好き・嫌い

自由な生き方は、思うように生きられることであり、好きに生きる、ということでもある。

 

「好きに生きる」というと、「好き勝手」と解釈してしまいがちだが、「全体性を損なわないエゴ」で好きに生きることと、「歪んだエゴ」で好きに生きることでは違いがあるので混同しないよう注意する。

 

「ありのまま」の解釈も同じで、全体性を損なわないエゴが望む「ありのまま」に至るには、日々のやるべきことに対する取り組みを限界までやって身の丈を知り、自ずと定まる覚悟で好きに生きようとすることなので、命を大事に生きようとする姿になっているはず。

 

歪んだエゴが望むありのままは、自分の成長を求めず楽して生きたい、なのでまったく別物。

 

思うように生きる、好きに生きる、などのそうした「思い」や「好き」が自分の大事な方向性になる。

 

なにかを選んだらその他を否定するわけではなく、全体性としてずっとあるものの中で、今はそれを選ばなかった、一番大事とは思わなかった、一番必要とは考えなかった、ということ。

 

だから、嫌い、と表明することは、否定ではない。

 

存在を否定しようとしているのではないか、と考えてしまい「嫌いといえない」と考えてしまいがち。

 

しかし、自身の中で好き嫌いを自覚しないと方向性が出しづらくなる。

 

互いに葛藤を生じずに、そこをはっきり伝えあえるようになることも、これからの課題。

 

相手の理解が得られないまま一方的にいうと、カルマが増えることもあるので、よく考えて口にしなくてはいけない。

 

「あなたのそれはそれでいいけれど、私はそれは好きではないからこちらを選びます」

 

でいい。

 

「こっち来るな!あっち行け!!」

 

と言いたくなる存在もいるけども・・・

 

相手が嫌がることをしない、というのは自由に生きる上でのお互いのマナー。

 

弱肉強食で好き勝手されてしまうとそうもいかないが、意思表示や態度の表明は自分であるためには大事なこと。

 

 

 

ちなみに関係のない話題です。

 

北海道に行って私の妻は意識レベルが上がったと感じていますが、その主な原因は超高い絶品焼肉を御馳走になって気分がよくなったことがきっかけだというのは、ここだけのお話。

 

衣食足りて礼節を知る、これ本当です!大事なことです!!(笑)