善悪で裁く

 

善悪で裁く、というのは、自分が正しい、という理屈です。 

 

自分の価値基準を優先して人の自由を奪う、人の思い通りに生きさせない、人の不幸を喜ぶ、という図式になります。 

 

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コメント: 6
  • #1

    wombat (水曜日, 15 6月 2016 16:49)

    こんにちは^^

    とても端的でわかりやすいです!
    これくらいまでに言葉が結晶化されていると、
    実際に起きた出来事にもすぐに適応しやすいと思いました。

    つまり、なにか起きた時にハッとなって思いだせる内容だと、
    とっても使い勝手がいいなぁ、と感じていたのです。

    私の中で、すぐに活躍しそうな言葉だと感じました!
    ありがとうございます^^

  • #2

    いくと (水曜日, 15 6月 2016 19:02)

    とても痛み入る記事です。

    と言いますのは、私は我意にとらわれやすい性質であるため、自分の自由と他人との調和の両立はいつも目の前にある課題だからです。

    勉強させていただきます。ありがとうございます。

  • #3

    だい (水曜日, 15 6月 2016 20:43)

    wombatさん

    そういっていただけるとうれしいです。
    なるべくこういう形にしていきたいのですが、それには私自身のレベルアップがないとできないことですので、精進します。

    実地試験がんばってくださいね!



    いくとさん

    実践できて初めて理解になりますよね。
    学びの場として、いい環境ではないでしょうか。



    自分が上だから、という意識もここには表れています。

    平等である、と信じているならば、こうしたことはなされなはずですから、自分の歪みに気づく取っ掛かりとして意識していただくといいと思います。

    自分の中の歪みは巧妙にいろいろ仕掛けてきます。

    先日もある方とのやり取りで、エゴの巧妙さを再確認する機会がありました。

    出来てるつもりの裏で暗躍する歪みにご注意ください。

  • #4

    いくと (水曜日, 15 6月 2016 22:28)

    ありがとうございます。

    ひとつ思い出したことがあり、「謙虚さ」がなかなか身に付かないということがありました。
    今回いただいたコメントに関連することのように思います。

    とても良いことを教えていただきました。

    実生活の中にしっかり落とし込んでいけるよう注意深くしていきたいと思います。

    ありがとうございました。

  • #5

    papas (木曜日, 16 6月 2016 01:24)

    裁くことを自分に許すということは
    裁かれるのを自分に許可するということでもあるのかなと思いました。

    悪だと断じてしまうことは相手の考えが無いものになってしまうのかなと思いました(相手の自由がない)

    悪の代名詞でもあるテロにもテロリスト(犯罪者)なりの言い分が、理由が、行動原理が、不満があり、それを私たちは今まで見て見ぬ振りをして溜め込んできた結果が大きな組織(不満)(isis等)になり今があるのだなと思うとそれはやったことが帰ってきた、こうなったのは自分達の責任でもあると言えるのかなと、
    悪と断じて裁く(否定、見て見ぬ振り)を繰り返しても何も変わらないのかなと思いました。

  • #6

    だい (木曜日, 16 6月 2016 13:39)

    papasさん

    因果応報でいえばそうなるでしょうね。

    弱肉強食の世界なので、力のあるものに言われたら力のないものは従ってしまうのも仕方ないため、相手の考えが無いというよりは、弱いものが同意して、無いことにしてしまうと考えた方がいいかもしれません。

    ジャイアンとのび太の関係性ですね。

    お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。

    テロに関しては、それぞれカルマの解消のためにそういう境遇にあるのだとは思いますが、全体性の働きの中にある私たちですから、あらゆることが一連托生で負っているといえますよね。

    ただ、負うにしてもその程度は、それぞれのカルマの量によるため、同じ場にいてもその身に起きることは、人それぞれです。

    またエゴの歪みがひどければ、そこで更に無駄にカルマを増やし、抜け出せないループにはまり込んでいくこともありますよね。

    どういう生き方をしたいか、なにを大事にしたいか、そうした方向性によっては、悪を裁くことがいい場合もあるかもしれませんが、気分良く生きる、より良く生きる、成長しながら全体性を目指す、という方向性においては、あまり効率のいい選択ではありません。

    正直、惜しい!と思いました。

    ここまで書いたなら、あと1歩踏み込んでほしかったです。

    では、成長するにはどうしたらいいか。

    そこまで考えて、初めて考えた、役に立つ勉強をした、と言えると思います。

    がんばってください。