雑記とお休みの御案内

 

一つの課題ですが、今後人からエネルギーを奪わないで、地球のレベルアップに合わせて自分たちも成長していけるかどうか。

 

 

 

波動が上がる、というのはなかなか実感として分かるものではないかもしれませんが、理屈からいうとカルマを増やせば重くなるわけですし、地球の波動が上がって精妙になると、自分がそのままであれば自分の波動は地球に比べて以前より粗く重いものになります。

 

つまり、動きづらい、生きづらい、思うようにいかない、ということですから、そうなればカルマの解消もより一層困難になります。

 

 

 

「まあまあ嫌なこと」が「とても嫌なこと」と感じるようになる、そんな感じです。

 

 

 

そこで「やってはいけない」「ダメなものはダメ」とエゴをキチンとコントロールできていないと、ツライ状況を自分以外のせいにして、自覚がないままカルマを溜め込むようなことをさらに積み重ねるかもしれません。

 

そうしたエゴのコントロールは、基本は自身のエゴの歪みを減らす、ということです。

 

 

 

夏至の頃の覚醒の一瞥体験を通して、存在するものはすべてあっていい、と思えました。

 

否定的な思いは「それを無くしてしまいたい」ということにもなりますが、私の体験を前提に考えると、それはあっていいものを無くそうとする歪んだ考えともいえます。

 

ですから、よりよく生きるために歪みを解消するのであれば、自身の歪んだ考えが対象となり、そうした考え方から見えてくる未来の人のあり方というものもあります。

 

 

 

話を戻して、カルマを自覚の無いまま増やしていけばどんどん悪循環に入り、背負いきれない負荷を四つん這いになりながら背負って生きていく、そんな感じがします。

 

しかし、自分のエゴの歪みや具体的な自分なりの不幸の望み方を穏やかな今のうちに把握できていれば、とっさの時にも対処ができます。

 

一度に考えられることは一つだけですから、歪みの少ない考え方や幸せを願う方向性を出していくこと(エゴのコントロール)で、そうした歪んだ思いの優先順位を下げ、消えていく姿にすればいいわけです。

 

 

 

自分を見つめることをおざなりにし「なんとかなる」と高をくくっていても、いざ混乱が始まった時には冷静に対処することは大変ですし、具体的なエゴの歪みを知らないということは、無意識に歪みが暴走することを許すことでもあり、カルマを増やす方向性に勝手に進んでいるかもしれません。

 

「まんべんなく揺らす」という言葉が何度かここ半年くらいに浮かびました。

 

最初は大地の揺れと思っていましたが、最近は「人の心なんだろうな」と感じています。

 

 

 

自分のエゴを見つめる、歪みに気づいた時の対処の仕方、そうした取り組みが結果として自分を成長させてくれる方法でもあるわけですから、なるべく早めに取り組まれるといいと思います。

 

日常生活の中での取り組みですから、地道なもので、他愛のないような些細なことも取っ掛かりとして目の前にあるかもしれません。

 

それにきちんと向き合えれば、前回のブログにも書いたように、その積み重ねは更なる成長へと繋がるでしょうし、おろそかにすれば、また違う方向性を選んだことになります。

 

 

 

気づいたところで軌道修正すればいいだけなのですが、それでも負荷が出来るだけ少ない段階でそれをしていかないと、やはり軌道修正することすら大変になるのではないかと思います。

 

最近思っていたことを簡単にまとめてみました。

 

 

 

明日から来週火曜日までお休みいたします。

 

10日(水)から再開いたします。

 

休業期間中のご予約・お問合せ等は、メールでのみ対応させていただきます。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

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コメント: 18
  • #1

    papas (土曜日, 06 8月 2016 04:37)

    軌道修正しようと取り組み始めることがこれから難しくなっていく(と思う)中で、比較的穏やかな(取り組む難易度が優しい)今のうちにその習慣を身に付けた方が楽ということは、今こそが有効に使うべき大切な時間なのかなと思います。「難しくなっていく」は言い換えると門が狭まっていくの意味も持ち、「今のうちに身に付ける」は今のうちに備えるという意味と左BBSNo.330のトレーニングでもあるのかなと思いました。


    波動が地球より低いこと高いことを行うと上手くいかなくなるという原理とこれから地球の波動が上がっていくというのを前提にすると、低いことはどんどん上手くいきにくくなり、高いことは上手くいきやすくなります。でも私たちは高いことが何かということは完全には分かりません。ではどうすれば良いのかと考えると上手くいっていない行動をしていることに気付いた時に軌道修正すれば良いわけです。その癖を身に付けるというのはとても有意義と言いますかこれからの時代とても助かることのように思えます。そしてその癖を続けていくと、自然と修正する方向性に共通点があることに気付いたりするんじゃないかなと思いました。
    軌道修正することは波動が高いであろう行動に変えることでもあります。

    でも私たち自身の波動が低いままだと高い行動に軌道修正をすることに納得が出来にくくなるのではないでしょうか。自分の波動(エゴ、思い)とずれているからです。極端に言えば人を殺すことが正しいとしたら納得しにくいみたいな感じです。それが納得出来る人は人を殺すのが正しい世界に行くのでしょう
    それはつまり地球がどんどん波動が上がるにつれ自分が低いままだとどんどん納得がいきにくくなっていくわけです。それらを踏まえると波動が上がっていく地球ということは地球はどんどん神様しか住めないような世界に変わっていくということに思えます。神様の世界では神様みたいなことをしなきゃいけないので神様みたいなことが合わない人やしたくない人は自分からその世界から出ていくと言いますか楽しくない、地獄なのではないでしょうか。つまりユートピアとはユートピアをユートピアとする人しか残らないからユートピアなのではないかと思いました。なので追い出されるというよりは自分から出ていく、「自分が決める」んじゃないかなと、
    生きにくいとは自分が生み出していることから
    繋げて一種の考察みたいなものをしてみました。
    その前に出ていくためには死や行く前に皆で食い合いを始めないといけなかったりするみたいですが、自分もありますが大体の人は死が怖いから20年後で生き残りたいというのが大半なのではないかと思いました。
    死ぬのは理不尽じゃないかという意見に対してはこれまで散々待ったし、飽き飽きしているもう待たないby地球、俺たちはその過去を持たないではないかという意見に対してはそれを了承してあんたたちは生まれてきたbyJUMUだったりとぐうの音も出ないと言いますか自己責任であったことを改めて実感します。

  • #2

    papas (土曜日, 06 8月 2016 12:55)

    もう一度考えてみたのですが
    神様みたいなことをしなければならないのではなく神様みたいな行為でないとと上手くいきづらくなるだけでしないといけないは誤った例えであったように思えます。それと情に引きずられていってしまう人に関してが余り入っておらず、引きずられるような波動が低い状態を長く持ち続けるとポンと弾き出されてしまうのか情から離れることを自ずから選ぶのかは分からないなと思いました。

    毎度為になることを教えてくださってありがとうございます

  • #3

    しんすけ (月曜日, 08 8月 2016 17:41)

    毎日 読ませていただき勉強さしていただいてます 感謝してます、質問とゆかご参考にお聞きしたいのです、ほとんどの人達はスキと嫌いがあると思います 仕事が好き嫌い あの人が好き嫌いなど すべての事が好きか嫌いかの方向性か・・それも卒業すると?どちらでもないか普通?なんでしょうか?、よりよく生きるには当然嫌いな事を減らしていく方向性になるとおもいます、どうしたら嫌いを好きになれるんでしょうか?
    そもそも好きとわなにか?嫌いとはどんなことか?私なりに考えました、エゴの自分に追加されても処理しやすいエネルギーを好き エゴの自分に追加されたら処理に時間がかかる事を嫌い?  好きとは何か?嫌いとはなにか?

  • #4

    papas (火曜日, 09 8月 2016 01:47)

    再度追記になるのですが、本日のBBSの更新で、(これからの地球)神様の世界のテーマは創造性を求められる世界であることを読み込み不足(理解していなかった)のためすっぽり抜け落ちていました。
    私たち(エゴ、小魂)はどういう点で「自由」であるのかと考えると様々な世界?(宇宙?)とはゲームカセットのようなもので、私たちはプレイする条件を満たしているゲームカセットを選択する自由とゲームをどう遊ぶかという自由を与えて頂けているのかなと思いました。
    そしてゲームマスター(ゲームの内容をいじれる)の権利をある程度許されていたり、所持しているのが上の方々なのでしょうか(より行えることが広まる点で自由になる)
    ですが、完全覚醒や一体化などの境涯が進んだ際に到達するもの、学べることを殆ど卒業した方々が様々な理由で留まることを考えると、ゲームで例えるには無理、或いは限界があり、
    自分が世界を全然知らない、分からない,理解していないということを痛感します。それは探求する楽しみがあるとも言えるのですが...

  • #5

    papas (火曜日, 09 8月 2016 02:45)

    何度も申し訳ありません訂正になります。
    ゲームの例えは全体性や調和も入っていませんし、私たちはゲームマスターの権利を無いと思わされていただけで間違いなく有しているように思えます。
    なのでプレイする側であると先程は安易に考えていたのですがこれは間違いで私たちは同時に作る側でもありました。
    そう考えると全体性との調和とはとても納得行くものがあり、探求とは上と下とするものではないことに気付きました。

    上品と下品という言葉がありますが、恐らく、本当の意味で上品を探求している人には下品というものがありません。ただ上品を探求していない(興味がない)人がいると思うだけです。上品である人とは上品を体現しているということであり、上品そのものであろうとしている人であるのだと思います。それはつまり上品とは、上品な仕草や動作という100点のものを完全に再現しているかどうかという「既にあるものの上下」ではなく、自分で考え、見つけ現すものであるのだと思います。それは全ての探求することにも当てはまるのではないでしょうか。
    ですから既にあるものの上下と考えていると上品と下品は相性が悪いやら下品は不快に思うのかもしれませんが、本当の探求者にはそれは恐らくなく、
    探求とは他人はなく、自分だけのものであるのだと思いました。

  • #6

    かい (火曜日, 09 8月 2016 04:52)

    今BBSの話に漫画の話が出てますね。
    ネームまで書いて詰まって放りました。
    実際やってみると重みがあります。というか話の整合性が
    とれなかったです。
    エゴが出せるくらい描ければいいのですが。
    本より漫画を読むのもよくないかもしれません。
    それた話ですみません。

  • #7

    だい (木曜日, 11 8月 2016 00:13)

    papasさん

    コメントをありがとうございます。
    遅くなりましたが、私の感じたことを以下に書かせていただきます。

    『今こそが有効に使うべき大切な時間なのかなと思います。』
    素直にそう思えるようになると行動に移せるようになり、理解したことになると思います。
    今この時期がどういう時期なのか、エゴの私たちにはなかなかわかりません。
    ですから、これまでも常に大切な時間であったはずです。
    穏やかなのか、激動期なのか、そうした区別はエゴの視点ですから、結局は善悪と同じ都合で物を見ていることになりますので、おだやかな今のうちに、という言い方もあまり意味がないのかもしれませんね。
    私の焦りが言葉に出ていたことに気づかされました。
    ありがとうございます。

    『軌道修正することは波動が高いであろう行動に変えることでもあります。』
    何かを見て「波動が高い」かどうか、私には正直わかりません。
    わからないことを基準にすることがどういうことかは、「鵜呑み」や「つもり」、という言葉を思い浮かべていただければわかっていただけるでしょうか。
    エゴを肥大化させる要素ですので、注意してください。
    全体性の働きとは異なる不完全な存在として、わからないなりに判断していくわけですから、その時感じる「よりよい」を選ぶことが軌道修正だと考えています。
    「よりよい」はその方の方向性によって変わります。
    痩せたい方と太りたい方では、よりよい選択はちがいますよね。
    どういう方向性を選ぶか、思うように生きていい自由があるので、その選択の自由をよく自覚する必要があります。
    軌道修正は方向性を出して取り組んだあと、生きづらさを感じたタイミングで取り組むものです。
    この順番も大事ですね。
    方向性をだすこと、このことをもう少し意識してみて下さい。

    波動の高さの違いが基準で、地球と同じ波動に達していなければならないのであれば、今後地球に残れるかどうか考えた場合、人類はほぼ絶滅すると思います。

    方向性を出しているかどうか、がまず大事で、そこから「アホ」か「考えて生きているか」の違いによって今後が変わります。
    自分だけで生きられるつもりになっているか、誰かと一緒に生きることが出来るのか、そうしたことから出てくる方向性が地球の方向性とあっているかどうか。
    「共に歩む」ということを宇宙全史の中では五井先生たちの方向性として教わっているので、考えてみて下さい。

    神様やユートピアのお話はある程度いいと思います。
    神様じゃないと住めなくなる、という面はあると思いますが、創造主であることを自覚できるようになった人たちがこれからの時代をつくっていく、という風に私は考えています。
    私たちが手にする創造主の力については何度かこちらにも断片的?に書いてきましたが、それによって徐々に神様の自覚が芽生えていくことで、そういう意識の人が増えていく過程をたどるのではないでしょうか。
    自由とは、思うように生きていい自由です。
    思いがあって、行動に移し、その結果が積み重なって運命となる。
    運命を思いによって作り出す創造主の力が私たちにはあります。
    ですから、最初の思いが大事であり、自分の思いでないウソが混じっていては主体性は損なわれるし、誰かに主体性を明け渡し責任転嫁して自己責任を放棄すれば、神としての自覚がないことになります。
    そういう今の段階から本来の在り様にしていきましょうね、というのが今の流れです。

    今はpapasさんは「守」の段階ですので、理屈が分からなくなることもあります。
    一度に考えるにはまだ理解ができていないところがあるようですので、焦らず一つずつ整理していくといいですよ。
    長文ではなく、まずは短い文章でまとめるようにしてみてください。

    (そういう私も長いですね・・・気を付けます)


  • #8

    だい (木曜日, 11 8月 2016 00:42)

    しんすけさん

    初コメントをありがとうございます。
    いつも読んでいただけているとのことで、励みになります。

    ある方がメールをくださり、しんすけさんのコメントを元に御自身の見解をまとめてくださいました。
    その方の気が向けばこちらコメントとして投稿してくださるかもしれませんが、わかりやすく面白い内容でしたので、できればそちらも見ていただきたいと期待しています。

    しんすけさんの書いてくださったものは、エゴの特性を踏まえて考えられているのでいいと思います。

    私の場合は、ある方向性(何が大事か)において、思うようにいくことが好きなこと、思うようにいかないことが嫌いなこと、と考えました。

    人の段階(エゴの歪み具合)によって好き嫌いの基準は変わるとおもいます
    ・まず方向性を打ち出しているかどうか
    ・打ち出しているなら、どういう方向性か

    合わないものは合わない、嫌いなものは嫌い、そうはっきり表明することは悪いことではないと思います。
    むしろ、方向性をよりはっきりする、ピュアに近づく、そういうためにも必要なことです。
    そこから、嫌いだから否定して無理やり言う事を聞かせよう、とか、つぶしてしまえ、言いなりにさせよう、となると不幸を望む行動になるため、加減も必要なことだと思います。
    習慣や癖といったものはエゴの特性でもあるため、処理に時間をかけてでもいいものを生み出そう、というもっていき方もありますので、少し考えてみてください。
    空海の反省魔としての習慣はその最たるものだと思います。

    参考になるようでしたらうれしいです。

  • #9

    だい (木曜日, 11 8月 2016 00:54)

    かいさん

    コメントを書いてくださり、ありがとうございます。

    やってみてわかることがあります。
    そのやったことの中に自分では気づかないような歪んだエゴが、あちこちに表れているものですよ。
    書き込まれた文章を真剣に今一度読み返してみると、エゴが少しはみえてくるかもしれません。

    前回いらしてくださった際にお伝えした内容と同じことを、少し前に改めてご指導されていましたね。

    続けることでわかることもありますし、結果がでるまでやらないとわからないこともあります。

    大変かもしれませんが、いまは続けることがとても大事です。
    BBSでご指導いただけたことをなんとかがんばって取り組み、そして続けてみてください。


  • #10

    NORI (木曜日, 11 8月 2016 04:23)

    しんすけさん

    初めまして、NORIと申します。
    私も同じくこちらのブログで学ばせて頂いているものです。
    だいさんのコメントにもありましたが、メール内容の投稿を提案して頂いたので書き込みさせて頂きます。

    以下、私の見解です。


    よりよく生きるというのは、嫌いを好きになるではなく、嫌いなものの存在を認め、そこから学ぶことがあれば学んで成長していくということです。
    成長して対応できれば、嫌いなものが苦手なものくらいになって、数をこなせば好きになって得意分野になることだってあると思います。
    そうはならなくても、嫌いだったものが気にならないレベルになれば、それはより生きやすくなったといえると思います。

    そこで注意する点は、取り組みやすいものから取り組むこと。
    取り組んだ際、0%を100%にしようとせず、10%、20%とコツコツと自分のできる範囲でレベルを上げていくことです。
    そして、1%でもできたら自分を褒めて(できたことを認める)ことです。
    そうやって徐々に成長して手ごたえをつかんでいけば、それが自信となり、繰り返すことで意欲が湧き、生きやすくなるサイクルが生まれてくると思います。

    重要なのは、好きも嫌いもあっていいんだということです。
    私たちは自分たちの都合で好きは存在していいけど、嫌いは存在してはダメと否定してしまいます。
    否定とはその存在をなきものにすることです。
    しかし、上記のように、そこから学ぶことでより生きやすくなっているわけですから、その存在を否定することは自分を生きにくくすることにならないでしょうか。
    ですから、嫌いなものも我々にとっては必要な経験であり、学びの機会を与えられているということです。
    そして、嫌いと判断する多くの原因は変化を拒む自分のエゴ(今のままでいたい)ではないでしょうか。


    >エゴの自分に追加されても処理しやすいエネルギーを好き エゴの自分に追加されたら処理に時間がかかる事を嫌い

    おっしゃる通り、処理がしやすい方が楽でいいですよね。

    私の感覚では、好きとは自分(エゴ)にとって都合のいいもの、嫌いとは自分(エゴ)にとって都合の悪いもの、と考えています。
    自分を変化しないと対応できないものはエネルギーも時間も使うので嫌なわけですよね。

    ただ、楽なことをやってはいけないということではなく、何事も楽にこなせるように成長していきましょうということではないでしょうか。
    楽にできないということはそこに課題があるということだと思います。
    そして、その課題をまだ自分が成長できる伸びしろと捉えることができれば最高ですね。

    私自身も好きなことでも、嫌いなことでも、そこから学んで成長できるようになっていきたいと思っています。
    今回の件は、私の学びをかねて書かせて頂きました。
    少しでもお役にたてれば幸いです。
    一緒に学ぶものとして、これからもよろしくお願いいたします。


    今回、この機会を頂きありがとうございました。

  • #11

    よしよし (木曜日, 11 8月 2016 11:59)

    横レスでスミマセン

    好きな事と嫌いな事。
    これは何だろう?と
    常々考えていたとがあります。

    何でもなければ嫌いとも何とも思わない
    この何故「嫌い」と思うのか?という
    不思議です。

    私見で正解かは解らないのですが
    この嫌いと言う感情は
    自己が無意識を含む否定的な要素が
    絡んでいるので常に心に引っかかるのだ
    と言うのが私の感想です。

    そこをクリアすると
    不思議とかえって好きになるか
    気にならなくなっていきました。

    好きと嫌いは
    同じエネルギーのようなモノでは
    ないかと思います。

    同時に起こる現象で
    瞬間的に判断して
    好き嫌いに変化するのでは
    ないかと思われます。

    いずれも自分が関心を持つ要素なので
    何とも思わない事など山ほどありますが
    自己探求にはとても役立つ感情では
    ないかと思っています。

    ふと書きたくなり
    書かせて頂きました。


  • #12

    papas (金曜日, 12 8月 2016 00:20)

    御返信ありがとうございます
    地球の波動に付いていけなかったらほぼ人類は絶滅するというのは素直に「(自分も含め)確かに。」と思うと同時に波動の高い低いを基に考えることの意味のなさに気付かされました。ありがとうございます。

    結果として高い低いを基準に考えたことであるので結論はヒエラルキーの高い低いを生み出していました

    ゲーム論につきましてはPCやゲームをある程度かじっている方にしか通じない説明になってしまうのですが、様々なマインクラフ○(というゲーム)の鯖(法則の世界)があり、それを生成した鯖主(法則を作った存在)があり、私たち(この私の定義は今私だと認識しているもの)は鯖主の条件を満たした鯖を選べる権利とキック権(追い出す権利)は無いなどの、権限の大きさの大小はあれども、マイン○ラフトの世界を好きに創造し、世界を共に作り上げていく(追い出される条件はとてつもなく緩いが大まかなルールは他の人の邪魔をしない)というもので、ここに真我という概念が入ったものになります。
    既に良く分からない説明になってしまっていますが伝えたいことを伝える能力や語彙の取得が進みましたら改めて書かさせて頂けたらなと思います

    それに、自由に方向性、軌道修正、創造力について改めて説明頂きありがとうございました。
    お陰様で改めて見識が深まりました

    少し前に創造について改めて考えたのですが、小説やゲームなどの物語に触れたときに出てくる感想は創造ではないだろうかと思うと同時に、ということは
    思考や考えは創造になるのかなと思いました。

  • #13

    だい (金曜日, 12 8月 2016 00:26)

    NORIさん

    無理を聞いていただきありがとうございます。

    改めて読ませていただき、私からなにか修正などでお伝えすることは特に見当たりません。
    これがすべてではないにしても、これまでここでお伝えしてきたことをよくまとめてくださっていると感じ、とても嬉しかったです。

    私もそうですが、あとは実生活でどれだけ実践できるか、ですので、お互い頑張りましょうね。

    ありがとうございました。

  • #14

    だい (金曜日, 12 8月 2016 00:38)

    よしよしさん

    実体験を通しての理解を書いてくださりありがとうございました。

    たしかに自己探求には欠かせないものだと私も思います。

    勉強になります。

  • #15

    だい (金曜日, 12 8月 2016 00:45)

    papasさん

    papasさんの視野が広がりつつある感じがします。
    一つ一つ気づくことを増やしていくことがなにより楽しいのかもしれませんね。
    その調子で頑張ってください。



  • #16

    かい (日曜日, 14 8月 2016 20:22)

    だい 様

    出さないほうの(出せないというか)エゴかもしれないです。
    記事を何回か読み直すべきですね。
    ありがとうございました。
    申し訳ありません。

  • #17

    しんすけ (火曜日, 16 8月 2016 10:26)

    だいさま、NORIさま、よしよしさま、ありがとうございました
    好きとはなにか?嫌いとはなにか?
    だいさまのプログも何度もすみからすみまで読んでも
    理解出来ないことだらけです 

    みなさまの考えも参考にして一歩進んだ答えみたいなものが見えてきました
    好きや嫌いの正体とは?
    まず自分のエゴがエゴを現状維持するために無意識に  
    好きや嫌いとゆうエネルギーの使用の方法で
    好き・・嫌いが自分のエゴ意識から発動する
     結果エネルギーを使用してエネルギーがたまらない、
    好きとか?嫌いとか?にとらわれて
    嫌いな人だから好きになるように修正(またわ努力)しなくてはならない
    と思うことも意味はない・・エネルギーの消耗するだけのこと
    好きでもない・・嫌いでもないがエネルギーをためるとゆうことに一番近い道
    しかし毎日の生活のなかでそうもいかない
    嫌い事に出会ったら・・消えてゆく姿で世界平和の祈り (あるいはただ!五井先生!と心の中でさけぶ)この処理の仕方がエネルギーがたまりやすく 疲れない生き方 平常心を常に保つ近道なんだ・・頭でわ理解できても、日々の生活で実践するのは難しい・・




  • #18

    だい (水曜日, 17 8月 2016 19:42)

    しんすけさん


    ごめんなさい、一生懸命書いてくださったとは思うのですが、ちょっと書かれている内容がよくわかりませんでした。

    善悪についてBBSやブログに掲載したものが過去にありますが、そこに書いたように、エゴの私たちは「都合」で良い悪いを考えています。
    「嫌い」という思いがある時、その人には嫌いと思うなりの考え方があり、その考え方が自分にとって都合がいいと思いこんでいるから、各々がそれを大事にしているだけなのです。

    嫌いを変えたければ、「自分にとって都合がいい考え方(エネルギーを損しないと思いこんでいる考え方)」を変えればいいだけです。
    しかし、自分の意思ではなく誰かに強制されて考え方を変えなくてはいけないのであれば、それは立ち止まってその必要性を考えた方がいいと思います。

    また、エネルギーに関しては、それがすべてではないものの「意欲」と置き換えて考えることで整理しやすい面があります。
    エネルギーをためるには、好きなことをやった方がいいと思うのですが・・・
    (好きなことでも、極端に偏るのはどうかと思います)

    素直に生きていないから、嫌なことを無理してやって意欲をそこなっているのではないでしょうか。
    しかし、好き勝手でやってしまうと、「自分さえ良ければいい」になってしまうので注意が必要ですが、素直な思いに気づけなくなっていることが私たちの大きな問題の一つだと思います。

    エネルギーがなぜ無駄に消耗されるのかといえば、考え方がおかしいからです。
    きちんとした考え方をしていれば消耗はしないし、きちんと賄われて保たれます。
    きちんとした考え方ができていると思っているから、私たちは歪んだまま世の中や自分自身をどんどんおかしくしてしまいます。

    自分でおかしな考え方を直そうとしなければ、たとえ五井先生や守護霊さんたちががんばって気づきの機会を与えてくださったとしても、それに気づかずスルーするのがおちです。
    順序が大事です。
    まず自分のことは自分でやれるだけやる。
    それをしないでお祈り、五井先生、と叫んだところで、エネルギーがたまるわけがありません。
    「頭で理解できても」と書かれていますが、なにをどう理解されているのでしょうか。
    その取り組みの結果が「難しい」では、「できないと思っていることをやろうとしてきた」わけですから、理解もできていないはずです。
    分かった気にならず、少しずつきちんとしたことを身につける、という考え方をまずは意識してください。

    今のままの取り組みでは、ほとんど身につかないまま時間が過ぎていくと思います。
    ご質問してくださる姿勢はやる気の現れと取りますが、その取り組み内容はまた違うようですので、真剣に御自身の日々の取り組み等考えながらブログを読み返していただけますでしょうか。

    ここに書いている内容は、遅かれ早かれいずれ理解しないことにはどうにもならないようになってしまう、そういうものだと思っています。
    がんばって理解に努めて下さい。

    言葉には力があります。
    「むずかしい」の一言は「自分にはできないことだから」という含みがあり、運命を創造する力は厳密に働きますから、そういう結果しかでません。

    素の自分として難しいと思うのは仕方ないにしても、取り組むのであれば「どうしたら理解できるだろう。実践できるだろう。」という言葉を使う方がいい結果にいずれ行き着くと思いますよ。

    いらしていただいて直接お話する機会を何度か持てるといいですね。
    頑張ってください。