見守る存在の優しさなど

自分の限界までやった時に顔を出す「エゴの不完全さ」がある。

 

「もう無理」「これ以上はできない」など。

 

しかし、「滅びたい」という全体性を損なうエゴと異なり、自分の限界までやる生き方は真剣に生き、やるべきことをやって全体性を損なわない「命を活かす生き方」をしているため、全体性を向いている。

 

方向性が全体性を向いていれば、成長しながらいつかは全体性に繋がっていくことができる。

 

一方「全体性を損なう方向性」だと、閉塞感が強くなり、生きづらい感じが強くなる。

 

ともすると限界で姿を現すそうした自己否定を、見守る存在たちは全体性の働きとして包み込み、限界を超えた先を示すことで「損なう方向性」を「損なわない方向性」に転換するように促しているのではないか。

 

そして感謝の気持ちで全体性に身を任せることができるようにしてくれるのではないか。

 

見守る存在の優しさ、フォロー、全托とは、そういうものではないかと思います。

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    wombat (月曜日, 23 5月 2016 21:14)

    こんばんは。
    いつも、ありがとうございます。

    今日はちょうど『真剣に生きる』ということについて、
    考えていたので、参考になりました。

    『真剣に』とあると、つい必死にとか、少し深刻な感じを持ってしまうのですが、
    やるだけやって、結果はお任せしようというところまでいければ、
    不要な深刻さはあまり出ないのかな、と思っておりました。

    どうも『真剣に』と考えて、取り組むと、
    まじめすぎる感じになって、深刻になってしまうのが、
    個人的な課題だなぁ、と思っています。

    そういう時は『軽さ』も大事なものである、というのを思い出すのですが、
    その軽さというのは、やりきったからこそ、出てくるものなのだろうなぁ、と思うと、
    まだまだやりきっていない自分がいるなぁ、と反省しきりです。

    全体性とは少々違ったことかと思いましたが、
    『真剣に生きる』というキーワードで書かせていただきました。

  • #2

    だい (月曜日, 23 5月 2016 21:36)

    wombatさん

    いつもお読みいただき、またコメントも書いていただきありがとうございます。

    おっしゃるようにやりきることで出てくる軽さがあると思います。

    そうした軽さは執着がとれて出てきたものですから、生きやすさも増してきますよね。

    ご自分の成長に繋がる内容を一つでも見つけてくださったなら、書いた甲斐があります。

    間違いや欠点よりは、そうした視点で物事に取り組まれていれば、間違いなく成長していけます。

    お互い頑張りましょうね。