· 

思うこと

人のお話を聞いたり、これまで勉強したり、施術を通して感じてきたことを、なんとなく書いてみます。

 

エゴということについて考える機会を最近多くいただいていますが、エゴというものについて考えると、本心というものが比較対象としてでてきます。

 

本音と建前のような比較も一般的に聞く言葉ですが、すべてに共通したものとしてエネルギーがあるようです。

 

本音にも建前にもエネルギーがあるのでしょうが、そこにズレが生じることがあるようで、そういう話をしてくださった方がいらっしゃいました。

 

宇宙は完璧である、ということは、そうしたエネルギーの歪みはどこかで解消されることによって保たれている、その解消の過程が病気ではないか、とも。

 

簡単なイメージですが、一枚の紙を捻るとします。

 

すると、その紙は歪みます。

 

その歪みを解消するには二つ方法が考えられ、一つは加えた力の方向を元に戻す、もう一つは加えた力はそのままに、他方を動かして歪みを解消する、です。

 

実際はもっと複雑でしょうがあくまでイメージなのでシンプルに考えていきますが、この時に大事なことは力の向きです。

 

どちらの方向性にどれくらい力を加えるか。

 

方向や加減を間違えると歪みは解消されず、完璧な宇宙であり続けることは難しいです。

 

ですから、ただ一度で解消するのではなく、何度も微調整を繰り返すことで保たれるとするならば、その微調整を揺らぎと考えてみてもいいかもしれません。

 

病気の話に戻すと、人間の身体も自然の働きの中でなにかしらの微調整の働きを担っていると考えたなら、自然全体とのバランス、心身のバランス、そうした歪みの解消の方向性はエゴではわからないような気がします。

 

薬や手技や様々な治療法がありますが、そうしたものが毎回思うような結果がでないとしても、ある時期がくるまで待つことや継続することは、さきほどの微調整ということを考えると必要なことなのかもしれません。

 

自然治癒力で治ればそれでもいいですし、神様の働きの中で自分が隅々まで生かされていると考えると、私たち人間が作り出した薬や道具や仕組みや様々なものは、なに一つ否定する理由はないため、そうしたものが適切であるならば、それらを利用して歪みの調整をはかることは悪いことではないような気がします。

 

またそうした解消の取り組みを続ける時期や止めるタイミングについては、もう大丈夫かな、と自分が感じる自然な感覚というのは非常にすぐれていると思います。

 

しかし、感覚ですから、やはり「鈍い」「鋭い」があるため、常日頃から使い慣れておいた方が、よりよく使えるのではないでしょうか。

 

目に見える形で思うように事が運ぶのは、おそらく人間の影響を強く受ける領域です。

 

その枠組みを越えた領域では、自身の「自然」に通じる感覚こそが指針になるような気がします。

 

自身の今の状態が歪みであるならば、解消するための方向性をきちんと見定めて事に当たらないと、かえって歪みを強めるかもしれませんし、そうした方向性を守護霊様達が望んでいなければ、おそらくそちらに向かう手助けはしないでしょう。

 

全力でがんばることは悪いことではないように思えますが、方向性を間違えているとそのがんばりがムダになることもあります。

 

そのムダさえ学びと言えるかもしれませんが、方向性を定める取り組みもまた学びでしょうから、どうせ生きるなら少しでも効率的なほうが気分がいいのではないでしょうか。

 

肉体人間の限られた一生という時間枠の中では、あまり寄り道している時間も無いような気がします。

 

やるなら効率的に、結果が出ればなお嬉しい、ですよね。

 

自身の立ち位置、ありのままの自分、そうしたものをまずは知ること。

 

そのうえで、どういった方向性で生きていくのか考え、決断し、行動にうつし、時に修正もかけながら、最後まで諦めないで結果を出し、自身の運命をよくしていく。

 

私たちにはそうした力が備わっているようです。

 

エゴで限定した自己というのは、考えようによっては義務の範囲を現していると考えられないでしょうか。

 

その義務はあなたが取り組むべき範囲であり、その義務を全うすることがベストを尽くすということだから、その範囲を自分がやらないで人(守護霊様)任せでは、筋がちがうよね、という事になるはずです。

 

その義務を果たすからこそ、神様に助けてもらう権利がある。

実際そのような権利みたいな話はないのかもしれませんが、なにかマナーとしてそういうことは大事にしたほうがいいというか、全托ということを考えていると、そんなことを考えていました。

 

まとまりない内容ですが、とりあえず思うところを書き出してみました