り組みをやれば、それだけ前に進みます。

 

 

 

 

 

特別な体験は、それまでの取り組みの結果として、取り組みの正しさを証明するご褒美のような場合もあります。

 

 

 

しかし、私たちはよく考えずにいると、それまでの取り組みで目指していた方向性ではなく、無意識にそのご褒美に照準を合わせてしまい、これまでの取り組みとは違うことをし始めてしまいます。

 

 

 

それでは思うような結果が出るはずもありません。

 

 

 

 

 

そのあたりのことはすでに以前のブログでも書いたとおりです。

 

 

 

「そうした鵜呑みや考えないで盲信することで、かつて予定されていたことが大幅に延期された」、そういうことがあったのかもしれない、そう感じています。

 

 

 

 

 

私もまだできていませんが、成長すれば、あてにしたり依存しなくても、自立して生きていけるはずです。

 

 

 

自らを成長させることを忘れないでください。

 

 

 

まとまりきらない内容ですが、ここまでで今回は掲載しておきます。

 

 

 

 

 

そういえば、今日は夏至なんですね。

 

 

 

すっかり忘れていました。

 

 

 

これまでの取り組みの結果がどうでるか、それをもとに今どうするのか、チェックされるといいと思います。

 

 

 

 

 

(※昨夜掲載したものは文章が粗かったので、内容をところどころ書き直して再掲載しておきます。)

 

 

 

 

 

 

メモ 五井先生 お叱り

先日、YouTubeで五井先生の動画を見ていて、感じることがありました。

 

「鼻歌混じり」の一言が印象的です。

 

 

 

「五井先生の珍しいお叱り ①」

 

 

 

「五井先生の珍しいお叱り ②」

 

 

 

 

メモ 否定とゆるしとエネルギー

『体験した人の言葉には力があり真実がある。

 

 

 

その人の言葉を信じられたなら信じた人も力と真実に近づくことができる。』

 

 

 

 

 

昨年の12月だったと思います、これまでの人生のすべてを肯定できるかのような幸せな感覚に包まれたことがありました。

 

 

 

いま幸せと思えることで、これまでのすべては無駄ではなかった、それらがあったからここに至った、そう思える体験でした。

 

 

 

 

 

それを踏まえて考えると、一定の結果を出せた時、自分のそれまでの道筋を肯定しています。

 

 

 

失敗や不足に誤りなど、否定的に捉えがちなものも肯定できます。

 

 

 

 

 

「存在するものはすべてエネルギー」というお話が、以前宇宙全史でありました。

 

 

 

肯定することにより、存在を認めることになります。

 

 

 

否定することで、存在を認めないことになります。

 

 

 

 

 

存在を認めることで、その存在がもつエネルギーを認めることになり、自分の人生の道筋にあるエネルギーをすべて認められたなら、そのエネルギーの総量は相当なものになります。

 

 

 

自分のそれまでのことを全肯定できて得られた幸福感というのは、そうしたそれまで否定的にみてきて蓋をしてきたエネルギーの蓋を開けたことにより、それまでの通常のエネルギーの総量とは格段にちがうエネルギーを得て発露した幸福感ではないかとおもったのでした。

 

 

 

(この時の順序は逆で、幸福感があり、その後、過去を肯定していることに気が付きました)

 

 

 

 

 

過去をゆるすこと、否定的に見てきたものを肯定すること、そうすることで存在を認めるため選択肢が増えます。

 

 

 

選択肢が増えるということは、個々の存在はエネルギーですので、扱えるエネルギーが増えるということです。

 

 

 

よりよい選択をすること、選択肢が増えて頻度も増えれば、循環するエネルギーの総量も増えることになります。

 

 

弱肉強食なので、エネルギー量が多ければ、邪魔をするものも減り、やりたいことに注ぎ込めるエネルギーも多いことから、思い通りになることも増え、生きやすさが増していくことがわかります。

 

 

 

 

 

もう少し整理が必要ですが、とりあえず掲載しておきます。

 

 

 

今週は空きに余裕がございます。

 

 

 

ご予約・お問合せをお待ちいたしております。

 

 

 

 

 

ディセンションについて

さきほど患者さんとお話ししていて出てきた内容です。

 

 

 

いま目の前に起きていることは、これまでの自分の取り組みの結果です。

 

 

 

現状に不満をかかえて環境を変えようとしても、誰かのせいにして行動に移せば、結果として目の前に現れる新たな環境は、誰かのせいにしたなりの環境となって姿をあらわすことになります。

 

 

 

いま目の前のことが大事とわからないまま取り組む毎日は、「ここではないどこかに自分にとって理想の環境がある」という思い込みのもと、一番大事なものをおろそかにするものであり、その結果は、自分がおろそかにされる環境となって現れることになるのです。

 

 

 

ここではないどこか、は自分がおろそかにされる環境。

 

 

 

それがディセンションの一つの解釈だそうです。

 

 

 

 

 

メモ 弱肉強食の負荷とカルマ

これこそ本当にメモですので、また整理できたら書きたいと思います。

 

 

 

・弱肉強食での強者から弱者への負荷

 

・それがカルマになるのは、弱者の受け取り方

 

・強者がカルマを負うかどうかとは違う

 

・進化の一手段?

 

上位意識と繋がることについて

これまで資料やお話にブログでも、「上位意識と繋がる」ことを取り組みの要としてお伝えしてきています。

 

 

 

上位意識との繋がりに関し、今にいたるまでにいろいろありましたが、一つ言えることは、「真剣に集中する」ということです。

 

 

 

お祈りの意味もわからない頃は、なんとなく出たとこ勝負で繋がろうとし、何も考えずボーっとしていればいいや、という感じでやっていました。

 

 

 

段階があがっていく過程を経て、より深い集中をしないとキャッチできないようになっていきました。

 

 

上に行くほど繊細で緻密であるなら、それはごく当たり前の理屈です。




やるときは集中する分、けっこうくたびれることもあります。




てきとうにやったのでは、その集中状態にはいっていけない感じです。




繰り返しの中でできるようになっていった実感があります。

     

 

 

方向性を出したうえで、熱中したり、没頭したり、夢中になることによって、エゴが働かずに上位意識とのつながりを得やすくなります。

 

 

 

繋がるまでが大変です。

 

 

 

真剣に、より深い集中で、がポイントだと思います。

 

 

 

余談 アニメの影響

先日いらしてくださった方と、施術後に世間話をする中で出てきたものがありました。

 

 

 

話していた内容は、アニメについてです。

 

 

 

タイトルは省きますが、平凡な日常を描く人気アニメがエゴにどういう影響を与えているのか、あるSFアニメが私たちの意識にどういう働きかけを行っていたのか、そうしたことが言葉として出てきたため、その内容に納得できたこともあり、面白かったです。

 

 

 

もちろん、ある特定のアニメについてであり、すべてのアニメに当てはまる内容ではありませんので、ご注意ください。

 

 

 

「永遠の生命」を、ある状態を手に入れることで得ようとする、というお話だと、それだけでは特にみえてくるものはないのですが、そこからもう一つ設定を加えることで、私たちは魂の永遠性というものに対してあまり意味がないものということで否定的になり、興味が薄くなってしまうようです。

 

 

 

そうなることで、エゴの「見えるものしか信じない」というものが育まれることになり、魂の進化ということにも意識が向きづらくようでした。

 

 

 

平凡な日常を描くことで代わり映えのしない変化を嫌うエゴを助長することもあれば、死を描くことでそうした平凡なアニメとは違う方向性を求めた作品もあるなど、関連付けて話が出てきたのでわかりやすかったです。

 

 

 

そして、いかにこれまでなにも考えずにテレビを見続けてきたのか、ということも感じ、「自分で判断する」ことを日常のあらゆるところで行っていかないと、自分を生きることにならない、ということも教えられてわかりかけています。

 

 

 

なかなか「わかりました!」とすっきり言えない経験を多数重ねてきているため、実際にできるようになるまで時間がかかります。

 

 

 

地道な取り組みの継続が大事だとも思います。

 

 

 

 

 

影響を受けること

先日もあの方のお話を聞き、ここ数日は「影響を受ける」ということについて考えていました。

 

 

 

そこから派生して、「自由」ということにもつながってきたのですが、まだまとまりきらないため、一部整理してこちらに掲載しておこうと思います。

 

 

 

 

 

私たちは、エゴ主体で生きています。

 

 

 

エゴは全体の一部分であり、不完全です。

 

 

 

不完全なので、一人では生きていけません。

 

 

 

なんらかの関わりを他者ともちながら、それぞれの生きたいように生きています。

 

 

 

不完全であるため変化し、他者との関わりで影響を受けることもあります。

 

 

 

自分がない状態だと、とくに影響を受けやすくなります。

 

 

 

 

 

いつも理屈として理想的なことを書いてはいますが、エゴとして様々な影響を受けることがあるのは当たり前のことです。

 

 

 

「失敗も間違いもするよね」

 

「でも、そのまま放置するのではなく、反省して少しでもよくすればいいんだよね」

 

と考えられると、意欲をそぐことも、あまりありません。

 

 

 

こういったことを認めないと、完璧を求めすぎて自分を責めるようになるため、ご注意下さい。

 

 

 

 

 

方向性を出しているのであれば、なにを目指していて、自分がどうなっていきたいのか、それを踏まえてものごとを考える必要があります。

 

 

 

一生という、人によって期間もまちまちな時間制限がある中、少しでも結果を出せた方がよりいいですし、結果がでなくともなるべく近づけたほうがいいと思います。

 

 

 

後悔なく生きられればいいのですが、なんにせよ、限られた時間内に出した方向に少しでも進むには、効率的に良い影響を受けた方がいい、ということです。

 

 

 

 

 

なにも考えずに関われば、いい影響を受けることもありますが、進歩しないこともありますし、足を引っ張られることも少なくありません。

 

 

 

私たちには自由があり、自分で決めて行動に移す際、どうしたいのかを選ぶことができます。

 

 

 

2択のようなものもあれば、5択、10択、それ以上の選択もあるかもしれません。

 

 

 

複雑な選択肢の中から最善を選ぶ難しさは、意識レベルを上げていくうえでもいい課題にはなります。

 

 

 

また、シンプルな2択であっても、大事なことや正しいことがわからないと、間違えることがあります。

 

 

 

 

 

「一度に一つ」しかできない中で成長を志すならば、それを選んだ結果が自分にどういう影響を与えるのか、自分にとって得なのはなんなのか、よくよく考えて選んだ方がいいのは、ある程度分かっていただけるのではないでしょうか。

 

 

 

自分の取り組みの結果の積み重ねが、自分の運命です。

 

 

 

自分の運命をよくしようと思ったら、選択をしっかりしていかないことには、どこまでも人任せにし、根拠のない運任せにはまり込んでしまいます。

 

 

 

 

 

「自分が自らの運命をつくっている」と自覚することは、これからの時代ではとくに大事なことです。

(※ このことは、いらしてくださった方にその理由をお話ししていますが、聞き流している方もいるようですので、なぜ大事なのか思い出せなければ、いらしたときにでもご質問してください。) 

 

 

 

 

人に言われるがまま、よく考えもせずに従ってやったことが大失敗だったら、後悔しますよね。

 

 

 

ベストを尽くして自分でしっかり考えたことの結果であれば、人のせいにはできませんし、責任も素直に認められるはずです。

 

 

 

これが、葛藤が生じない、ということです。

 

 

 

 

 

「エゴだから影響を受けやすい」ということを自覚すれば、真剣にものを考えるきっかけになると思います。

 

 

 

経験によって、自分にとって大事なことがなにかをわかりやすくなるように思えます。

 

 

 

しかし、エゴでの判断はどこか不完全なため、きちんとした成長を目指すのであれば、真剣に考えることで上位意識とのつながりを育み、より的確に正しいことの判断をつけやすくしていくことが大事です。

 

 

 

 

 

「どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。」

 

 

 

「上位意識を使わない限り正解は見えてこない。」

 

 

 

これらを踏まえて考えていただくと、いいと思います。

 

 

 

 

 

雨や明け方の冷えで、体がなんとなく冷えている方もいるかもしれません。

 

 

 

ときどき書いていますが、シャワーでなく入浴をしっかりしていただくことで、疲れも抜けてきます。

 

 

 

また、足が冷えているのに自覚がない方もいます。

 

 

 

サポーターでは窮屈なので、足先だけ切った靴下をはいて寝てもらうと、足首が冷

えなくていいと思います。

 

 

 

気になる方は、自分でも考えて試してみてください。

 

 

 

 

 

写真は、昨日息子が新江ノ島水族館で実物を見ながら描いた、ロブスターです。

 

 

 

写真を見て描くこともありますが、動物園や水族館では、実物を見ながら動いているものを描くようにしています。

 

 

 

ようやく、「生きている感じがする線」が描けるようになってきた、そんな感じがする作品です。

 

 

 

 

 

雑記

なるべく今はブログをアップして、少しでも考えていただく機会をつくりたいと思っています。

 

 

 

今日は特別テーマが見当たらないこともあり、思いつくままに書こうと思います。

 

 

 

 

 

先日、久しぶりにあるできごとがありました。

 

 

 

その中で発した言葉、態度、そうしたものを一つずつ考えてみると、できていないことがみえてきます。

 

 

 

やることがやれていればそもそもそうならないわけで、できていないこと、できていること、それらをチェックをする機会になりました。

 

 

 

私自身は知識は入っているものの実践での理解が足りないところもあるため、課題はまだまだありますし、先はまだまだ長そうですので、地道にできるところをやっていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

時々、近況をメールしてくださる方がいらっしゃいます。

 

 

 

メールから、ご本人なりにがんばっている様子がわかります。

 

 

 

がんばっていても、大変と感じる中で自分で決断していかなくてはいけない、そういうことも時にあります。

 

 

私たちは、厳しい状況で真剣に考えさせられることがありますが、そこで大事なことに気づくことで、前に進めます。

 

 

 

自分がどうしたいのか考えることで、気持ちの整理がつくこともあれば、「現状」がこれまでの自分の取り組みの結果なんだとすなおに受け入れることで、甘い期待を止めて自分に向き合い、自分に正直に生きられるようになることもあります。

 

 

 

否定的な考えが、自分の選択肢を減らしてしまいます。

 

 

 

行き詰った時には、そうした否定的な考えに気づけると、今まで隠れていた選択肢が

姿を現します。

 

 

 

自分に向き合うことで前に進むとき、なにか否定的な考え方を変えることができています。

 

 

 

 

 

まとまらない文章ですが、今日はこれでアップしておきます。

 

 

 

 

 

前提、など

昨日、ひとつ自分にあった思い込みに気づけたので、これまでここでは宇宙全史を知らない方の不安をあおることになるかと思い、あまり書かないようにしていたことがありますが、一度書いておきます。

 

 

 

 

 

私はこれまで、宇宙全史というワークにかかわらせていただき、月読の大神の許可のもと、いまは講師という立場でいらしてくださった方の意識レベルの向上に努めています。

 

 

 

その際に、お話ししていることの前提として、宇宙全史で本のタイトルにもなっていますが、

 

「これから多くの方たちが亡くなっていきますよ」

 

ということがあります。

 

 

 

にわかに信じがたい方もいるでしょうし、結果がでてみないと実証もできない話です。

 

 

 

信じる信じないはその方の判断にまかされます。

 

 

 

(※詳しくは、宇宙全史別巻「20年後 世界人口は半分になる」でご確認下さい。状況の変化もあり、書かれている内容は、さらに変わっているところもあるようです。)

 

 

 

そうした前提のもと、いらしてくださった方には、私がひろかねさんという方から教わったことや、上位意識とのやり取りをもとに確認した日々の生活で心がける大事なことなどを、お話ししています。

 

 

 

私自身は上位意識からの情報で信じていることをお話ししていますが、自分の運命をつくるのは自分の判断ですので、ここでも「誰」が言っているかではなく、「なに」を言っているかを皆さんに考えていただく必要があります。

 

 

 

 

 

また、宇宙全史関連でブログに書き込みをしてくださったり、メールをくださる方がいます。

 

 

 

マナーというか、お会いしたこともない方ですので、「だい様」という書き方は分かるのですが、この時点で私に対する「特別視」が色濃く出ていることが少なくありません。

 

 

 

そういった方は、「お祈りしかありません」の弊害 (※ブログ「お祈りなどについて」参照) と同じで、なにかを絶対視したり特別視して、その下についてしまえばもう安心、となって自分では判断をしなくなり、大事なことは何も考えなくなってしまう可能性が非常に高い方たちです。

 

 

 

その姿勢は、私からおすすめすることがないものです。

 

 

 

大事なこととしてお伝えしていることは、前提の有る無しに関わらず、生きていくうえで非常に役に立つ考え方であると自負しています。

 

 

 

ただ、前提自体を私は信じていることもあってそれを踏まえてお話することもあるため、ここでなにか学ぼうという気持ちのある方は、そこも一度は考えるようにしてみてください。

 

 

 

考えることで、自分はどの立ち位置にいるか、なんとなく意識するようになります。

 

 

 

そこから「どうしていきたいのか」さらに考えていただき、私がこれまでブログで書いてきたことを読んで納得がいくようでしたら、いらっしゃれるようでしたら話を聞きにご予約をとっていらしてください。

 

 

 

特別視をおすすめしないということも、どうしていきたいかを考えていただくことで、より理解できるはずです。

 

 

 

 

これからの時代、結果がでてからでは遅すぎることがあり、意欲があってここで学ぼうとしてくださる方たちに対して私が後悔のない人生を望むようにもなってきていますので、主にいらしたことの無い方に向けての内容ではありますが、一度書いておくことにします。

 

 

  

 

 

捻じ曲げられたもの

 

『宇宙全史1』のP.84

 

 

「愛の概念が捻じ曲げられていた」

 

「だからあなたを呼んだ」

 

「ただすこと」

 

 

 

これに関して、最近ブログで書いてきたこととの繋がりを昨夜感じ、そこから整理していました。

 

 

 

きっかけについては具体的に書きませんが、五井先生の思いを感じた気がしたことで、今回考えるようになりました。

 

 

 

結論から書くと、「自由」を捻じ曲げられていた、ということになるようです。

 

 

 

この理由については、ざっと書いておきます。

 

 

 

 

 

なにかにすがってしまえば、考えることを止めてしまいます。

 

 

 

判断しなくなれば、自由がないということになります。

 

 

 

 

 

人は命であり、命は愛、といえます。

 

 

 

なくならないこと、永遠の生命を生き続けること、それらは愛です。

 

 

 

自分を生きることは、自分で判断することです。

 

 

 

判断するということは、自由があるからです。

 

 

 

ですから、命や愛など、それらは自由をベースにしています。

 

 

 

 

 

考えなくなってしまうことで自由がないと、自分を生きているとは言わない状態です。

 

 

 

自分で判断することにより、よりよい方向を目指せるので、依存することで判断できない、考えられない、というのは、良くなる方向性(意識の進化を目指す)を出していないということになります。

 

 

 

 

 

「自分の自由に生きる」、これまでこのことが誤った思い込みにより出来なくなっていたので、これからは「自分の好きなように自分で決められるほうがいいよね」と、考えられるようになるといい、ということです。

 

 

 

「自由に生きること」、このことを理解できるようになることが、「ただすこと」になります。

 

 

 

五井先生のお祈りの意味もわかってできれば、しっかりフォローをしてくれるはずです。

 

 

 

 

 

「神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。」

 

 

 

「上位意識を使わない限り正解は見えてこない。」

 

 

 

「どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。」

 

 

 

「五井先生の真意を今生きている人はだれもわかっていないと思う。わかりかけの人は少しずつふえてきてはいるが。」

 

 

 

 

 

ご連絡など

明日は「17時 ~ 」営業と掲載していましたが、さきほど予定を前倒しにして済ませられたので、「15時 ~ 」の営業に変更させていただきます。

 

 

 

ご予約をお待ちいたしております。

 

 

 

 

 

施術の感想をくださった方がいて、「患者様の声」を一年以上ぶりに更新できましたので、ぜひ一度読んでいただければと思います。

 

 

 

 

 

余談ですが、今日は自分の名前の意味が少しわかった気がします。

 

 

 

結果が出た時にその確認がとれるとおもっているので、それが正しいかどうかはいまはわかりませんが、今日感じた通りの意味であれば「頑張ろう」と思えます。

 

 

 

昨日書いたブログにしても、書いていて自分でまだ理解できていないことだとわかります。

 

 

 

それでも、書けるうちに書いておかないと、それが次にいつ出てくるのかわかりません。

 

 

 

いまできるうちに、できることをできるだけ、そういう書き方でした。

 

 

 

 

最近は「いつ死んでもいい」という気持ちになることもありますが、エゴなのでなにかしら影響を受けて変わることもありますし、実際にそういう場面になれば未練たらたらの本性が姿を現すかもしれません。

 

 

 

自分のことは、わかるようでわかりませんね。

 

 

 

最近はあまり余計なことは考えないで、信じることを一生懸命やっています。

 

 

 

 

個別のことですが

人によって違うので一概にいえないことですが、大変な時期に入っている、そう思えるようなケースがまばらに出てきています。

 

 

 

今日いらした方との会話で感じたケースは、私の妻の以前のケースと似ていました。

 

 

 

自分の内面奥深くからでてくるものだと、無意識でやっているため、やはり最初はわかりづらく大変です。

 

 

 

しかし、それをコントロールできるとわかると、やたらに振り回されることは徐々に減っていきます。

 

 

 

方向性をだすこと、エゴのチェック、エゴのコントロールなど、こうしたことひとつひとつを取り組んできてできるようになっている人は、今後その取り組みの結果を受けてどう感じるでしょうか。

 

 

 

後悔がないようにできることを少しでも増やしておくと、選択肢が広がる分、気持ちがちがうと思います。

 

 

 

今年も半分終わりましたね。

 

 

 

明日はまだ少し空きがあるので、気になる方は一度お問合せください。

 

 

 

 

問題なく生きる

自分の過去の傾向として、事なかれ主義で生きてきた「つもり」です。

 

 

 

問題が極力おきないように、控えて、我慢して、言い訳して、静かに、穏やかに、優しく、嫌われないで、良い人と思われるように、という生き方で、それなりに生きてこれたのではないかと思っていました。

 

 

 

しかし、いろいろ物事がいぜんよりわかるようになると、

 

・方向性をだす

 

・「どれが正しいか自分で判断しないと自分を生きてるとはいわない」

 

といったことだけで考えてみても、できていないことがわかってきます。

 

 

 

経験が伴って初めて理解でき、力になることを思うと、なにもしないで問題なく生きられている、というのは、文字通りなにもしていないだけですね。

 

 

 

自分を生きるということを行動に移していく中で、問題なく生きられるようになっていくこと、このことを学んでいる最中です。

 

 

 

でもそれは、以前は無意識に漠然と感じていたであろう自分の空虚感が満たされながら生きられているため、嫌な感じではありません。

 

 

 

上位意識との繋がりのなかで生きていくことを、このように感じているのだと思います。

 

 

以前の事なかれ主義のころとは異なり、正道や王道というものを生きる中で、問題なく生きられるよう、今は取り組んでいます。

 

 

 

 

 

メモ

 

「神はなにも否定していない」

 

「八百万の神は全肯定をあらわしている。日本が世界のさきがけといわれる由縁」

 

 

 

 

 

思い込みの一つとして

「思うように生きられることが当たりまえ」

 

でしょうか、

 

「思うように生きられないことが当たり前」

 

でしょうか。

 

 

 

 

 

カルマをかかえて生きているうちは、「いやだな」と思うことが身に起こります。

 

 

 

覚醒した方はまたちがってきますが、思うように生きられないことの方が、エゴ主体で生きているいまの状態では当たり前、ということになります。

 

 

 

その当たり前のことに対して腹を立てることが、案外多いことに、私たちは自覚がありません。

 

 

 

当たり前のことを当たり前に思えていない、そういうことに気づけると、怒り方や腹の立つ頻度も大きく変ります。

 

 

 

最近腹が立つようなことがあった方は、いい機会なので考えてみてください。

 

 

 

だいたい、人のせいにして終わっているはずです。

 

 

 

 

 

エゴについてのメモ

意識の進化を考えてみると、よりよい選択肢を見出せるほど、意識レベルは高いと考えられます。

 

 

 

全肯定は存在すべてを認めること、否定をしないこと。

 

 

 

一方、存在を否定していくのは、選択肢がよりすくない状態です。

 

 

 

ひとつしか無い状態では選択できないため、判断を用いない状態となります。

 

 

 

この状態は「自由がない」といえますし、選択で生じる変化がないため、固定化した状態ともいえます。

 

 

 

表現によっては、最下層という言い方もできるかもしれません。

 

 

 

エゴの「これしかない」という他を否定しての鵜呑みの状態は、こういう状態です。

 

 

 

よりよい選択肢を考えることで、固定化されたエゴを薄くすることになります。

 

 

 

エゴを薄くする、というと、エゴという存在のエネルギーを減らして限りなく存在感をなくそうとするイメージがあるかもしれませんが、エゴという存在のエネルギー量を減らすのではなく、歪みを減らすということであり、この場合は 固定化された状態からよりよい方にも変化できるようにする、ということになると思います。

 

 

 

 

 

整理できていないので中途半端ですが、今日はこれ以上考えられないため、このまま載せておきます。

 

 

 

 

明日はまだスケジュールに空きがございます。

 

 

 

ご予約のお問い合わせをお待ちいたしております。

 

 

 

 

 

余談です。

 

 

 

ご来院いただいたことのある方はご存知かもしれませんが、当院の並びにTSUTAYA等々力店があります。

 

 

 

そちらが 今月いっぱいで閉店することになったそうです。

 

 

 

ご来院いただいた際に 時間調整でご利用いただいた方もいると思いますので、今後は状況が変わるため、よろしくお願いいたします。

 

 

 

写真は娘作、「キャンディー屋さん」です。

 

 

 

 

 

感情をだすこと

「自分が何をしたいのかわからない」「どうしたいか決められない」「方向性がだせない」、そういった方は、日頃ご自身が感情を出せているか考えてみてください。

 

 

 

自覚できていないところで、感情を抑えこむことが習慣になっているかもしれません。

 

 

                              

感情をはっきりさせていくと、好き嫌いが色濃くでる、ということになります。

 

 

 

幸せを求めて方向性をだすにあたり、自由があるので好き嫌いで選ぶことができます。

 

 

 

なにか目的があってそういった体験を求めるか、物好きか卑屈でない限りは、だいたいの人は好きな方を選ぶと思います。

 

 

 

感情を抑え込んでしまっていると、自分がどうしたいのかはっきりしなくなっていきますし、本音に蓋をしてコミュニケーションをとるようになると、周りにも自分の本音が伝わらず、その結果として思うようにいかない不満がたまり、自分を責めたり人を悪くとらえるようになることもあります。

 

 

 

無意識に感情を抑えこんでいるとすれば、そこには思い込みがあります。

 

 

 

思い込みの内容としては、

 

・感情を表に出さない方が大人に見られる

 

・落ち着いた印象で好感度が高い

 

・低く見られない

 

など、理由は様々あるでしょうが、人目を気にして、ということが主ではないでしょうか。

 

 

 

もちろん感情を出し方がいいと言われたからといって、やたらめったらにやると、「アホなことしちゃったな・・・」ということになるので、出し方はちゃんと頭をつかって考えてください。

 

 

 

20年後・・・」の本に書かれていた、将来の人の有り様を考えていただければわかると思いますが、のびのび生き生きと生きている人達は、感情を抑え込むことをしていないはずです。

 

 

 

エゴを薄くする、ということで感情を抑え込もうとしている方もいるかもしれませんが、そこは取り組み方をよく考えていただくといいと思います。

 

 

 

上記のことをブログに掲載しようとしていた時、施術でいらしてくださった方との話で付随して出てきた内容がありました。

 

 

 

日常で、「まあ、いいか」と取り組みに区切りをつけることがあります。

 

 

 

この「まあ、いいか」が、エゴにコントロールされている場合があり、「ここまではやる」と意識しなおすことでエゴをコントロールし、「あきらめない」を育むことになります。

 

 

 

方向性がぼやけたときに、こうした「まあ、いいか」がでるため、方向性をはっきりさせるために、日頃から感情をためこまずに上手に出していき、これから欠かせない要素である「あきらめない」を少しでも身につけられるよう、できるところから頑張ってください。

 

 

 

死にそうな状態でも生きることをあきらめない、それが何年続いてもあきらめない、そういうところまでできる方は目指していただきたいと思います。

 

(文章にすると2行ほどで軽く書けますが、これは大変です。)

 

 

 

例えば、コミュニケーションをとる際に「わかったつもり」で済ますのではなく、「相手の真意を理解するまで」「こちらの思いが伝わるまで」と、大事な場面では意識して取り組めるよう、日頃から心がけておくといいのではないでしょうか。

 

 

 

夫婦間での思い込みからくるあきらめ、職場での同僚との関係性での問題、などはわりとよくあるお話です。

 

 

 

押し付けになってしまうとまたそこは問題なので、お互いの自由を認めた関わり方を考えてみてください。

 

 

 

私たちは身近な人との関係をはき違えてしまって、人には言えないような文句を言ったり、ここぞとばかりフラストレーションを大爆発させたり、自分が楽をしたいという本音で家族を顎で使ったり、偉そうにしたり、てきとうに返事をしたりしてしまうことは少なくないと思います。

 

 

 

ちょっと考えてみれば、自由をみとめる、対等平等である、といったことからおよそかけ離れたことをしているとわかります。

 

 

 

身近な人ほど大切にする。

 

 

 

結果、それが自分に返ってくるのですから、自分の幸せのためにできる取りくみです。

 

 

 

私も日々勉強です。

 

 

 

 

 

一週間お疲れ様でした。

 

 

 

17日(月)は通常通り営業いたします。

 

 

 

 

 

エゴのよりよい生き方について

 

「完璧な生」は、ベストを尽くすこと、間違えたら修正する生き方。

 

 

 

修正しようとしない生き方は、後悔を残す。

 

 

 

 

 

これまで教えていただいた内容を読み返していて、上記のものはエゴについてシンプルにまとめられていると感じたので掲載しておきます。

 

 

 

 

 

いま少しずつベストを尽くそうと取り組んでいるのですが、これはかなり大変です。

 

 

 

以前よりできるようになってきましたが、やってみて分かるのは、ベターはできても、なかなか「ベストを尽くせた」とは思えないということです。

 

 

 

負荷がかかる、とは、半ば強制的にベストを尽くさざるを得ない状況をつくられることにもなります。

 

 

 

生きることをあきらめない、負荷をうけても歪まないようにする、そのなかで自分で考えてよりよい選択肢を選んでいく。

 

 

 

日頃から心がけていないと、いざという時に言葉を知っていてもまったく話にならない、そういうこともあると思います。

 

 

 

自由があるので強制するようなものではありません。

 

 

 

大事だと思う方は、できるところから取り組んでみてください。

 

 

 

やってみてわからないことは、いらして下さった時におたずねください。

 

 

 

わかる範囲でお答えいたします。

 

 

 

 

 

 

「誰一人として・・・」

先ほど「最後の伝 114」を読み返していたところ、目に留まったのが「誰一人として完璧な人などいません」という一文です。

 

 

 

ここは、「人」というよりは「(個としての意識を持つ)存在するものすべて」という言い方ができると考えています。

 

 

 

そこには「神」も含まれます。

 

 

 

 

 

写真は、娘作「バイキンマンとドキンちゃん」です。

 

 

 

頭上にならぶバツ印は娘なりの文字で、バイキンマン、ドキンちゃん、と書いたそうです。

 

 

 

 

 

ある方の気づき

本日いらしてくださった方の気づきとして、お話してくれたことがありました。

 

 

 

『どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。』

 

 

 

の一文を見ていて、「人に聞くことはないんだ」と気づいたそうです。

 

 

 

これまで熱心に勉強されてきた方で、エゴを薄くすることも、理屈を考えることも地道に積み重ねています。

 

 

 

今回の気づきで、その方が一歩進めた感じがしました。

 

 

 

とても励みになりました。

 

  

 

 

 

Mさんの覚醒について

一昨日、当院に定期的にいらしてくださっているMさんという方から、近況報告をいただきました。

 

(先日、「患者様の声(No.22)」

を投稿してくださった方です。)

 

 

 

今回、ある段階での覚醒を果たされたようです。

 

 

 

貴重な体験ですので、ご本人の許可を得て、いただいたメールの一部を掲載させていただくことにいたしました。

 

 

 

もともとインスピレーションをキャッチしやすい方で、ご自身でこれまで取り組んでこられたワークもあるため、トータルで今回の結果がでたということになります。

 

 

 

状態がまだ定着していないようですので、このまま定着していくのかの確認も含め、すこし時間が必要ですが、今後が楽しみですね。

 

 

 

ここ1年経たないほどの間に人生の大きな転機を選択されてから、取り巻く状況が目まぐるしく変化し、お話を聞いていてもどんどん幸せ感が増していく感じがしていました。

 

 

 

これからどのような展開になっていくのかわかりませんが、一つ役割をもって取り組む生き方になります。

 

 

 

エゴからすると大変なこともあると思いますが、方向性が明確になってきた分だけさらに生きやすくなると思います。

 

 

 

書かれている今後の取り組みが現象化するには、まだ少し時間がかかると思いますので、時期がきたら皆さんに何らかの形でお知らせできるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2通目のメールについては、Mさんご自身の取り組みや気づきに関することです。

 

 

 

今回は一定の結果がでていますが、ともすると特別視や思い込みが強くなることもありますので、皆さんそれぞれでお考え下さい。

 

 

 

2通目のメールにある「水晶(珪素)化する地球人の秘密」から粋した文章は、ひろかねさんがBBSに書かれていた『上位意識を使わない限り正解は見えてこない。』と併せて考えていただくといいいと思います。

 

 

 

日々の取り組みとして、これまでお伝えしてきたことに変わりはありません。

 

 

 

ご自身の幸せのために、目の前のことひとつひとつを大事に取り組むようにしていただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

〇 メール1通目

 

 

 

『・・・私自身は、今週月曜日(7/24)の朝ふいに高次からエネルギーが降りてきて「私は、人々にとって泉のような存在の場所を創ります」と宣言…していました。

 

 

 

…させられたというか、涙ながらに誓っていた状態です。

 

 

 

「泉のような」とは以前大さんからもお伝えいただいていたことでした。

 

 

 

宣言した時は、どこに(これはもう入手済みです)、どんな建物を建て、それを人々にどう使ってもらい、そのとき自分はどうするか明確なイメージが浮かびました。

 

 

 

何というか、地球…宇宙を感じる意識がそこにあり、今もそれが自分の中心を貫き存在しています。

 

 

 

これは「宇宙の真理は愛」という感覚です。

 

 

 

 

 

それを自分の中心に置いて人と接すると、自他のエゴがとてもよく観え、自分のエゴの修正と希釈も客観的に把握できるようになってきました。

 

 

 

観え過ぎる分、即座に反応してしまう癖もまだありますが、だいぶ気にしないで流せるときも増えてきました。

 

 

 

一さんで施術を受けたりブログを通したりして様々に伝えていただき、多くの気付きをいただいたおかげと思います。

 

 

 

本当にありがとうございます。』

 

 

 

 

 

〇 メール2通目

 

 

 

『実は以前からとあるプロジェクトに少し関わっております。

 

 

 

趣旨は宇宙全史と同通するものと捉え、同じ気持ちで取り組んでいます。

 

 

 

そうした中で諏訪湖が私の中で重要に思えていました。諏訪湖は中央構造線と糸魚川静岡構造線が交わる位置にあり、糸魚川静岡構造線が4区間に分かれているうちの2区間目の終わりと3区間の始まりが諏訪湖を囲むようにしており、諏訪大社4社はその守護のようにして建っています。

 

 

 

【諏訪大社】

 

 

 

別の方が既に下社(春宮、秋宮)にて祈りを済ませていたのですが、長野地震があった際「行かなくては」と思い立ち、上社(前宮、本宮)で祈り、諏訪大社4社全てに対して完了という形になりました。

 

 

 

【諏訪湖】

 

 

 

そして23()新月の日「諏訪湖に行こう」と思い立ち、翌24()諏訪湖の湖畔で祈りました。

 

これも先に別の方が北方位で同様に行っており、私は残る3方位に行きました。

 

3か所全てでカモが示唆するように現れ、最後の西方位では2羽のカラスが案内してくれ、祈り終えた時には2羽のトビが目の前の低空から上空まで8の字()を描き旋回していました。

 

 

 

諏訪湖の最後で現れたトビが気になり調べました。

 

 

 

Wikipediaでトビの項目に「イシス」とありました。

 

 

 

それを調べると、エジプト神話の女神イシスがトビの外見或いは背中にトビの翼をもった女性として表されるとのことでした。

 

 

 

諏訪湖そのものがもつ意味を教えていただいたように思います。

 

 

 

今回の自分の転機に大きく影響を与えてくれたものを思い起こせば、もう一つあります。

 

 

 

前回の施術で少しお話した記憶がありますが、鎌倉のドクタードルフィンこと松久正さんです。

 

 

 

ネットで気になり著書「地球人革命」「水晶(珪素)化する地球人の秘密」を購読しました。

 

 

 

「地球人革命」の1ページ目の冒頭で「これだ」という直観が涙と共に出てきました。

 

 

 

 

 

**********「水晶…」の一部です。

 

 

魂のエネルギー(自己固有螺旋振動波)の流れを正すのに必要な気付きや学びを得るには、自己の魂の誕生点であるゼロ・ポイントに近い自己振動波(宇宙の叡智)にアクセスできることが不可欠ですが、ソウル・ウェイブを正してその宇宙の叡智を取り入れるとその叡智は魂エネルギーの修正をサポートするとともに、エネルギーの変換器である松果体に原子転換を起こし、それを水晶(珪素)化します。珪素化する松果体はさらに宇宙の叡智を取り入れられるようになり、ここに最強の増強サイクルができるのです。()自分の魂が選択した人生と身体の問題を体験する中で、より有効な気付きと学び得ることができるようになり、結果として乱れた高次元のDNA情報を書き換えられるようになります。
***********

 

 

 

著書やHPでは松果体を活性化する方法が紹介され、それを実行したところ変化・変容を実感し、今に至るというところです。

 

 

 

今の自分、覚醒したと教えていただいた状況の基をたどり要因について述べるうちに長文となってしまい、大変失礼いたしました。』

 

 

 

 

 

休み明け

3日から昨日まで連休をいただき、おかげさまで家族と楽しい時間を過ごせました。

 

 

 

今回は子供たちに目いっぱい楽しんでもらおうと、予定をつめこんでの休みだったため、かなりくたびれはしましたが、私も妻もとても楽しむことができ、今日から元気に営業を再開しています。

 

 

 

 

 

帰省中、私の母が勤務するデイサービスのお祭りで子供向けの魚のつかみ取りイベントがあり、息子は今年もウナギを捕まえることができました。

 

 

 

息子がそのウナギを絵に描きたいと言い、絵を一生懸命描いていると、途中でウナギがバケツから飛び出し大騒ぎ、絵の上でウナギが動いたため少しにじんで一味加わった感じです。

 

 

 

今回の絵を見て、ずいぶんダイナミックに描けるようになってきたな、と息子の成長に驚かされました。

 

 

 

今回は福井県立恐竜博物館にも出かけ、その前後の日程で瑞浪市の河原で化石採集体験もし、息子は恐竜や化石を満喫したため、博物館のパンフレットをヒントに大きな紙に恐竜をたくさん描きました。

 

 

 

娘はお兄ちゃんの後を追いかけており、一緒に絵を描くなどしているため、なにかと影響を受けていくのかもしれませんね。

 

 

 

私の父がデザイナーでもあり、こういう時にはとことん付き合って好きに描かせます。

 

 

 

祖父母と家族に見守られながら、夜中の11時までかかって描き切った息子は、一つ自信を深めたようでした。

 

 

 

 

 

私の父はこれまでもデザインと書の取り組みを続けてきていますが、私の上位意識からのアドバイスを受けることもあり、先が限られた中で一つ納得のいく作品をつくって結果を出すことをすすめられていました。

 

 

 

その中で、妻が妻の上位意識から私の父にアドバイスをしており、その後私の上位意識からも私にその解説がありました。

 

 

 

「あるがままに」という言葉を今は課題にしているようですが、いつもは「山」という字を父は好んで書いています。

 

 

 

その理由として、本人は自覚していませんが、「体験として山を知っているから」というものがありました。

 

 

 

ひろかねさんのお話に通じてきますが、体験を通して知っている事柄は、作品にするときにエネルギーがより一層はいるようです。

 

 

 

また、一心(※一心不乱)というのは「方向性」、無心という言葉の意味として「全託」、一心に取り組んだ先で全体と方向性が重なれば無心になれる、という言葉を受け取りました。

 

 

 

書の線が毎回見るたびに変わってきており、創作活動における直感は日々磨かれてきているようでした。

 

 

 

今後どういう作品が出来上がっていくのか楽しみです。

 

 

 

 

 

今回の帰省は天候に影響されることもあり、度々雨に降られ、虹もよく見ました。

 

 

 

東京に戻る途中、先日ブログで書いたMさんにお会いしてお話をすることができ、そこで一つうれしいお話を聞かせていただいたのですが、この事は機会があれば掲載できるかもしれません。

 

 

世の中いろいろありますが、新し時代の息吹ともいえるものを、日々の人との関わり中で感じているように思います。

 

 

 

 

 (※ 以下、画像です)

 

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やられたらやり返す

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執着について

執着がつよいと、考え方が固定化されて動かなくなっていきます。

 

 

 

しかし、固定化されたものが動くようになれば、執着もとれてきたことになります。

 

 

 

考え方を変えて取り組み方を変える、選択肢を増やす、取り組みの順番を見直す、そうしたことで固定化しているものが動かせるようになっていきます。

 

 

 

 

 

今回体調を崩し、お休みをいただいていました。

 

 

 

その間、妻の執着をとる手伝いをしていました。

 

 

 

不用品の処理と片付けです。

 

 

 

本人の口から「片づけたい」という言葉があり手伝ったのですが、実際始めてみると、片付くにつれて妻の表情が険しくなっていき、片づけを続けないよう言い訳が始まったり、他の事をやり始めたり、自分を責めたり、私のものを私が捨てたにもかかわらずそれに対してケチをつけるなど、様々なエゴの抵抗がありました。

 

 

 

その都度、方向性の確認、進捗状況を自覚、否定的な発言を自覚してもらい肯定的な表現に言い換える、責めている時は「それ言ってて片付くの?」と本人に考えて気を取り直してもらい、何度も軌道修正を繰り返し、無事に本人が納得するところまで片づけることが出来ました。

 

 

 

 

 

固定化しているものというのは、他の選択肢が目に入らない状態でもあります。

 

 

 

物を手ばせない状態から手ばなそうと思えるまでに、相当時間がかかりました。(数年かかっています)

 

 

 

この時点でずいぶん進歩したと思うのですが、それでも「片付いた」という結果がでたわけではありません。

 

 

 

まず自分でどうしたいのか意思決定までできればいいのですが、そこからやり切るまでに大変な労力を要すような気がしてしまうと、ついあきらめてしまうこともあるのではないでしょうか。

 

 

 

今回、妻が親しくしていただいている方たちのフォローもあり、現時点で妻が納得するところまで片付けることができました。

 

 

 

本人は、「ここまでやったら、もっとやりたい」と思っているようですので、まだかかりそうですが、フォローしていただけたのは、本人があきらめないで続けた結果だと思います。

 

 

 

 

 

私たちは変われます。

 

 

 

変えることによって、よりよくしていくことができます。

 

 

 

完璧な状態ではなく不完全だからこそ、私たちはもっとよくなっていくことができます。

 

 

 

そのことを、妻を通して再確認することができました。

 

 

 

 

 

この度は、急なお休みをいただき、ご迷惑をおかけしました。

 

 

 

体調がもどりましたので、来週から通常通り営業を再開いたします。

 

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

写真は娘作「ウサギ」ではなく「ネコ」です。

 

 

 

 

 

メモ 負荷を負うことについて

これは私のエゴによる判断で書く内容ですので、あまり根拠などは有って無いようなお話とお考えください。

 

 

 

おそらくですが、昨夜の23日夜を皮切りに、これまで先送りにされてきた様々な負荷を皆さんそれぞれが負う流れになったのではないか、と考えています。

 

 

 

早い人は昨夜からですが、まだの人はこれから徐々にということになるかもしれません。

 

 

それは理不尽な理由ではなく、本来負うべきものを負うべくして負うようになった、正しい流れが動き出した、という理由です。 

 

 

 

自分でつくったカルマを自分で解消する時期に入った、ということです。

 

 

 

今までは、流れを歪めて自分のカルマを力がある人に肩代わりしてもらえていた、恵まれていた、これからは等身大の自分を知ることになる、ということです。

 

 

 

最初に書いた様に、これは私のエゴの判断ですが、私の考え通りであれば、これまでカルマを軽くするように取り組んできた方ほど、個人差はもちろんあるものの、これからでてくるカルマは解消しやすい内容になると思います。

 

 

 

もし強い負荷を感じるような状況や状態になることがあれば、ひねくれたりいじけたりしないで、なるべくこれまで学んできた在り様を心がけていただき、その姿勢で向き合い取り組んでいただくといいと思います。

 

 

 

これまでと何ら変わることが無ければ、単に私の思い違いであったとお考えください。

 

 

 

 

 

写真は、息子作「はくりょくのあるきょうりゅう」です。

 

 

 

 

負荷を負うことについて 続 

前回のブログ「メモ 負荷を負うことについて」に書いた内容についてですが、今のところ、大まかに状況はあのとおり動いていると感じています。

 

 

 

「根拠はあってないようなもの」と書いたのですが、私の上位意識とひろかねさんとのやりとりから得た情報を元に私は判断しているため、私自身の根拠はそこにあります。

 

 

 

しかし、皆さんはいまのところ確認のしようがないと思いますので、そういう意味で「あってないようなもの」と書きました。

 

 

 

 

 

現状、私自身やいらしてくださる方も含めた身の回りの人たちも、まばらにですが負荷を負い始めたように感じます。

 

 

 

いま現象化している負荷(カルマ、歪み、問題)は、主に身体的なものです。

 

 

 

夏場の疲れや無理や不摂生の結果かもしれませんが、出てきているものは身体的なものばかりではありませんし、混ざり合って現象化していることもあるとおもうので、もう少し様子を見ていきたいと思います。

 

 

 

ただ、この状況がさらに進展すると、これから2〜3ヶ月で世の中の様相は一変していく可能性が高いと感じています。

 

 

 

それを前提にいまやるべきことを書いておくならば、全体(実存以下、私たちエゴのみならずすべての神様を含む)として、およそ2段階境涯を上げる必要があるようです。

 

 

 

2段階というのは、

 

・死ぬほどやる

 

・限界まで取り組む

 

・ベストを尽くす

 

こうしたことを2回はクリアするということで、負荷を感じていてもいつもと変わらず過ごせ、普通に動き回れたなら、ある程度クリアできたといえると思います。

 

 

 

平常心ですね。

 

 

 

 

 

上位意識を使わない限り正解は見えてこない』、ということがあります。

 

 

 

負荷を感じる、歪みが現れる、というのは、自分に問題が起こる、ということですが、その問題を解決するのに、エゴの判断だけでは正解は見えてきません。

 

 

 

上位意識とのつながりをつよく信じ、目の前の問題に真剣に取り組むこと。

 

 

 

取り組む際には、少しでもよりよくしていくことを心がけます。

 

 

 

全体の境涯が短期間に上がるということは、全体の歪みが急速に解消されていくということになります。

 

 

 

限られた時間で結果を残すために、片っ端から問題が解決されていくとすれば、影響力の強いところが優先されることになります。

 

 

 

力の弱い存在や方向性を出していない(カルマを少なくしようとしていない)存在は、よりつよい存在の動向や境遇に影響を受けて大きく振り回されることもあると思います。

 

 

  

約3か月という期間が23日を皮切りに始まっていますので、負荷を感じている方は、「あきらめない」「くさらない」、そしていま目の前のことをやりきるよう努めてください。

 

 

 

 

 

過去に、「時間がない」や、「できるうちにできるだけレベルを上げられるよう頑張りましょう」と発信をしてきましたが、ここにきて改めてそういうことをお伝えしておいたほうがいいと思い、いまこうしてブログを書いています。

 

 

  

自分の意思で取り組んでレベルが上がるのならば、世の中がどうであろうとムダにはなりません。

 

 

 

負荷を感じることはこれまでもあったと思いますが、今回書いていることは、23日以降のお話になります

 

 

 

これまで書いてきたこともそうですが、今回の内容や今後掲載していく内容について、トンデモ話に思えるようなことであっても、私はその情報が正しいと信じているので書くことにしています。

 

 

 

しかし、これまでしつこく書いてきたように、

 

・鵜呑みしない

 

・誰が言っているかではなく何を言っているか

 

・自分で判断する

 

ということを心がけて読むようにして下さい。

 

 

 

そして、「正しいものが正しい」といえるかどうか、丁寧にその内容を読み解き考えていただくといいと思います。

 

 

 

私は覚醒しているわけではありませんので、エゴで書いています。

 

 

 

それはもちろん、全てが見えているわけではないですし、間違えることもある、ということです。

 

 

 

自分のやったことしか自分には返ってきませんが、内容をはき違えたり、間違ったものを信じて突き進んだ場合、行動に移したその人にその結果はすべて返ってくるということでもあります。

 

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

写真は、息子が描いた虫たちの絵です。

 

 

 

オオミズアオという蛾をご存知でしょうか。

 

 

 

きれいな白っぽい大きな蛾です。

 

 

 

先日、セミの死骸と併せて、息子がその死骸を見つけて持ち帰っていました。

 

 

 

夜中に私が一人帰宅して家に入ると、部屋の電気をつけた足元にそれらが置いてあるのを見つけ、一瞬ギョッとしました。

 

 

 

退屈しない毎日です。 

 

 

 

 

 

その一

私の上位意識とひろかねさんとのやりとりから得た情報と、それをもとに考えている現状のことなど、今回から何回かにわけて書いていこうと思います。

 

 

 

タイトルが浮かばなかったので、シンプルに「その一」としておきます。

 

 

 

前回書いた内容に至る経緯を大まかに知っていただいた方が、より分かりやすいと思い、これまで書いてこなかったものを、すこしまとめながら書いていこうと考えています。

 

 

 

いらしてくださった方の多くは、一にいらした際に聞いた内容が多く含まれることになるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

簡単に書くと、

 

・大本教の予言が始まった

 

・ひろかねさんが艮の金神

 

・これまで一(はじめ)でお伝えしてきた考え方は、神一厘の法則である

 

ということになります。

 

 

 

 

 

一(はじめ)を開業して以来、近隣のみならず、宇宙全史でのご縁があって、全国各地から施術を受けたり話を聞きに、わざわざお越し下さる方達がいらっしゃいます。

 

 

 

そのようにしてご来院して下さった方の中に、私の上位意識が「この人から話を聞きなさい」と、わざわざ一言あった方がいらっしゃいました。

 

 

 

それが、これまで何度も書いている、ひろかねさんでした。

 

 

 

これまでブログで書いてきた内容の大半(初期の頃を除く)は、ほぼ、このひろかねさんから指導を受けた内容を、私なりにまとめたものです。

 

 

 

これまで2年以上かけて、私は指導を受けてきたのですが、その過程で明らかになってきた情報がいくつもありました。

 

 

 

すでに書きましたが、その一つが、ひろかねさんの正体です。

 

 

 

 

 

以前ここで、「日月神事 神一厘のシナリオ」というタイトルで書かれているサイトをご紹介したことがあります。

 

 

 

そこで書かれている内容は、おおまかに現状と今後を知ってもらう上で参考になると思い、ご紹介させていただきました。

 

 

 

それと関連しているもので、私自身が気になり何度も目を通してきたものが、宇宙全史の他にあり、これも以前少しだけブログの中で触れたと思うのですが、それが大本教の「大本神諭」です。

 

 

 

そこに登場するのが、「艮の金神(うしとらのこんじん)」という神様で、なんと、ひろかねさんがその艮の金神であると、私の神様から教えられました。

 

 

 

ひろかねさんが、この宇宙でとても偉い神様だというのです。

 

(これだけで、エゴは大喜びですね。)

 

 

 

そしてさらに、ひろかねさんから私が教わったものが、「神一厘の法則」と呼ばれるものだということでした。

 

 

 

このことも私の神さまに確認をとっており、神様からは当初、「第二の易行道だよ」といわれています。

 

 

 

 

 

「大本神諭」はいわゆる予言書です。

 

・これから天地がひっくり返るような世の中の大改革が行われるようになる

 

・それまでに大きく歪んでしまった自分たちの魂を改心させておくこと

 

・そして少しでもカルマを解消してその時期に備え、新しい世界を作る手伝いができるようにしておくように

 

というような内容が書かれています。

 

 

 

同じような事が少しずつ内容を変えて書かれているのですが、いくつもの可能性のパターンを書いてあるとのことでした。

 

 

 

印象的なキーワードがいくつかあります。

 

 

 

ネット上で大本教関係の文章や日月神示などを見てきたことと、私の物覚えが悪いこともあり、どこに何が書いてあったのかは把握できていません。

 

 

 

ただ、「二度目の岩戸開き」「根本の世の立替立直し」「一度に開く梅の花」、といった言葉など、宇宙全史やその非公開情報9と絡めて、言葉や書かれている内容が繋がりをもって意味を教えてくれたように感じています。

 

 

 

 

 

とりあえず、今回はここまでとします。

 

 

 

特別視を減らしていきましょうね、とこれまでお伝えしてきたにもかかわらず、今回からはことさら特別視を強化しかねない内容となっています。

 

 

 

しかし、特別視がどういうものか考えるきっかけにもなりますので、疑問を感じる方はご自身で一度考えてみてください。

 

 

 

 


 

その二

前回は、初めて話を聞く方には突拍子もない内容だったと思いますが、最初からそういったことがわかったわけではありませんでした。

 

 

 

ひろかねさんから私の神さまへの問いかけだったり、私が聞いていると何気なく思えるような神さまからの言葉に大事なヒントが隠されていたりして、そうしたことの繰り返しから、一つ一つ明らかにされていきました。

 

 

 

 

 

ひろかねさんの取り組みで一貫しているのは、「いまをよくするためにどうしたらいいか」と理屈で考えることでした。

 

 

 

一方、神さまの反応としてずっと繰り返されてきたのは、「計画はうまく進んでいる」でした。

 

 

 

結果的に、上位の神さまの思惑として、うまく進んでいたようです。

 

 

 

 

 

2015年の12月、ひろかねさんは一度覚醒体験をされます。

 

 

 

この時、私の神さまに確認をとり、その状況を教えていただいています。

 

 

 

ひろかねさんがある境涯に達したことで、この時は一番上のチャクラだけひらいた、ということでした。

 

 

 

しかし、境涯があまりに高いこともあり、その衝撃は上の世界で強烈だったらしく、私たちの守護神クラスでは、「あ~、上の方で雷が鳴っているな」くらいにしか分からなかったそうです。

 

 

 

この時点で地球霊界のトップは確定、ということでした。

 

 

 

 

 

この時点で神さまたちの計画の見直しがなされ、当初計画していたよりももっといい結果を求めて、計画を練り直すことになったようです。

 

 

 

私たちからすると、神さまの計画というのは完璧で一貫して変わらず想定した通りのことが起こっていき、変更することなんてありえない、と思えるかもしれませんが、私が自分の神さまとのやりとりからわかってきたのは、全体がよくなる可能性があれば、見直しは大事な場面で常にされるようです。

 

 

 

 

  

ここで、ひろかねさんのチャクラは、「計画があるから」という理由で一旦閉じられます。

 

 

 

つまり、もう一度開く予定がある、ということです。

 

 

 

これが二度目の岩戸開きの話であり、非公開情報9に関する話でもあります。

 

 

 

しかし、次に開くのがいつなのか明確な答えがないまま閉じられたため、そこから私の神さまとのやりとりで時期が絞られ確定します。

 

 

 

 

 

結果、そのタイミングで開きませんでした。

 

 

 

「計画があるから」ということでチャクラを閉じられた状態は、ひろかねさんに無理を強いる状態でもありましたが、私の神さまに話をしても「ゴニョゴニョ」というだけでらちがあきません。

 

 

 

そのため、自分で開くために何ができるか考えたところ、因果律を歪めるようなことができるのは月読の大神くらいしかいない、という結論に達し、神さまたちの思惑通り、直談判で宇宙全史のBBSへの書き込むことになります。

 

 

 

 

 

この時に宇宙全史のBBSにひろかねさんが書き込んだものを、私の神さまは「これからの宇宙の教科書」といっていました。

 

 

 

 

 

その後、新たな状況がわかり、その問題を解決することで、ひろかねさんの立ち位置はオーム宇宙のトップということになっていきます。

 

 

 

もともとそれを決めるためにこの地球は作られた、とこの時は神さまから話がありました。

 

 

 

二元性を使って二元性を越えていく、その方法を実践しだれでもできる形で確立したから、というのがトップの理由のようです。

 

 

 

 

 

そこからもまだいろいろとあり、実存以下の神さまも含め、今回を機に宇宙全体の歪みをとることが本来の目的であった、と知ることとなりました。

 

 

 

 

 

ひろかねさんとある存在とのやり取りの結果、その許可もあって、この宇宙を潰してつくり変えるか、いまいる神さまたちが改心して2段階レベルアップすることで存続するか、どちらかを選びなさい、という状況になっています。

 

 

 

 

 

一度潰してつくり変えたほうが、いまより1段階いいものになるそうです。

 

 

 

しかし、存続するならばそれよりいいものでなければ残す意味もない、ということで2段階あげなさいよ、ということでした。

 

 

 

期限を決めないとずるずるいってしまうため、許可がでてから3カ月ということになり、あちらの世界では大変な騒ぎになっていると思われます。

 

 

 

しかし、期限を決めてレベルアップしなくてはいけないいまの状況について明確に分かるのは上の神さまたちだけで、下位の神さまたちでは、なにか大変な事になっているから急いで色々やらなくてはいけないみたいだ、という程度かもしれません。

 

 

 

現象化するには時間差があると思いますので、そのまま3カ月というわけにはいきませんが、私たちも同様に2段階境涯を上げていかないことには、選択肢のない運命を選びとっていくことになるのだと思います。

 

 

 

 

 

その三

ある時期、いらしてくださった方にだけお話してきたことがあります。

 

 

 

それは、

 

「一(はじめ)に来たら合格」

 

というものです。

 

 

 

昨年の冬至頃、ひろかねさんの文章がBBSに掲載された後、

 

「あの文章を見て、一(はじめ)に来た人は合格」

 

という話が神さまからありました。

 

 

 

期間に関して最初はっきりしませんでしたが、今年の夏至を一つ区切りとして、締め切られています。

 

 

 

試験内容は、

 

「正しいものが正しいとわかるかどうか」

 

 

 

ひろかねさんの文章を見て、嫌悪感や拒否反応が出るようだと、指導を受けている私のところにも来ることはありません。

 

 

 

この地球で進化成長を求めて幾度も転生をしてきた中で、私たちは様々な学びを繰り返してきたはずです。

 

 

 

その学びの集大成として、正しいものが正しい、そう判断できるレベルになっていれば合格ですよ、というのが神さまサイドの見解でした。

 

 

 

しかし、いらした方の中で実際にそこまで明確に「正しい」と確信していらした方は、いらっしゃいませんでした。

 

 

 

「よくわからないけれど、来て話を聞いたら納得」、という方が大半でした。

 

 

 

 

 

今回の宇宙で神さまたちに対して問題になっているのは、エネルギーを増やすことでの進化はしてきたものの、自由を認めることがきちんと指導できてこなかったことで、歪みを多分に増やしてしまったということがあります。

 

 

 

あと、またやり直せばいい、という考え方です。

 

 

 

結果、それぞれに原因があって歪みが増えすぎ、この宇宙がどうにもならなくなってきてしまったわけです。

 

 

 

歪みが増えすぎるとなにが起こるかといえば、正しい進化をしなくなっていくということです。

 

 

 

停滞してしまい、歪んだエネルギーが増え続けてしまっては、これ以上の進化が見込めないため、私たちに対して出された課題も、そこから立て直しができる要素をもっている魂を選び出すことが、目的だったのかもしれません。

 

 

 

何度調べてもなかなか見つからないため引用が雑になりますが、大本神諭の中に「東の一の番頭のところに挨拶いけよ」ということが書かれているのを見つけたことがあります。

 

 

 

これが試験のことを指しており、東京の一(はじめ)の私のところに試験期間にいらした方は、全員ではありませんがそこから一つ縁ができています。

 

 

 

この縁というのが、非公開情報9にあったAさんのお話にでてくる「縁」です。

 

 

 

合格するとどうなるかといえば、この地球に残る可能性が高くなる、というところでしょうか。

 

 

 

その方の段階にもよるので一概にはいえませんが、境涯をあげやすくなる機会に恵まれる、ということになります。

 

 

 

その具体的な機会にたどり着けた方は、やはり全員ではありません。

 

 

 

上記の「縁」とも関係するお話ですので、次回はそのことについて書こうと思います。

 

 

 

 

 

その四

前回書いた「縁」についてです。

 

 

 

非公開情報9について、私の神さまからのお話を書いておきます。

 

 

 

 

 

非公開情報9では、Aさんという方が登場し、そのAさんが高い覚醒をすることで世界移動がおこり、縁のある人が引き上げられました、というお話が書かれていました。

 

 

 

 

 

このAさんについて、私の上位意識である神さまは、「不特定多数の総称」という言い方をします。

 

 

 

「こういう人が現れて、こういうことをすると、こういうことが起こるよ」という一種の例え話で、月読の大神からの恩寵としての情報だというのです。

 

 

 

そのため、すでに終わってしまった話ではなく、これから起こる事象を前もって教えてくれた、という意味だと私は解釈しました。

 

 

 

 

 

BBS上だったか忘れましたが、「Aさんと縁を持つことで、私たちは引き上げてもらえる」、という風に書かれていたと思います。

 

 

 

これから高い覚醒をするAさんとは誰か、そのAさんと縁を持つにはどうすればいいのか、それによってどういうことになるのか。

 

 

 

こうしたことがわからないと、この非公開情報9のAさんのお話は、はほぼ意味をなさない情報です。

 

 

 

しかし、この情報を目にしたとき、私はこのAさんに該当する人物に心当たりがあり、縁についてもどういう意味か分かりました。

 

 

 

 

 

ひろかねさんは、一度覚醒体験をされています。

 

 

 

それも、非常に高い覚醒体験であったことが、私の神さまから教えられていたことでした。

 

 

 

そのひろかねさんは、ご本人の上位意識から「計画があるから」ということで、あの時点でチャクラを閉じられています。

 

 

 

これは、計画に従ってまた開く予定がある、ということなので、現状カルマも解消されていることから、今度覚醒するときは一時的なものではなく、本格的な覚醒になる予定です。

 

 

 

これが前も書きましたが、二度目の岩戸開きのお話です。

 

 

 

ですから、よくわからない誰かを探したり考える必要はなく、ひろかねさんで間違いないという確信がありました。

 

 

 

 

 

次に「縁」です。

 

 

 

縁を持たなくてはいけない、と言われると、知り合いにならなくてはいけない、とか、過去生で関係があったんじゃないか、など、さまざまなことを考えますが、この場合の縁とは、生きる際の方向性のことです。

 

 

 

Aさんと縁がある、というのは、Aさんと同じ方向性をだして生きている、ということになります。

 

 

 

 

 

原因と結果の関係で考えるとわかるように、正しい取り組みをしないと、正しい結果はでません。

 

 

 

まちがった取り組みをして、正しい結果がでることはありません。

 

 

 

覚醒という結果がでたということは、覚醒できるなりの取り組みができていた、ということです。

 

 

 

さらに高い覚醒を果たした、ということは、より的確な取り組みがなされたからに他なりません。

 

 

 

 

 

その取り組み方を知り、学び、理解し、実践できたなら、私たちはAさんと方向性をよりしっかりと合わせることになり、縁はより強いものとなります。

 

 

 

そして、Aさんの覚醒するタイミングに合わせて、その取り組みの結果が現象化する、ということが非公開情報に書かれていた内容の私の解釈です。

 

 

 

 

 

Aさんをひろかねさんと考えた私は、ひろかねさんから教わってきたことがこの場合の縁そのものであるとわかりました。

 

 

 

ですので、教わったことを少しでも理解して実践できることが大事であると思い、日々過ごしています。

 

 

 

そして、皆さんにも縁をもっていただけるよう、ブログで情報発信をしてきました。

 

 

 

 

 

試験期間中であることは伝えられませんので、ほのめかす程度の内容ばかり続きましたが、それでも気づく方はなんとなく気づいてご来院くださっています。

 

 

 

上位意識ほど意味の無いことはしません。

 

 

 

「伝」も同じです。

 

 

 

読み返していただければ、キチンと働きかけがあったことがわかっていただけると思います。

 

 

 

それを軽く扱ったか、真剣に読み込もうとしたかで、結果はとんでもなく大きく変っていきます。

 

 

 

 

 

すこしそれますが、上位意識の指導を受ける際は、言葉をことさらに丁寧に受け取るようにしてください。

 

 

 

高い意識レベルの存在ほど、無駄なことはいいませんし些細なことに私たちから思えるようなことや、何気ない一言など、実はすべて意味があるということになります。

 

 

 

逆をいえば、意識レベルが低いほど、意味の無いこと、無駄なことを話したり動いたりしている、ともいえます。

 

 

 

「受ける際は」と書きましたが、実際は普段から心がけていないと、その時大事にすることはできません。

 

 

 

上位意識なのですから、自分より物がわかっている存在の発言の真意を、適当に聞いてわかるはずがないのです。

 

 

 

私もまだできていませんが、自覚できれば皆さんの今後の役に立つことだと思いますので、書き残しておきます。

 

 

 

 

 

ベストを尽くす、限界までやる、も同様です。

 

 

 

必要がなければ常にそうすることもないのですが、覚醒していない状態はカルマがある状態です。

 

 

 

もっと必死に生きてこないと、実は甘かった、ということを、これから自覚することになるかもしれません。

 

 

 

 

 

意識レベルを上げるには、方向性を出しながら上位意識を信じて集中して取り組めることを、なるべく多くやることです。

 

 

 

上位意識とのつながりが得られて、よりしっかりとしたインスピレーションを受け取りやすくなっていきます。

 

 

 

遊びやゲームで集中しやすいということもありますが、方向性をださないでふけっているだけだと、エゴが働かなかったとしても、実生活で役に立つような具体的成長につながることはないでしょう。

 

 

 

日常生活ひとつひとつを問題なく取り組めるようにしていくことです。

 

 

 

 

 

ずいぶん前にも書きましたが、意識レベルが上がるというのは、普通になっていくことです。

 

 

 

実生活の問題を少しでも減らして、普通に毎日過ごせるよう、いまできることをやるといいと思います。

 

 

 

思いと行動にズレがあるとウソがあるということになるので、大事だと思うことを素直に大事だと思って取り組めるかどうかもチェックしてみて下さい。

 

 

 

大事だと思えないのであれば、それは理屈でどこかおかしいところがあるのかもしれませんので、立ち止まって考えるポイントとなります。

 

 

 

わからなければ、聞きにいらしてください。

 

 

 

 

 

写真は、娘作「こいのぼり」だそうです。

 

 

 

 

 

その五

試験期間にご来院いただいた方で、ひろかねさんと電話でお話する機会を得た方たちがいらっしゃいました。

 

 

 

そうした方たちは、ご自身のエゴに気づく機会にもなり、カルマを解消するきっかけを得て、意識レベルの向上をそれぞれの段階で果たしています。

 

 

 

ひろかねさんとお話することで、境涯を上げるきっかけを得た方たちの中には、私の神さまとの確認で、今後チャクラがひらく可能性が出てきた方も複数いらっしゃいます。

 

                   

 

 

 

覚醒をしなくても、考え方を修正して意識レベルが上がる方もいますし、集合魂としてある一定の境涯まで到達するきっかけを得ているケースもあったり、方向性を少しは出せるようになったりするなど、それぞれに変化やその兆しがみられますので、今後どういう結果が現れるのか、非常に楽しみです。

 

 

 

 

 

私の指導は、ひろかねさんから教わったことをもとに、行っています。

 

 

 

先日BBSで、宇宙全史の講師は陰始の影響度が少ない、とも書かれていましたので、限られた期間であるならば、今できることとしてご来院いただくことは、意識レベルを上げるために非常に有効だと思います。

 

 

 

いまのところ、施術を受けにいらしていただき縁があれば、ひろかねさんとまだお話できるかもしれません。

 

 

 

どうするかはご自身で判断してください。

 

 

 

 

 

限られた期間に宇宙全体の境涯を2段階上げなくてはいけない、という状況で、歪んだエゴでカルマを増やし続けることは、いまこの時期には神様たちの取り組みに対してかなり迷惑な行いです。

 

 

 

一方、歪みを解消する取り組みを意識的にできていれば、神さまや全体と方向性が一致するため、今この時期にカルマ解消に取り組むのは、非常に効率がいいかもしれません。

 

 

 

ただ、現状で神さまの助けをあてにしている人は、この先大変だと思います。

 

 

 

自分の都合で考えるように助けてもらえるという発想は、おそらく通じなくなると思います。

 

(この事については、次回書くようにします。)

 

 

 

 

 

私自身、ひろかねさんとお話することで、境涯を上げていただいた経緯があります。

 

 

 

それは、ご指導いただいたこともそうですし、ひろかねさんから神さまへの質問に神さまが答えられないと、話ができる神さまに代わります。

 

 

 

つまり、より上の神さまが出てくることになります。

 

 

 

神さまも計画があってひろかねさんと関わるため、なにかしらの思惑があるようですが、私のレベルが低いままだと、取次役の仕事が果たせません。

 

 

 

そのため私自身、なんども回線工事のようなことをされていたようです。

 

 

 

その繰り返しもあって、役目を果たすことで境涯を同時に上げてもらっていたようでした。

 

 

 

 

 

境涯が上がることで、つながる私の神さまも変わっていきました。

 

 

 

最初はよくわかりませんでしたが、徐々に白ベースの神さまから黒もまじった神さまに変わっていき、最終的には実存を越えたところの神さまということになっています。

 

 

 

 

 

この宇宙は、実存より上の根源からでてきた複数の神さまたちが、実存以下の世界を指導しているのだそうです。

 

 

 

神さまのお話では、皆さんご存知の月読の大神も、ここに含まれるそうです。

 

 

 

 

 

ここまで思いつくまま書いているので、内容が時系列になっていないところもありわかりづらいかもしれませんが、ご容赦ください。

 

 

 

今後も、こんな感じで取り急ぎ書き上げていきます。

 

 

 

 

 

閲覧者数が倍増しているので、興味を持って読んでくださっている方がいるようですね。

 

 

 

危機感をあおって予約を増やそうとする悪どい人に見えているかもしれませんが、ウソを書いているつもりはありませんし、結果をみて実際にここに書いている通りになれば事実を告げていただけの事となります。

 

 

 

しかし、「結果が出てからでは遅すぎる」と、ひろかねさんがBBSで書いたように、実際にそのようになる場合、結果を見届けてから判断するような悠長なことをしている時間はありません。

 

 

 

判断がつかないものを無理に信じて下さいとは言いません。

 

 

 

いらした方にお伝えしている取り組み自体は、特別なことを推奨するようなものではありませんし、むしろエゴが興味を示さないような地道なことだったりします。

 

 

 

しかし、これまで来ていただいてお伝えしたことを信じて取り組んでくださった方の意識レベルが上がったと思われるケースはそれなりにあるとおもっていますので、万が一書いた状況と異なる結果になるとしても、あとで無駄になったり損をするものではないことをお伝えしているつもりです。

 

 

 

自分の人生ですので、後悔なく生きていただきたいですし、そのためには自分で判断しなくてはいけません。

 

 

 

後悔のない生き方を皆さんにも自分自身にも望む者として、ここに書いたことを一度は真剣に読み、真剣に考え、納得いくまで考え、自分なりの後悔のない判断をしていただきたいと思います。

 

 

 

予約が今後急速に埋まる可能性がありますので、ご自身の判断で必要だと思えば早めにご予約を入れていただくといいと思います。

 

 

 

次回更新は明日を予定していますので、お楽しみに!

 

 

 

 

      

写真は、息子作「鬼太郎」です。

 

 

 

 

 

その六

上位意識の視点がわからないと、納得いかないことがあります。

 

 

 

神さまを聖人の延長のようにとらえていると、

 

 

 

「なるべく多くの人間を生き残らせることが重要と神(上位意識たち)は考えているに違いない」

 

 

 

と、勝手な都合と思い込みで考えるかもしれません。

 

 

 

 

 

しかし、私がひろかねさんから教えられた神さまたち(主に実存より上の神々)の感じでは、人がたくさん死ぬかどうかはあまり問題視していないようです。

 

 

 

なぜなら、

 

・魂は永遠だから、肉体が無くなっても状態が変わるだけ

 

・死ぬと消滅すると思っているのは、エゴが勝手にそう思っているにすぎない

 

・実際に死んだら意識が残ることがわかるから、全体で歪みが増すのでなければとりあえずOK

 

という風に考えているようだからです。

 

 

 

 

 

現在は23日からの計画の変更に伴い、実存とその下のクラスの上位意識の存在たちは非常に危機感をもって、それぞれのなすべきことに取り組んでいるはずです。

 

(※「実存レベルの神」と「実存より上の神」は、段階がちがいます。混同しないよう、ご注意ください。実存よりさらに下に、オーム宇宙レベルの段階、もっと下に地球霊界があり、通常はその世界の守護霊さん・守護神さんがエゴの私たちを指導しています。)

 

 

 

 

 

「世の中が大変になるといっても、自分になにかあれば、神さまが助けてくれる」

 

 

 

そう思い込んでいる方もいるかもしれませんが、なにもしないままそれを期待するのは甘いと思います。

 

 

 

今回の計画変更によって生じた今の状況は、おそらく神々であっても過去に経験したことがない事態です。

 

 

 

ですから、これまで私たちを指導してきた守護霊や守護神とよばれる神さまたちも、いまは能力を目いっぱい使った取り組みをせざるを得ず、余裕がないはずで

す。

 

 

 

依存心がつよく、大して真剣に取り組んでもいないエゴを助けるために、神自らの存続がかかった限られた時間を減らしてまで、わざわざ助けてくれるでしょうか。

 

 

 

 

 

けっこう前にも書いたような気がしますが、神に限らず、みんな自分のことが手一杯の状況で、周りを気遣える余裕のある人は、ほとんどいないと考えるのが普通ではないでしょうか。

 

 

 

 

  

全体として歪みを減らさないと、今出されているレベルアップの課題をクリアすることはできません。

 

 

 

歪みを解消する方向で取り組んでいればいいのですが、解消しようとしないエゴは、むしろ新たな歪みをつくり続けます。

 

 

 

時間がたっぷりあればいいのですが、短期で結果を出さなくてはいけないのであれば、そういう段階のエゴが残っているとかえって全体に実害をもたらします。

 

 

 

助けるよりは、負荷をかけて解消しながらけじめをつけさせる、そういう選択をその方の上位意識はするかもしれません。

 

 

 

正しい方向性を見出そうとせず、エゴを薄くできていないと、そういう可能性があります。

 

 

 

 

 

古くからいろいろな宗教などで、私たちは神の子である、とか、分霊である、など、神と関連付けてその本性らしきものが語られてきました。

 

 

 

今回、そのことをよく理解して実践することが、求められています。

 

 

 

この地球に残るには、それができないと難しいでしょう。

 

 

 

そのこととは、これまでもお伝えしてきた、

 

 

 

『自らが運命の創造主である』

 

 

 

ということです。

 

 

 

 

 

「自分の運命を自分で作っているのだから、いい加減、自分のことくらい自分でなんとかできるようになれよ」

 

 

 

というメッセージが、今のこの状況に込められているようにも思えます。

 

 

 

自らの可能性を知り、それを信じて実践し、やり切った時、おそらく今回の大きな正念場をそれぞれが乗り越えていくことになります。

 

 

 

(今後の地球の意味については、また次回かそれ以降で書きたいと思います)

 

 

 

 

 

写真の絵に描かれているカワセミは、息子の通学路近くを流れる川でみかけたものです。 

 

 

 

 

 

その七

昨日だとおもうのですが、宇宙全史の講師欄から私の名前が削除されたので、宇宙全史に関して私は一読者としての立場でお話を進めることになります。

 

 

 

 

 

ひろかねさんと神さまのやりとりでみえてきた地球の今後についてです。

 

 

 

これは、「ひろかねさんがオーム宇宙のトップ」といわれた頃に得られた情報です。

 

 

 

今回の大変革で、私たちは大きくわけて3つの選択肢に振り分けられることになります。

 

①ユートピア

 

②ディセンション

 

③宇宙の進化の最前線としての地球

 

 

 

 

 

宇宙全史別巻に書かれていた内容を踏まえて考えると、③の一つ選択肢が増えただけのように見えますが、実は②のディセンション以外は、大きく内容が異なります。

 

 

 

②のディセンションは、今よりはるかに生きづらい世界への移行です。

 

 

 

次に①のユートピアですが、別巻に書かれていたユートピアと呼ばれる環境は変わりませんが、それはこの地球ではなく、他の星になるようです。

 

 

 

そして、③の宇宙の進化の最前線としての地球というのは、これまでのクズの集まりと呼ばれる状況から一変し、この宇宙で進化の先駆けや向上心のつよい存在たちが、進化の最終地点に到達するための最後の場所として集まってくる、そんな星になるそうです。

 

 

 

とてもレベルが高い場所、という事になります。

 

 

 

ですので、今までの地球とは境涯が違いすぎるため、地球がその境涯に達すると、これまでのように地球にとどまり続けることは困難になる人が続出します。

 

 

 

 

 

神さまの話では、地球に残れる可能性がある人の数は現状全人口の1割あるかないかほどで、今後の展開によってはもう少し増えるかしれない、とのことでした。

 

 

 

この地球に残れる人の条件は、

 

・レベルが低くても、今をよりよく生きることで、境涯を上げていける人

 

・正しい方向性を出せて取り組めている人

 

・神さまや上位意識、見えない世界を信じられる人

 

これがすべてではありませんが、こうしたことが挙げられます。

 

 

 

 

 

次回は、なぜ③のような場所に地球がなったのか、ということを書きたいと思います。

 

 

 

 

その八

地球が③のような場所になった理由についてです。

 

 

 

この宇宙で一番いい場所になったということですが、その理由はひろかねさんの取り組みの結果です。

 

 

 

 

 

ひろかねさんが一度覚醒を果たした時、実存を見る、という体験をされています。

 

 

 

今回私は初めて知ったのは、私たち進化成長を求める魂のこの宇宙(実存より下の世界)の最終到達レベルは、この「実存を見る」だそうです。

 

 

 

今回ひろかねさんが結果をだしたことで、実存を見るための取り組み方ができあがりました。(その方法はこれまでブログでお伝えしてきたことなどです。)

 

 

 

この宇宙の最終到達地点に行く方法が地球にあるため、これからはこの宇宙で一番実存に近いところとして、宇宙のあちこちから意識レベルの高い存在たちが進化の集大成を目指し集まってくることになるそうです。

 

 

 

そのため、地球はとてもレベルが高いところになるため、よりよくという方向性を出して成長を志していない存在は、地球には残れなくなるということになります。

 

 

 

 

 

ここでポイントは、多少意識レベルが低くても、残れる可能性はあるという点です。

 

 

 

よりよくという方向性さえ出せていれば、転生を繰り返しながらいつかはゴールに到達できます。

 

 

 

しかし、例えレベルが高くても、現状維持に囚われていてはゴールすることができません。

 

 

 

方向性をだすことの理解が、すこし深まるでしょうか。

 

 

 

 

 

そこに至る過程として、ひろかねさんは私のように上位意識とのわかりやすいコミュニケーションがとれない状態で、自分の判断と手探りでの取り組みを続けてきました。

 

 

 

霊感的なものがない一般の人と同じ、といういい方をしたほうが分かりやすいでしょうか。

 

 

 

通常の私たちよりもかなり厳しくチャクラに蓋をされていたようで、エゴをくすぐるような特殊な体験や、きれいなビジョンが見えたり、言葉が聞こえたり、といったことはほぼなく、自分で考えて正しい判断を繰り返していかないと潰れてしまう環境で、ラッキーや恩寵のようなものは期待できない人生だったそうです。

 

 

 

 

 

自分の幸せをあきらめないで求め続けた生き方であり、正しい方向に進むために正しい理屈でものごとを考えることで、これまで過ごしてきています。

 

 

 

負荷をかけ続けられても歪まない、このことが神さまたちからすると、その人の境涯を確認する一つの指標になっているようだ、ということがわかってきました。

 

 

 

 

 

すこしそれますが、今回私は講師欄から削除されたことで動揺されている方もいますが、これも同じです。

 

 

 

こういった気持ちが揺れ動くようなことが起きたとき、私たちの上位意識は平常心を保てるかどうかで私たちの成長度合いや境涯をチェックし、判断材料にしていくのだと思います。

 

 

 

なんの判断材料かといえば、チャクラを開くかどうか、です。

 

 

 

 

 

そして、仮にチャクラをある段階まで開くことがあっても、この現象界は可能性の世界であるため、歪みを増やすことや上位意識の計画を邪魔するようなことをすると、チャクラは閉じられ意識レベルが下がることは普通に起こりうることです。

 

 

 

エゴの整理がキチンとできていないままチャクラが開くと、間違った判断をすることもあります。

 

 

 

チャクラがひらいていることで通常よりエネルギーが多いのですが、その状態でまちがったことをした場合、通常以上の歪みをつくることになるため、かえっておかしくなる可能性があります。

 

 

 

ですから、チャクラが開く可能性があると分かっている方は、開くまでにできるだけエゴを薄くする、歪んだ思いこみを改善する、そういったことをしておくといいですし、エゴの整理ができているほど、開いた時の意識レベルの上昇率は高くなるそうです。

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

 

 

負荷をかけ続けられても歪まないことで、ひろかねさんの境涯は上がっていきました。

 

 

 

どんなときでも通用する理屈で考えられるようになることで、実存を見る境涯にまで達したのでした。

 

 

 

この宇宙は二元性の宇宙といわれることがありますが、性質を大きく分けると白と黒という特性がエゴにもあります。

 

 

 

それを上手に使い分けて、ほぼエゴの自力で二元性を越えて実存に至ることを成し遂げることにより、誰でもできる、ということを実証したことになるのでした。

 

 

  

・よりよく生きる方向性を出す

 

・エゴを薄くしてカルマを減らす

 

・上位意識と繋がることで、より正しい判断をできるようにしていく

 

・否定を減らすことで全肯定を目指す

 

 

 

みなと同じエゴの状態で、このような取り組みや考え方を使って結果を出した時点で、だれでもできるやり方を確立したことになります。

 

 

 

おそらく集合意識にもその体験をとおした情報は届いているため、それぞれのレベルに応じて、ひろかねさんの取り組みや考え方の断片を気づきとして得る方も増えると思います。

 

 

 

このようにして、二元性を越えて実存をみる方法がこの地球にはある、ということになったため、最終的な進化の場所として地球はなったのでした。

 

 

 

 

 

最近の更新について

最近ひろかねさんを持ち上げるようなことを書きまくっていますが、ひろかねさんに関することを書くのは、いまに始まったことではありません。

 

 

 

これまでは私の上位意識から制限されていたため、名前は出さないものの、内容はひろかねさんから教わったものを書いてきています。

 

 

 

ひろかねさんと直接お話をされたことがある方は、書かれた文章とは違う印象を持たれたかもしれませんが、お話されたことの無い方でこれまで私のブログを読んで納得されていた方でも、BBSのひろかねさんの文章をみると途端に判断がつかなくなって不安になった方がいるようです。

 

 

 

まずは落ち着いた状態で自分なりに読み返して考えてみて下さい。

 

 

 

軽くパニックになり、自分を見失った状態で慌てて人の話を聞いてしまうと、判断がつかない状態ですので鵜呑みにしてしまい、ますます正しい判断ができなくなります。

 

 

 

依存体質の方は特にそうです。

 

 

 

鵜呑みにした話が正しければ問題ありませんが、エゴで答えたものは思い込みが混ざっているため、ある程度その内容を考えて聞く必要があります。 

 

 

 

間違った部分を信じてしまうと、間違った方向に進みます。

 

 

 

自分なりの答えを出してから尋ねるようにすると、それと比較しながら整理できるため、自分なりの判断力が養われますし、その後の自分の力となって「(より)正しい」がわかるようになります。

 

 

 

自分で考えて自分で決める、それが自分を生きていることになりますし、自分の幸せのためには欠かせない取り組みではないでしょうか。

 

 

 

こうしたことひとつひとつの判断が、自分のこれからの運命をつくっていきます。

 

 

 

「正しいものが正しいとわかるかどうか」と書きましたが、これは今後の自分の運命を決めていく際の大事な指標でもあります。

 

 

 

力をつけてしっかりと生きていけるよう、こうした機会を無駄にしないで大事に活用していただくといいと思います。

 

 

 

 

 

明日と明後日は勉強会参加のため時間がないこともあり、ブログの更新は来週を予定しています。

 

 

 

一週間、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

その九

今回は少し話の流れがちがうかもしれませんが、関係があることなので、「その~」シリーズの流れの中で掲載しておきます。

 

(短くまとめたものに書き足したところ、かえって長くなりました。読みづらかったら、すいません。)

 

 

 

 

 

まず質問ですが、完璧に正しい人や物事を見たことがあるでしょうか?

 

 

 

そして、あなたの判断が絶対正しいと言えるでしょうか。

 

 

 

 

 

エゴの事がわかってくると、それはおかしい、ということがわかってきます。

 

 

 

 

 

覚醒したとしても、エゴは残ります。

 

 

 

エゴが残っているということは、思い込みが残っているということであるため、覚醒したとしても完璧ではないのです。

 

(逆をいえば、その思い込みの度合いによって、覚醒の段階も変わってきます。)

 

 

 

私たちは、まだ完璧を知りません。

 

 

 

ですから、こっちが絶対正しい、あっちが絶対間違っている、という判断を、まだ覚醒すらしていない低い段階の私たちでは、することが出来ないのです。

 

 

 

 

 

しかし、より正しい、より間違いが少ない、そういった判断はできます。

 

 

 

私たちが信じて「より間違いのないもの」は、エゴの判断で話す内容よりは真理や正しい理屈であり、それをキチンと話せる人を通して、そのことを学ぶことで、歪みを減らしていくことができます。

 

 

 

同情というのは、真理や道理よりもエゴの価値観を優先することですが、「誰を」信じるというのは、同情にあたります。

 

 

 

その人の正しい理屈を信じるのであれば大丈夫ですが、「誰」を信じすぎて、その「誰」が間違ったことを言いだしたときに気づかないと、同情に引きずられていきます。

 

 

 

みなさんはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

私を信じるとか疑うというのは、みなさん自由があるので好きにやっていただいて構いません。

 

 

 

 

現在、私はエゴ主体で生きている状態ですので、そのレベルに応じた内容で発言したりブログを書いたりしています。

 

 

 

間違えることは普通にありますし、最終的なゴールに到達しない限りは、いつでも転落する可能性もあります。

 

 

 

ですので、大事なことや正しいことが少しでも自分で判断できるように、学びを深めてください。

 

 

 

そこがわからないと、大事な局面で判断を誤ることになります。

 

 

 

今回はかなり重要な局面だと感じているのですが、エゴのチェックをして、憑依されているかどうか考えてみるといいと思います。

 

 

 

判断がつかない方は非常に困ると思うのですが、力をつける機会にもなりますので、簡単にあきらめずに自分なりの答えを出すようにしてください。

 

 

 

 

 

エゴの特性として、影響を受けやすい、ということがあります。

 

 

 

どんな影響を私が受けているのか考えるには、直接お話をするか、私のブログを読んで考えることになると思います。

 

 

 

ブログには、すっごいいいことがけっこう書いてあると思うんですけどね。

 

 

 

間違ったことやおかしなことがはっきりわかれば、考える皆さんも苦労しないと思うのですが、果たしてどうでしょうか。

 

 

 

 

 

判断できる力を磨くうえでとても大事な取り組みは、何度も書いてきたように、エゴのチェックです。

 

 

 

自分の発言も人の発言も、よく考えることでエゴの歪みに気づきやすくなっていきます。

 

 

 

エゴの歪みに気づけると、どの程度のカルマが返ってくるかがわかるようになってきますし、それを少しでも自覚できていれば、平常心を保って対処することもできます。

 

 

 

ただし、そうはいっても私たちはエゴという不完全な状態なので、カルマの具体的な内容や細かな点までは、まずわかりません。

 

 

 

 

 

人を信じてもいいのですが、出す方向性が「今をよりよく」であるなら、正しい道理で話ができる人を信じるといいでしょう。

 

 

 

そのうえで、見えない世界の話を聞いた時、そのことも理屈で正しいかどうか考えられるようになっていきます。

 

 

 

順序が変わると、そうはいきません。

 

 

 

 

 

ひろかねさんに関して、今でこそ艮の金神や宇宙のトップという話が出ていますが、最初からそういう話ではありませんでしたし、むしろ、ひろかねさんからそういうことを自己主張する形で聞くこともありませんでした。

 

 

 

私に対しては、実生活のなかで地道にしっかり生きてきた経験に基づいたお話を、なんどもなんども懇切丁寧にしてくださったのです。

 

 

 

妻のカルマの解消も実際にしていただいたことがあり、説明を聞いてその当たり前の理屈に驚く一方、妻はそこから大きく変っていったのが実感できたので、結果をしっかりだせる考え方である納得できました。

 

 

 

教えてくださることは実生活でキチンと使える内容ですし、難しい理屈や五井先生のお祈りの意味など、子供でも分かるのではないかと思えるくらい、わかりやすく簡単な言葉で話してくれたこともあります。

 

 

 

 

 

BBSでの書き込みは、そのあまりにシンプル過ぎる表現の連続に、理解が追い付いていないだけの方が相当数といいますか、全員の方が気づいていないのではないかと思います。

 

 

 

あそこに書かれているものは、エゴをあぶりだして立ち位置を明確にするための内容と、皆さんの進化成長に欠かせない真理や道理、この二つで主に書かれています。

 

 

 

あの時に結果として、全肯定と全否定に方向性がわかれ、今回それがさらにはっきりしたことになります。

 

 

 

私は五井先生のことが好きですし、全肯定を目指していきたいと思いますので、これからもその内容をお伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

ひろかねさんの書いた内容の意味に気付けば、気づいた方はおそらく真っ先にうちに来て、その内容をご自身の口で語り質問もしてくると思うのですが、実際はそうした方はいらっしゃらず、こちらから説明をすることで、徐々に納得してくださった方が多いです。

 

 

 

私も足りないところがありますし、聞く側の自由がまずはありますので、もちろんそういう方ばかりではありません。

 

 

  

それでも、思い込みをおさえ、冷静に話を聞いてくださった方も多数いらっしゃいましたので、そういった方たちがよりよく成長なさっていき、それぞれに納得のいく結果がでるといいですね。

 

 

 

 

 

ひろかねさんは、つよくしんをもった生き方で負荷の多い人生を送ってきた方なので、いろんな人に幅広く対応できる能力の高さがある方だと思います。

 

 

 

ですので、通常私たちであれば苦手意識を持つような強い意思表示で相手の態度をはっきりさせるやりとりも、ためらうことなくできてしまう方です。

 

 

 

話を直接された方は、質問に対するその明快な答えに、皆さん納得されているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

特別視を刺激するかのような一連の内容の大半は、私の神さまとの確認する話からわかったことで、徐々に明らかになっていった経緯があります。

 

 

 

ですので、私はひろかねさんの話を信じられるのですが、過去のブログをよく理解しないまま、今回の一連のお話を初めて見た方がいた場合、よくわからなくなることもわかります。

 

 

 

 

 

しかし、わかっているのになぜ書くかといえば、こうした特別視をあおるかのような内容を書き続けていることにはきちんと意味があり、エゴの誇示ではなく、上位の神さまの計画を早く現象化させるために働きかけていることなのです。

 

 

 

特別視しそうなことに惑わされず、冷静に大事なことを見極められたなら、ぶれることなく自分のやるべきことにすぐに立ち返ることが出来ますし、思い込みがあることで判断がつかず惑わされてしまえば、腹を立てたり悲しんだり、ひどい場合には憎しみをもって新たな道筋に足を踏み入れていくことになります。

 

 

 

そうしたこと一つ一つがそれぞれの方向に進むことで、立ち位置や方向性がはっきりするため、なにもしないで流れに任せるだけよりは、はるかに早く振り分けが進みます。

 

 

 

 

 

現状、皆さんそれぞれの方向性を表明しだしているため、態度がはっきりしてきた分、振り分けも大きく動き出しているようです。

 

 

 

方向性がそれぞれまったく違う流れになったことで、今後はそれぞれに起こる事象もはっきりしてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

自分で判断ができないうちは、そのことを素直に認めることです。

 

 

 

しかし、判断ができないにもかかわらず、できる気になるのが私たちエゴの特徴です。

 

 

 

その特徴が、今回のような時に致命的な結果をもたらす可能性があるため、今回はそのことを書いておこうと思いました。

 

 

 

まとめていたらかなり長くなったので、次回に続きます。

  

 

 

 

 

その十

確認ができないものを引き合いに出されても、それが本当に正しいかは、エゴの私たちにはなかなか判断がつきません。

 

 

 

見えない世界のことなどでよくわからない場合、慌てて判断するのではなく、自分のレベルも踏まえながら物事の確認をして考えていただく方が、より納得のいく答えを自分で出せると思います。

 

 

 

わからないものを「わからない」と自覚できたならいいのですが、よくわからない場合は、わかるようになるまでは無理に結論をださないことです。

 

 

 

 

 

私は、神さまとのやりとりを通して、神さまでも完璧ではない、ということを感じています。

 

 

 

神さまでさえそうなのですから、エゴの私たちであれば尚更です。

 

 

 

だから、正しいことが少しでもわかるよう、学び、経験して理解を深めることが大事になります。

 

 

 

 

 

通常、自分よりものごとがわかる存在がなにを考えているのか、明確にはわかりません。

 

 

 

 

 

境涯の差が広ければ広いほど、わからないことは増えます。

 

 

 

 

 

上位意識がなぜ自分より上かといえば、自分より正しいことがわかるからです。

 

 

 

 

 

しかし、思い込みで誤った判断をした場合、上位意識の考え方を否定してしまうこともあります。

 

 

 

 

 

正しいものを間違っていると判断してしまう、ということです。

 

 

 

 

 

これを、真理を曲げる、といいます。

 

 

 

真理が曲がるとどうなるかといえば、宇宙が正しく進化しなくなります。

 

 

  

宇宙が進化していくためには、これは絶対やってはいけないことです。

 

 

 

私たちは、上位意識と気づかずにとんでもないことをやってしまう可能性が多分にあることを、心得ておかなくてはいけません。

 

 

 

また、誰かが誤った判断で真理を曲げるようなことをした場合、それを他の誰かが正当化・肯定・賛同などすると、その方もそのことに手を貸した、助長して宇宙をさらに歪めたとなって、大きなカルマを負うことになります。

 

 

 

見えない世界のことは非常にわかりづらいため、わからないと思えば、無理にそこは踏み込まないことも大事である、ということがわかっていただけるでしょうか。

 

 

 

しかし、今回は大改革が時間制限を設けて行われており、全体として大きく動く時には、どちらを選ぶのか決めなくてはいけないこともあります。

 

 

 

決めなければ、自分がないために上位意識や自分より力のある存在たちの都合で、カルマ解消に利用されることになります。

 

 

 

切羽詰まってくると、例え十分な判断力がないとしても、言い訳無用で判断力が無いなりに決断しなくてはならず、力不足な人ほど誤った判断をする可能性が高いことは、お分かり頂けると思います。

 

 

 

ですので、日頃から地道に正しい知識や考え方を取り入れ、自分の判断力を養う取り組みを続けてこないと、いざという時に困ることになります。

 

 

 

 

 

私がひろかねさんから教わったことは、いま私が知りうる限りの中で一番正しいことだと思っています。

 

 

 

ひろかねさんも仰いますが、もっといいものがあれば、その時はそれを学んで臨機応変に取り入れたらいいと思います。

 

 

 

 

  

改めて、同情と非情について

「その~」はまた書きますが、今回は同情と非情についてです。

 

 

 

以前書いたこともありますが、これからますます大事なことになると思いますので、改めて触れておこうと思います。

 

 

 

 

 

情とは

 

・親しくなりたい気持ち

 

              

 

同情とは

 

・歪みの多いものを優先すること

 

・エゴの価値観や判断を優先すること

 

・下位意識の判断を優先すること

 

・「誰を」を信じること

 

 

 

非情とは

 

・歪みの少ないものを優先すること

 

・正しい理屈を優先すること

 

・上位意識の判断を優先すること

 

・「何を」を信じること

 

 

 

このように考えていただくと、多少整理がつくのではないかと思います。

 

 

 

 

 

誰かを信じたい、大事にしたい、という情の働きがあります。

 

 

 

なにかあったとき、無条件で誰かを擁護しようとすれば、情が働いていると感じると思います。

 

 

 

普段の生活で情が働くことはよくありますが、カルマ解消につながるような問題解決や、意識レベルを上げるためにエゴを薄くすることなどでは、正しい理屈でものを考えなくては正しい解決や改善につながっていきません。

 

 

 

エゴのやることは、どこか間違えたり足りなかったりするものですので、順序としてエゴの判断よりも正しい理屈を優先していかないと、結果的に歪みが生じる可能性が非常に高いのです。

 

 

 

ですから、自分より物がわかる人に相談する、ということをします。

 

 

 

エゴを優先した場合、うまくいかないし、仮にその時うまくいっても、歪みを含んだ解決ではあとでぶり返したり、長続きせずに違う形でやり直すことになります。

 

 

 

 

 

自分の幸せのために真剣に生きるのであれば、成長することによって問題を減らし、少しでも気分よく生きられるように取り組むことが大事です。

 

 

 

おかしな考え方や思いなどを良くしていくには、正しい理屈を少しでも知り、理解し、実践することです。

 

 

 

その時にできる精いっぱいをしようとしても、エゴを優先しているうちは、歪みを本気でとる気がない、ということになります。

 

 

 

ベストを尽くしていることにもなりません。

 

 

 

つまり、真剣に生きているとはいえません。

 

 

 

 

 

信頼できる人であっても、どこか間違えることがあるので、真剣に生きようと思ったら、正しい理屈を見ていかなくてはいけないのです。

 

 

 

エゴは完璧ではありませんが、正しいことやいいことがまったくないわけではないので、大なり小なり考え方や行動には含まれています。

 

 

 

ですから、目を向けるべきはそうした断片的な真実や大事なことになります。

 

 

 

「誰」を優先しすぎて全部まるまる信じ込んでしまうと、あちこちに紛れ込んでい

る歪んだものまで信じてしまい、まちがった方向に進んでしまいます。

 

 

 

頭をつかってよく考え、信じる「誰」の発言や書いたもののどこに、自分を正しく成長させてくれる「何」があるのか、それを見つけることが、私たちの学びの取り組み方です。

 

 

 

 

 

「誰」を信じていても、その相手のエゴが働く限りは、気が付かないうちに道を踏み外しているかもしれません。

 

 

 

この世界が常に動いているということは、完璧ではないということであり、可能性を常に秘めている世界ということになります。

 

 

 

最終ゴールに到達するまでは、その一歩手前であったとしても、転落する可能性が常にあるのです。

 

 

 

 

 

覚醒したとしてもエゴが残るので、エゴの整理というのはできる限りしっかりやっておかなくてはいけません。

 

 

 

頑張った分だけ、チャクラが開いた時の伸び率は高くなります。

 

 

 

一方、歪みのある思い込みが残っていると、エゴよりは判断ミスが少ないかもしれませんが、エネルギーがある分影響力も高くなるため、その思い込みのせいで気づかずに間違ったことをしてしまった場合、因果応報で返ってくる負荷は大きなものになります。

 

 

 

エゴを磨いて意識レベルを上げる際のコツは、負荷をかけられてもひねくれない、あきらめない、ということ。

 

 

 

真剣に考えて生きることで、歪みは減らしていくことが出来ます。

 

 

 

真剣に生きるとは、先ほども書いた正しい理屈を優先していく、ということです。

 

 

  

 

ただ、馬鹿正直な私みたいに融通が利かせづらいタイプですと、なんでもかんでもそうなってしまい、理屈っぽいめんどくさい人、ということで周りとうまくいかなくなります。

 

 

 

以前は妻から、「屁理屈はいいから早くやれ」というプレッシャーを何度もかけられていました。

 

 

 

なにを優先するかは、その時々で考えて使い分けることも大事です。

 

 

 

身近な人のエゴが納得していた方がうまくいく場合がある、ということもありますので、お互いの自由を奪わないよう、そして歪めないように、日常生活で考えて使い分けていくといいと思います。

 

 

 

自由を認める、ということの難しさは、まだいまだにできていないこともありますので、私も実践しながら勉強しています。

 

 

 

そういう人間を無条件に信じるような馬鹿なことをしてもらいたくありませんので、今回は改めて書いておきました。

 

 

 

私や誰かを信じるのであれば、正しい理屈を最優先にしたうえでにして下さい。

 

 

 

ここ3カ月ほどの変化の時期のお話をするにあたり、その根拠となる流れをお伝えする意味で「その~」は書いています。

 

 

 

確認のとれない特別なお話が盛り込まれていますが、やたらめったら鵜呑みにする必要はなく、よくわからなければ結果がでたときに納得すればいいことです。

 

 

 

ただ、見えない世界の全体像を、より正しく知ることができれば、上位意識の考え方も少しずつ理解できるようになり、考え方の修正もより正確にできるようになっていくはずです。

 

 

 

 

 

あまり考えずに生きていると、ニュースなどの情報で不安に感じさせるものを見たとき、それを考えていても解決するわけではないのに、そればかりついつい考えてしまいます。

 

 

 

そして、腹をたてたり、落ち込んだり、そうこうしているうち、大事な時間は大事なことに使われることなく、過ぎ去ってしまうのです。

 

 

 

「一度に一つ」ですので、真剣に生きることにつながるようなものでなければ、気持ちの切り替えを心がけて、やるべきことに集注していくことが大事なのです。

 

 

 

やるべきは、自分の意識レベルが上がるような、目の前の事です。

 

 

 

心がざわつく、かたくなになる、否定的な思いにとらわれる、そういったことを減らしていくことです。

 

 

 

 

 

目の前にいる家族、会社の同僚、親しい友人、よく顔を合わすご近所さんなど、日常生活でかかわる人たちや身に起こる様々な物事。

 

 

 

そういった関わりの中で生じる気持ちの揺れ動きをヒントに、自分の中の思い込みのへんなところを探し出し、誰が聞いても納得できる考え方などに変えていくことが、私たちが日々取り組むべきこと、と私が書いていることです。

 

 

 

 

 

同情が働くことが悪いことではありませんし、非情さを打ち出しすぎて自分が生きづらくなるのも問題です。

 

 

 

正論説いて嫌われる、自分はどうかと聞かれたらできていない、それで反省しないで自暴自棄になる、ではちょっとね、となりますよね。

 

 

 

上手に使い分けて、気分よく成長できるようになっていっていただけるといいと思います。

 

 

 

 

 

最後に、皆さんの今後の取り組みの目標についてですが、「覚醒」というものを明確に意識していく必要性を感じています。

 

 

 

現状のレベルではかなり無理がある、というケースもあるかもしれませんが、追い風が吹いているいまがんばることができれば、可能性はあるようです。

 

 

方向性として究極的には「実存を見る」ですが、意識レベルを上げる、よりよく生きる、だけでは取り組みの真剣さも曖昧な分薄くなりがちだと思いますので、明確な目標として持てる方は、そのようにしていただくといいと思います。

 

 

 

 

 

 

「悪口は自己紹介」

「悪口は自己紹介」というような言葉を、以前患者さんから教えていただいたことがありました。

 

 

 

悪口の対象を、話している人に置き換えてみてみると、話している人のエゴのチェックができることがあります。

 

 

 

誰でもいいのですが、やはり自分の成長につなげる取り組みとしてやるならば、自分の言動をチェックするのが一番いいですね。

 

 

 

自分が批判めいたことを話した時などは、自身の言動を振り返ってみると、案外自分でそれまで気づいてこなかったエゴにも気づけ、エゴを薄くすることができるかもしれません。

 

 

 

エゴのチェック自体は、常日頃から批判に限らず行うといいものとしてお伝えしてあるのですが、歪みが出やすいという点で、わかりやすいと思います。

 

 

 

上位意識は直接この世界に干渉しないため、そういう中にその人の現状を織り交ぜたり、エゴを指摘する内容を含ませたりしています。

 

 

 

鏡の法則ではありませんが、相手を見て自らを正すことも、エゴを薄くする基本的な取り組みとなります。

 

 

 

誰かを許せなかったり、腹立たしく思うような感情の揺れ動きがある方は、この大事な時期に取り組める具体的なことになりますので、そのあたりを意識してぜひチェックしてみてください。

 

 

 

最近何度か書いたのでわかると思いますが、人のことを気にしている暇はありません。

 

 

 

自分のことを何よりも最優先にしてがんばりましょう。

 



 

 

肯定と否定について

ここでよく使う「肯定」と「否定」についてです。

 

 

これはときどき書いていたと思うのですが、主に「存在する」ということについて使っています。

 

 

 

存在を認める「肯定」、存在を認めない「否定」。

 

 

 

言葉は不完全なエゴが使うため、やはり不完全な表現となります。

 

 

 

前後の流れや使われる状況によって、その意味は変わることもありますので、ここではどういう意味で使われているのだろうか、ということを考えながら読んでいただくと、より真意が伝わりやすいと思います。

 

 

 

全肯定と全否定ということも、最近言葉として何度か使ってきています。

 

 

 

全肯定の場合、存在するものをすべて認めることにより、よりよく生きるために有るものを上手に使うという考え方ができます。

 

 

 

一方、全否定ですと、エゴのやることは全部間違っているという言い方もできるね、と以前話してもらったことがありますが、その他に考えてみると、「滅びたい・滅ぼしたい」が全否定といえるのではないでしょうか。

 

 

 

嫌い、違う、ダメ、といった言葉は否定として扱われることが多いものですが、ここでいう否定とは異なります。

 

 

 

自由を認める場合、嫌なことをしていて自由に生きているとは言いません。

 

 

 

好きなことができて、自由といえます。

 

 

 

好き嫌いはあっていいもので、否定するものではありません。

 

 

自分でも考えてみてください。

 

 

 

今日はここまでにしておきます。

 

 

 

 

 

「依存」という方向性

これまで「方向性をだしましょう」と、繰り返しお伝えしてきました。

 

 

 

しかし、「方向性の出し方がわからない」という方が時々いらっしゃいます。

 

 

 

あと、自信がない方もけっこういらっしゃいます。

 

 

 

 

 

自信は、自分の出した方向性に対して取り組んだとき、方向性にあった結果がでたもの、つまり、「実績」を信じることで培われます。

 

 

 

しかし、いざ「自分の実績を信じること」といわれると、実績と思えるようなことが思い浮かばず、なにをやってきたのかわからない、という方がこれまた多いのです。

 

 

 

 

 

「なぜわからないのか」を考えていくと、答えは、「方向性を(しっかり)だせていないから」ということになります。

 

 

 

方向性をだせていないので、自信がもてるはずもありません。

 

 

 

 

 

そうした方の多くに共通していそうなことは、「依存する」という方向性です。

 

 

 

「よりよく」という方向性で自信をもてないのは、それ以上に大事な方向性として、「依存したい」「楽したい」というものが無意識に強く出ているからかもしれません。

 

 

 

 

 

そうなると、「よりよく」という方向性がぼやけているため、自信がつくような実績も自覚できず、不安が顔を出し始めて余計になにかにすがりたくなります。

 

 

 

ただ、それまで無意識だったとはいえ、「依存」する取り組みを地道に積み重ねてきていることもあり、そっち方向の実績があります。

 

 

 

依存したり、すがる対象を見つけた時は、迷わず自信をもって依存していけるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

そういう時は、迷いなく信じられるというのでしょうか、気に入られるような言動や行動が自然にでき、注目を集めるために難しいことや斬新なこと、特別なことやエゴが興味関心をひきそうな内容で自分をアピールします。

 

 

 

 

 

ざっくりとですが、無意識と意識があります。

 

 

 

どちらが主導権を握っているかで、自分の取り組みが変わります。

 

 

 

無意識にやっていることは、思い込みでやっていることですので、毎回同じことを繰り返しますし、仮に間違っていてもためらわずにできてしまいます。

 

 

 

エゴの働きですね。

 

 

 

 

 

一方、意識して取り組めば、大事な場面でも考えながら取り組めることで、よりよくしやすくなり、方向性が出せていれば、徐々にではあっても運命を良くしていくことができます。

 

 

 

 

 

もし「依存したい」「楽したい」という無意識の方向性に気づけたなら、意識して「よりよく生きる」「成長する」「自立できるようにする」などの方向性に置き換えて、それを踏まえた判断に切り替えていくことで、積むべき実績を積み、自信をもてるようになっていくと思います。

 

 

 

 

 

自分が無意識に出している方向性に気づけるかもしれませんので、自信のない方、依存傾向の強い方はチェックしてみてください。

 

 

 

 

 

資料の作成も一時期考えていましたが、いまは時間が限られていると思います。

 

 

 

日々の取り組みに役立てられるようなことがあれば、すぐ取り組めるようブログで書けることを書いていくようにします。

 

 

 

 

 

 

あたりまえのことに腹をたてる

「あたりまえ」に思えることがあります。

 

 

 

それは、みんなが「そうだよね」と、違和感を覚えることなく納得できることなので、とりたてて問題になることはありません。

 

 

 

 

 

日常生活で腹を立てることがあります。

 

 

 

たまに見かける光景でいうと、子供に対して腹をたてる親の姿です。

 

 

 

 

 

私たちには思い込みがあるため、その思い込みが

 

 

 

・いい子供は親のいうことをだまってきくもの

 

 

 

・しずかでお利口にしていることが普通

 

 

 

というものと、

 

 

 

・子供は好奇心が旺盛なので、毎回いうことをきくとは限らない

 

 

 

・ときに歯止めがきかず、さわいで走りまわることもある

 

 

 

とでは、その後の反応が変わります。

 

 

 

 

 

どちらが「子供」をより「ありのまま」でとらえているでしょうか。

 

 

 

私たちは、思い込みをもとに都度判断しているのですが、前者であれば、考え方を後者に改めることで、感情の揺れ動きが変わっていくはずです。

 

 

 

「なぜ怒るのだろうか?」とエゴのチェックをして、そこで無意識の思い込みに気づけたら、エゴのコントロールで考え方をよりいいものに意識的に変えていくことです。

 

 

 

当たり前のことに対して腹を立てるのは、おかしなことです。

 

 

 

太陽が東から昇って文句を言う人がいたら、その人を見た人はどう思うでしょうか。

 

 

 

あたりまえのことに腹を立てていると思えたら、自分に間違った思いこみがある可能性が非常に高いので、成長する気があるならばそこをチェックしてみて、問題があれば改善していくことです。

 

 

 

もしそれがわかっていながら、言い訳ばかりでできない場合、まだ変わる気がなかったり、楽をしたいという方向性のままなのかもしれません。

 

 

 

 

 

無意識の思い込みに気づくまでは、そのことに対して「無意識」に主導権を奪われているので、「意識」することで主導権を引き寄せるのです。

 

 

 

 

 

方向性を出した後は、エゴのチェックとコントロールをして、方向性にあった思い込みに変える必要があります。

 

 

 

そうしないと、無意識の思い込み自体は「エネルギーを節約したい」という初期設定で機能しているため、「現状維持」するための思い込みや考え方にとどまっています。

 

 

 

意識的に取り組まないと、よりよくという方向性にはなっていかないことに、気づくことも大事です。

 

 

 

ですから、方向性をだしただけでは、成長がなく、同じことを繰り返します。

 

 

 

 

 

取り組み方としては

 

 

 

・「よりよく生きる」方向性を出す

 

 

 

・上位意識の存在を信じる

 

 

 

・上位意識から気づきやアイデアなどインスピレーションがおりてくるような関係性を構築する

 

 

 

・構築の仕方は、集中したり夢中になって成長につながることを真剣にやる

 

(エゴが働きづらい状態で取り組むということ)

 

 

 

・エゴをチェックして、自分の出している方向性にあった取り組みができているか考える

 

 

 

・目の前の課題に対して「今をよりよくする」よう、方向性にあった正しい答えを上位意識との繋がりの中で考える

 

 

 

・それまでの癖があってぶれることもあるため、気づいた時に意識することで立て直す、軌道修正する

 

 

 

・上記の取り組みの繰り返しで習慣化されると、あまり考えなくても徐々にできるようになっていく

 

 

 

・意識的な取り組みの繰り返しで習慣化し、方向性にあったいい癖をつける

 

 

 

・歪みの少ない思い込みが身につくことで、無意識であってもカルマを増やすような考え方ではなくなっていく

 

 

 

・その結果、必要以上に神経質にならなくてもいいので、楽に過ごせる機会が増えるようになる

 

 

 

 

 

これがエゴを薄くすることです。

 

 

 

(よりよく生きる方向性は、上位意識の存在を認めることから始まります。例えば、いまの自分より正しく物事がわかる存在だったら、ここではどう考えるだろうか、と折に触れて考え続けることで、徐々にそのつながりはできあがっていきます。)

 

 

 

 

 

怒ったり、許せなかったり、落ち込んだり、傷ついたりしたとき、「これはほんとうに正しい理由といえるだろうか」と、その理由を一度考えてみることです。

 

 

 

 

 

「自分は勝手にそういうものと思い込んでいたけれど、よく考えてみると、なんだかおかしいぞ」

 

 

 

と、いうことがあるかもしれません。

 

 

 

なんとなくおかしいぞ、とは感じるけれど、具体的にわからない場合、否定的な考えが隠れていないか考えてみてください。

 

 

 

 

 

全肯定の考え方では、全てあっていい、という考え方になります。

 

 

 

歪みと呼んでいるものは、「あってはいけない」という類の否定であり、ありのままに見ることができていない状態です。

 

 

 

否定を減らすことでありのままに近づきます。

 

 

 

ありのままを認められるようになることで、全肯定に近づきます。

 

 

 

全肯定ができるようになってその境涯に至ったことで、実存を見ることができるようになります。

 

 

 

 

 

一週間お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

その十一

ひろかねさんが、初めて施術を受けにいらして下さった時、

 

 

 

「あと2年くらいで俺はくたばるだろうから、どうせ大ちゃんは商売下手だろうし、売り上げの助けになることもあるから、どんな奴か見てみようと思ってきたんだ。」

 

 

 

とさらっと言われました。

 

 

 

身体に触れると、確かに結構辛そうな状態でしたが、あまりに何事もなく普通にふるまっていることもあって、2年という言葉に信ぴょう性を感じることはありませんでした。

 

 

 

しかし、いまになって振り返ると、言葉通りだったと思います。

 

 

 

限界でありながら平然と過ごしている姿に、物事を教えていただいたこともあり、時がたつにつれて、「ベストを尽くすとはここまでのことを言うのか」と、圧倒されていくことになります。

 

 

 

初診時に、私の神さまとのやり取りが始まって、そこからひろかねさんの状態も変わっていきました。

 

 

 

 

 

そこまでの負荷を負った理由についてです。

 

 

 

ひろかねさんとお話するようになり、神さまからひろかねさんについて出てきた情報があります。

 

 

 

その一つが、カルマとは別にひろかねさんに負荷をかけていたのは、他でもない神さまたちだった、というものです。

 

 

 

これが後々まで大きな影響を及ぼすことを、私はこの時気付きませんでした。

 

 

 

 

 

ひろかねさんのこれまでの人生があまりに負荷の連続だったことで、どうしてこんなに人より負荷の多い人生を負わなくてはいけないのか、悪魔にでも取りつかれて嫌がらせをされているのではないか、そう思ったこともあったそうです。

 

 

 

でも、悪魔にはそこまで力はないよな、とも。

 

 

 

2年というお話をされた頃は、カルマ解消で一生が終わると感じていたかもしれません。

 

 

 

 

 

その負荷の大きな割合を占めていたのが、お母さんだそうです。

 

 

 

損得に非常にうるさく、否定のつよい家庭環境で育ったひろかねさんは、それでもその負荷を克服し、過去に苦労した気配をいまは感じさせません。

 

 

 

神さまたちが理由があってやったことがわかり、どの程度の負荷だったのかを聞いたところ、

 

 

 

「お母さんのパワーは、陰始の10分の1」

 

 

 

と言われました。

 

 

 

(多いのか少ないのかわかりづらいかもしれませんが、エゴの歪みの権化の10分の1ですから、普通の人だと耐えられなくて歪むが潰れると思います。)

 

 

 

そして、今は亡くなられているそのお母さんを、神さまが私に感じさせてくれたことがあるのですが、感じた瞬間に「やばい」と恐怖を覚えました。

 

 

 

ちょっと近づけない、というのが正直なところで、妻も別の機会にひろかねさんのお母さんのことを感じたのですが、やはり同様の印象でした。

 

 

 

そういう圧倒的な存在を克服することで、ひろかねさんは力をつけました。

 

 

 

 

 

ひとつ間違えたら潰れてしまう、そう感じるギリギリを乗り越えるのは、かなり大変なことだということもわかってきました。

 

 

 

神さまたちは、救世主も含め役割をもった存在を多数おろしているそうです。

 

 

 

そして、その役割の重要度によってだと思いますが、保険をかけて代役を務める存在も相当数おろしているみたいですが、負荷のかけ方を見誤り、かなりの数が潰れて歪んで計画で使えなくなっている、というお話もでてきたことがあります。

 

 

 

 

 

実際に役割を果たせるところまできちんとエゴが整理されてできあがるのは、かなり困難を極めるらしく、ひろかねさんに対して神さまは、「なにがあっても死なせることはしない」といいます。

 

 

 

一見かっこいいのですが、実情として代わりを務められるものも潰れてしまったいま、いなくなっては計画そのものが立ち行かなくなるから困る、という面もあるようです。

 

 

 

ちなみに、代わりを務まるものが出来上がるまで、今から30年かかる、とのことでした。

 

 

 

 

 

ひろかねさんはお母さんからの負荷を負うことで、「黒」の要素を身につけました。

 

 

 

しかし、それは一般的な負のイメージの黒ではなく、「あるものを上手に使う」という特性です。

 

 

 

(ちなみに、白は「歪みの少ないものを好む、信じる」というものです。)

 

 

 

たしかにお母さんは黒ですが、ひろかねさんと違い歪みが強かったのです。

 

 

 

ひろかねさんがお母さんを克服した、というのは、歪まずに黒を身につけたということです。

 

 

 

白ベースの人はイメージだけで毛嫌いして黒を入れたくないため、白だけになりがちです。

 

 

 

しかし、白も黒も身につけると、キャパがそれだけ広がり、扱えるエネルギーも増えて変わります。

 

 

 

しかも、強い負荷を克服したことで、歪まないギリギリまで黒を使うこともできるようになりました。

 

 

 

 

 

ちなみにBBSでは、白では曖昧でぼんやりしたやり取りになって、だらだらとながく続いてはっきりしなくなることもあるから、短時間で立ち位置を白黒つけてはっきりさせるために黒を使って書いた、のだそうです。

 

 

 

 

 

いまできることとして

いまやるべきことやできることが、よくわからない方もいると思います。

 

 

 

いらしてくださる方たちで、質問を事前に準備してきてくださる方たちがいらっしゃいますが、その多くが、私のブログに書いてきたことを理解していると、答えがわかるものである場合が少なくありません。

 

 

 

大事なことはある程度こちらに書いてきてあります。

 

 

 

量があるので、読み返すには大変ですが、大事だと思うものは「備忘録」「備忘録2」にてまとめてありますので、それぞれご確認いただけます。

 

 

 

やることがよくわからない方も、わかったつもりになっている方も、今一度そちらに目を通していただけますでしょうか。

 

 

 

また、質問についても、できるだけ日常生活の中での問題の方が、解決できた時に意識レベルを上げるには有効です。

 

 

 

ひろかねさんからも「五井先生のお祈りしたくなるようなときがあるんだから、お祈りしたくなるような出来事が問題なんだから、それを聞けばいいんだよ。」と、言われました。

 

 

 

せっかくいらっしゃる方は、よく考えてからいらしていただくといいと思います。

 

 

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

その十二

ひろかねさんの取り組みとして一貫しているのは、

 

 

 

「自分の幸せのために、今できることに全力を尽くす」

 

 

 

というものです。

 

 

 

どんな負荷をかけられても、最終的にそこがぶれないことで、ひろかねさんの境涯は上がっていきました。

 

 

 

その境涯をとことん上げることが、今回実存を越えたところにいる神さまたちの狙いであり、そのために負荷を神さまがかけたのでした。

 

 

 

その負荷についても、今現在言われているのは、この宇宙の歪みの投影として体に負担を強い続ける状態になっている、ということだそうです。

 

 

 

 

 

823日に決まったのは、一つはこの負担をもうこれ以上は増やさないこと、そして徐々に解放することで、負うべき人たちのもとにカルマとしていきわたるようにする、ということです。

 

 

 

見えない世界の話は、このシリーズの最初の方で書いたように、時期を特定した経緯を説明するために書いています。

 

 

 

 

 

皆さんにひろかねさんのことを通して知っていただきたいのは、「自分の幸せのために、今できることに全力を尽くす」ということです。