痛い目みながら経験する

一年ほど、あまり体調がよくありませんでした。

 

特にここ半年ほどがひどく、このままだとよくないな、と考えていましたが、自身で考え方を見直しながら治療をしたり、お世話になっている鍼灸や整体の先生たちにみてもらうことで、ようやく復調しつつあります。

 

仕事柄、自分の体調がよくないといい実験台にもなって、その後の治療に活かせることが見つかります。

 

いろいろやっていると、タイムリーに「こういう話がありますよ」という感じで役に立ちそうな情報が入ってくることがあるのも面白いな、といつも思います。

 

こういう仕事で体調を崩す経験はあまり褒められたことではないのかもしれませんが、自身の器を広げる一環だとも感じており、だいたいそういうことがあると、ほどなくしてその経験を踏まえて気づいたことを活かす治療の機会が訪れるため、自身の理解度の確認にもなっています。

 

今回、特にこの半年不調に拍車がかかったきっかけは、自分の腕の疲れをとるために鍼を使ったことがきっかけでした。

 

この仕事をするようになってから約25年経ちますが、自覚できていない取り切れていない蓄積疲労がだいぶたまっていたようです。

 

それを突ついて、隠れていた疲れなどを呼び覚ましてしまいました。

 

体の変化としては楽になることもあるのですが、膿みだしのようになって、倦怠感やしびれ、痛み、その他首肩を中心とした不調がしばらく続いていました。

 

しかし、長年すっきりしなかった違和感が薄れていったので、時間はかかりましたが必要なプロセスだと実感しています。

 

先週あたりからようやく下火になってきて、滞っていた仕事なども手を付けられるようになってきています。

 

どの仕事でもあると思うのですが、職業ごとに体に偏った負担をかけ続けることで、それが蓄積していくものです。

 

運動の習慣がある人はまだいいのですが、特にケアもせず運動もしていないと、50代くらいから体の疲れがなかなか抜けなくなっていきます。

 

気づいてから運動しようと思っても、体を休めたい気持ちが勝ってしまい、あっという間に休日は終わってしまいます。

 

なにかあってから慌てるよりも、体力があるうちから運動をする習慣を身に着けておくといいですね。

 

とくに一生懸命仕事をしている人ほど、体に負担がかかっているのではないでしょうか。

 

仕事に限らず、家事や育児に介護も同じです。

 

自分が体調を崩しかけて改めて実感しましたが、体調を崩す前だと回復しやすいものでも、崩してしまうと回復にとても時間をかける場合もあります。

 

私は仕事柄、知識も経験もあるので自分で対応できますが、そうでない方たちは時間とお金を使わないとなかなか抜け出せないことがあります。

 

疲れるのは構いません。

 

しかし、それをため込んだり、こじらせたりすることで、生活が変わってしまうのは気分のいいものではありません。

 

身体のみならず気持ちで休まることもあるので、日ごろの身近な人たちとの関係性も大事にしておくと、休まり方、疲れの残り方が変わってきます。

 

基本、人はふだん自分のことしか考えません。

 

まわりの人のことを考え、いたわったり気にかけてくれるというのは、大事な関係性だからそれが自然と行動に表れている場合もあります。

 

聞かれてもないことを話し、おせっかいをする人もいますが、相手が生きやすくなるように真剣に考えて話してくれる一言一言に耳を傾け、それを受け止めて行動に反映していくことができれば、その人との関係性は互いが生きやすくなるよりよい関係になることもあります。

 

その一言一言は自己満足で役に立たないこともあります。

 

そこは自分で判断していくことですが、日ごろの関係性がいざというときの大事に影響を及ぼすことがあります。

 

家族だから疎かにする、甘えてわがままをいう、時に感情に任せてあたりちらす。

 

他の人にはしないことを、家族だったら許されると思い込んでやってしまうことは、一度よく考えてみなくてはいけません。

 

私たちは当たり前のことを当たり前にできないために、生きづらい思いをします。

 

大事な人には失礼なことをしないはずが、大事なことなら優先してやるはずが、大事な思いなら大事にするはずが、考えなしにやることで大事ではない態度、行動、言葉になって自身の人生で形になっていきます。

 

 

 

先日、ご家族が余命宣告を受けた方とお話しをする機会がありました。

 

いろいろできることが限られていく中で、気持ちの整理を付けなくてはいけない大変な状況でした。

 

そのご家族の方とお話しをしていて浮かんでくるのは、余命宣告を受けた方からの言葉を日常生活の中で素直に受けとめてあげるだけでもいいんだ、ということでした。

 

すなおに一言一言を受け止めていくだけで、思いが伝わるだけで、エネルギーは滞ったり枯れることなく、流れはじめます。

 

夫婦間のそうしたやり取りの中に安らぎを覚える人もいます。

 

言葉を受け止めてもらえない会話では、虚しさが募ることもあります。

 

その虚しさの上に自分が大事だと思うことを伝えても、白けてしまって真剣に話を聞く気が起きないこともでてきます。

 

いろいろできなくなっていく中で、実はあまり多くのことをいまは求めていないんだと気づくと、ただ寄り添い、安らかなひと時に幸せを感じることもあるのではないでしょうか。

 

宗教では人は神の子といわれたり、精神世界では人は小宇宙である、などといわれることがありますが、それは自覚できていないことや可能性がまだまだあると考えることができるのだと思います。

 

宇宙は変化しながら完璧であることに向かっている、という考え方を私は教えてもらいましたが、滞っていたり、頑なに固まっていたり、不調和な動きをすることで全体性の働きになっていないところがあるとしたら、そこが同じ方向に向かって動き出すだけで、なにか新たな動きが生じて可能性が生まれます。

 

頑固さ、周りを生きづらくさせるようなわがままな考え方や行動、相手を無視して話しを受け止めない、そういったことが日常にあふれていますが、あるものを使ってよりよくなっていこうという全体性の働きが活性化するのは、そういったところをよりよいものに変えていく全体性の働きに順応する変化です。

 

日常の大事な人たちとの会話、態度、生活、そういったものを少しずつ見直してみてください。

 

結果が出てからでは間に合いませんが、例え追い込まれて焦っていても、結果がでていないうちはあきらめないで何気ない日常も踏まえ、できることを探してやってみてください。

 

特別ななにかを考えるのではなく、目の前の人との何気ない会話を丁寧にするだけでも、もしかしたら、可能性が広がるかもしれません。

 

その可能性が、気持ちを落ち着かせてくれます。

 

そこで、改めてなにをどうしたいのか考えるといいでしょう。

 

 

 

前回も書きましたが、16日(日)は営業します。

 

ご希望の方はお早めにご連絡ください。