コメントについて

おかげさまで、最近はこのブログを読んでくださる方も多くなり、コメントを書いてくださる方が増えてきました。

 

全てにコメントを返せるわけではありませんが、みなさんの学びになるようなものはできるだけ返していきたいと思っています。

 

また、わたし自身が1年前と比べて成長した実感をもっており、今に至る過程として表現の稚拙さや雑な面もある中でブログを書き続けたことが、一つ成長の要因だと思っています。

 

コメントを書いてくださる方はもちろん、迷っている方もここに書く際は割と勇気がいるかもしれませんが、等身大の自分を知る機会にもなりますし、考えを整理する過程として考えて書くことで自身の成長につながることもあります。

 

他の方の書き込みを通して学ぶことも多々あります。

 

私と妻の経験の違いがあっても、それぞれの文章に良さを見出して学びにつなげてくださっている方たちもいらっしゃり、他の方の自由を奪ったりするようなものでなければ、書ける方は今後も書き込んでいただきたいと思います。

 

質問にもできる範囲でお答えしたいと思っていますが、重要なことは「備忘録」などにある程度書かれていますので、まずそちらを読んで理解に努め、自分なりの考えをまとめたうえで質問していただくと、より一層その方の理解は進みます。

 

共に学ぶ、というスタンスを大事にしていただき、他の方がわかるように書くことも意識してみて下さい。

 

それも自身の理解を促してくれます。

 

細かなことにとらわれるとかえってわかりづらくなりますし、常にやり続けることは不可能ですから、出来る範囲でざっくりとでも構いませんので理解に努めてみて下さい。

 

 

 

昨夜、杉並区を震源とする地震がありました。

 

自宅で感じたのは単発の震度2程度の突き上げるような揺れで、「大きな扉が閉じられたような衝撃」という印象です。

 

私個人の勝手な妄想かもしれませんが、今後の展開についてエゴにとっては喜ばしくないイメージがあり、出来る限り早めにご自身のレベルアップをしておくことをお勧めいたします。

 

「平常心ってどういうことだったっけ?」

 

「でも聞ける状況にはないからどうしよう・・・」

 

なんてこともあり得ます。

 

自分で考えればいいだけなのですが、そうした習慣も普段から身につけておかないと急にできるものではありません。

 

なにが一番大事かは人それぞれですから、ここで学べることがあれば活用してください。

 

 

 

写真は息子作、チョウチンアンコウです。

 

 

 

心がけの一つとして

いろいろ考えると分からなくなるので、なるべく短い言葉にまとめたものの一つです。

 

 

自分にも他者に対しても、不幸(思うようにいかないこと)を願わず、喜ばないようにしよう

 

 

 

と、心がけています。

 

 

 

いいものはいい

前も書いたような気もしますが。

 

エゴであっても本心であっても、全体性を損なっていなければ、いいものはいいと考えます。

 

エゴと本心の区別がつかなくても、あまり問題にはならなくなっていきます。

 

違っていたら、気づいた時に軌道修正するだけです。

 

誰が言っているか、よりは、なにを言っているか。

 

鵜呑みにもなるので、あの人が言っているから大丈夫、とはしないことが大事です。

 

エゴを抱えている以上、間違えることもあるのは当たり前のことです。

 

そのために、道理や理屈を勉強していると思っています。

 

 

 

ミラクルおそうじパウダー

今日はいいと思ったものがありますので、ご紹介です。

 

半年ほど前に、ある患者さんから分けていただいて使用した洗剤があります。

 

我が家で洗濯に使用していましたが、妻が言うには仕上がりがすごくいいのと、肌にいいのがすごくわかる、とのことでした。

 

たしかに洗濯物をたたんでいても感触がなんとなく(?)ですが違う気がし、匂いもないため私もなじみやすかったです。

 

環境にも優しいのはいいのですが、生産が非常に効率悪いらしく、紹介してくださった方も苦笑いしながら話してくださいました。

 

主婦感覚では値段が高いですが様々な用途に使える上、川の環境をよくしていく効果もあるそうですので、詳しくはHPをご覧ください。

 

http://nature.okomari.net/index.php/

 

 

 

伝 105

神を特別と思うてはならんぞ

 

神は積み重ねた先にあるものぞ

 

その積み重ねが御魂磨きじゃ

 

御魂磨く方向を間違えるでないぞ

 

正しき方向をむいていることが大事じゃぞ

 

我を見失うてはなにも積みあがらんぞ

 

よく考えるのじゃぞ

 

 

 

早速

昨日書いたブログの「ミラクルおそうじパウダー」を早速問い合わせてくださった方がいるようで、ありがとうございます。

 

今後こういう地球環境に優しいものがもっと世に出てくるのでしょうね。

 

私が知らないだけで手間暇かけてこうしたなにかをつくっている方たちは相当数いらっしゃると思います。

 

励みになります。

 

 

 

ブログよりもコメント欄

今日は七夕ですね。

 

写真は娘が保育園で作ってきた「織姫と彦星」です。

 

 

 

ブログの更新は今日はできませんでしたが、「伝105」にいただいたコメントと私のコメントが参考になる方もいると思いますので、そちらをご覧下さい。

 

 

 

小妹(おいも)さん(※)が新作を制作中です。

(※体験レポート(漫画版)を描いてくださった方です。)

 

出来上がりは未定ですが、8月には掲載できるのではないかと思います。

 

お楽しみに。

 

 

 

明日は空きがございます。

 

土曜日は勉強会参加のためお休みいたします。

 

18日(月)の海の日は営業することにいたしました。

 

ご予約、お問合せ、お待ちいたしております。

 

 

 

コメントをありがとうございます

先日も書きましたが、みなさんからのコメントが最近熱いです(笑)

 

最近のものだとRSさんやタイタンさんからのもの(「ブログよりコメント欄」)もそうですし、アキラさんも古いブログの記事(「情報の読み解き方」)にコメントをくださり、どれもみなさんに目を通していただきたいものばかりです。

 

ブログの更新ができないこともありますが、出来るだけコメント欄を通しても学びにつながるよう努めていきます。

BBSのNo.2891について

BBSでの他の方へのご回答でしたが、これまでここで書いてきたことの自分の整理にもなると思いましたので、私なりの解釈を書いてみました。

 

よければ読んでみてください。

 

 

 

2016/7/9 No.2891

 

月読之大神のお言葉です
「まずそれが正しいのか正しくないのかといった知的な判断と言ったらいいのかしら」
「それがあなた達は出来ない状態に初めからいるっていうことを分かっていなければいけないね」


 

これはpapasさんが先日の「ブログよりもコメント欄のコメント欄でわかりやすく書いてくださっていました。

 

エゴでは完ぺきに物事を理解したり判断することはできない、ということをまず自覚していなくてはいけないということ。

 

 

 

「で、それをね、やはり判断するためには自分を見つめなければいけない」
「自己観照という形は取らなきゃいけない」
「それを反省でもなんでもなく、最初に自分が何を思っているかということを自分を誤魔化さずにただ単に認めること」
「そこから始めなければいけないね」
「こういう思いを思っちゃいけない」とか「これはいけないことだ」とか「こういう思いを思う自分は傲慢なんだ」ということよりも先にまず「自分が色んな思いを持っている」ということを認めなきゃいけないよ

 

・自分の行動や言動に考え方などを見つめることで、エゴ(思い込み)が在ると知ること、認めること。

 

良い悪いの判断が働く前段階、そういうものがあるというふうに存在を認めること。

 

 

 

「そこから始まる」
「そこを誤魔化してしまうと全てが曇ってしまって直観知どころじゃなくなってしまうからね」
「カルマを積むことだけでしかないから」
怒りも強欲な思いも、嫉妬も、さもしい思いも、情けない思いもエッチな思いも浮ついた思いも、傲慢、悲観、そうしたものを全部認めたうえで「あ、それが今の自分なんだ」と全部認めたうえで、
「じゃあ何が出来るのか」
という形をとらないと直観知もへったくれもない

 

・エゴの存在を認め、そこに問題点や課題としての歪みをみつける。

 

「誤魔化す」とは、エゴの存在を認めず、自分には問題(歪み)が無いということにすること。

 

 

 

「やっぱり自分の軸というのをキチンと確立すること」

 

・なにを大事にするか、どういう方向性で取り組んでいくのか決めること。

 

素の自分を認めることで歪みも認め、そこからどうやったら良くしていけるのか、少しでも正確に物事が分かるようになるためにはどうしたらいいのか、を考え自分なりの結論を出す(確立する)。

 

それが方向性をだすこと。

 

(インスピレーションや見守ってくださっている存在たちからの助けは「フォロー」であって「肩代わり」ではないので、まず自分から方向性を出さないとフォローを得ることはできない。ああしなさい、こうしなさい、で本人が方向性を出す前に指示してしまうと、主体性を奪ってしまう。)

 

 

 

「それにはまず今の自分の立ち位置をキチンと見定めること」

 

 

 

・エゴ(不完全さ)でエゴ(不完全さ)をキチンと理解することは難しいため、これはけっこう大変なこと。

 

歪んだ考えで歪みを見ても、より歪めてしまうかもしれない。

 

上に書かれていたように、見定めるために「じゃあ何が出来るのか」という発想でものを考える。

 

エゴの歪みを少しでもわかりやすく把握するために、より大きな視点でものを考えるという方法がある。

 

それが全体性をつかって考えること。

 

より歪みの無い状態(全体性)で歪み(エゴ)を見れば、歪み(エゴ)を歪み(エゴ)として認識しやすくなる。

 

「(歪んだ)思いこみ」がある、とわかるため、立ち位置がわかりやすくなる。

 


「そこから始まる」
素の自分というのを認識するということ
お知らせとか何とかそういうものは二の次

 

・ここでいう素の自分とは、「歪んだエゴ(考え方、思いこみ)」も「歪みの無いエゴ」も両方抱えた状態。

 

 

 

「まずそこがキチンと出来ていないから直観知ということを疑うんだよ」
「というか曇っていて分からない」
素の自分が分かっていれば自ずとわかるということ
「(自分を)誤魔化すということは自分の直観知の領域を曇らせていることなのよ」
「自分を認められないということはね」

 

 

 

・曇っているのは思い込みの歪みによるもの。

 

自分の考え方に癖がある、思い込みがある、そう気づいていれば「情報の読み解き方」にも書いたような考え方で誤魔化すことなくエゴを薄くしていけるため、全体性ともつながりやすくなりよりキチンとしたインスピレーションを得やすくなる。

 

自分は歪んだエゴを抱えた状態なんだ、と認められないうちは、そうした曇りが晴れることはない。

 

「誰かのせいにする」ということも、自分の素の状態での歪みを確認しようとしない、ということですから、やはり曇りは晴れないでしょうね。

 

 

 

多少端折ってありますが、以上が私なりの解釈です。

 

 

 

全托への道

思い(言葉)⇒ 行動 ⇒ 結果(運命)

 

という流れで考えると、行動が結果を生みます。

 

「ベストを尽くした行動」の結果を神様に一任するのが全托。

 

(ベストを尽くした、とは自分のすべてを出した、ということ。)

 

全托は「不幸を願う」を少なくすることでできるようになっていくと思います。

 

 

 

写真はスピノサウルスです。

 

手抜き、ですね。

 

 

自他一体

先日コメント欄にて読み込みの甘さを指摘させていただきましたが、自分自身についてもしっかり該当していることを痛感した次第です。

 

・「学びの整理として

 

・「質問しました

 

・「ブーっ! 」

 

なども改めて読んでいただくといいかもしれません。

 

書いた本人も復習します。

 

 

 

メモ 3つの繋がり

・陰始度

 

・地球との約束「幸せになります」

 

・最終試験「他人のために祈れるか」

 

 

 

上記の3つの繋がりが、なんとなくわかってきた感じがしています。

 

3つ目がどこに書かれていたのか思い出せません。

 

BBS上だったと思うのですが、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけますか?

 

 

 

タイタンさんへのコメント

 

ここ数日、家族で発熱して休んでいました。

更新が滞り失礼いたしました。

 

コメント欄に書くには長くなってしまいましたので、こちらに書かせていただきますが、#10のコメントをいただくまでのタイタンさんに向けたものですので、その点だけご了承ください。

 

 

 

タイタンさん 

 

コメントを返していただき、ありがとうございます。

 

現状非常に厳しいと思い私なりに悩みながら文章を書いていたのですが、書き終えた頃にタイタンさんからの再投稿(『自他一体』コメント#10)があり、思わぬ変化にとても喜んでしまいました。

 

 

 

そしてこれまでのタイタンさんのコメントを読み返したのですが、そこから受ける重く曇った印象がずいぶん軽くなっていることに驚きました。

 

課題をクリアしたとはいえませんが、エゴが薄くなり、これまでの状態から抜け出す方向性が出つつあるようです。

 

私自身のコメントの厳しさもいつもではありえない内容ですが、書いているときはやはりタイタンさんの奥に隠れているエゴがあぶりだされているかのように見えていたため、厳密なものを求められただけの意味がある事だったのではないかと思います。

 

 

 

UENさんの内容(『自他一体』コメント#9)も非常に分かりやすく参考になった方が多いと思います。

 

私の下の内容に出てくる「守破離」の話は、師匠と弟子の関係で主に重視されてきたものですから、UENさんのお話の方がより一般的でわかりやすいかもしれません。

 

自分の立ち位置をUENさんの1~6の中でどれに該当するか考えていただくといいと思います。

 

 

 

私の考えていた文章もみなさんの参考になるかとおもいますので、多少厳しめですが掲載しておきます。

 

タイタンさんご自身にとっては、意識レベルの上がっている今の方がお話をより素直に聞いていただけると思います。

 

巧妙に隠れているエゴに気づくのはなかなか大変ですので、見つけた時に取り組む事が大事です。

 

 

 

余談ですが、ここには内容を掲載しませんがコメント欄に書き込みのあったpapasさんやUENさんの他にもタイタンさんを気遣うメールや連絡を下さった方達が数人いらっしゃいます。

 

ここ数日更新ができない状況でしたが、その間にタイタンさんに気づきを促すアプローチもしっかりなされており、ご自身がそれをきちんとキャッチできているため、ここで軌道修正がなされつつある一つの正念場だと思って今の取り組みを続けて下さい。

 

様々なアプローチで変化を促されている意味がそれなりにあり、あとが無い状況でおそらく集合魂を代表してこの場にいらしてくださっていますから、ここは大きな変化(成長)を求められている場面ですので、性根を据えて取り組まないと心底後悔すると思います。

 

 

 

以下の文章には私のエゴが強く出ているように見えるところもありますが、事実を事実として認識することはエゴとは異なり、ありのままを認める過程においても大事な事になりますので、そのあたりも考えるようにしていただくといいと思います。

 

エゴを無くす、という発想から過剰に考えすぎて潔癖になることもあります。

 

エゴだから、悪魔だから、悪い人だから、と事実を事実と認めることができなくなり、良いものは良い、悪いものは悪い、ということが分かりづらくなることがある気がします。

 

 

 

「誰が言ったか」ではなく「なにを言っているのか」でものを見ないと、大事な事を見落としてしまうこともあります。

 

詐欺や陰謀、企業の都合に合わせた情報などについて話を聞いたことがありますが、なぜだまされるのかといえば、そこに真実が数%でも混じっているからなのだそうです。

 

そうした情報は非常に力を持ちますので、そこにひかれてだまされてしまうのだとか。

 

 

 

話がそれました。

 

以下、タイタンさんへのコメントです。

 

 

 

 

 

私も不完全なエゴですので、エゴが何なのかをすべては理解できていません。

 

しかし、断片的には分かることもあります。

 

その断片の一つですが、エゴの特徴として「正当化する」というものがあります。

 

 

 

変わりたい、という想いを実現するには、正当化ではなくこれまでの自分の考え方を変えなくては変われません。

 

これまでも言葉として出てきていますが、「方向性をだす」ことによって変化ははじまります。

 

なにを大事にするか考え、決意し、取り組む、ということです。

 

 

 

私自身は未熟で幼い面もあるため、五井先生のお祈りはもちろんですが、これまでも今現在も優れた方の考え方や行動を「真似て」取り組みを続けています。

 

BBSに少し前に掲載されましたが、私は覚醒の一瞥体験とも呼べるものを体験しています。

 

完璧とは言いませんが、取り組みや考え方に間違いがあれば、まぐれでそういう結果がでることはないと思っています。

 

 

 

ここでお伝えしてきている内容はそうしたもの(取り組みや考え方)であり、それに基づいて一度は結果が出ていますので、やはりそれなりの根拠にはなると思います。

 

真似るというのは生きる上で子どもが親のやることをまねたりするのはもちろん、習いごとや仕事に「道」とつくようなあらゆるジャンルで行われていることでもありますが、私が真似る理由は、手本とするその方(自分よりものが分かっている方)の考えていることすべてを完璧に理解できないからです。

 

できることからやらないと意欲はでませんし、結果も伴いませんので成長も滞ります。

 

 

 

優れた方、特別な方、そうした方たちができるやり方なら他でいくらでもあるとおもいますが、ここではやる気があれば誰でもできるやり方としてお話してきている内容ですので、エゴの強い方には面白みのない魅力のない意味のない話ばかりかと思います。

 

私も途上でありきちんと身についていないことをお話していますので、お伝えする難しさは折に触れて感じています。

 

それぞれの事情でなかなかご来院できない意欲のある方の能力を出来るだけ伸ばしたい、そう思い書いているブログやコメントですので、今回は長い文章ですが今しばらくお付き合いください。

 

 

 

タイタンさんがおっしゃるように「文字で、自分が意図していることを相手に正確に伝えるということは、本当に難しいですね」、はその通りだと思います。

 

私たちはエゴという不完全な状態である以上、エゴを越えるものへの理解は完璧にはできませんし、言葉も完璧に使うことはできません。

 

完璧に使えない以上正確に物事を伝えられませんので、少しでも的確な言葉や相手に伝わる言葉を選ぶことが大事になります。

 

 

 

全体性をエゴから見るイメージですが、大きな地図をルーペか虫眼鏡で見ている、というのはどうでしょうか。

 

ピントを合わせると近くしか見る事ができませんので、全体を見ようと思ってもぼやけてよく分りません。

 

そこでルーペや虫眼鏡を外す(なくす)という発想になってしまいがちですが、それらを使わないと見えないよう近視眼的状態ですから、段階的にできるやり方があればその方がより確実だと思いますので、ここでは度数を徐々に変えて視力を良くしていただき、ふつうの眼鏡やダテ眼鏡くらいになっていく過程を「エゴを薄くする」と考えていただくといかもしれません。

(※この場合、完全覚醒は裸眼でしょうか。エゴが極端に強い方の中には、電子顕微鏡という方もいるかもしれません。)

 

 

 

私は物事の順序の大切さが、ここ1年ほどでようやくわかってきました。

 

例えば、「守破離(しゅはり)」という考え方をご存知でしょうか。

 

「守」とは、より歪みの少ない考え方や、物事を分かっている方の考え方をまねる事だと思います。

 

 

 

「自分なりに」というのは、ここでは「破」にあたります。

 

つまり、「守」の段階をクリアしてから取り組むべきものです。

 

基礎が身に付かないまま応用を利かそうとすると、土台が歪んだままではその上に積み重ねるものも歪んでしまいます。

 

 

 

通常はきちんとした道筋でないと、思うような結果に至ることは困難です。

 

しかし理解の追いつかないまったくの初心者でも、その道に長けている方の話や指導を仰ぐ等して、ある段階まであがれるはずです。(途中であきらめると、そこまで到達できません)

 

ある段階にいたって私たちは指導者の意図や考えが分かるようになり、自分で創意工夫することで2流から1流をめざすような更なる進歩を目指すことになります。

 

 

 

この時に大事なのは、その方に成長する意思があるかどうか、ということです。

 

そういう意思がなければ、教えても伝わりませんし、嫌がる相手に無理やり押し付けても自由を奪うことになります。

 

ここに一生懸命書き込んでいただき、変わる気もあると御自身でもおっしゃってくださっていますので、私はこうしてコメントを書かせていただいています。

 

 

 

不完全ゆえものごとを完璧に理解することができないので、よりものごとをわかっている存在に聞くというのは、成長を求める際に重要な事です。

 

まちがった言葉でまちがった取り組みをしてもおもうような結果はでませんので、より歪みの少ない事柄を相手に正確に伝えるには、よりきちんとした言葉や表現などを選んだほうがいいわけです。

 

ですから、少しでも成長でき、結果もだしやすく、取り組みやすいこともあり、真似るということを人はあらゆるジャンルである時期まではしているのだとおもいます。

 

 

 

「守」の段階で自分なりの言葉で言うということは、少なくとも指導をしている方よりも間違った言い回しになっていることが大半です。

 

まちがった取り組みは、まちがった結果に至ります。

 

そうした場合に軌道修正することをここではお伝えしていますが、今回はそのことを指摘されて自分の修正箇所が分かったものの、言い訳などの正当化が徐々に顔を出してすっきりしませんでした。

 

 

 

言葉に出す、ということは、なにかしら大事だと思っているという事で、なんとなく補足や正当化のように書いているところにエゴがひっそりとたたずんでいるようなことがよくあります。

 

覚悟が決まるにつれ余計なものは取れてシンプルな考え方になり、そのシンプルな考え方に照らし合わせてみる事で、他人のエゴが良くわかるようになります。

 

一度に考えられることは一つだけ、と何度か書いていますが、課題が見つかって取り組む意思があるならば、言い訳や正当化ではなく、「自分のコメントを見返してみます」「まずやってみます」「指摘された内容を一度考えてみます」という行動に移すコメントが本来ではないでしょうか。

 

 

 

タイタンさんの中では聞き入れる以上に正当化することが重要になることがあり、今回のやり取りの中ではエゴが猛烈に嫌がっている状態です。

 

必死に抵抗している状態に少しでも気づけたならば、「誰が」そう思っていたのか、いままさにテーマとされている観照者の立場で一度観察なさるといいかもしれませんね。

 

 

 

真剣に取り組めばエゴ(思い込みによる自他の境目)の駆け引き(考え方を変えたくない)などは二の次となりエゴの働きが弱くなるため、全体性ともつながりやすくなります。

 

そこからようやく全体性からのインスピレーションを得やすくなり、気づきもきちんとしたものが得られるはずです。

 

変わるために必要な事が分かるようにもなりますし、それに基づいて行動することで結果も出てきます。

 

 

 

「わからないなりに」というのであれば、先ほども書きましたが、まずはより物事をわかっている方のやり方を真似ることにより、理解の基盤をつくることがいいと思います。

 

自分の言葉で書くことが大事な場合もありますが、それは守破離の話にもあった順序にそってなされた時に意味をなすのであって、まちがったタイミングでまちがったことをしゃべることこそが「知ったかぶり」というものです。

 

それをわざわざ書いたのがタイタンさんのエゴであり、今回そのエゴの働きをお伝えすることで、なんとかそうしたエゴの歪みを解消していただきたいと思ってコメントを書かせていただきました。

 

 

 

自他の区別ももちろんそうですが、それとは別にエゴは思い込み、とここのブログでは何度か書いてきました。

 

思い込みは無意識でもあるため、なかなか自覚できません。

 

それを自覚できた時、歪みを解消する機会を得るのです。

 

 

 

歪みの解消によって、エゴ(歪み)で覆われた自身と全体性との調和が少し増していきます。

 

私は覚醒はしていませんのでドングリの背くらべではありますが、いまは私(だい)の方が分かっている、と思っていただけるならば、なんとか私の伝えていることをわかろうとして、御自身の方向性を決めて下さい。

 

 

 

私に質問してきているということは、私の方がものを分かっていると考えていただけているからでしょうから、ある程度自分よりわかっている人間がわかって伝えていることを、気づけていないこととはいえ「自分はそんなつもりではない」と言い返せてしまえる幼さになんとか向き合っていただきたいです。

 

変わる気がある、と言いながら、態度は正当化することによって「変わる気はない」「拒否」となっています。

 

自分の強い思い込みに向き合い、そうした考え方を変えていくことがエゴを薄くする取り組みであると私は思っており、「エゴを薄くする」は宇宙全史で何年も何度も繰り返し言われ続けてきたことです。

 

 

 

それを受けての御自身の学びの今の結果を、今回キチンと受け止めないと今後は相当厳しいと思います。

 

本来こういう厳しい内容で書くことはあまり好きではありませんが、私なりに意味を感じて書いていることです。

 

タイタンさんがある一定の段階に至れるよう頑張っていただけると嬉しいです。

 

 

 

話をもどしますが、お祈りにしても五井先生という物事がわかって信頼のおける方が「これいいよ」と勧めてくださったものを、我々は意味が分からないなりに真似して取り組んでいると思っています。

 

「愛」や「赦し」や「消えていく姿」などの意味が理解できていなくても、わからないなりに続ける(真似る)ことで少しずつ理解できることが増えてきてのではありませんか?

 

タイタンさんはお祈りをずっと続けてきていらっしゃいますよね。

 

 

 

そうした実績が十分あるので「真似する」ということを今回お伝えし、タイタンさんにできることと思いお話しさせていただきました。

 

むくれず、腐らず、なんとか受け止めてくださることを願います。

 

 

 

長くなったので要点だけまとめてみます。

 

○私からのコメントに対し、エゴ(歪んだ考え方)が歪みを正当化して聞き入れようとしていない。

 

○「変わる」という方向性をだす。

 

○変わるための取り組みとして、いい考え方やいい言い回しをまねて続けてみる。

 

 

 

その上でなにかご不明な点は、またこちらにコメントとして書いていただけますでしょうか。 

 

 

補足です。

  

『「エゴ(不完全)が私」の私達では不完全であるが故に、全体性の方向が何かということは分かることは出来ないが、…』
ここのところが、私のモヤモヤの一つでした。
時々、重箱の隅っこが気になってしまい、そこから抜け出せなくなることがあります。

 

あちこち私の説明が不足しているとは思いますが、今回読み返していて重箱の隅などではないことで目に留まりましたので書いておきます。

 

全体性というのは自分(エゴ)より上位の意識にあたるため、自分より上の意識体の考えていることはわかりませんから、例えば修行中の弟子が師匠の考えていることを理解はできませんし、ブッダや五井先生の考えていることも私たちではなかなか理解できるものではありません。

 

守護霊さんの考えていることがすべて分かれば、守護霊さんと同等の意識レベルということになります。

 

こういう書き方でわかってもらえますでしょうか。

 

 

 

以上です。

 

 

 

コメント欄更新中

「伝105」

 

「BBSのNo.2891について」

 

「メモ 3つの繋がり」

 

「自他一体」

 

「タイタンさんへのコメント」

 

など、ここ数日でそれぞれにみなさんのコメントが書かれましたので、まだ見ていない方はご一読ください。

 

「ミラクルおそうじパウダー」もみなさんよく見てくださっていますので、興味ある方はサンプルを是非お取り寄せしてお試しくださいね。

 

 

一週間お疲れ様でした。

 

来週は空きがありますので、ご予約をお待ちいたしております。

 

 

 

3つの繋がりについて

 

陰始度

 

地球との約束「幸せになります」

 

最終学歴「人(他人)のために祈れるか」

 

 (※ 「メモ 3つの繋がり」より)

 

この3つの関連性について最近思ったことがありました。

 

 

 

  1. 陰始度の解釈は「不幸を願う、喜ぶ」と私はしています。

  2. 宇宙全史第一巻、第9章「最後の接触」(P.541~)にある、人が地球とした命の約束が「幸せになります」とありました。

  3. 最終学歴「人(他人)のために祈れるか」

 

 

 

まず①と②については、無意識に様々な形で不幸を願ったり喜ぶ気質がほとんどの人に育まれていますので、ほぼ真逆の行為が蔓延しているわけですから、約束を守る方向は向いていなかったことがわかります。

 

また①と③については、①を選択しなくなっていけば「どうせなにかやるならいい方が・・・」となるため、人とのかかわりの中で、自分に対しても他者に対しても幸せを願うようになるのではないかと思ったのです。

 

そこまで単純ではないでしょうが、それでも日常生活で具体的に心がけるといいこととして「不幸を願わない」「幸せを願う」と考えるのであれば、日々の取り組みはずいぶん気が楽になると思います。

 

他にも大事なことはあるでしょうから、それは個別に考えていただけばいいので、とりあえずこう考えてみてはどうでしょうか、というお話でした。

 

 

 

大きな方向性について

昨日、ある方とお話していて「あぁ、そうだよな」と思えたのが、大きな方向性についてです。

 

個々に考えていることは違いますが、わかりやすくウソがないのであれば

 

「生き残りたい」

 

という方向性は非常に明確だと思います。

 

これが正解、とか、一番良い、というものではありませんが、エゴベースで考えている身としてはわかりやすいのではないでしょうか。

 

 

 

患者さんから学ぶこと

 

昨日、前の仕事を辞めるまで7年ほどお伺いしていた患者さんが危篤であることを知りました。

 

ご高齢の男性で脳血管障害があり、言語も障害がでていました。

 

当時は、こちらが伝えることは分かるためベッドサイドにて運動をしてもらったり、横になってマッサージを受けてもらうなど、定期的な訪問での関わりでした。

 

一度だけですが、「このまま30分後に死んでも後悔ないな」と素直に思える心境に施術中になったことがあり、不思議な経験をしたと思っていました。

 

今思い返してみると、その方のお人柄によるものだったんですね。

 

当時一緒に住まわれていた認知症の奥様への気遣いを絶やすことなく、なにかあれば言葉ではなく笑顔と態度で常に前向きに生きる姿を見せていただいていました。

 

こちらからの提案は嫌がることなく積極的に取り組まれ、ダメであればその結果を見たうえでの判断をこちらがし、自分からあきらめる姿を一度も見たことがありません。

 

幼少時に事故で片腕を無くし、いじめにもあいながら社会に出て、そこでも蔑まれるような経験をしてきた方ですが、私が接している間にはそうしたことから生じる影を見たこともありません。

 

気持ちをつよく、常にできることを一生懸命、たくましく生きる姿を見せていただいていたのだと今はわかります。

 

2週間ほど前に施設に入所していた奥様が亡くなられての今の状況ですのでいろいろ思うこともありますが、無事にやるべきことを果たされることを願っています。

 

 

 

8月の予定

梅雨も明けて夏らしくなりました。

セミの鳴き声が一層強くなった気がします。

 

 

 

8月は6日(土)~9日(火)までお休みいたします。

 

11日(木)は営業いたします。

 

 

 

先日夏風邪をひいて発熱もあり、その後鼻の排泄が高まった状態が続く中、膝の具合が急に悪くなってどうしたものかと考えていたところ、昨日ぎっくり腰になり、なるようになると思い、痛さを笑いながら過ごしています。

 

BBSにもあったので膝が痛くなった時には生霊でも飛んできたのかと思いましたが(笑)、今回は不摂生と体の調整のようなので、週末はおとなしく過ごすようにします。

 

 

 

今週は大事なことを立て続けに教えていただく機会もあり、その整理にもあてるつもりです。

 

夏至の頃の体験がそうしたことの理解に非常に影響を与えています。

 

 

 

最近は3時間ご予約を入れてくださる方もいて、3時間お話だけで終わることも何度かありました。

 

40分のコースで定期的に受けてくださる方もいらっしゃいますし、目的に応じてご予約の内容を使い分けてください。

 

ご要望があればご予約の際にお申し出いただき、ご相談いただければと思います。

 

8月は勉強会も無いため、土曜日は17時から施術可能な場合がございますので、よければそうした機会もご利用ください。

 

 

 

写真は娘の塗り絵です。

 

ちょっとしたホラー感が今の時期にいいかと思いました。(笑)

 

息子とはちょっと方向性が違うようです。

 

 

  

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