先日、ある方とお話していて気づいた自分の思い込みがあります。
「エゴのやることはわるいことに違いない」
これまでいろいろ教えていただいて、理屈は分かってきていたつもりでしたが、本心とエゴの見極めについて考えていたところ、そのことに気づかされました。
エゴであっても、良い考え方をすることがあります。
考えてみたら当たり前で、覚醒しているわけではないので、これまでほぼエゴだけで生きてきたはずです。
にもかかわらず、以前よりはマシな生き方ができているのは、エゴだけとは言いませんが、それがいい方に働いたからと考えてもおかしくはないな、と。
ところが、これまでの思い込みだと、エゴを否定してしまっていました。
目的がよりよく生きること、だった場合、エゴであっても内容を検証してみて、納得できるものなら、無理に本心と区別する必要はないんですね。
まだまだ理解が浅いことを実感しました。
それでも、そのことがわかっただけでもかなり嬉しかったです。
新刊に書かれていた空海の「反省」は、「良いエゴ」のいい例ではないでしょうか。
習慣化させて無駄なエネルギーを浪費しない、というエゴの傾向を上手に利用し、反省を習慣化することで、エゴを使って成長していくことが出来るということを実証してくださっていると思います。
少しそれますが、求聞持法について。
それ自体はよくできた道具のように考えています。
使い手の境涯を反映させてくれるもので、良くできた超一級品の包丁で例えて考えてみました。
超一流の技術を持つ方が使えば、その技術や才能を遺憾なく発揮させて超一流の料理を生み出しますし、私が使えば料理は下手なりに仕上げられる程度のもので、むしろ手を切りかねないよく切れる包丁となり、狂気を帯びた方が使えば凶器にもなりうる、そんなイメージです。
なんにせよ、そうしたいい習慣を身につけていくことは、成長を求める生き方には非常に有意義なことなんだと思います。
薄まってきてはいますが、私には話を鵜呑みにする性分があります。
それは、だれかを特別視することでその方の発言等をすべて正しいと思いこんでしまうため、その内容を観察して検証するような考え方をしません。
そういうことにはきちんと頭を使っていかないと、誤った情報や考え方により翻弄されていきます。
反省する、ということを身につけていくには、やはり考えるということが大事になりますね。
明日の3/5(土)と、来週3/8(火)は、都合によりお休みいたします。
3/21(月)は営業を予定しております。
ご予約いただければ待たずに入れますし、空いていれば予約なしでご来院いただいても受付できますが、その場合は一度ご来院前に確認のお電話をいただけると間違いありませんので、ご協力をお願いいたします。
施術時間は40分、60分、90分、120分とありますので、決めかねているような場合は目的に応じてご相談ください。
延長も可能です。
40分だと、時間が無い方がとりあえずという感じで受けられることが多いです。
60分であれば、なんとなく疲れている方への施術としては通常こちらなりますが、お話も含めてということであれば90分以上でご予約いただけると助かります。
また営業時間外であれば、メールでお問合せに対応をさせていただきますので、お気軽にご利用ください。
※メールの場合は返信が遅くなることがあります。直前などギリギリの時間帯は受付対応が間に合わないこともありますので、数日前など余裕をもってお問い合わせいただけると助かります。
あと、これまで施術を受けてくださった方の中で、「患者様の声」を書いてくださる方がいらっしゃれば、お願いしたいです。
こればっかりは私には書けません。
神伝式施術に限らず、シンプルにマッサージを受けての感想や複数回受けてのものなども募集します。
また、ご自身の気づきなども含めて書いてくださると他の方の参考になりますので、ご協力いただける方はよろしくお願いいたします。
最近考えていて分かったことです。
意志の強い人は、常日頃から頭を使ってよく考えているんですね。
それに付随していろいろお話を聞く機会もあり、いま、考えるということが楽しくなってきています。
昨年初めて観に行ったイベントが今年の4月にも開催されます。
きっかけは患者さんのお一人が、イベント関係者だったため、ご厚意もあり家族で両国まで行ってきました。
国技館自体は違うイベントでも過去に訪れたことがありますが、若い方たちの熱気がすごく、メインホール以外のあちこちでもダンスバトルが繰り広げられており、退屈しないどころかメイン会場にたどり着く前に見入ってしまったほどです。
特に印象的だったのは、小学生の子たちが誰よりも真剣に踊り、大人顔負けのパフォーマンスをしていたことでした。
動きはもちろん、目から伝わるその真剣さに嬉しくなってしまいました。
ようやくたどりついたメイン会場は、もちろんとても広く、演出も迫力満点でした。
限られた時間の中で沢山の観衆の視線に囲まれながら、自分の力を発揮しようとする気持ちの強さに、観ていて引き込まれてしまいます。
メイン会場以外で踊るダンサーの数の多さと、素人目にもレベルが高そうと思えるパフォーマンスの数々を観た後では、メインステージに踊ることの意味も違って見えてきます。
テレビで何気なく流れるダンスの映像があると思いますが、映像を見ているだけとは明らかに異なる迫力や盛り上がりに高揚感など、日常生活とは違うエンターテイメントの世界を楽しめると思います。
このイベントを教えてくださった患者さんからお話を聞くと、自分がやりたいこと、ダンスをこの会場で全力でやろうとしている人が集まっています。
それはダンサーに限らず、運営スタッフの方たちにも言えることのようです。
ご興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
ダンスアライブ2016 4月24日(日) 両国国技館
http://www.dancealive.tv/2016japanfinal/top.html
shigeさんは、私の大学時代の先輩です。
プロレスが大好きな九州出身で、名古屋の大学で出会いました。
一(はじめ)の開業に際してもご自身のブログでご紹介してくださり、「料金とサービス内容」のページ内にリンクをはってあります。
初めて会った学生時代から、熱い人だな~、と感じていましたが、shigeさんのブログを読んでいると、波乱万丈とまではいかないまでも、いろいろと経験されているのがわかります。
それを文章にするのがまた上手で、今回の「はじめに-commencement-」からのシリーズは、自己の失敗談をさらけ出しながら前を向いて進もうと必死に取り組んでいる様が書かれており、その熱意に引き込まれていきました。
更新は不定期ですし、「全14回」と書いておきながら「20回くらいになると思う」と後日言われたので、 いつ一区切りつくかわかりませんが、是非読んでいただけたらと思います。
エゴや本心はなかなか区別がつくものではありませんが、全力で取り組むことは加減なしですから、区別をつけようとすること自体がちっぽけなことに思えてきます。
なにか伝わるものがあるのではないかと感じましたので、ご紹介させていただきました。
shigeさんのブログにコメントも書き込んでいただけると、shigeさんの意欲もより一層高まると思いますので、書いていただける方がいるとうれしいです。
よろしくお願いいたします。
shigeさんのブログ
写真は一昨日、息子が描いてくれたUFOの絵です。
ちょっとわかりづらいですが、手前にマンション、奥にオフィスビが建ち、その間を巨大なUFOが飛んでいるのを、2年ほど前に自宅近くで観たそうで、そのことを一生懸命話ながら描いてくれました。
その時私はいなくて、妻と娘と三人で散歩していた時の事だそうです。
そんなに立派なUFOを間近ではっきり見れたなんていいな~、と内心思いながら話を聞いていました。
昨夜は違うブログを書こうとしていたのですが、「やめとけ」の一言があり、その後なぜかネット回線がつながらなくなる事態に・・・
保育園の子供たちの間で流行っている歌があまりにくだらなすぎて面白かったのでご紹介したかったのですが、ちょっと下品過ぎた内容だったからでしょうか、反省させられた感じで慣れない復旧作業をしてくたびれました。
一方で、昨日今日と施術では新たに気づくこともあり、慌ただしいながらも充実した感じがしています。
これまで教えていただき、みなさんにお話したりこちらで断片的に書いてきたことなどを先日整理してみました。
まだ途中ですので全体像ではありませんが、それぞれつながりがある事柄ですので、ある程度一覧のようにして、よりわかりやすくお伝えできる方法などを探しています。
当初「こういう意味」と思っていたことでも、時間の経過とともに理解が深まると、またちがった視点が出てきます。
お伝えしてきたことの全体像を通して行きつく要点は、非常にシンプルですし、聞けば「ああ、そんなことか」と思われるかもしれません。
ブログにもいろいろ書いてきたつもりですが、時折いらしてくださった方の口からちゃんと伝わっていると分かる言葉が出てくることもあるため、そういう時はがぜんやる気がでてきます。
要点に関しては宇宙全史の新刊を通して、改めてその重要性を確認できた気がしています。
私が要点と考えていることの一つですが、「真剣に生きる」ことを「考える」。
私もそうですが口癖になっている方も多い「難しい」(考える気はありません、問題をそこには感じていません)の一言で、目をそらすことができます。
目を向けて時間をかけて少しずつ考えることもできます。
いままでの習慣通りだと、難しいですかね。
「難しい」は「変わる気が無い」という表明になることがあります。
一度も考えたことが無い方は、一度考えてみるといいのではないでしょうか。
「変わる気がない」が何を意味するかは新刊を読んでお考えください。
私もこれまで考えてこなかった人間ですので、考え始めて日が浅いのですが、ご来院の際にお尋ねいただければ、私の出来る限りでお伝えしたいと思います。
おかげさまで今週は当日のご予約申込みなども多く、活気のある一週間となりました。
ご来院いただいた方たちはもちろん、ブログを読んでくださっている皆さまにも感謝して今週を終えます。
ありがとうございます。
来週もご予約が徐々に入っていますが、空き時間もございますので、ご来院いただける方はご連絡を心よりお待ちいたしております。
よい週末をお過ごしくださいませ。
私も教えていただいたことのなので身につけている途中ということもあり、きちんとできていることではないことを、まず先にお伝えしておきます。
以前も少し書いたかもしれませんが、エゴを踏まえて情報を読み解くようにすると、あまり勘違いや間違った情報の解釈にはならないのではないでしょうか。
人それぞれに様々なエゴという得体のしれないものがありますが、その濃淡や偏り具合などの影響で、情報を受け取る際にも、発信する際にも、その情報はなにかしら歪められていきます。
例えば、100%の純度の情報が伝わってきたとして、意識の中での歪んだエゴの主導権率が40%だった場合、その方の受け取る情報は60%の純度になります。
それをまた他の人に伝えると、さらに歪みます。
情報を流す側に意図があり、その人の都合で情報を発信されていたとしたら、真理・真実とよべるような状態からは程遠い状態になっていると考えられます。
ウソが混じった情報になっている、ということです。
ですから、そういうのはなんとなく雰囲気で感じることもあって、うさん臭くおもうこともあります。
結果、「信じられない」という状態に陥り、陰謀論などに振り回されてしまうのかな、とも思うのですが、これだと「否定して見ないようにする」、「近づかないようにする」、「なるべく自分は安全なところで安心して暮らしたいから、考えないようにして自分の理想を追いかける」ということになるのではないでしょうか。
それはそれでいいのですが、エゴを前提に考えてみると、例で挙げたケースでは40%は確かに歪んだ情報かもしれませんが、残り60%は真っ当な情報なのですから、ここを見るようにしていくと物事のとらえ方が変わると思っています。
(これができていなかったと実感していますし、多くの方に見受けられる傾向のようにも思います。)
考え方を変える、エゴを薄くする、ということをするわけです。
実際世の中に出回っている情報については、どこまでどうなのかわかりません。
ですから、丁寧に一つずつ読み解いていくことで、勘を養うというのでしょうか、大事なことのかけらを拾い集めていくのがいいようです。
否定する、ということは、無いものにしようとすることです。
しかし、形は変われど、存在しているものを無くすことはできませんので、できないことをやり続けるようなことは無意味ですから、否定するのではなくまずは存在を認め、それをどう使うか、どう対処するか考える、ということが現実的な考え方になるのではないでしょうか。
もしかしたら1%しか真実は無いかもしれません。
しかし、どっぷりつかったこの世界から抜け出るためには、そのかすかなかけらを拾い集めて自分の知恵に変えていくことでしか、方法はないようにも思えます。
また1%が分かれば、それが信じる根拠ともなり、鵜呑みにして人に支配されたり、依存して責任を人に押し付けるようなことはしなくなります。
自分のエゴを認められるようになると、他人のエゴもわかるようになります。
エゴを認めるようになると、完ぺきにできなくてもしょうがない、と考えられるようになります。
私の場合はそこから、できる範囲で精いっぱいやる、ということの意味も徐々にわかってきました。
すると、否定する必要がないことがわかってきますし、ありのままの自分を徐々に受け入れていけるようになると思います。
ありのままの自分であれば、楽に生きられます。
私は、こんな感じで情報を読み解く際に、考えるようにしています。
ここ数カ月、私の周りではベビーラッシュでした。
今日もご近所からいらしてくださった若いお父さんは、パパ歴3カ月。
一生懸命育児をされており、疲れ切った状態でご来院されました。
その際にお話させていただいたことで、つい見落としていることが多いご自身の入浴について書いておこうと思います。
小難しい理屈ではありません。
毎日でなくていいので、自分に合った温度で入浴すると疲れが抜けやすいですよ、というものです。
赤ちゃんや幼児と一緒に入浴していると、もっぱら子供のほうが敏感なため、入浴温度が大人が気持ちよく感じるよりもやや低くなることが多いのです。
半身浴で長時間入る場合などはそれでもいいでしょうが、体が感じる気持ちのいい温度ではないこともあります。
子供を抱っこし、寝不足で仕事や家事をこなしていれば、体も当然疲れてきます。
疲れた体は筋肉が硬くなっているため血行が悪く、少し熱めでないと気持ちいいと思えません。
緩むきっかけをつくってあげれば、あとは睡眠でさらに体を休めて気分よく朝を迎えられます。
子供を誰かに任せられるのであれば、そういう入浴の時間を作るといいのではないでしょうか。
宇宙全史の新刊についてです。
最近の私のなかのイメージとして、「陰始は否定の権化」というものがあります。
これは前巻に書かれていた『「滅びたい」という究極の自己否定』がその理由です。
陰始が、「滅びたい」とまで思えるようになった理由は、「否定しないものの考え方ができない」もしくは、「したくない」からなのかもしれません。
新刊の中で陰始度について「他人の思い」とありました。
(「自分が無くて陰始に操られている度合い」を「他人の思い」と書かれていました。)
非常に毒された印象を持つかもしれません。
「やられちゃってるな・・・」、みたいな。
ただ、竜馬の章でも書かれていましたが、自他の思いの方向が当面の課題をクリアするのに合致していればその時はあまり問題ではなく、「結果としてのエネルギー配分が重要」とあり、自分が困るようなエネルギーの取られ方をしなければいいようです。
自分の思いが弱い(自分をおろそかにする)ほど陰始に操られやすく、「自分だけ」に偏りすぎる(他者をおろそかにする)のもまた問題です。
私たちは今の段階での大前提として「他者とともに生きる」ということをなによりも最優先に選択しています。
これらは教えていただいたことでもありますが、「自分だけ」、「他人だけ」ではなく、広く見渡せるところからどちらも否定しない在り方を探す、そんな考え方ができることが一つ大事だと思っています。
最初に書いたように、「否定しないものの考え方」を陰始が苦手と仮定すると、それを身につけた場合に陰始度は下がることが予想できます。
「否定しないものの考え方」を突き詰めていったわけではありませんが、陰始の発端となる否定の始まりはこれかな、というものに今回気が付きました。
それがあっているかどうかはわかりません。
ただ、それは私たち一人一人にも影響を与え、それに気づいていくことで、私たちの意識の隅々までいきわたって蓋をしているものを転換する起点にもなるように思えます。
それ自体はここで書いたかどうか定かではありませんが、これまでいらした方にはお話したことが度々あったことなので、「それに気づいた」というよりは、「つながりが見えてきた」という言い方のほうが適切かもしれません。
すこし具体的に理解が進んだ感じがしたので、書き留めておこうと思います。
先日のブログ、「情報の読み解き方」にコメントをくださった方々がいらっしゃいますので、よければそちらもご覧ください。
たくさんの人に伝わらなくても
ただひとりの人に伝わることがあります
ひとりの人に伝わらなくても
思いがけずたくさんの人に伝わることもあります
繋がり響きあいながら
私たちは生きています
今を生きる事の楽しさを通して
私たちは生き抜く術を身につける時期にきています
行動にはその人が一番大事だと思うことがベースにあり、行動にはそれが現れています。
「一番大事」は、「一番自分にとって利がある」ということ。
本心であれエゴであれ、大事だから「やりたい」という気持ちがあるから行動に移せるわけですから、それは好きでやっているといえるわけです。
このことを以前から何人かの方に教えられてきました。
「好きでやっていることだから」「俺の人生じゃないから」「本人の自由だから」など、言い回しは様々ですが、それがようやく自分の中で一つ噛み砕けた感じです。
以下も教えられてきたことの確認を兼ねて書きます。
日常生活では人は自身の価値観に従って行動しており、それを他者が否定して他者の思いを押し付けるのは、その人の「一番」にとって変わろうとすることになるわけです。
それが例えどんなに効率が悪く愚かな行為に見えても、です。
自分(主体性)を無くさせ、その相手を支配しようとしているともいえます。
相手が変わりたいと思い人に尋ねた時には、それが「人に聞いて自分をよくするために変わりたい」が一番に来たことになっていれば、それに応えることは支配関係の構築にはならないと思います。
そうすれば、否定をしないで相手の自由な生き方を認めた行為になるのではないでしょうか。
違うケースもあります。
それはブログ「情報の読み解き方」に紫陽花さんがコメントしてくださったように、卑下して自分の一番を差し出すケースです。
支配される方が自分の得になると判断し、やはりこちらも好きでやっています。
ですから、正論などで諭しても、それはご本人が自分で気づいたり、変わりたいと思って人に尋ねようとしない限りは、あまり意味をなさないかもしれません。
よかれと思っても押し付けになるならば、相手の意思で尋ねてくるまで「待つ」ことをまずは自身の勉強と思って過ごすほうがよさそうですね。
私の取り組み中の課題でもあります。
この待つという事には相当な覚悟を要し、同情や非情さについての理解も欠かせませんので、ある程度時間をかけてじっくりやるほうがいいテーマだと思います。
取り組む方は早めに始めるといいと思いますが、やはり自分のタイミングがありますので、その気になったら、ということがやはり大事にはなるのではないでしょうか。
「自由な生き方」に関することなので、この先どこかで必要になると思っています。
これまでも時折ありましたが、とくにここ何回かブログやコメントに書かせていただいた内容は、基本的に施術時にお話している内容でもあります。
私が大事だとおもっていることでもあり、ときにはそれらを「伝」でフォローしてくれていたりもします。
そうした内容は施術時にお話すればいいのですが、各地からわざわざいらしてくださる方もいますし、近隣であっても貴重な時間を割いてのご来院だとおもいます。
そうした貴重な限られた機会にすべてお伝えしたいのですが、時間をかけて理解していっていただきたいことや繰り返し話すことで落とし込む必要のあることもあるため、施術時間内では足りない、そういう感じもこれまで何度もありました。
理解まではいかなくても、前もって知っておいていただければ話をしやすいこともあり、できるところから要点ごとにブログにまとめるようにしています。
分かりづらいところ、関連させて考えてみたいことなど、気になることがあればご予約時やご来院の際にお尋ねください。
明日と次週土曜日はご予約でいっぱいです。
21(月)は営業いたします。
※21日は17:30から空きがありますので、お問合せをお待ちしております。
「情報の読み解き方」の補足です。
読み解く際、相手のフィルターはもちろんですが、こちらのエゴのフィルターを忘れてはいけません。
勘違い、思い違い、そうしたことの原因でもあります。
前回例として60%の純度をだしましたが、あれは目の前に現れた時点での状態であり、それをこちらがエゴを通して受け取ったり、頭に入れた時点で、更に歪みます。
なぜなら、受け取った60%に対してこちらが純度30%だったら、18%程度しか理解できていないことになるからです。
ですから、
「なに間違ったこと言ってるんだこの人は」
「わけわかんない」
と失敗を責めたり相手を否定するのではなく、この18%から100%にどう近づいていけるか考えた方が自分が成長するから大事だよね、と考えるようにしています。
備忘録として。
本日いらしてくださった患者さんが、私の施術を受ける当初の目的を達成されたそうで、
「クリアしたよ」
とOKを初めていただけました。
これまでは「この期間までの目標はクリア」というケースはあったのですが、全面的にOKというのは初です。
実際そういうお話もさせていただきました。
ご本人もびっくりされていましたが、わたし自身もここ最近うすうす感じていた自分の仕事の意味と合致する結果で、驚きと共に納得もでき、うれしい時間となりました。
人それぞれ目的や意味は違いますので、ここでは具体的な内容はひかえます。
ただ、世の中の動きが停滞しているように感じていたこともあり、水面下で着々と進んでいる準備を実感することで、改めて気を引き締めている機会ともなりました。
先が見えないで地道に取り組むことには、時につらさもあると思いますが、あきらめないで頑張っていただきたいと思います。
教えてくださった方がいて知りましたが、ブログの表示がキチンとされていませんでした。
修正はしたのですが、2015年3月のブログは違う月のブログが2つほど掲載されてしまっています。
修正の仕方が分かりませんので、それはそのままにしておきます。
ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。
昨日は日曜でしたので、家族サービスで御殿場までお出かけしてきました。
考えてみると春休みの3連休ですから、混んでいて当たり前で、渋滞を体験しに行ったようなものでした。
ただ、思っていたよりは早く出てこれたこともあり、思いつきで祖父母のお墓のある浜松の親戚の家にまで足を伸ばすことにしました。
前職が決まったときには、祖母が夢に出てきて、
「人に喜ばれる仕事だから、がんばってやりなさい」
と言われたことを覚えています。
余談ですが、祖父は事業をやっていた関係で、当時法人の集まりで本田宗一郎さんとも交流があり、私の記憶に残っている祖父の名言?が、
「あいつは、本当に悪いやつだった・・・」
です。(なにを見聞きしたのやら・・・)
一昨年の開業時は特になにもありませんでしたが、祖父母は無条件でかわいがってくれた思い出しかなく、
「開業の報告にようやくこれた」
という気持ちでした。
浜松といってもはずれのほうなので、穏やかな環境で小一時間ほど過ごせたのは、いい気分転換にもなり、また明日から頑張ろう、と思えるひと時でした。
タイトルは唐突ですが、こういえばわかりやすいかな、と思いついたのがこれでした。
おそらく、私がブログのタイトルに二度と使わない言葉ですね。
エゴを薄くするということを「無くす」と考えると、難しく感じて大変です。
欲もそうですが、「それがいまは一番大事!」という想いのもとで何かをしてるものを、「だめです」「やめましょう」では葛藤が生じます。
葛藤が生じない「あればあったでいいけど、なきゃないでいいや」くらいになれたらいいのであれば、そこに至る一つの方法として、「人は2つの事を同時に考えられない」ということを使えばいいと考えています。
歪みのつよいエゴを整えて生きやすい考え方に変えていくために、自分の価値観の優先順位を変えていけばやりやすい、というものです。
人はそれぞれ自分なりの考えに基づいて行動しています。
その考えについては無自覚なことも多く、無意識に「一番大事」と思いこんでいることを行動に移しています。
ですから、そこを自覚して他の考え方に変えることで、それまで一番だったものを二番手以降に格下げにすればいいわけです。
「人は2つの事を同時に考えられない」をわかりやすく理解していただくにはどうしたらいいか考えたのですが、(思春期の頃に?)好きな人ができると、その人の事ばかり考えてしまう、ということが一番イメージしやすいのではないでしょうか。
すごく夢中になればその人以外は目に入らなくなり、(対象が異性か同性かはわかりませんが)対象と同じ性別の他の人たちのことを否定も肯定もしなくなります。
他の人を歪んだエゴの例えに使うのは失礼な話ですが、この時、他の人たち(歪んだエゴ)を否定していません。
「エゴを否定しなくてもいい方法」の模索のヒントがここにはあると思います。
みんながみんな恋して夢中になるかは知りませんが、一つイメージしやすい例ではないかと思います。
別に恋じゃなくても、好きなことに没頭する、でもいいと思います。
本当に大事、好き、そうしたものに気づければ、2番手以降の存在感は薄くなるので、文字通りエゴが薄まるわけです。
「これが叶えば死んでもいい」と覚悟までできてしまって至れり尽くせり、もうあとは突っ走ってストーカーまっしぐら!では困るので、そこは全体性の理屈も考えて歪みのより少ない方向性で自分を変えていけばいいのではないでしょうか。。
あまり深く考えていませんので、粗い内容ですから、イメージの参考になればと思い書きました。
宇宙全史で「お祈りをすることがエゴを薄くする」というお話も、その時一番大事だと思って行動に移していることがお祈りなので、自分の嫌なエゴに気づいた時に「お祈りする」ことで、こういう理屈が働いて薄くなっているのだと思います。
「否定しない」、このことをどこまで身につけられるかが、今後の重要なポイントではないでしょうか。
「滅びたい」という想いは、完全ともいえる自己否定です。
その想いで存在しているものが導通できる処が私たちにあるとすれば、それは私たちの「考え方」の中に何らかの「否定」があるからだと思います。
このことからこれまで書き連ねてきたことと絡めて、考えを広げていくこともできます。
つながりが見えてくると面白いですよ。
(※書いていてサビが何度も浮かんできたので・・・)
YUI:CHE.R.RY
https://www.youtube.com/watch?v=1KUjfjS5ubI
明日はご予約でいっぱいです。
今週は当日の申し込みが続いた一週間でした。
来週もご予約、お待ちいたしております。
今日は個性豊かな皆さんがいらしてくださった賑やかな一日でした。
その中でハンドルネーム「黒脛巾」さんが2回目のご来院でしたが、BBSへの書き込みにもあった節分以後の変化をいろいろお聞きし、ちょっと驚いています。
施術時にわたし自身一つの基準を感じさせていただき、今後の施術の大きなヒントとなりました。
お話の内容が私だけではあまりにもったいないので、「みなさんのためになるのであれば」ということで、こちらへ数日のうちにコメントの形で書き込んでくださることになりました。
興味深い内容になると思いますので、お楽しみに。
それではみなさん、良い週末をお過ごしください。
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