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意識レベルの違い

最近は静かな毎日が過ぎている感じがしています。

 

ただ、以前関わりのあった方の状況に対してや、その他のあれやこれやで感じていることは、人それぞれでまた違った印象です。

 

 

 

いらした方の意識レベルを上げることについて、ある時期まで一生けん命ブログを書くことに取り組んでいました。

 

現在は地道に取りくみ続けてくださっている方たちとじっくり向き合いながら、課題をお伝えして着実にステップアップをしていただくようにしています。

 

1年前の自分の比較して成長しているかどうか考えてみると、自分がどういう人生を送っているのか気づけることもあります。

 

 

 

余談のようなものですが、すこし書いておきます。

 

 

 

私がある存在とやり取りする中で、その方を取り巻く状況を感じた時、そこはすさまじい環境で、周りを見渡すこともできないひどいものでした。

 

誰かを助けようなんて、微塵も思うことをゆるさない過酷さです。

 

猛吹雪で周りが真っ白になるような状況を思い浮かべていただき、そこで吹き荒れているものが雪ではなく、土砂の混じった泥水だとしたらどうでしょうか。

 

なにかできることはほぼなにもなく、起こっていることだけいうならば、大きな流れがある、ということだけです。

 

その存在のそのレベルでは、大きな流れがどうしても自分たちの邪魔をすると感じています。

 

必死でどうにかしたいのですが、大きな流れに呑まれまいとしてあがき続けます。

 

その流れに対しては嫌な感じがするため、流れに自分が合わせるようことはしたくないと思うのですが、そこで感じている負荷はすべて自分がやったことの結果でした。

 

そして、そこでこちらといくつかやりとりをすると、光を見出して嵐の中に消えていきました。

 

 

 

そのあと別の存在が現れます。

 

その者は、最初の存在よりも意識レベルが高く、二元性を越えるところまで到達(自称)していました。

 

そこで感じる負荷は、泥水ではなくつよいただの雨でした。

 

同じ状況であっても、意識レベルの違いでこれほどまでに感じる負荷が変わります。

 

 

 

意識レベルを上げる取り組みというのは、時間がかかることです。

 

自分の生活の中で成長を実感するような変化は、「思い込み」や「つもり」で多少は気分のようなものを味わえますが、実態の伴わないものですので、実際に手間暇かけて手に入れたものとはまるで違います。

 

最初の何某かは、自分の理屈で自分の都合でそれまでやってきました。

 

正しい理屈を知った時に光を見つけたみたいですが、それすらも自分の思い込みで感じた光であり、本当に正しいことかどうかは、その嵐を嵐と感じなくなるところまで移動できて初めてわかることなのです。

 

 

 

考え方を変えること。

 

それが住む世界、たたずむ境涯を変えていくのです。

 

そのためには、思い込みに気づくことが大切です。

 

思いこみに気づくために、善悪についての理解をまずなんとかしていただくことが重要です。

 

 

 

今週はスケジュールに空き時間がございます。

 

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