環境の変化


昨日、自宅を引越しました。


慌ただしい毎日を送っていますが、環境が変わると気分が変わり新鮮です。


それまで住んでいたところから徒歩一分という移動距離であっても、やはり生活環境は大きく違います。


引越してからわかったのですが、新住居付近は猫がやたらにいます。


それまで住んでいたところでは見かけたことのない猫ばかりで、縄張りがやはりあるんですね。


ベランダを通りかかった猫には「なんで人がいるの!?」という感じで何度かびっくりされました。


あまりに猫を見かけるので妻と話していたところ、妻の守護霊さんから、私たち家族一人一人に見守ってくれていることをわかりやすくするためですよ、とあり、今朝も起床してカーテンを開けると、お向かいの屋根でひなたぼっこする2匹の猫と目が合い笑ってしまいました。



昨日の報道ステーションにまんだらけの古川社長が水木しげるさんの訃報に際し、なにかお話されたうです。


我が家はテレビがありませんので、内容をご存知の方がいらしたら、教えていただけるとうれしいです。



そういえば、胃カメラの結果は


「とりあえずピロリ菌はいないでしょう」


ということでした。



アカスジキンカメムシ

先週、息子が近所で見つけました。


初めて見る虫でしたが、知り合いで名前を調べてくれた方がおり、タイトルの名前が判明。


この虫、変身するらしいんですよ!


ちょっとびっくりです。


手足はタマムシのようで、とてもきれいでした。


http://www.insects.jp/kon-kameakasuji.htm



ご予約について、など

今週と再来週はさほどでもありませんが、来週は予約が埋まり始めております。

 

冬至までにまだ時間がありますが、ご検討中の方は早めにご予約のご連絡をいただくといいのではないでしょうか。

 

その方のタイミングがあるので冬至を基準に考える必要もありませんが、少しでも状態の改善に取り組んでおけば、そこからの流れというのはやはり違うと思います。

 


今日はバランスということを考える機会をいただきました。

 

先日も太極拳を習われている方がいらしたときに、最初にいらしていただいた時よりもずいぶんバランスがよくなっている印象を受け、バランスについて考えていました。

 

気の通りがよくなっているということがよくわかる変化で、幾通りか働きかけてみたところ、きちんと感じ取れる感性がはぐくまれていました。

 

きちんと体を動かす稽古を積めばバランスは自ずととれてくるようで、今日はそのようなお話しを聞く機会に恵まれました。

 


身体の働きは、このバランスを常に保とうとする働きでもあり、それが健康の意味であるとどこかで読んだ気がします。

 

その働きが弱ったり歪む理由が、おそらくエゴの働きではないかと最近考えています。

 


1年前と比べたらマシにはなっていますが、考えていないこと、わからないこと、山のようにありますね。

 

笑ってしまいます。

 

 

少し前に患者さんとのお話に関して浮かんだ映像がありました。

 

それが下記のサイトの白い点でできた銀河に似たものだったのですが、

 

http://www.bathsheba.com/crystal/galaxy/

 

それをお伝えした際に患者さんから確認のために送られてきた画像が上の写真です。

 

スマホの画面をそのまま載せているので見づらいかもしれませんね。

 

その時に浮かんだ言葉が、「緻密だけれどダイナミック」でした。

 

その後しばらくして、別の患者さんから「糸かけ曼荼羅」というものを教えていただいて写メを見せていただいたところ、上記の写真にそっくりで驚きました。

 

いまのところ関連はわかりませんが、なにか気づくこともあるかもしれませんので、記録代わりに掲載しておきます。

 

 


伝 97

 

存在は命の働きを通して存在している

 

 

無機質に見えるものであっても

 

それはまごうことなき命なのだから

 

全存在を通して命を発現させたいのだ

 

 

その内なる声

 

ほど走る光

 

わきでる泉のような形なすあらゆる事象は

 

人間の存在そのものを大きくのみこみ

 

溶かし

 

一体化しながら

 

次の有り様へと流れていくのだ

 

 

一瞬を捉えて理解しようとしてもむだだよ

 

流れに一体となることでのみ理解は可能となる

 

 

そのためのダイナミックさは

 

緻密さと表裏をなしており

 

 

命がけであることが

 

瞬間瞬間の緻密さとして現れてくるのだよ

 

 

 


お礼


先日描いていただいた漫画について、感想をお寄せくださりありがとうございます。


小妹さんも喜んでくださっており、私からも次の作品をお願いしたいと思っているところです。


異業種の方とのこうした関わりは大変なこともありますが、今回は非常に楽しいものとなりました。


様々な広がりのベースとなる自分をまずは磨いて、その先でなにかご縁があれば楽しいかもしれません。


引き続き、ご感想をお寄せいただける方はよろしくお願いいたします。



お祈りについて


さきほどある方とお話していて、以前私の守護霊さんから


『実感がないのがお祈りなんだよ』


と言われたとのことでした。


ほぼ覚えておらず、「あぁ・・」という感じです。



御利益のあるお祈りはある意味危険で見返りを求められることもありますが、上記のようなお祈りだと「気がついたらよくなっていた」という感じで、自力を活かしてのよい変化は無理もなくて負荷も少なく済みます。



最近ご報告受けた方たちに共通しているのが、自分の変化よりも周りの方たちの変化です。


荒い気性の方が穏やかになってきたり、家族の間柄がよくなっていたり、自分に関わる身の回りでのそうした変化に気づかれたようでした。



一緒に居る方が落ち込んでいたりイライラしているだけでこちらもなんだかすっきりしませんが、逆もしかり、こちらがぶれていると周りの人もすっきりしません。


だとすると、自分が変われば周りも少なからず変わるわけで、自分の取り組みが及ぼす範囲が自分であると考えてみると、自分のやったことはきちんと結果が出ていると考えられるのではないでしょうか。


なかなか変わらない、と焦ってしまう前に周りを一度見渡してみるといいかもしれません。



人によって違うことばかりなので、ひとくくりでこうですよ、とは言えませんが、やはり目に見えた実感というものがあれば、気分が違いますから、一つ視点を変えたり視野を広げることで生きやすくなるかもしれないと思ってもらえたらいいのではないでしょうか。



余談ですが、私が最近いただいた課題です。


勝手な理想像をつくりあげ、それを例えば着ぐるみのように関係ない人に被せてしまい、中の人を無視してその着ぐるみの印象通りにいかないことに対して腹を立て続ける。


その理想像と中身は別物です。


そもそもその理想像は実現可能なのか?


前提として考えていることは本当に信じていいものなのか?


男性とは、女性とは、父とは、母とは、その価値観はあなたの考えでしょうか?


それにそぐわないことに腹を立てる理由は?


 

エゴの理解に深くかかわる内容だと思います。


理解が進めば、必要な方にお話できるかと思います。



エゴについて、メモ


全体を見渡したうえで「理論」「理屈」を考えるのであれば、全体の働きを知ることはできるし、バランスもとれる。

 

 

しかし、ある部分だけを見て、その枠組みの中だけで同じことをやると、足りないために歪みが生じる。

 

 

その歪みをどれだけ正当化しようとしても、歪みが正されないばかりか、もっとひどくなることさえある。

 

 

「死」「見えない世界」そうしたものをまずは全体の一つとして考えないと、片手落ち。

 

 

「エゴでコントロールできるところ」「エゴでコントロールできないところ」、この組み合わせでも全体を考えてみるといい。

 

 

エゴのやること・考えることだから完壁ではないが、それを完璧と思いこむところがエゴでもある。

 

 

エゴ(不完全さ)ではエゴ(不完全さ)を理解できない。

 

 

エゴ(この次元をこえることのできないもの)を超えたところ、エゴが理解できないところ、そうしたところから物を考えると見えてくるものがある。

 

 

エゴで考え続けている限りは、考えが足りない。

 

 

守護の御神霊たちの御指導、宇宙全史で開示されている情報などは、エゴを超えたところのお話。


 

お祈り、エゴを超えた全体の働きを形にしたもの。

 

 

それらに限らず、そうしたものはあちこちに見え隠れしているのかもしれないが、多くのウソやごまかしや意味のないものなどに紛れているため、それを探し出すための感性や知識、経験が必要となる。

 

 

世に出回っている情報について、まったくウソのないものはまずありえない。

 

 

ウソや矛盾を見出し、真実や有益な情報を拾い集めて生きていく。

 

 

そのためにも勉強が大事。

 

 

学びが大事。

 

 

自他のまちがっていることや失敗を非難したり責めても意味がない。

 

 

見つけ出すことが、自身の成長につながる。

 

 

生きやすくなる。

 

 

大事なものを見つけるために、その目が自分の目であるのか、一度よく考えなくてはいけない。

 

 

誰かの価値基準でものを見ているから、考えや行動や結果にズレが生じて生きづらい、歪みが生じる。

 

 

「本来、人は自由に生きていい」と言われている。

 

 

ということは、自分の見たこと感じたことを信じて、自分のやりたいようにやり、考えたいように考え、生きたいように生きれば、生きやすさを感じ自由に生きられるということ。

 

 

しかし、実際は生きたいように生きると、生きづらい。

 

 

それはなぜか?

 

 

自他を否定したり責めるということが、お互いの自由を認めない生き方であるため、そうしたことが一因ではある。

 

 

それとは別に、信じていることが、自分の自由につながる見方で見れていないから、とも考えられる。

 

 

その信じているものが、自分の価値観、ものの見方ではないからではないか?

 

 

いま自分が信じているものは、他人の価値観、考え方ではないか?

 

 

親から、先祖から、社会から、代々受け継がれてきた「思い込ませる」という(BBSでいうところの)黒魔術によるものではないのか?

 

 

もしかしたら、物心ついてから一度も「自分」の生き方をしたことがないのではないか?

 

 

「自由に生きていい」

 

 

この一言をよくよく考えてみる必要がある。

 

 


 

 

以上、備忘録です。

お祈りについて思うこと

 

エゴや思いこみについてこのところ考えています。

 


エゴに気づいてエゴを薄くする、とは、思いこみに気づいて考え方を変えて新たな考え方を行動に移してみる、ということだと考えています。


 

ポイントは行動に移すこと。


 

固定化された考え方に気づいたとしても、変える取り組みを先送りにしてしまうと忘れてしまうこともあり、次いつ同じことに気づけるかもわかりません。


 

ですから、気づいたらなるべくその場で変えていく。


 

完璧でなくてもかまいません、10%でもやれば10%分結果はそれまでのパターンと変わってきます。

 


余裕があれば思いきってやればいいでしょう。


 

この時、順位の入れ替えが行われています。


 

いま一番大事なことはなんだろう?


 

この問に対する答えを、これまでのものでいいのか、それとも他の新たななにかにするのか、それを考えて行動に移しています。


 

思いこみに気づかないうちは、考えるということがそもそも行われず、その時無意識に一番正しいと思いこんでいることをやっています。


 

人は一度にいろいろ考えているようでいて、実際は一つの時間軸の中では一つのことしか考えられません。

 


ですから、無意識とはいえ行動に移していることは、一つの考えに基づいて行動しています。


 

そうなると、自覚はなくても自分が一番大事と思っていることを行動に移していることになります。


 

あ、ちがう選択肢でもいいんだ、と気づけば、行動を変えることで結果も変わってきます。


 

結果が変われば運命が変わったということ。


 

なにかあった時、消えていく姿と思い祈るということは、これまで思いこんでいたことを最優先しなくなり、お祈り(の意味)を一番大事に考えるということ。

 


エゴを超えたところから見た、エゴを超えた世界の道理を最優先するということ。


 

お祈りをすることでエゴが薄くなるとは、ある面こういうことではないかと考えています。





空きができました


今週の土曜日ですが、ご予約にキャンセルがあり 11:00 ~ 13:30 の時間帯で空きがございます。


ご希望の方がいらっしゃいましたら、営業時間外であればメールでもかいませんのでご連絡ください。


 

削除しました


さきほど『伝98』を載せましたが、あとで確認してみるとエゴがしゃしゃりでた文章でしたので、削除させていただきました。


失礼いたしました。



慣れないこと


今日は慣れない「頭を使って考える」ということをやっていました。


使っていないところは錆びついているようで、使うことで錆落としをしています。


なかなかかみ合いませんが、わずかに歯車が合う感じもしたので、明日はもう少し働いてくれるかもしれません。



明日は 12:15 から1時間空きがあり、来週も空き時間がたっぷりあうのでご予約できます。


お時間合う方は、お問合せをお待ちいたしております。



備忘録として


先日いらしてくださった患者さんから聞いたお話で、ネットでも出ていたので一応残しておこうと思います。


真偽のほどはわかりません。


http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NT1T156KLVR801.html


4000人 × 365日 = 146万人 (1年)



濃い時間


このところ、自分のエゴについて考える機会をいただいており、今日は特にその内容が濃かったです。


一番見たくない、気づきたくない、そういう思い込みがあることがわかります。


意識を向けていると苦しくなるので、実感としてわかります。


いろいろ言い訳を考えたり、話をすり替えてはぐらかしたり、自分で無意識にやることなのでちょっとびっくりしてしまいます。


そんなことを感じて一日が終わりました。


エゴを実体験している最中です。




質問しました

 

以下、本日BBSに質問したものです。

 

 

 

虚空蔵55様、みわ様

  

先日はご回答いただき、ありがとうございます。

 

またRIE様へのご回答を読ませていただき、もっとレベルをあげなくてはいけないことを再確認いたしました。

 

ご回答を読ませていただき、わかりやすく伝えることが今後も継続的な課題となると教えていただいたのですが、今の私の理解では今後の課題はあまりに力不足なため、まず私自身が理解して自分のエゴと向き合わないことには、この先どうにもならないと感じています。

 

エゴについて、これまでにこちらで教えくださったことと、患者さんとしていらしてくださった方から教えていただいたことを、自分なりに整理していたところでした。

 

患者さんとしていらしてくださった方はこちらで私のことを知って来てくださったのですが、その方のお話を聞いて、これまでこちらで教えてくださっていることを理解しているつもりで、実は殆ど理解できていないことがわかりました。

 

私のレベルを上げるために、特別専任コーチをつけていただいていると感じています。

 

大変な時期ですが、一度目を通していただき、ご指導いただけるようでしたらお願いいたします。

 

エゴについては未だにつかみどころがない感じがして、考えるほどにエゴに翻弄されています。

 

こうした文章も、自分の言葉ではなく、借りものの言葉で書き連ねていることがわかってきました。

 

自分のことでありながら、これまではエゴにいいように転がされていたことがわかりつつある状態ではないか、と考えています。

 

エゴについて考えるようになったここ数日は、妙な落ち着かない息苦しさがあります。

 

こういう感じは思い返すと学生時代などにもありましたが、そうした場面で都度逃げてきたのが今の私です。

 

ここから逃げないことが今は大事だと思っています。

 

少し前に、エゴを薄くするとか無くすことについて考えていたはずが、気がつくと知らず知らずにエゴを正当化しようと考えていて、驚いたことがありました。

 

エゴを理解できていない状態でエゴについて考えていると、あやふやを積み重ねていることがわかるだけに、非常に歯がゆいです。

 

全体を見渡したうえで「理論」「理屈」を考えるのであれば、きちんと物事を考えられると思うのですが、エゴの自分という局所だけで理論や理屈を考えると、未熟でもありどうしてもなにか抜け落ちてしまいます。

 

ですから、まず全体像をとらえようとすることから考えてみては、と教えていただきました。

 

エゴが反応しやすいと思われる、目に見えるものやわかりやすいもの、また手っ取り早いなにか、そうしたものだけでは「全体像」は捉えられない気がします。

 

全体の働きのなかで考えてみると、エゴ以外、エゴ以上のものは、「死」や「見えない世界」「わかりづらいもの」などにあたると思います。

 

しかし、そうしたものはエゴが認めたがらないようですし、結果、限られた範囲の認識から生まれる理論や理屈は、自ずと片手落ちになっていくはずです。

 

そこで全体を、「エゴでコントロールできるところ」と「エゴでコントロールできないところ」にわけて考えてみることを話してくださいました。

 

私たちの体の働きでいうと、思うように動かせる骨格筋である随意筋と、意思とは別の働きをする心臓や内臓などの不随意筋があります。

 

体の働きとしてはもちろんそれだけではありませんが、随意筋だけで体の仕組みを理解したつもりになって、現れている症状や働きを理解しようとしてもうまくいきません。

 

エゴだけで考えるとは、そういうことかと思います。

 

また、エゴが働くところは、通常ほぼエゴに主導権をとられてしまいエゴに使われている状態だと思われます。

 

しかし、トレーニングして身体を意識的に使うことで、私たちはそうしたエゴの働きを少しはコントロールできるようになるのかもしれず、よく噛むことや肉体のトレーニングをされている意味もこうしたことが含まれているのでしょうか。

 

エゴを理解しようと思うと、エゴを超えたところやエゴが理解できないところ、そうしたところからものごとを考えると理解しやすくなるのでは、とも教えていただきました。

 

エゴでエゴを考え続けている限りは、おなじところを堂々めぐりしている感じです。

 

守護の御神霊たちの御指導、こちらの宇宙全史で開示されている情報などは、エゴを超えたところからのお話ですので、エゴにはまり込んでいる私たちがそこから抜け出したいと思ったときに、初めて意味がわかるのでしょうか。

 

他にもそうした恩寵ともいえるなにかが身の回りをはじめとする世の中あちこちに見え隠れしているのかもしれませんが、多くのウソやごまかしや意味のないものなどに紛れているため、一層わかりづらくなっているように思います。

 

それを探し出すためには、磨かれた感性や、役に立つ知識に、いきた経験が必要となるのであり、それらを身につけ成長していけばよりよく生きられ、成長がなければダマされ翻弄され続ける自由が私たちにはあるのだと思います。

 

ウソや矛盾を見出し、真実や有益な情報を拾い集めて生きていく。

 

そのためにも勉強、気づき、学び、は大事ですね。

 

また、学び方だと思うのですが、自他のまちがっていることや失敗を非難したり責めるよりも、反省して気付いたところから変えていくほうが生きやすくなるよ、と教えていただきました。

 

そうした改善点ともいえる箇所を見つけ出すことが大事で、気づいていないところは変えることができませんし、見つけて取り組めば自身の成長につながり、たしかにより生きやすくなるのだと思います。

 

しかし、そうした大事なものを見つけるためには、その目が自分の目であるのか、一度よく考えなくてはいけません。

 

誰かの価値基準でものを見ているから、考えや行動や結果にズレが生じて生きづらくなり、カルマというエネルギーの歪みが生じます。

 

 『人はこれから「自由になる」ということを心がけねばなりません』と別巻に書かれていました。

 

 これは自分の見たこと感じたことを信じて、自分のやりたいようにやり、考えたいように考え、生きたいように生きれば、生きやすさを感じ自由に生きられるということだと思います。

 

 しかし、今の世の中では生きたいように生きると、生きづらいことが多いです。

 

それはなぜか、そう考えると、自他を否定したり責めるということが、お互いの自由を認めない生き方であるため、そうしたことがまず一因ではありますが、それとは別に、信じていることが、自分の自由につながる見方で見れていないから、とも考えられます。

 

その信じているものが、自分の価値観、ものの見方ではないからではないか、と話していただきました。

 

いま自分が信じているものは、他人の価値観、考え方ではないのか?

 

親から、先祖から、社会から、代々受け継がれてきた「思い込ませる」という(こちらでお話のあった)黒魔術によるものではないのか?

 

もしかしたら、物心ついてから一度も「自分」の生き方をしたことがないのではないか、 そう考えると「自由に生きる」、この一言をよくよく考えてみる必要があると思います。

 

ここまで、とりあえず理解はできていないまでも、知識や考え方として整理をしてみたことです。

 

昨日改めて非公開情報など読み返してみると、私がこれまで理解できていなかったことが点々と目に付きます。

 

理解できることが増えてきているため、こちらで教えていただいたものの気づけず見落としたり、理解したつもりになってスルーしてきたものなど、時間をかけて読み返して確認してみようと思います。

 

この文章を読み返しながら、自分のエゴが色濃く出ているところをこれでも修正したつもりではいますが、これ以上は今の私では難しいと感じましたので、読みづらい内容ですがご容赦ください。

 

一昨日こちらで左の更新がありましたが、書かれていた内容について以下のような考え方でいいのか追加で教えていただきたいと思います。

 

虚空蔵様が肉体に不調を感じたと今回左のNo.303に書かれていました。

 

意識の世界では思い込みがエゴだと考えていますが、自他の境目がある肉体もエゴだと思うので、エゴを通して陰始は私たちに働きかけていることになると思います。

 

であれば、私たちが注意しなければいけないのは、自らのエゴに他なりません。

 

魂が削り取られる、とは、例えばエゴで無意識にやったミスや失敗などが、今後想定以上の大問題になって身を削るような責任を負い、疲弊することが考えられます。

 

エゴの強い方が引き起こす無用なトラブルに巻き込まれたり、怖い夢を見ることももちろんあるでしょう。

 

最低限自分でできることは、今自分がしている仕事や発言、行動などに注意をはらい、無意識におかしなことをしていないかチェックすることだと思います。

 

家族や同僚についても、目の届く範囲で声をかけあっていくのは、やらないよりはやったほうがいいことではないでしょうか。

 

冬至までの過ごし方として、外出をなるべく控えること以外の考え方として、このような考え方でいいでしょうか。

 

 よろしくお願いいたします。

 

 

エゴとの対話

昨日アップしたブログは、後で見返すとかなりな長文でした。

 

理解できていないことの現れと教えていただき、納得しました。

 

これから落とし込んでいく日々です。

 

 

今日は神様やらエゴやら、いろいろな方?たちとお話するという、やや頭がシュワシュワする時間を過ごしました。

 

果敢に主導権を獲ろうとアプローチしてきたり、かと思うとフレンドリーな態度を見せたり、すぐ手のひらを反すエゴの様は、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男を彷彿とさせるものがあります。

 

意識して見ていると、徐々に分かることが増えてくるため、エゴのイメージが変わってきています。

 

面白い反面、気を許せないしたたかさもあり、ある一定の注意を保つようにもしています。

 

 

写メは例によって息子作、知り合いのおばさまです。

 

6歳の子が描く目力にびっくりです。

 

 

 

伝 98

 

施術を通して

 

自分は命あるものなのだ

 

と気づくための光をいれています

 

 

今生きている

 

そういう自覚がないと

 

地に足つけないで理想ばかりを追い求めてしまう

 

だからまずそこから始めないとね

 

 

大事に

 

真剣に

 

一生けんめい

 

生きようとする

 

 

そうすると初めて

 

どう生きよう

 

と疑問がわいてくるから

 

それを答え合わせするのが人生なんだよ

 

 

 

施術中に感じていること

 

施術中に感じていることについて今回は少し書いてみようと思います。

 

 

 

患者さんの体に触れながら私が感じていることです。

 

 

 

これまで施術を受けていただいた方はわかると思いますが、私は患者さんのお腹に手をあてることがあります。

 

 

 

なにをするでもなく目を閉じてじっとしているため、沈黙のその時間にやや戸惑う方もいるかもしれません。

 

 

 

寝ているわけではないんですよ(笑)

 

 

 

体を通して感じるものを探っている、といえばいいのでしょうか。

 

 

 

そんな時に時折感じるのが、部分的に見える宇宙空間と、宇宙空間を覆うもの、そしてその覆いに刻まれた亀裂や丸い穴などです。

 

 

 

それらは意識の世界のエネルギーを私なりの解釈で感じ取って表現したものとお考えください。

 

 

 

宇宙空間は全体性、覆いはエゴ、亀裂や穴はエネルギーが漏れてしまうところ、と解釈しています。

 

 

 

これらは常に見えるわけではないですが、覆いがあって宇宙空間が見えない方はエゴが濃い方、宇宙空間が広く見える方はエゴが薄い方、そう見分けるようにしています。

 

 

 

亀裂や穴は、宇宙全史で描かれている陰始に通じるものだと考えており、最近の施術で一番最初に取り組むのは、この亀裂や穴が塞がるようにイメージすること、もしくは意図すること、です。

 

 

 

そこから全体的な施術をすることで、歪んだ状態が改善されて体のバランスが取れてきますので、感覚として楽になったと実感していただけることが多いようです。

 

 

 

ただ、そのまま日常生活に戻っても、それまでの生活パターン、無意識の思い込みに従った考えと行動により、同じような歪みが出てくるでしょうから、そこを繰り返さないために今まで意識してこなかった事を自覚してもらうこと、考え方を少し変えること、無意識だったことを意識してみること、など、変化を促すようなお話をすることもあります。

 

 

 

以上、おおまかな感じで書いてみました。

 

 

 

亀裂や穴については別に書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

キズについて

 

 

 

亀裂や穴のようなキズは、いつどのようにしてついたのでしょうか?

 

 

 

その疑問に対する答えが以下のものです。

 

 

 

 

 

キズはエゴが形成され始めて間もなくつけられることが多い。

 

 

 

ちょっとキズをつけてしまえば、それを隠すように新たなエゴが覆いかぶさっていき、小さなキズは隠れてしまう。

 

 

 

すると、キズがどこにあるかわからなくなり、あとは歪んだエネルギーを注ぎ込んでいけば、そのキズを元にひずみが勝手に大きくなっていき、キズが穴になっていくことでエネルギーの搾取構造をエゴが勝手に作り上げてしまう。

 

 

 

キズはエゴにつけられる。

 

 

 

この事に気づけるかどうか。

 

 

 

心や魂が傷ついたと感じる時、実はだいたいエゴが傷ついている。

 

 

 

しかし、自分が傷ついたと思えばエゴの傷は大きく深くなるため、搾取する側からすれば思い通りになる。

 

 

 

また傷をつけたり深めたりするには、身近な存在のエゴに加害させる方がより効果的だ。

 

 

 

エゴにどこまで意識的でいられるか、それが今のあなた達の課題だよ。

 

 

 

 

 

 

冬至が過ぎて

冬至が過ぎてから、なにか変化を感じている方はいらっしゃいますか?

 

はっきりしないこともあれば、いままでにない変化が起きている方もいるかもしれません。

 

わたし自身はちょっと曖昧ですが、前回のブログが「伝」の進歩した形でしたので、少しずつ変化を感じている状態です。

 

今回、息子は未知との遭遇経験があり、そのことに興奮していました。

 

機会があればお話できるかもしれませんが、展開が止まっているため、様子見中です。

 

冬至後にいらしてくださった方たちを診ていて感じることは、これまでなんとなくぼんやりしていた状況からしっかりとした一歩を踏み出し始めている印象があります。

(自覚は無さそうですが)

 

伝え聞いたりするお話の中にはそうでないものもあり、そうしたものはなりふり構わない印象でしたので、宇宙全史で勉強されてきた方たちは、これまで学んできたことを踏まえて実地テストのようなことがあるかもしれません。

 

冬至前にエゴが元気いっぱい活躍しやすい時期がありましたが、そこで学べたことはありがたかったです。

 

施術にいらしてくださった方には、施術の際にそうしたお話も交えてお伝えしていけたらいいかと思っています。

 

今年も残りあとわずかですね。

 

年内は明日まで営業いたします。

 

 

 

仕事納め

 

おかげさまで今年は最後まで施術をさせていただくことができました。

 

1年経ってみると、あっという間です。

 

来年の今頃はさらに成長した、そう思えるよう、まずは一つずつ気づけることを増やして取り組んでいきたいと思います。

 

 

仕事始めは、年明け4日(月)からとなります。

 

メールにて御予約承りますので、ご不明な点などお気軽にお問合せください。

※PCを操作できない環境に正月はいるため、スケジュールの空き時間の更新が遅れる予定です。

 

ご来院くださった皆様、お世話になった皆さま、一年ありがとうございました。

 

よいお年をお迎えください。