以下、思ったことです。
私もばっちりエゴを抱えて生きているので、間違えることも当然あります。
鵜呑みにしないで、考えるたたき台にしてお読みください。
一部内容が混乱をまねくかもしれませんが、掲載しておきます。
「ありのまま」は「全体性としての私」の方向性の基点だから、ここにたどりつければいい。
自由があるので、ここからじゃなきゃ方向性が出せない、というわけではない。
エゴを薄くする(考え方を変える)ことで、全体性を損なわないエゴであれば、エゴは強くても問題ない。
それは宮本武蔵の章で書かれていた事に該当するはず。
完璧だと変化は起きない。
不完全だから変化する。
エゴは全体性の中に不完全を作り出しており、不完全故に方向性が生まれる。
エゴがあるから変化が生まれる。
エゴがあるから方向性が生まれる。
エゴの強さは方向性の強さでもあり、ありのままという基点が定まった時、出された方向性の推進力はエゴの強さが担うことになる。
全体性を損なわない強いエゴは、全体性を大きくかき混ぜながら、宇宙の大きな方向性の推進力ともなりうるもの。
だから完全覚醒をしても、エゴは無くならない。
全体性の働きを邪魔しなくなるから、無いように感じる。
エゴを否定してその存在を無いものとするのではなく、エゴをうまく使って全体性の成長につなげていくことが、これからの一つの方向性。
エゴを薄くする、の「薄く」や「無くす」は、全体性への影響の話。
エゴは無くならない。