赤ちゃん

先週の土曜日のことですが、午前中に継続している以前の仕事からの患者さんのお宅を回っている途中、久しぶりにお会いした方がいらっしゃいました。


その方にお会いするのは前職を辞めて以来だと思うのですが、妊娠8か月で翌日から産休に入るというお話で、逆児で鍼灸を受診しようか悩んでいるんです、とのことでした。


立ち話をしながらでしたが、気になったのでお腹を触らせていただき、冷えている処や強張っている処を見つけて手をあてていくと、お腹の子も反応してグニグニ動き出しました。


特にその場で変わるとも思っていませんが、冷えている処に温かさが戻ってきたことを確認し、内観しているとお腹のなかに黄色い光を感じるのでその子の個性を現すのかと思い深く考えずに終了し、急いで仕事に戻りました。


そして二日あけてその方から連絡が入り、月曜に検診を受けたら逆児が治っていたと報告を受け、なにがきっかけかはわからないものの一安心しました。


そして黄色い光のことを考えていると、以前思うような結果にならなかった妊婦さんを施術した際、青い光が見えていたことを思い出し、「赤」ちゃんという言葉の意味を考えました。


そしてあの時見えた青色はお腹の子のコンディションとしてはよくなかったのだと気づき、赤ちゃんというだけあって、やはり赤い光として感じられたなら比較的順調と思えばいいのではないかと考えています。


症例がごくわずかですから仮説にもなりませんが、黄色い光で見えたお腹の子については、その妊婦さんも体を冷やし気味という自覚があったため、本調子ではないだろうと考え改めて簡単な対処法をお伝えしておきました。


こんなこともたまに考えている、という内容です。



伝 77

まず やれることからやりなさい


やれないことは やれないと知りなさい


そしてなによりもそのために


自分を知りなさい


自分を知らないまま前に進もうとするから


前に進まないのです


余計なことをして


自分を知ろうとしない自分に気づきなさい


すべてはそこからですよ






ちょっと頭の整理のために



最近、思い込みということに注目しています。

 

エゴとはなにか?と考えると、わかるようでわからないとある時気がついたことがありました。

 

わかっている方もいらっしゃるとは思いますが、私のわからないなりの考えを書いてみようと思います。

 

エゴについては折に触れて考えてはいるのですが、最近は「思い込みによって全体から区切った自分、もしくはその区切り」と考えています。

 

エゴをうすくするとは、その区切りでもある思い込みに気づいて変えたり無くしていくこと、と考えており、それが人としての成長ともいえるかもしれません。

 

そうする事で自他の境目が減っていき、全体との調和がとれていくイメージです。

 

元々が全体性であるならば、後天的に作り上げた思い込みはあるようで無いものでしょうか。

 

そうした思い込みやそこから生じた葛藤、それらにまつわる因縁や不幸と思われる現象は、自他の区別が取り払われた自らの全体性に気付いたり意識していくことで無くなっていきます。

 

「消えていく姿」を今はそのように考えています。

 

 

最近は施術時にエゴをうすくするようイメージしながらを取り組んでおり、そうした取り組みの結果なのか局所的な筋肉の緊張が緩むことがあるため、体や働きの不調はその方の何がしかの思い込みの現れや反映ではないか、と考えるようになってきました。

 

施術によって身体が緩むことで思い込みがはずれるわけではありませんが、その程度が弱まることはある気がします。

 

そうした弱まった状態からこれまでとは違う考え方や行動に移していくことは、それまでのパターンとは異なる結果を導き出しやすくなるとも考えられます。

 

今までとは違う自分になっていく、思い込みに気付いてエゴを薄くしながら全体性に気づくという方向性において成長する、そのための施術を少しずつでもできるようになっていくことが私の課題だと考えています。

 

施術を通して体に働きかけ、そこから感じたことや伝わってくることをお話し、変わる縁にしていただく。

 

施術の大まかなイメージは、そう捉えていただくといいのではないでしょうか。

 

まだ整理や理解できていないことをお話しすることも時にはありますが、ご自身で考えていただくことがなにより大事ですので、ヒントになることもあると思いその都度お伝えしています。

 


明日はお休みいたします

明日の5日(土)は勉強会参加のため、お休みさせていただきます。

 

7日(月)は、都合により16時までとさせていただきます。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

たまには笑いを

あわただしい毎日をここ1週間ほど過ごしています。


昨日いらしてくださった方とのお話では、自分が最近学んできたことをお伝えし、それが伝わっている実感も得られ非常に気持ちよく過ごすことができました。


わたし自身もまだ整理できていないことはありますが、同情や非情さへの理解が深まると、今後の生き方もよりクリアになることがわかってきて、なにやらうれしくなってしまいます。



BBSをご覧の方はご存知かと思いますが、体調はいい方ではないのですが施術中はあまりそうした症状はでないのですが、今後もいいときのほうがおそらく少ないと思いますし、そういうものだと考えて過ごすようにしています。



フェイスブックで見つけた動画ですが、たまにはこういうものもいいかと思いますので、よければ見てみてください。


https://www.facebook.com/petr.fatr/videos/10206655775456045/


一息いれましょう

やっぱり

今日は台風の影響もあり、昨夜から頭の整理をする日と決めていました。

 

おかげさまでゆっくり考える時間はありましたが、整理しようと考えていた「同情」「非情さ」「エゴ」「自由」などについて考え始めると

 

『やっぱりわかってなかった』

 

と気づいた次第です。

 

まったくわかってなかった、というわけではありませんが、患者さんに対して先日あまりにも淀みなく話せたものですから、私個人の理解度というよりは、いらしてくれた方のタイミングで必要だったからのようです。

 


わたし自身がいま実感している成長のベースは、これらの整理しようとした知識によるものです。

 

宇宙全史で書かれていても理解できていないことは山のようにありますが、それらを理解するうえで欠かせないものだと思ってもいます。

 

その時理解できるものしか話しても伝わらないと思いますので、全てをいらしてくださったときに伝えようとするのはかえって効率が悪いのですが、伝わるような工夫はできるわけで、施術前後の時間でのお話で一つでも伝わるものがあればすごくやりがいになると思っています。

 

別巻を読んでいる方にお話すれば、このことをわかっていないと成長していくには大変、と考えていただけるのではないでしょうか。

 

読んでいない方であってもわかってもらえるように伝えられれば、これから先大いに生きやすさは増すはずですから、わたし自身のさらなる成長を求めていくつもりです。


 

以前書いた「善と悪について」 http://www.siatu-hajime.com/2015/06/12/善-悪-について/

 

 の内容を読み返しましたが、まだ整理できていなかったのだとわかる読みづらさです。


しかし、こうしたことも知識として入れておくと、同情などの理解を促してくれると思います。



11月からはメニューや料金等を少し変える予定です。


上記の事などお話することで、その後に影響すると考えておりますので、時間を決めてお話できるよう施術時間として組み込むつもりでいます。


そうした時間が必要ない方は普通のマッサージだけでもかまいません。


知っているといっても不完全な理解ですが、ご自身で考えていただく叩き台にはなるでしょうから、私が知っていることでお伝えできることがあれば惜しまず伝えたいと思っています。



いろいろお話したい方は予約状況にもよりますが、余裕がある時期に早めにいらしてください。


準備ができるなら早い方が楽だとおもいます。


私が気張っても患者さんの便通は解消しませんし、私が体を鍛えても患者さんの筋肉が肥大するわけでもなく、ご自身が自分の生き方に取り組まれるだけでそれはそのままご自身に結果となって表れます。


ご縁のある方、お待ちしております。




一週間おつかれさまでした

今週は台風の影響がひと段落したかと思いきや、朝から地震に目を覚まさせられ、雰囲気がハードな印象の方もいたかもしれません。


今朝の地震は東京湾を震源としており、なにか合図のような感じもしました。


ともかく、ほっと一息入れる間もなく勉強会に行くと、今度は節々の痛みと発熱とめまいが始まり、週末はおとなしくしていろ、ということかもしれません。


肉体改造のようなものは、あまり長く続かないものだと思うようになってきました。


同じ症状は長くて1週間程度、症状が変わりながら続いていくこともあります。


参考になる方もいるかもしれませんので、一応書いておきます。



昨日今日は「同情」についていろいろと話を聞いてもらうことが多く、みなさんそれぞれに考えをおもちでした。


以前の私は考えようとしたことがこれまでなかったので、いまは自分の考えを伝え、患者さんの考えを聞き、とても勉強になっています。


考えたことのない方は、是非一度考えてみてください。




最近、これまで教えていただいたことが自分の中でつながり始めていたため、数人の患者さんにお話を聞いてもらいながら整理をしていました。

 

こちらでまとめて書こうかとも思いましたが、分けて書いていこうと思います。

 

 

土曜日に体調を崩し昨日も一日へばっていましたが、守護霊様からの肉体改造と思われる私なりの根拠の一つに、仕事に支障をきたさない、ということがあり、今日もある程度回復してしまっています。

 

宇宙全史のBBSに質問されているルポさんは1カ月以上不調があるため、肉体改造といっても加減は人それぞれですね。

 

 

今回体調を崩すことで、ある方からいろいろ教えていただいたことのひとつとして実感したことがありました。

 

「人の調子はいいときばかりではなく、むしろ良くないときのほうが多い」

 

というものです。

 

そして、自分の基準を一番いいところにもってきて、それ以下の状態のとき自分を責める人が多いとも教えていただきました。

 

ということは、バイオリズムの波グラフのようなものを考えていただくと分かりやすいかと思いますが、その頂点は全体の中で数%しか占めておらず、残りの90数%を常に否定する生き方をしていることになります。

 

生きる意欲というのは非常に大事で、子育ての光景をイメージしながら考えてみてください。

 

なにをやっても怒られ、責められ、否定される環境で育つ子供と、とりあえずやったことを認めてもらい、もしくは褒められて育つ子供、どちらが生き生きとするでしょうか。

 

前者は、自分の判断を持たなくして力のあるものに従うか、生きる意欲を無くして死に向かうか、大きく分けるとその2つになっていくようです。

 

周りで人が認めてくれなくても、自分を信じて生きていく、そうすることで自分の人生をよりよく生きていくケースがあると思うのですが、ある段階にいくと非情さというものを実践するためには欠かせないものではないかと想像しています。

 

非情さはおそらく二元性を超えた生き方だと思いますので、今の私には理解できないと考えていますが、ともかく、他の誰も認めてくれなくても最後は自分で自分を信じることが出来るにも関わらず、その自分でさえも否定し責める考え方というのは、改めれるなら改めた方がいいことではないでしょうか。

 

では、自分の基準をバイオリズムの好調期に合わせないでどこに合わせたらいいのか、そう考える方もいるかもしれません。

 

少し下げて中間点位を基準にすればそこまでストイックにはならなくて済みます。

 

しかし、半分は否定しながらということがやめられないかもしれません。

 

そこで「普」という言葉にたどりつきました。

 

「普段」「普通」という言葉に使われているこの文字は「あまねく」という読み方もできます。

 

辞書を引くと、「すべてにわたって、隅々まで」とありました。

 

言ってしまえばなんてことない表現ですが、いい時もわるい時もすべてを認めて生きる、という基準にすればいいのではないか。

 

こういう時もある、でその時できる精いっぱいをやる、でいいんだよ、とある方から教えてもいただきました。

 

普段とか普通という言葉の印象もずいぶん変わってくる気がします。

 

日常こそスペシャルという意味もなんとなくですが、分かりそうな気がしてきました。

 

これしかできなかった、ではなく、ここまではやれた、です。

 

このことは宇宙全史第一巻のカルマの章、P.448にも書かれている

『しかしそこに残る印象は「ここまでやり遂げた」という印象で決して「ここまでやり残した」印象ではないのです。』

に通じることかと思います。

 

 

無理なくそう思えるようになることは、強い思い込み(エゴ)外さないと難しいと思いますが、生きやすい生き方、という大きな基準で考えた時には参考になるかと思います。

 

成長を実感できているとき気分よく過ごせている人は多いはずです。

 

いたずらに責めたり否定しない方法を考えながら生きてみるといいようです。

 

 

 

 

 

手足口病

さきほど病院を受診し、手足口病の診断を受けてきました。


今日の昼ころから手に湿疹がたくさん出はじめ、「これは」、と思い受診し、案の定という結果です。


大人への感染はあまりないのですが、施術を通して触れる機会が圧倒的に多いため、とりあえず1週間休んで様子を見ることにします。


場合によっては延びることもありますが、来週ご予約いただいている方には前もって早めにご連絡させていただく予定です。


仕事に支障をきたしてますね、今回のは。


そういうこともある、ということですね。


今週ご予約いただいていたみなさんには大変ご迷惑をお掛けしています。



それにしても、子供たちも体調を崩してはいるものの、二人とも手足口病ではありません。


どこからきたのやら。


免疫力が落ちて持っていたウイルスが発動したのかもしれません。


みなさんも身体を休めてくださいね。




営業再開します

先日は私の都合で急きょお休みをさせていただくことになり、大変ご迷惑をお掛けいたしました。


ご予約をしていただいていた皆さんには特にご迷惑をお掛けしたにもかかわらず、こちらからのキャンセルの申し出を快諾していただき、非常に助かりました。


ありがとうございます。



医師からは「今週いっぱい休めばいでしょう」ということと、水泡が消えれば大丈夫とのことでしたので、現状ほぼ回復していることから来週月曜日から再開することにいたしました。



9月21日(月)から、営業再開いたします。


21日(月)~23日(水)は、少し早めの12時からの営業とさせていただきます。



今週いっぱいはお店はお休みになりますので、ご予約についてはメールでのみお受けいたします。


よろしくお願いいたします。




『神様にまかせきる』

『神様にまかせきる』 五井昌久著

P.66

『自分がこうやって生きているように思うけれども、自分が一歩一歩、歩く歩みでさえも、神様がやっている。

 

自分が考える。考える力の原動力は神様なのだ。心臓を動かしているのも、肺臓を動かしているのも、なにもかも、神様の御力がやっているんだ。

 

ということを思わなければいけません。それを想いつづけるんですよ。そうすると、知らないうちに自分の想いが、神様の中に入ってゆく。だからいつも私が言っているように、神様の中に入ってゆくのです。』


先日書いたブログ(http://www.siatu-hajime.com/2015/09/14/普/)の「普」という字の持つ意味への自分なりの理解を促す文章を、上記の中に見つけました。

 

私の中ですっかり抜け落ちていたことが、上の「考える力の原動力は神様なのだ」です。

 

これによって、あまねくいきわたっているもの、隅々まで通っているものが「神様」なのだ、と腑に落ちました。

 

自分なりの気づきなので、一応ここに書き留めておこうと思います。

 

 

お休みの間は最近学んだことを文章にしていろいろ整理しようかと思っていたのですが、ずっと気になっていた五井先生の御本を読むことと、同じく体調を崩して保育園を休んでいた娘の相手をして、あとは体を休めたことでほぼ時間はあっという間に過ぎてしまいました。

 

住居の引っ越し先もとりあえずめどが付きそうです。

 

 

復帰しました

お騒がせしましたが、本日から仕事復帰しております。


病み上がりですが体調もさほど問題ありませんでした。


帰る時には気分よく帰っていただけるよう頑張ります。


世の中があわただしくなってきていますが、身近なところでもにぎやかになりつつあり、同情で引きずられる様を遠巻きに見せられている感じですね。


平常心を保つ実践の場になってきているので、これから身近な人たちににもこれまで学んできたことを伝えたいと思うのですが、混乱したりパニックになっている人は話を聞ける状態ではなくなってしまっています。


冷静に学べるうちに必要なことは理解しておかないと大変だということが改めてわかりました。


御祈りを続けることで生きやすくなっていく、ということも同時に感じていることです。


より真剣に御祈りができる方はそうしていかれるといいかと思います。





ご存知かもしれませんが

先日五井先生が御祈りされている動画をYouTubeで見つけました。


http://youtu.be/cKe1ADxCcB8


サービス内容変更のお知らせ

『サービス内容』(http://www.siatu-hajime.com/サービス内容/)のページに、11月以降のサービス内容についてご案内させていただきました。


大きくは2つの変更点があります。


・一つは、カウンセリングを施術時間として扱い料金をいただくようにいたします。


・もう一つは、料金を一律10分1000円+消費税とし、メニューをこれまでの40分、60分、90分に加え120分を新たに増やします。


多少修正を加えながら、ということになるかもしれませんが、いらしてくださった皆さんに気持ちよく帰っていただけるよう頑張ります。


よろしくお願いいたします。



感じているのは「今」ですか?

2か月ほど前に施術をしていて、今に集注してみよう、と考えたことがありました。

 

そこでまず患者さんに触れながら、その感覚に今を見出そうとしてみました。

 

その時フと、「あれ?これはなにか違うぞ」と思ったのです。

 

夜空を見上げて星を見た時、その光は今見えていたとしても、実ははるか昔にはるか彼方で発した光なのです。

 

意味は違いますが、そこからイメージがわいてきて、患者さんに触れて感じているのは今では過去のことなんだ、とわかったのです。

 

手のひらで感じ、腕を伝って脳まで神経を介して伝達される、その過程が存在する以上、例え瞬間であっても時間差が生じているため、五感覚で感じとっているものは全て過去ということになります。

 

つまり、何気なく過ごしている日常において今を生きていると思っていたのが、実は過去に生きていたということになるのかもしれません。

 

話が逸れましたが、施術で今を感じるには五感覚や相対的なものに頼ってはだめなんだと気づき、時間差の生じない私の内面の感覚に目を向けてみようと考えました。

 

すると、イメージとして患者さんを感覚で捉えており視覚化して感じているようでしたので、イメージの中で相対化しているものは消してみようと考えやってみました。

 

すると、この時はなぜかスムーズに相対的なイメージを次々と消していくことができたのです。

 

そして気がつくと、相対的な対象が無くなったと感じた瞬間、ニサルガの本に出てきた言葉でいう観照者でしょうか、相対的な私そのものも消えてしまっていました。

 

宇宙全史に書かれていた、ニサルガによって3行にまとめられてしまった認識のお話を体感したのかもしれない、そう感じました。

 

そして患者さんも私もあるんだけど、個としては無い、境目の無い全体性の中に溶け込んだ私や患者さんがただ一つの存在としてある、そういう感覚を瞬間でしたが体験できました。

 

エゴという境目が無い状態?を体験することでエゴの理解が進み、今に集注することも少しわかった気がします。

 

その後の体験として、まったく同じことはできていませんが、その感覚に近づくことで、揺れ動く自身のエゴを離れて見る感覚をここ数日施術中に深めることができてきました。

 

そこで私はエゴではない、見えているエゴや波風たてて揺れ動いているエゴは、消えていく姿として見ていればいいのだ、そう思いながら過ごしています。

 

すると、患者さんの身体の症状も今までとは違う改善の仕方をするような気がしてきており、自身の新たな変化にとても興味が湧いてきました。

 

自分の変化、成長を実感できており、非常に気分よく過ごせています。


エゴについて

 

以前書いたかもしれませんが、私が考えるエゴとは、自他を区別する思い込みと、その区別されたもの、です。

 

その区別が為されている場が、神であり、全体性であり、完全性、宇宙、様々な言い方ができるものです。

 

そして私たちがわかっているようでわかっていないのが、思い込みというエゴによって区切ってしまった以上、私たちは自らを部分にしてしまい、不完全なものにしたてあげているにも関わらず、万能で完璧であると思い込もうとする愚か者だ、ということだと考えています。

 

覚醒を果たすとは、そうした思い込みを外して本来の全体性に気づくことではないでしょうか。

 

その方向が地球人類の成長の方向性であり、そちらに向かい変わっていかないと世の中が次元上昇や世界移動して波動が上がっていく中で、現状維持では相対的に下降していくわけですし、形あるものはいずれ壊れていくということもありますので、大半の人類にとって生き残るためのほぼ絶対条件といえると思います。

 

生きる意欲がとても大事になります。

 

気分よく生きられたなら意欲がわきます。

 

ではどうしたら気分よく生きられるかといえば、覚醒を果たす方向性の中で成長を実感することです。

 

いたずらに自他を否定したり責めたりするのは、成長を阻害するばかりか主体性や自由や命を奪うことでもあります。

 

成長とは覚醒を目指すこととした場合、それを阻害しているのは思い込みというエゴであり、エゴを薄くするとは思い込みに気づいてその思い込みを変えたりなくすことです。

 

そうして境目に隙間ができていくことで自他の境目が無いところも現れ、全体と無理なく同調した生き方ができるようになるため、生きやすくなっていくのです。

 

ここで一つ大事なことは、人間一度に考えられることは一つだけ、ということ。

 

掛け持ちしてなにかやっているようでも、それは都度考えることを変えているだけで一度に複数のことを考えられるわけではないのです。

 

成長するにはその一度に一つしか考えられないという能力を使うしかないのですが、実際は過去の自分を責めたり後悔したり、幻想をいだいて未来ばかり夢見ていることが大半を占めています。

 

今に集注して自分がいかに成長できるかに全力を注ぐ、それを地道にこつこつと、というのではないでしょうか。

 

では四六時中思い込みに気づくように取り組まなくてはいけないのか、というとそうではありません。

 

思い込みは当たり前のこととしてあるため、普段はわからないのですが、当たり前のことからハズれた事に出くわすと人は落ち着かなくなります。

 

その時が思い込みに気づくチャンスであり、地道にこつこつと取り組む機会となるのです。

 

過去のことには手が届かない以上、その事に思いを馳せていたところでなにも成長にはつながりません。

 

今に集注して成長を目指すのであれば、過去の苦い経験は忘れることでできるようになるはずです。

 

自身の成長のために重要な今に集注しないで生きようとするということは、現状維持を選ぶことであり、それは先ほども書いたように滅びの道に足を踏み入れていくことになります。

 

自分よりものをわかっている人は成長を促してくれますが、そういう人の話を聞く気がないということも現状維持を選ぶことになり、その道は自らが選択したのであり、自己責任は厳密にその方にその結果をもたらすことになるのでしょう。

 

同情される人が相手を引き込むということも、結局は変わりたくない、現状維持がいい、成長なんかしたくない、だからその私を満足させて肯定して安心させてくれないと私は不愉快なの、という自分本位の勝手な都合を主張しているところにはまりこんでいくということになるのだと思います。

 

それが間違っているとわかっていて、自分の信じる道を差し置いて相手と同じレベルまで下がるわけですから、降りた差額分はごっそり陰始達にもっていかれ、自分もって相手も成長することなく落ちていくのはもちろん、主体性を放棄して自分を無くして相手に合わせているために生贄となってしまうことすらあるわけです。

 

いい人ほど同情によって落ちていく理由がこうしたことだと考えており、皆さんにぜひ考えていただきたいと思います。

 

まだまだ書き足りませんが、長くなったので一旦ここまでとします。

 

ありがとうございました。




伝 78

幅広く経験することで自分の道筋を定めていくのであれば


無駄を無駄と知ることも


その経験に含まれていきます




カバ

子供との合作です。


「一番つよい動物はなに?」

と聞かれたことがきっかけで、

「たしかカバって聞いたことがあるよ」

と答えたところ、

「じゃあ、つくって!!!」

と返され、構想にかなり時間をかけたことにして放置していましたが、なんとか形になりました。



先日書いた「エゴについて」の内容が分かりづらいとのご指摘を受けて読み返しましたが、たしかにわかりづらかったです。


夜中に勢いで書いたので、今は修正する気力もなくそのままにしてあります。


いらしてくださった方には手書きで図を描きながらお話させていただいてなんとか伝わっている内容ですので、興味のある方は施術時にそのようにお話いただければお伝えさせていただきます。