学びの整理として

 

このところの学びの整理として、備忘録として途中までのものを残しておきます。

 

 

 

生きることにおいて、よりよく生きるということは、生きやすさが増す生き方をしているということ。

 

それは成長するということでもあり、では成長の方向性はどこに向くかと考えると、エゴを薄くして全体との調和が成される方向と考えてみればいい。

 

なぜそちらを成長の方向性として求めるのか。

 

それは元々が全体性であり、そこに部分、局所という歪みを作ったから。

 

宇宙は完璧であるとは、常に歪みは解消され続けているということ。

 

その宇宙という全体の働きが、エゴで囲い込んだ中にもあり、それを小宇宙と呼ぶのかもしれない。

 

小宇宙はエゴにより歪みを生じているので、その歪みを解消するために取り組むことが、カ

ルマの解消とよばれるものである。

 

神は万物の創造主であるということを考えると、自然は神が作ったものであり、神のエネルギーがそのまま現れているものを自然と呼んでいる。

 

その自然を歪めたものがエゴとしての人間であり、陰始に組する自然の一部である。

 

エゴの自分がより神に委ねる生き方をしようとするならば、神に近づく必要がある。

 

全託となれば、一致しなくては成り立たない。

 

どうすれば一致するか。

 

それは神の行い、想いを真似ること。

 

自分より上質な生き方を学ぶには、まずは真似ること。

 

神様は大常識人なので、神様を真似て、神様が考えていることまでわかるようになれば、全託により一層近づいたと言えるのではないか。

 

その真似を深めて隅々まで行き渡らせることで、神と一致する。

 

お祈りはその真似ることにあたる。

 

全体性という神への回帰を求めるエゴに覆われた局所の神性は、その求める感覚として故郷

への郷愁、母性への想いを拠り所としている。

 

 

 

以上、理解や整理ができていないことも点在していますが、読んだ方の考えるきっかけになることもある気がするため掲載しておきます。


 

 

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コメント: 5
  • #1

    papas (金曜日, 15 7月 2016 21:32)

    何故部分、局所という歪みを作ったのかなと思うと学びを得るためなのかなと思いました。

    エゴが、

    神のエネルギーがそのまま現れているものを自然と呼んでいる。
    その自然を歪めたものがエゴとしての人間であり、陰始に組する自然の一部である。

    とするならば完全覚醒とは神のエネルギーを完全に体現することであるように思え、それは神と一体化するということであると考えました。それは自然そのものになるということになり、
    それは認識している私ではなく、私は神の現れ(自然)の一部になるということではないかと思いました。神(自然)と一体化するということは全ての歪みも歪みでないものも私になるわけで、それは覚醒前の私というエゴは無くなったと言えますが覚醒後の私というエゴは無くならないなと思いました。それは単に覚醒前と覚醒後のエゴの視点と意味合いの違いで「この私はエゴ」をエゴと捉えていたらエゴが無くなるということになり、「私と捉えられるもの自体をエゴ」とするならば完全覚醒でエゴは無くならないなと完全覚醒を神との一体化と考えると思います

  • #2

    papas (土曜日, 16 7月 2016 13:32)

    有り難い事に自分が幼く、
    未熟であることを支えもあり
    強く気付かさせて頂いています。
    「気付けた」という成長した実感を支えに知識としてではなく、自分の内から出せるようになる事を目標に急がず焦らず腐らず頑張ります

    これも皆様からたくさんの学びを頂いて成り立てたもので身勝手(エゴ)ながらもお礼申し上げます。
    皆様、いつもありがとうございます

  • #3

    だい (月曜日, 18 7月 2016 14:19)

    papasさん

    歪みについて感じることは境涯によって違うと思いますが、上を目指せる立場にある私たちにとっては、たしかに歪みによって学びというテーマを得ていますね。

    完璧に動くことが全体性の方向性だとすると、変化を生じさせるため、が局所がある理由ではないでしょうか。

    局所=歪みではありません。
    歪めようとしたかどうかはわかりませんが、ゆらぎの範疇に含まれていたのではないかと思います。
    完全覚醒したら色々わかるのでしょう。

    全体との一体化については、溶けてなくなるようなものではなく、方向性が一致すると考えたほうがいいようです。

    自分で考えたり人の話を聞くと面白いですね。

    余談ですが、たしか以前コメント欄で零一さんが書いてくれた私の発言があり、全体性を損なう度合いが薄いエゴは個性と捉えるようです。

    今回のブログは半年以上前に書いたものでしたので、読み返してみると今以上に整理しきれていなかったり理解が足りない内容になっているのがよくわかます。
    特に神様という存在に対する私の特別視が根強く残っていたため、表現も甘いところが見えますし、その辺りを加味して読んでいただけると尚いいかと思います。

    暑いですね、みなさん体調管理にはくれぐれもお気をつけください。

  • #4

    papas (火曜日, 19 7月 2016 17:58)

    御忙しい中、毎度御返信の方有り難うございます。毎度学びにも、読み込みの助けにもなっています。

    改め自分の立ち位置の自覚を常に心に留め、頑張ります

  • #5

    papas (火曜日, 19 7月 2016 18:34)

    蛇足になりますが、
    自分「だけが」になっていないか常に考えないといけないねと思いました