会話から

今日施術中の会話ででてきたことです。


『正論をとく』『否定する』そのどちらもこれからの時代を生きていくうえで踏み出す一歩にはならず、自分で考え自分で決断していくこと、そういう順序で一歩を踏み出すことが大事である、というお話がでました。


ぬるい今のうちから取り組んでおくといいことはたくさんあると思うのですが、これはそのひとつだと思います。


その積み重ねは自信にもなり、平常心に通じることでもあると思います。


これからの時代は人に聞ける状況ばかりではなく、瞬間的な判断を下せるようにするには、やはり日頃からの積み重ね以外にないのではないでしょうか。


些細な感覚でさえも、自分がやってきた実績があれば迷いながらでも信じることができます。


他愛もない話ですが、一応書き留めておきます。



左右バランスについて

先日いらしてくれた方を通して感じたことです。

 

今回は三か月ぶり、2度目の施術となりました。

初回は右をよくつかい、左半身が不十分という印象でしたが、その後のご本人の取組みの甲斐あって、左右差は随分解消されてきていました。

開始後間もなく感じたのは、この方の内面、人としての器が深まり奥行きが出てきた、というものです。

実際にご本人も人との関係において、自分自身の在り方の変化を感じ始めていらっしゃいました。


その他の方でも感じた事です。


左右のバランスがとれることで自身の軸がしっかりし、度量というか器が少しずつ広がる事があるようです。

自分だけでなく関わる人にもブレがあっても動じる事が減るでしょうし、不測の事態に直面した場合でも自分を見失いづらくなると思います。

また呼吸が深くなることも考えられ、深いゆったりとした息をする人に人は安心感を覚えやすいようです。

そのため、周りがその人に自然と合わせてくれるため、ちょっとしたことかもしれませんが、人付き合いが楽にかもしれません。


自分らしく生きることが不調和を招くのではなく、周りが合わせてくれるようになるのであれば、これはありがたいですよね。


私はこれから一時期大変な時代を過ごしていくと思っていますが、これが身についていたら生きやすいと思います。


左右のバランスを今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。



夢中になること

昨夜帰宅すると、息子が保育園で描いた絵を嬉しそうに見せてくれました。


どのくらい時間をかけたかわかりませんが、私だとここまで描くのに集中力がもたないような気がします。


子供のうちは楽しければ全力で遊んで、興味がわけばなんでも取り組んでみるといいと思います。


大人になるころにはそれが仕事や生活の様々な場面に切り替わり、どんなことも楽しめるようになっているといいのですが。



天職というのはそういうことの延長にあるのかもしれません。


ひとつでも夢中になれるものがあれば、それ以外の時間を過ごす支えにもなるように思います。



夢中になってやっている時、集中して取り組んでいる時、エゴはかなりうすいそうです。


なにをやるにしてもエゴを増やさなければいい、という理屈を最近教えてもらいましたが、子供のころの好奇心が赴くままに生きている姿を大人になっても持続できたなら、見える世界はまたちがってきそうですよね。



「頑張りすぎる」ことは、集中力が途切れてきたところを精神力でもたせているのかもしれないと思うと、それはそれでエゴを増やしているようにもおもいます。


怠惰でもなく、気張るでもなく、程よい加減で生きていくことがエゴを増やさず生きていくこつかもしれないと思いました。



ただ、自分の器を広げるとかたくましくなるといった課題があって取り組む場合は、加減を変える必要がありますね。





子育て中の方へ

開業してから受付に座っていて感じるのが、お店の前を通る方の視線です。


なかでも気になっていたのが赤ちゃんを連れて歩いているお母さん方で、我が家にも二人子供がいるためいろいろ想像してしまいます。



家族のサポートなどあれば比較的穏やかに過ごせますが、そうでない方も多くいらっしゃるでしょうし、息抜きできない方も少なくありません。



接骨院などではベビーカーを店内に入れられるようにしてあるところもあれば、遊戯スペースをつくっているところもあり、入りやすい環境づくりがなされているところも増えてきました。


一(はじめ)はあまりそういった環境づくりに積極的ではありませんが、施術室に連れてきて横に寝かせることはできますし、一施術室で一人でやっているのでお子さんが元気に泣いても他の方の迷惑になるようなこともありません。


常時ではありませんが、受付スタッフをやっている妻(※)がいればお子さんの遊び相手になることもできます。

(※5歳と2歳の二児の母、以前は学童保育に勤めてもいました。平日の14~16時にいます。)



マッサージを受けたいかどうかはわかりませんが、いろいろ気にして入れない方もいらっしゃると思います。


お子様連れであれば施術を受けに来てみたい、という方がいらっしゃれば一度お問合せください。




厳しいけれど

昨日の深夜、スマホでBBSの更新を見て一人かたまってしまいました。


もうどうにもならないことは書かれないと思うので、気持ちを引き締めて日々の生活に取り組むつもりです。



具体的に教えていただくと凹むこともありますが、知ることの責任というか、一定の暗黙の義務のようなものを感じており、きちんと向き合うことでそれは果たされていきます。


それは自分の中で感じているだけなので、誰かに評価されるために相対的な視点からそう考えている、というものではありません。


ですから、エゴが増えることはないと思います。



ここまで知ってしまったなら、信じているならば、質問して答えてもらった以上は・・・やるしかないべや、ということでしょうか。


お祈りをされている方は、改めて本腰をいれてしっかりお祈りをするときだと思いますよ。



昨日の御回答を読んで、身の回りの方向性を定めている方がはっきりしてきました。


徐々に現実を突きつけられていますが、御本人たちはそのことを見ようともしていません。


今のままでは、本のタイトルとかけ離れた数が動くことになる気がします。



気づいた人から変わっていくことで全体に波及していくところが、気づいても行動に移せていないとやってないことと変わらなくなってしまいます。


些細なことでも行動に移していくことを心がけてください。


生き生きと生きられるために、自分らしく生きることを無理のないところから取り組んでみてください。


進むべき道であるならば、お祈りの加護でスムースにその先が展開していくはずです。


とにかくエゴを増やさない、カルマを少しずつ解消していく、そのためにお祈りに助けていただくわけです。


一気にでたら呑まれてしまうところを、確実にクリアできるように加減をしてくださって、確実に進歩できるように見守っていてくれているのだと思います。


そう信じてお祈りしていただくのもいいかと思いました。



これから、方向づけとでもいうのかもしれませんが、学んできたことを実践することで、全体のそれがなされていくはずです。


できれば早く、できるだけ力強く、しかし平常心を保つ安定感も確保しながら、私たちは自身の学びの道を踏みしめていくことが、いまは大事な気がします。


全体への波及、ということがあるからです。


しかし、お役目的な発送(おくるのか?)、発想はエゴがでてくるため、自分の目の前のことにきちんむきあっていこうとすることでいいと思います。



暗闇に覆われて逃げ場はまだどこにもありません。


気を抜けば、現状維持していけば、ではまだまだ一瞬でからめとられる状況に変りはありません。


少し前と変わったといっても、大勢は圧倒的に不利です。


力のある方ほど抑え込まれているようにも感じます。


むしろ今まで以上に必死に引き込もうとしていることから、かえって危険度は増している可能性もあります。


患者さんでいらした方たちのお話を聞いていると、周りを巻き込みながら突き進もうとする人や、セミナーや助言をとおしてエネルギーを絡めとっている状況を多数垣間見させていただいています。


別巻をきちんと読み直して、仕組を自分の身の回りで具体的に考えてみることもしてみてください。


私も読み直してみようと思います。



伝 47

頑固さとは

 

人との関係で発露するものではなく

 

常日頃から持ち合わせているものです

 

 

人との関わりの中で

 

その性質を緩和させるために

 

現れてきます

 

 

その頑固さが現れて消えていくことを妨げているのは

 

関わる人ではなく

 

それを持ち合わせている

 

その人自身です

 

 

頑ななその姿は

 

変化を忘れた生き物となり

 

自由へたどり着くことすら


忘れてしまいます

 

 

方向性という言葉さえも忘れてしまえば

 

先に進むことはできません

 

 

人の世でもまれて

 

柔軟さを取り戻し

 

 

生きがいを見つけて

 

前に進む

 

 

そういう選択もあなたはできるのです

 

 

これまでの自分を今の自分と同じに考える

 

それもまた頑固さです

 

 

変化を信じることができたなら

 

頑なさは随分と和らいでいることでしょう

 

 

新たな自分に気付けますように


無用な思い込みを流せますように


自分自身でありますように






 

 

月の夢

昨夜?明け方でしょうか、夢を見ました。


夕暮れ時、数人の方と歩いていたところ、後方の山の方から満月かとおもうようなきれいな13夜が上がってきました。


そしてよく見ると、月の中にさらに二回りほど小さい黄色いな丸があることに気が付きました。


夢の記憶はそこまででですが、不快な感じはなくむしろ爽やかな印象でしたので、満月の2日前か2日後か、なにか変化の節目となるのかもしれません。



人によると思うのですが、お祈りをされている方は今はカルマがでやすくなっているように思います。


早めに小出しにしておくとあとあと負担が違うと思いますので、なるべく先送りにしたり逃げないほうがいいと思います。


明確な根拠があるわけでもありませんので、頭の片隅にでもいれておいてもらえたらいいと思い書いておきます。





チャクラについて

BBSをご覧の方は御存じかと思いますが、先日私のチャクラについて図らずも現状を教えていただくことができました。


いつものように実感らしいものはないと思っていましたが、なにかの役に立つこともあるかもしれませんので、BBSに掲載されたものとかぶりますが、思い当たることを簡単に記載しておこうと思います。



次元上昇したあたりで高揚感を感じたことがありました。


それが胸のチャクラの解放に関係するのかはわかりません。



またつい先日まで施術中に咳き込むことが続いていましたが、花粉症かPM2.5か、患者さんのカルマ解消の過程かと考えていたのですが、それものどのチャクラに関係するものだったのかもしれないと考えています。



現状、負荷はなにかしら続いており、あえて書きませんが、肉体改造の一環ととらえて過ごしています。


ここまでチャクラを開いてもらえたことは、基本的にお祈りのおかげです。


こちら側でどうこうできるものではありませんし、カルマ解消をスムーズに展開していただくことでなされていることですから、もう少し自覚できるようになると具体的に理解できるのかもしれません。



患者さんへの施術中に、体の中に宇宙空間のような光景を感じることもありますが、それは開放したチャクラを介して見えている光景ではないかと思っています。


これはまだ確定できるほどではありません。


しかし、チャクラが開いてもエゴが減るわけではなく、むしろ扱うエネルギー量の増加した分だけエゴが加速度的に増えて、間髪入れずに瞬間的に絡めとられたりしたら、一気に奈落の底に方向を定めてしまうケースもあるわけです。


チャクラが開いても問題のある存在は宇宙全史にも書かれていました。



施術でできることの幅が少しずつひろがってきている実感はあるので、地道にやるべきことを続けていきます。


今は手よりも口が軽やかに動いている感じです。



「神伝式施術」についてすこし補足しておきました。


占い師ではありませんので当てることが目的ではありません。


施術を通して、会話を踏まえて、知りえたことをベースにお伝えできることはお伝えし、施術も会話もその後の日常を生きやすくなっていくきっかけになればいいと思っています。


その際にお伝えしたことを実践してくださるかどうか、お祈りをしてくださるかどうか、知らなければ聞こうとしてくださるかどうか、それはいらしてくださった方の選択でもあります。


求めてくだされば応えられる範囲でお応えしたいとおもっています。



夏至までにできることはみなさんそれぞれにあると思いますが、施術が必要な方はお越しいただければ幸いです。




夢物語、かな

個人的なお話として。



昨日、帰宅前に施術室でお祈りしていると、ある光景が浮かんできました。


見上げるどころではないような巨大な赤鬼が、大地を見下ろしながらなにかをしていました。


時々地面に顔を押し付けるようなこともして、砂漠のある地域のような印象です。


不穏な感じはないものの、なかなか消えることありませんでした。


後から感じたのは、地球の身震いに関する事象を視覚化して見せられたのではない、ということです。


(顔は妖怪枕返しのような感じでした。)



また、今朝がた5時ころに目を覚まし、以前亡くなったおばの気配を感じました。


今日は命日で、すっかり忘れていたのですが、静かに、しかし必死に私に頼みごとをしている印象でした。


おばからの印象は、もう時間がない、(あることを)なんとかしてほしい、というものです。


しかし、私にはできないことでありお断りしたのですが、やはり夏至までにできることはやっておく必要があると改めて気づかされました。



今回のふるいはいろいろ影響がありそうで、クリアできたにしてもできるだけ身軽になっていたほうがその先もさらに楽になりそうな気がしました。


また、いま現在はまだギリギリなんとかなる方もいるようで、悪あがきではありませんが、それぞれのベストを尽くしていただくに越したことはないと思います。



気づいたこと、感じたことなど、折にふれて書いていければと思っています。






似顔絵    父の日編

例によって、息子作です。


このところ折に触れて自身の成長を感じさせていただいていますが、これはどちらかというと行き過ぎた感、老け度アップした感がつよい気がします・・・


渋め。


腰痛症状

先週の木~金と、急な腰痛症状を訴える方が4~5人いらっしゃいました。

 

いろいろ時期的なものもあると思いますが、湿度が高い今の時期に珍しく、明らかにその二日間は湿度が低く20~30%でした。

 

そのため体の水分に影響があったのかもしれません。

 

物と同じように考えるのはどうかと思いますが、体の水分がわずかばかりでも少なくなることで動きの滑らかさに少なからず影響を及ぼすことも考えられます。

 

その後、なにごともなかったかのようにされている方が大半ですが、気候の思わぬ影響ということがまれにあります。

 

汗をかいたほうがいい時期というのもあるでしょうし、寒さを感じることで季節に合わせて変わる体というものがあるようにも思います。

 

感じているものに意識を向けてみると、心地いこともありますよね。

 

 

 

 

「善・悪」について

ある方とお話していて善悪についてわかりやすく教えていただく機会があり、自分なりにまとめたものを先ほどBBSにて質問させていただきました。

 

こちらにほぼ同じ文章を掲載しますのでよければ読んでみてください。

 



先日、ご自身の経験を通して身につけられたことをお話してくださる方から、善悪についてお話をきかせていただきましたので自分なりにまとめてみました。

 

善悪の基準とは、簡単に表現すると「力を持っているものの都合」ということでしょうか。


力を持っているものが自分の都合に合わせて力を集めようとする、もしくは人からエネルギーを奪う、剥ぎ取る時、その行為を肯定・正当化することを善と基準し、否定する者たちを悪と位置付けます。


一方的なものではなくエネルギーの交換という関係性であると、そこには感謝(祈り)があるのだと思います。


たとえば食べる、という行為において、命をいただくことを思えば感謝があるかないかということは、その行動にも表れてきます。


無駄に食い散らかすようなことも、不必要に蓄えることもしません。


それぞれが自らの本心に従い生きている中で、それでも生きていくために相手のエネルギーをいただくことが必要な段階であり、相手のエネルギーをいただくという特別なことができることを有難いといって感謝する、生かされていることに感謝する、そういうものが善悪の中にはないように思えます。


 否定も肯定もしなければ悪にも善にもならないため、弱肉強食の「この地球圏」では善も悪もないということになります。


また「否定する」(人の嫌がることをする)ということが大きな点でもあり、他を認めないためエゴが出てくることになり、もしかしたらある段階での肯定(おだてる)もエゴを生むのかもしれません。


なぜ否定がエゴを生むかといえば、自分は正しい、それと違うものは間違っている、という理屈で他者を否定するからです。


自分の存在以外を対等に認めないのは、その自分だけの優位性が好きだからです。


『エル・・・・』などはそこを突き詰めて自称「神」まで上り詰めてしまいました。


 いろいろ理由をつけて法律やルールが作られていきますが、罰するということにしても、本来因果応報があるところに、あえてさらに罰金や罰則を作る意味は、力のある者たちにとって都合がいいからだと思われます。


ルールを守れないことで無用な葛藤を生み、力の無い者、エネルギーの少ない者から自由(考える、気づくなども含む)を奪っているのかもしれません。


そうした罰則は力を持つもの、支配しようとする者の都合でしかなく、新たなルール作りと称して組織を作ろうとTTPAIIBは話し合われていますが、結局その中心に位置するものの都合でしかなく、善悪を生み出す仕組みづくりでしかないのかと思いました。


競争社会、ヒエラルキー、というものも力関係で優位性を餌にエネルギーを搾取する構造でしかないと考えていいと思います。


いまこの時期は、エゴを新たに増やさない、ということが特に大事になります。


善悪の発想は人からの視線を気にすることにも通じていきます。


自分のためにやることは「がんばっている」で済ませられますが、そこに他者の評価を気にするということが混じってくると、自分のためではなく人のために頑張る、自分以上の頑張り「頑張りすぎる」ということに繋がり余計に消耗していくことになります。


つまり、無理(自分のこととして頑張れない)をしてもエゴが増えるからよくないよ、ということになってきます。


その人がやるべきことは、自分のためであればどんなにつらくてもやった方がいいとも言えるのですが、自分のことと思えないことはやるべきではなく、人のことまでやたらと手を貸したりするものではないという理屈にもなりそうです。


自分のためではないことは他者からの評価を必ずどこかで期待しているからで、それもエゴを生み出すことになると思います。


こうしたことの理解が進み実践できるようになると、エゴを増やさないようになってくるので、ここからカルマの解消への取り組みがなされていくように思います。


つまり、自分自身がカルマをベースに作られた今生ですから、自分自身のことを地道にひたすら取り組み続けることで、覚醒を目指すようなある方向性をもったカルマ解消という段階に入ると思われます。


それを選ばない方は、少しでも自分の好きな優位性を追求していきたいからその仕組みから抜け出ることを選ばず、好きで選んでいるといわれる由縁はここにあるのかと思いました。


 とりあえず、自分なりに整理をつけるとこうなりました。

 

焦り

施術をしていてよく伝わってくる言葉が


「焦るな」

です。

もう一つ、「まだ」というものもあります。

「まだ」はともかく、焦りについてご本人に確認すると、やはりなにか思い当たることがあり、話を聞いていくとできない自分を自ら作り出して責めていることがあります。

そうした方に対して同時に気になるのは、右偏重の体の使い方です。

左右を理性と本能にわけて表すものがあるようですが、私は利き手側が自分の都合、反対側が思うようにいかないもの、として考えることがあります。

仕事でいうなら、右は優秀なできる自分、左は足を引っ張る部下。
家庭であれば、右は社会の常識から外れないために掃除や生活の様々なことに積極的に取り組む自分、左はその邪魔をする家族、子供や伴侶など。

とにかくやらなきゃ、と追込み焦ります。

できないことまでやろうとしています。

この場合は私の左右の考え方からすると、右半身という全体の50%しかつかえていません。

しかし、足を引っ張ると思い込んでいる左のペースに合わせて動くと、体は100%でなくても6〜7割は力を使うことができるかもしれません。

結果的に1人で焦りながらヤキモチすると、思っているような結果がでないことになります。

それよりも、関わる誰かと共に歩むつもりでゆったりことに当たったほうが、思うような結果をもたらすのではないかと思います。

渦中にあるとそうもいってられませんが、施術で気づいていただくことで少しずつ変わろうとしてくださっている方たちがいらっしゃいます。

そこでまた焦って、「すぐにでも変わらなきゃ!」「できなかった・・・」となります。

他のことであれば、「やろう」と決意して実行できる方たちなので、少しずつでも続けていくことで変われるでしょうし、「変わる」と決意できるときが来ます。

できないと責めるようなことは今はできないと割り切り、責めるくらいなら、「ここは責めずに我慢できた」「おもっていたことの1割はできた」「明日から取り組もうって思えた」など、できたことをよく自覚して自分で自分を褒めてあげるのもいいかと思います。

その積み重ねは成功体験になりますし、ポジティブな習慣にもなります。

実際に行動に移しているので、やった分だけエネルギーもまわり、地道に余裕をうみだしていきます。
※お祈りも同じで、言霊という言葉の持つエネルギーがあり、ポジティブなきれいな言霊を発し続けていることでやった分だけいいエネルギーが回る、そう考えていいようです。

責めたり否定すればやった分すら丸投げです、むしろマイナスかもしれません。

自分を褒めて周りも嫌味のない程度に褒める、笑う。

できそうなら、やってみてください。

マッサージがあまり必要ない生活が送れるかもしれません。



最近の自分

このブログはなにか目的があって書いているような書いていないようなところがあります。


なるべく毎日書きなさい、ということで書き始めていました。


まとまりのない内容や、エゴの多い文章も気にせず載せていますので、その割合を見定めながら読んでいただくのがいいかと思います。




今日は自分の今の状況をなんとなくですが実感できました。


思うように進んでいる実感が少なく、すごく重い感じがしているが、気持ちはきちんと前を向いていて焦ってもいない、というものです。


これまでは変化を実感することも多く、やったらやった分だけ感じてきたような気がしますが、状況がかわり変化にかけるエネルギー量が多く必要になった感じです。


しかしゆっくりではあっても確実に変わっていること、逆戻りしていない、無駄に落ち込んでもいない、うぬぼれてもいない、そういう確認ができるため大丈夫だと思っています。


これがBBSで言われていた「ここから先が大変」ということなんだな、と思っています。


善と悪については厳しい返答ではあったものの、人間智で推し量れる範囲ではある程度のこととしてOKをいただけたので、もう少し掘り下げて理解につなげようと思っています。




伝 48

花開かせる前に


実を結ぶ前に



種がまかれ


芽をだし


枝を広げ


根を張り巡らせています



そうした過程を経ているからこそ


花は色づき香り


実は熟して実ります




夏至が近づき

いらしてくださっている皆さんの近況を聞きながらの施術が続いています。


体調を整えつつ、近況の整理、そしてある程度夏至を迎える準備が整う、そんな感じの方が多いです。



ここにいらっしゃるまでに日常生活では思うようにいかないことも多々ありますが、お話を聞いていると意外な見方というものも分かってくることがあります。


日々過ごす中でカルマの解消という考え方があるかないかだけでも、いろいろ違うと思います。


日常生活でやるべきことをやっている方が大半ですが、みなさん「できてない」と思い込んでいるようで、自分で自分をしばっていることもよくあるのだな、ということがわかります。



身軽にして節目を迎えること。



やった分だけ成長するのであれば、カルマを解消した分だけエネルギーを多く扱える器になっていくわけで、10のカルマ解消に10の器ではギリギリですが、その解消後に2成長すれば12になります。


次にまた10のカルマが現れても12の器で受け止めれば余裕を感じるはずです。



問題は、そこで消えていく姿として向き合えるかどうかだと思います。


カルマを解消している段階でエゴがでてカルマを増やしてしまった場合、それが3増えたら例え器が以前よりおおきくなって12になっていても、1足りないために重い負荷となってのしかかられて沈んでいくことになるかもしれません。


混乱の渦中にありながら、付け焼刃で「これは消えていく姿だから」と平常心を保ちながらお祈りできる方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。


それができる方の数が約2割程度なのだと思っています。



これからの時期、少しでも沈めばかなり大変になることは目に見えています。


「善と悪」についてのところでも書きましたが、いまはエゴを増やさないことが非常に大事です。



夏至、冬至、と節目を迎えるたびに、都度成長し身軽になっていかなくてはいけないということは、カルマを解消し続けていかなくてはいけない、ということでもあります。


そこのところを勘違いしてあぐらをかいてしまうと、ちょっと大変だと思います。


やることをやらないで時期がくることだけ待っているのは、受け取る準備をしないで待つことであり、自分が新たなエネルギーを受け取れるよう準備しておかないことにはどうにもなりません。


身の回りでは大変な事態になっていくなかで、平常心を保ちながら自分のことに集中していないと、巻き込まれることもあるはずです。


その時になって取り組んでももう遅い、ということもあるわけですから、時間のかかる課題などは早めに取り掛かられるといいと思います。



「神伝式施術」と表記しているので、不審に思う方もいるかと思っています。


お祈り、という言葉もよく使うので宗教のように思われるかもしれません。


五井先生が提唱されたものなので実際宗教由来ともいえるお祈りですが、当院はそうした団体には関係がありません。


ただ、よりよく生きる、生きやすくなる、ためにいいと思いお勧めすることがあります。


しかし、それは無理強いするものではありませんし、なにかお金をとるものでもありません。


続けていただくことで、いずれはマッサージに来ていただく必要も無くなっていくと思っています。


また、まっとうに生きるということを考えさせてくださる上に、質問にも答えていただける宇宙全史もお勧めしています。


どんなものか知りたい方は宇宙全史のBBSで勉強していただくか、施術にいらした際にでもお尋ねください。


分かる範囲でお話いたします。






伝 49

記憶がもたらす郷愁に苛(さいな)まれながら


人は生きているのです

父の日の似顔絵 最新版

今朝描いてくれました!


かなり似てきていると思います。


右の頬がバカボンみたな輪郭ですが、こういうのが子供らしくていいですね。

夏至前の感じ

昨日は最近では珍しく予約で埋まった一日でした。


それぞれに違いはありますが、共通して見えてきた事は、夏至を目前にひかえ課題をクリアできたかどうか、その確認の機会である事が分かってきました。

人にもよりますが、今回までで一区切り、という方も数人いらっしゃいます。

ここから先は夏至後の様子を見て必要かどうか考えましょう、という感じで、とりあえず夏至を身軽に経過していく準備は整った感じの方が多いです。

また、そういった方であっても身の回りでは違う方向に舵を切っている方もいらっしゃるため、平常心の準備が待った無しになりつつあります。

夏至を過ぎてどういう展開がなされていくのか、いまは非常に気になっています。

先日も書きましたが、世の中が上昇していく中で相対的に考えると現状維持は自らを低下させる事になります。

世の中の上昇と同じように自分も変化成長して上昇していかないと、そこから先は無いと言えるかもしれません。

そのためには、自分に目を向ける事。

周りを気にする余裕はないと思います。

そして自分をよく知り、エゴについて小まめに取り組みカルマ解消を果たしていく、そういう流れが基本かと思います。

エゴやカルマが具体的にどういうものかは分かっていません。

勉強しながら、理解につとめながら、これからを生きていくつもりです。


※余談ですが、BBSのNo.2432についてです。
    掲載内容が重複していたことをお伝えしたことに対する御回答でした。



今週は

開業以来、一番忙しい1週間を過ごした気分です。


自身の成長、力不足、両面感じつつ、患者さんと向き合えることがうれしい充実1週間でもありました。


いらしてくださった皆様、ありがとうございます。


いつもこちらを見てくださっている皆様、ありがとうございます。


※一点お詫びです。

昨日ブログは更新できていたのですが表示されていませんでした。

失礼いたしました。


善悪について先日掲載し、その後少しずつ整理ができてきてもいますが、あのことを理解していないと今の仕組みから抜け出ることは通常できないと思うようになっています。


人間智を超えた情報も相当なインパクトがあると思いますが、まず人間智のほうをきちんとしておかないと話になりません。


私個人の思い込みかもしれませんが、あの内容だけは叩き台にしてもいいしケチをつけてもいいので、自分なりの理解の足掛かりにしていただけるといいと思っています。


それすらも超えた救いをお祈りが、五井先生がなさろうとしてくださっていると思うと、またそうした理解も深まると思います。



来週は夏至も過ぎてひと段落ですが、人によってまた状況の変化もあることと思います。


施術を通してなにができるのかを、またわかりやすくお伝えしていけたらと思ってもいます。


いまは患者様の声を参考にしていただき、身近な方でも私の施術が合いそうな方がいらっしゃいましたら、ご紹介いただけるとうれしいです。



22日(月)はまだ若干の空きがございます。


営業時間外では返信が遅れることもありますが、メールであれば御予約・お問合せが可能です。


ご不明な点などございましたら、お気軽にお問合せください。



では皆さん、よい週末を





伝 50

いまこの時からなにかが変わるのではなく


これまでがいまをもたらし

いまがこれからをつくります


過去の変遷を経てあらわれる今を見つめ

どこまでもあなた自身に集注すること


究極の自分自身に意識を向けなさい

そういう自分を求めてください


いついかなる時もあなた自身であれるように

どこまでも自分から目を背けることなく

向き合ってください


目を奪われることなく

あなたであり続けてください


命をあらわすあなたの中心

そこから立ち現れるあなたという幻想


全てがその幻想に囚われていた時代の愚かさに気づき

いま変化の促しは

いっそう強く光を放ち照らし始めます


浮き上がるものすべてを消していくことで

あなたは自らが進む方向を

より確実なものへと定めていきます


定めるのは目の前の一歩です


さらに先を定められるのは

その一歩を踏み出したあとの話です


なにかを見越して事をなすのでは

あなたはいまこの時である

あなた自身に集注することはできないでしょう


二元性の理から抜け出るために

右でもない

左でもない

真ん中を知るために

右を知り

左を知るのです


心ある道を進むために

ブレながら

左右を見渡すのです


浮き足立って右に行きたいと思えば

恐れおののいて左に行きたくないと思えば

進むべきあなたを見失ってしまいます


よくよく見定めることです


伝 51

切羽詰まってことにあたるよりも


羽ばたく翼があるうちに動いた方が

いかに自由に動けることかと

後悔しながら物思いにふけるものです


一羽の羽ばたきで群れが動くように

一人の行動が

周りを促すこともあります


不安に駆られて飛び立つこともできますが

時期を知る者から

羽ばたき旅立つことで

共に生きる仲間たちは

その動きに同調し

突き動かされて

機を得ることでしょう


同調しない者には

また別の機が訪れます


どの機を掴むかは

その者の本能に他なりません

朝の散歩

今朝は2歳の下の子が駄々をこねて、「おさんぽ!」と舌ったらずなしゃべり方でいうので、保育園に登園する前に息子と三人で近所を15分ほど散歩してきました。


そこで左の虫を見つけました。


実家にいた頃はあちこち駆け回り、虫は相当探して回った方ですが、今住んでいる周辺では初めて見る虫が少なくありません。


これはフンコロガシの一種でしょうか?


こういう発見の楽しさが子供との生活での魅力の一つだと思っています。


また子供たちは御近所さんとの会話を潤滑にしてくれることも少なくなく、そこに妻の本領が発揮されると、私の知らないところで御近所付合いがひろがっていることもあり、先日はとれたてのトマトとナスとキュウリを突然手渡されてしまいました。


もう少しするとセミやらバッタやらでてくるため、子供との散歩の機会が増えそうです。


子供がいなくても、子供の目線と好奇心で近所を散歩してみると、ゴキブリをみつけただけで笑顔になれるかもしれません。


ダンゴムシにいたっては、両手にいっぱい乗せてしまうかもしれませんよ(笑)


体のためばかりでなく、そういうお散歩もお勧めです。



伝 52

たしなめることを恐れて


口にできない思いがあります


たしなめられることが嫌で

向けられない意識があります


どちらも自分から目をそらしているだけです


たしなめること

たしなめられること


どちらも自分で自分に行うことなのです


誰かを思い描いているうちは

まだ自分に向き合う覚悟がないと知りなさい


伝 53

消え去る想いがあります


湧き出る想いもあります


留める記憶があなたをつくり

流れる想いが時間を感じさせます


繋がりを通して感じるものが

あなたの世界になっていきます


感覚がなにをしているのか

考えてみるといいでしょう


肉体があなたであると思い込む因果は

そこにあるのです




夏至効果

BBSに掲載されたのでご存知の方もいると思いますが、ここ数日、私の家庭は活気がありました。


夏至のステップアップだったそうです。


とはいえ一時的なことでしたので、いまはまた以前と同じ感じになっています。


昨夜は非公開情報を読み、改めてありのままの自分を知ることの大切さ、無理をして自らに無用な負荷を負わせる難しさ、そうしたものがなぜか頭を離れずにいます。

エゴを薄くすることの意味はわかっているようでわかっておらず、これくらいはいいだろうという自身の甘さに向き合うところから考え直してみようかと思いました。

私にとってこれは、折に触れて立ち返るポイントかもしれません。


些細なことのように思われるかもしれませんが、自らの甘さから派生して自分の知らないところで思わぬカルマが発生していることもあり、そうしたことへの厳格さはこの先より一層求められるものと確認もできました。

非公開情報の取り扱いに関してはすでに削除されていると思いますが、かつてBBSにも相当に厳しいものが書かれていましたので、特にエゴを持ち込まないことが懸命だと思います。


気付いたところから変えていけるかどうか、ゆるしていけるかどうか、そういう柔軟さはエゴを無用に増やさないコツとして現在勉強中です。


伝でおろされた文章は私のエゴを介していますので、私自身も意味を考えなくてはいけないのですが、ここ数日はその前後にいらしてくださる方に向けられたものも幾つかあり、自分なりに非公開情報や手にした本との繋がりを感じる内容があるため、人知れず驚いています。


例えば、簡単な短文であっても意味が深いことを今回知りました。


いまはわかりづらい内容も多いと思いますが、今後精度があがることでわかりやすくなっていくと思います。

無理のないところで続けていこうと思います。




伝 54

陽がのぼり夕日が沈む

 

一日が太陽によって構築されていく中で

 

 

人の一生は

 

産声をあげてうまれおちてから

 

息をひきとり死ぬことによって

 

完結すると思うかもしれません

 

 

しかし太陽が沈んだあとの夜も一日であるように

 

死んだ後もその人の生涯はつづいていきます

 

 

陽の光に覆われて姿を隠していた星々に気づくように

 

死後の世界の神秘に目を向けることで

 

陽の光の新たな側面を知ることもできます

 

 

 

考え方、など

宇宙全史をご存知の方向けの問いかけとなりますが、夏至が過ぎ数日経ちますが、なにか変化を感じている方はいらっしゃいますか?


BBSの昨年の夏至の頃の更新が一つ目安ではないかと思います。


興味のある方はご自身で宇宙全史のBBS内にある左のNo.271を確認してみてください。



反映の仕方は人それぞれだと思いますし、ありのままで自分を見つめていないと実際との間に差異が生じ、思っていたようにいかない焦りやいら立ちがでてしまいます。


すぐに反映されないこともあれば、カルマの解消が先だってでることもあり、無用な葛藤を生じさせないための平常心を心がけていることが大事だと思います。



非公開情報の取得もいい例ですが、知りたいと思っても知りえない情報は山のようにある中で、それでも目の前にあるもので勉強することはできます。


そこで変に焦ってしまうとおかしな行動をとりかねません。


いつもなら手を出さないようなことに「つい」手を伸ばしてしまうこともあります。


余裕があるうちはよほどまでそういうことはないのであれば、その余裕を保つためにどうしたらいいかを考えることが今できることだったりもします。


休む、寝る、一息つく、そうしたことを意識的に行うようにしてください。



先日いらした方を施術していて、その内面に見渡す限りに広がる重苦しい世界を感じたことがありました。


視覚的な大きさで言うと人の体の何倍というレベルではなく、高台から見下ろす町並みや遠くに連なる山脈が見えるような規模で、その視界に入る景色がナウシカに出てくる腐海の森のような有様になっており、人の抱えているカルマやエゴの膨大さを感じた気がし、ちょっとこれは一生かけてどうこうできるものではないな、というのが正直な感想です。


もしその通りだとしたなら、五井先生がお祈りを通して引き受けてくださることの有難さ、その意味を考えるきっかけとなっています。


エゴがでるようなことをして自らの首をしめるようなことがないようにしたいと思います。



少し前に夢を見ました。


海辺でたくさん小型のボートが並んでいるところを、沈みそうになりながら暴走する1艘の小型ボートがありました。


そこに乗っている方は沈むとわかっているのですが、


「こういう非常事態時はシートベルトを締めなくては」


と平常心を保っているつもりでシートベルトに縛られて沈んでいきました。


慌てて私がシートベルトを外し、一生懸命水面に押し上げていると、不意に水面上から誰かが手を差し伸べて引き上げてくださり、その方は助かりました。



夢はここまでですが、その後施術をしていて感覚的にこういう状況の方が数人いらっしゃいました。


日々様々な理由でやるべきことを先送りにしたり、思い込みの正論で自らを縛りエゴを増やして沈んでいく。


ひとつの例えとして考えていただくといいかと思います。



伝 55

人との関わりの中で育まれる情動は

 

時に甘美であり

 

翻したように残酷にもなります

 

 

そうした浮き沈みに翻弄されて漂い彷徨いながら

 

いつしかそうした絵空事を自らであるかのように思い込み

 

抜け出せなくなることがありますが

 


そうした無用な自分ではないものへの同調感は

 

気づきや学びや具体的な理解を通して引き剥がすことができることを知ってください

 

 

自分を知ることで理解が進むこともあります

 

自他の区別をつけることは

 

そうした自分を解放することへの一助となることでしょう

 


 

伝 56

生きること


その意味を自らに問いただした時に

湧き上がる感覚を覚えておく


そうすることで

頭で考えて答えを出すとは異なる

自らの定め方というものを

知ることができます



土日に帰省してきました