情報の読み解き方

 

私も教えていただいたことのなので身につけている途中ということもあり、きちんとできていることではないことを、まず先にお伝えしておきます。

 

 

 

以前も少し書いたかもしれませんが、エゴを踏まえて情報を読み解くようにすると、あまり勘違いや間違った情報の解釈にはならないのではないでしょうか。

 

人それぞれに様々なエゴという得体のしれないものがありますが、その濃淡や偏り具合などの影響で、情報を受け取る際にも、発信する際にも、その情報はなにかしら歪められていきます。

 

例えば、100%の純度の情報が伝わってきたとして、意識の中での歪んだエゴの主導権率が40%だった場合、その方の受け取る情報は60%の純度になります。

 

それをまた他の人に伝えると、さらに歪みます。

 

 

 

情報を流す側に意図があり、その人の都合で情報を発信されていたとしたら、真理・真実とよべるような状態からは程遠い状態になっていると考えられます。

 

ウソが混じった情報になっている、ということです。

 

ですから、そういうのはなんとなく雰囲気で感じることもあって、うさん臭くおもうこともあります。

 

結果、「信じられない」という状態に陥り、陰謀論などに振り回されてしまうのかな、とも思うのですが、これだと「否定して見ないようにする」、「近づかないようにする」、「なるべく自分は安全なところで安心して暮らしたいから、考えないようにして自分の理想を追いかける」ということになるのではないでしょうか。

 

 

 

それはそれでいいのですが、エゴを前提に考えてみると、例で挙げたケースでは40%は確かに歪んだ情報かもしれませんが、残り60%は真っ当な情報なのですから、ここを見るようにしていくと物事のとらえ方が変わると思っています。

 

(これができていなかったと実感していますし、多くの方に見受けられる傾向のようにも思います。)

 

考え方を変える、エゴを薄くする、ということをするわけです。

 

 

 

実際世の中に出回っている情報については、どこまでどうなのかわかりません。

 

ですから、丁寧に一つずつ読み解いていくことで、勘を養うというのでしょうか、大事なことのかけらを拾い集めていくのがいいようです。

 

 

 

否定する、ということは、無いものにしようとすることです。

 

しかし、形は変われど、存在しているものを無くすことはできませんので、できないことをやり続けるようなことは無意味ですから、否定するのではなくまずは存在を認め、それをどう使うか、どう対処するか考える、ということが現実的な考え方になるのではないでしょうか。

 

 

 

もしかしたら1%しか真実は無いかもしれません。

 

しかし、どっぷりつかったこの世界から抜け出るためには、そのかすかなかけらを拾い集めて自分の知恵に変えていくことでしか、方法はないようにも思えます。

 

また1%が分かれば、それが信じる根拠ともなり、鵜呑みにして人に支配されたり、依存して責任を人に押し付けるようなことはしなくなります。

 

 

 

自分のエゴを認められるようになると、他人のエゴもわかるようになります。

 

エゴを認めるようになると、完ぺきにできなくてもしょうがない、と考えられるようになります。

 

私の場合はそこから、できる範囲で精いっぱいやる、ということの意味も徐々にわかってきました。

 

すると、否定する必要がないことがわかってきますし、ありのままの自分を徐々に受け入れていけるようになると思います。

 

ありのままの自分であれば、楽に生きられます。

 

 

 

私は、こんな感じで情報を読み解く際に、考えるようにしています。

 

 

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コメント: 11
  • #1

    長野大輔 (月曜日, 14 3月 2016 21:15)

    いつもありがとうございます。
    高校を卒業してからもう何もやりたくない、もう嫌だというところを経ての宇宙全史と祈りとの出会いでした。すぐに楽になりたいという想いがあり、祈りさえしていれば何もしなくていいんだという甘えがあるのでしょう。
    宇宙全史を自分の糧にしていこうとすると、やはり既存の教え、集まりなどのやり方とのすり合わせといいますか、自分で考えるということがやはり不可欠になってきているように思います。時に混乱し、それがあがきとなることもあり「自分はいったい何やってるんだ」と訳が分からなくなる時もあります。祈りさえしていれば何もしなくてもいい訳ではなく、模索も必要なのだと認めなければと感じます。
    五井先生のみ教えを根底にやっていこうと決めていますが、やはり現代のいろいろな方が書かれた書物を読みたいという想いもあり、実際に読むわけです。そこからみ教えへの理解につながる、より自分に適したワードや表現に出合うこともあります。また、そこから「あぁ、自分の消えてゆく姿のやり方はちょっとまずいな」ときづいていくこともあります。それは、現代感覚にあった落とし込みといいますか、納得につながる感じです。
    様々な情報が行き交い、まだまだな自分には混乱のもとともなりますが、だからといって情報を断つことは今の段階の自分では視野狭窄、閉塞感をもたらすのだと最近感じます。
    元来、正しいと自分が信じたものしか受け付けない、他を受け入れる余裕がない、受け入れるのが怖いというこうでなければだめだという傾向があります。ですから、日常を生きるのでもあまり人生を楽しめていないんでしょうね。
    虚空蔵様やその他の覚醒に近い方々とは違い、一人の道を求める人間として、大さんが仰るように探究していく勇気と広い視野、寛容さが必要と感じます。
    深刻になりがちで、白黒はっきりさせたがる性分で、これと決めたら他はいらないと感じてしまう癖、他を受け入れない狭量さを超えて、私も深刻にならず余裕を持って臨みたいです(^.^)。自分だけでやるのにはやはり限界がありますから・・・。
    そんなこんなで、またいつの間にか五井先生のおっしゃる行じ方からかけ離れてしまっているようです。

    良くなりたい良くなりたいと、ちょっと焦りすぎているんでしょうね(^-^;

    また一から消えてゆく姿で世界平和のお祈りを学びなおさなければと思っています。
    いつの間にか惰性に陥っている自分とは怖いなと思います。
    日常でもいろいろな制限を外して楽しみを増やせればいいなと思います。
    いつもありがとうございます。

  • #2

    だい (火曜日, 15 3月 2016 00:24)

    長野様

    いつもお読みいただきありがとうございます。

    お祈りに関しては私も理解に努めていますが、信じて祈る、このことだけでも十分だとは思います。

    行動に移せばなにかしら結果はでるわけで、ちょうどある方から教わったことですが、

    「効果のあるものはやった分だけ効く」

    だから、理屈はわかっていなくてもとりあえず続けていれば結果として表れてくるので、それはそれでいいのではないでしょうか。

    理屈を理解することで、より深い祈りができるような気はします。

    信じること一つとっても、根拠を求める性質が多くの人に見受けられることですのでいいですが、根拠があるから信じる、という順序にこだわらず、やる中で根拠を捜していく、でもいいかなと思っています。

    頭が良くなってから勉強します、では前に進みませんよね。

    勉強するから頭が良くなる、ですよね。

    ですから、実践の中で理解を深めようと行動している長野さんの探求の仕方は、思うようにいかないと感じたとしても、前に進む方向性をだしているので僕は好きですよ。

    そこで肝心なのは、思うようにいかないときに「こうじゃなきゃだめだ」と勝手に信じる正義で自らを否定して裁かないことです。

    そういう時にこそ、「自分はうまくできないなりに、ここまで理解した、ここまで行動に移した」など、実績をきちんと自覚することです。

    本文にも書いてあった、40%の歪んだエゴを否定したり責めるのではなく、60%の真実に目を向けるという事です。

    %は適当につけたものですから、エゴ99%、真実1%でもいいのですが、とにかくそこでどこに目を向けるのか、それだけの事です。

    『虚空蔵様やその他の覚醒に近い方々とは違い』

    この一文が最重要ポイントです。

    エゴを見ようとしないから、この一文が書かれました。

    盲目的に特別視するのではなく、きちんとエゴを見ていけばわかることがあるはずです。

    私たちはきちんと段階を経ていけば転生を繰り返すような時間はかかったとしても、こうした方たちと同じ境涯にいつかはたどり着ける同じ人間なのだ、という風に考えたほうがいいですよ。

    「すごい人だから完璧にちがいない」、「言う事に間違いはないだろう」、「自分とは違うんだ、だからその人が私より上なのだ」、と勝手に序列を作り支配されようとしていきます。

    立派に見えるような方は、そこに至るまでの過去世も含めたそれまでに、私たちより頑張ってきた、ということです。

    特別な才能にしても、それを習得する過程を経ただけです。

    おっしゃるように焦りがありますが、さきほども書いたように、目を向ける先を変えていくことで変わることがありますので、一度考えてみてはいかがでしょうか。

    よくなりたいと思う事は大事なことですので、そのことは否定したり抑制しないで、お祈りをしてみてください。

    もっと気楽に、真剣にできるようになっていくとおもいますよ。

  • #3

    長野大輔 (火曜日, 15 3月 2016 23:16)

    ありがとうございます。

  • #4

    紫陽花 (水曜日, 16 3月 2016 16:15)

    こんにちは
    ブログいつも読ませて頂いてます。
    こちらへのコメントは初めてになります。よろしくお願いします。

    長野さまへのお返事を読ませて頂きました。
    『虚空蔵様やその他の覚醒に近い方々とは違い』以下のお返事の部分に私も当てはまりました。

    年末に施術にうかがった際、私が「宇宙全史について行きたいです。」とBBSに書き込みをしていたのを、「そうではなく‘共に歩む’のですよ。」と教えて頂きました。
    頭では、そうだな・・と分かるのですが、素直に認めたくないひっかかりをずっと感じていました。
    なんだろうと気になっていましたが、そのままにしていました。

    そんな時、2月下旬にインフルエンザになり寝込みました。
    寝込んでいる時、子供の頃のあれこれを思い出して、自己評価があまりに低い事と、どうしてそんなに低くなったのかの原因が分かった気がしました。

    原因は
    「親の愛情がなかった。自分を見てもらえなかった」
    「自分がここにいていいという安心感がなかった」と感じていたからでした。

    愛情と安心感が幼い頃の私にはありませんでした。
    保育園に通っていた時、「今日は迎えに来てくれるだろうか?来てくれないんじゃないか?捨てられるんじゃないか?どうしよう、どうしよう・・・」と不安と恐怖で泣いてばかりでした。

    そのせいか、小学校時代では作文で、罪悪感という単語をたくさん使っていました。それを先生は褒めてくれました。親も褒めてくれました。私はいい子ではありませんと言うと褒めてもらえるのだな~と計算するようになりました。
    自己卑下をすればいい。単純にそう信じていました。

    友人もそれなりにいましたが、中学・高校と成長するにつれ、自分を下げる癖のため、他人と対等に付き合うということが出来ない・分からない状態になりました。
    大人になっても、仮面いい人を演じていたので上手くいかない事が多く、どんどん自分が嫌いになっていきました。

    この様な状態で、宇宙全史に出会ったので
    「私は劣っている」が基本中の基本で、素晴らしい存在に「ついて行く」という思考回路しかなかった・それが当然と思っていました。それだけでなく他人すべてに「ついて行く」「他人が正しい」という考えが私の基本でした。

    「共に歩む」は精神が大人になっていないと出てこない考えではないかと思いました。少なくとも私の頭には出てきませんでした。

    このような事をインフルエンザで寝込んでいる時に気が付きました。
    気が付いたのはいいけれど、
    自身を生贄のように差し出すことでしか愛情をもらえないと勘違いしてしまった悲しみや、自分の都合や考えを押し付ける事しかしなかった両親への怒りも押し寄せて来て、
    高熱と吐き気と混ざってごちゃごちゃでした。どうにもできなくて、助けて下さい。お願いします。と、お祈りをしました。

    インフルが治った時、体も心もとてもスッキリとして、何かが抜け落ちた感じがありました。

    まだ、‘共に歩む’という感覚は私に馴染んでいませんが、自己卑下の度合いが以前と比べると薄くなったので、頭ではなく、そうだなぁと気が付く時が来るだろうと感じています。

    信じて祈ります。

    ありがとうございます。



  • #5

    だい (水曜日, 16 3月 2016 22:55)

    紫陽花様

    いつもブログを読んでいただき、また、初コメントを書き込んでいただき、ありがとうございます。

    コメントの内容を読ませていただき、明日ブログに書こうと思っていたことについて視野が広がりました。

    それにしても、ご自身の思い込みの系譜というのでしょうか、丁寧によく見られていますね。

    そこまで考えられるくらい「成長した自分」を自覚されるといいと思いますよ。

    前とは違う、ということです。

    私は自分だけではまだそこまでできません、すごいですね!

    そこまで気づけると、行動が少しずつ変わるはずです。

    変わった分だけ立ち位置が移動するので、移動した先で見える景色の中、また新たな気づきが出てくるでしょうから、その時にまた気づいたことだけ考えていくことでなじむ実感がでてきて、繰り返す中でより一層なじんでいくと思います。

    空海のやっていたことは、このことの繰り返しではないでしょうか。

    今取り組んでいることの精度を(相当ですが)上げていった先に、ああいう特別な印象を与える人たちの取組があるのだと思い、書かせていただきました。

    紫陽花さんは、まだまだ変わっていきます。

    この調子で頑張ってください。

    「共に歩む」は私も勉強中です。

    一緒に勉強させていただいていますので、今後も気が向いたときにコメントをいただけると嬉しいです。

    今後とも、よろしくお願いたします。

  • #6

    紫陽花 (木曜日, 17 3月 2016 10:51)

    だい先生、お返事ありがとうございました。

    成長できた自分を素直に受け入れようと思います。
    今までは出来ない事でした。
    そして、変化を怖い。と思わず、大丈夫。と進んでいこうと思います。

    これからもよろしくお願いします。
    ありがとうございます。





  • #7

    だい (木曜日, 17 3月 2016 22:59)

    紫陽花さんへ

    こちらこそ、嬉しいお返事をいただけて励みになります。
    さらに成長していますね。
    その調子です。

    ご自由でかまいませんが、この機会にせっかくなのでご提案させていただきたいことがあります。
    「共に」ですから、「先生」はやめませんか?

    ご検討ください。


  • #8

    紫陽花 (金曜日, 18 3月 2016 10:08)

    実は、私も迷った部分でした。
    治療院や病院など開業している方は先生と呼ぶのが普通だしなぁ・・どうしようかなと思いつつも、やはり、先生かな、と。
    昨日は送信した後、このことが気になって仕方ありませんでした。
    ご提案ありがとうございました。すっきりしました。

    これからは、「だいさん」でいきます。

  • #9

    だい (金曜日, 18 3月 2016 10:25)

    紫陽花さん

    ありがとうございます(^ ^)

  • #10

    アキラ (土曜日, 09 7月 2016 19:24)

    私達もいつか覚醒した方々のようになれる という内容には勇気を頂きました
    確かにそうですよね 虚空蔵さまだから~といって歪めてみる必要はないんですね

    逆にこの考え方を応用して 気に入らない家族 許せない犯罪者、受け入れがたい権力者なども普通にみることができるかもしれませんね

    いつもありがとうございます
    だいさんの御家族が幸せでありますように

  • #11

    だい (土曜日, 09 7月 2016 22:25)

    アキラさん

    歪みをなくしていくことで見えてくるものがあります。
    それを見えるようにするために、それぞれの歪みである私たち自身の思い込みを修正していくことが必要となります。
    特別視を歪みと気づけたならば、視野の広がりから考え方が変わり、行動に変化をもたらし、運命を変えていくことになります。

    こうして言葉にして書いていただくことでさらに他の方の気づきをうながすならば、トータルでいい流れになります。
    わかりやすく大事なことを書いていただけたと思います。
    ありがとうございます。