ブログよりもコメント欄

今日は七夕ですね。

 

写真は娘が保育園で作ってきた「織姫と彦星」です。

 

 

 

ブログの更新は今日はできませんでしたが、「伝105」にいただいたコメントと私のコメントが参考になる方もいると思いますので、そちらをご覧下さい。

 

 

 

小妹(おいも)さん(※)が新作を制作中です。

(※体験レポート(漫画版)を描いてくださった方です。)

 

出来上がりは未定ですが、8月には掲載できるのではないかと思います。

 

お楽しみに。

 

 

 

明日は空きがございます。

 

土曜日は勉強会参加のためお休みいたします。

 

18日(月)の海の日は営業することにいたしました。

 

ご予約、お問合せ、お待ちいたしております。

 

 

 

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コメント: 14
  • #1

    勇治 (金曜日, 08 7月 2016 18:21)

    だいさん

    昨日(7/7(木))は
    エゴについて、図解で教えていただき
    ありがとうございました。

    ・エゴとは、全体性と自分の間を区切っている、
     壁の部分である。

    ・世界平和のお祈り、やわらかいお祈りを
     続けてエゴを調教していくことで
     他人の不幸を願わないようになっていき、
     陰始度も少なくなっていく。

    全体性は存在すると
    日常から意識しつつお祈りして、
    否定的な言動をされても
    他人の不幸を願わないように
    なろうと思います。

  • #2

    だい (金曜日, 08 7月 2016 18:44)

    勇治さん

    こちらこそ、昨日はお越しいただきありがとうございます。
    コメントも書いていただき、ありがとうございました。

    わかりやすくまとめていただきましたね。
    いま取り組める内容でもありますので、書かれたことを今は地道に実践してみて下さい。

    エゴについては様々な見方や考え方が出来ると思っています。
    お話したのはそのうちの一つとお考えください。
    私たちはエゴという不完全な存在でもあります。
    そのため、完ぺきな理解、ということもできません。
    それをどこまで完璧を目指して取り組めるか。
    それを探求というのかもしれませんね。

    段階的な取り組みのために身辺整理から地道に取り組まれていますので、大変な道のりではありますが、結果を出せるところまであきらめないで頑張ってください。

  • #3

    勇治 (金曜日, 08 7月 2016 18:49)

    だいさん

    返信ありがとうございます。
    少しずつ積み重ねていくようにします。
    がんばります。

  • #4

    RS (月曜日, 11 7月 2016 11:35)

    だいさま

    先日はお世話になりました。現在、陰始度20%→0%を目標に日々、自分観察に取り組んでいます。毎日、イライラしたことやモヤモヤしたことを書き出してみては、それが一体自分の中の何と共振しているのか、探究しています。

    作業を通じて気づいたことがあります。それは、書き出したイライラ・モヤモヤの内容が、ことごとく「思い通りにならなかった自分」(複数)と共振しているようだ、ということです。たぶんここが陰始度の濃いエリアなのでしょう。

    書き出す時は思ったままを文字にしていますが、文章の内容は「古いままの自分」が「今の自分」に向けて発している声といっても差し支えなく、思い通りにならなかったかつての自分の「声なき声」のようでもあります。

    よく耳を澄ますと、手入れせず放置していた「古いままの自分」たちが「やわらかい祈り」の言葉どおりのことを、今の自分に一生懸命訴えかけてきているような気がしてくるから不思議です。つくづくよくできたお祈りだと思いました。

    というわけで今は、書き出した「古いままの自分」たちの声について、それらを否定したり、無理して受け入れようとしたりせず、ただ「やわらかいお祈り」を唱えて、古い自分の気が変わるのを根気強く「待つ」というスタンスです。

    陰始度が濃いとはいっても、波動が違うだけの同じ自分ですから、お互いが交わりさえすれば、波動が伝わっていって、全員で世界平和の祈りの「アンサンブル」を奏でられるようになっていく気がしています。

    以上、近況報告まで。

  • #5

    タイタン (月曜日, 11 7月 2016 18:19)

    だいさん

    1年ほど前に1度施術していただいたタイタンです。
    その節はありがとうございました。

    遠方でもあり、諸事情からその後の施術をなかなか受けに行けませんが、
    ブログではいつも学ばせていただいています。

    ここへの書き込みは初めてです。

    宇宙全史BBSで

    『 地球に存在する魂たちは「集合魂」というまとまりで存在していて、個々の魂たちはそれぞれの集合魂に属します。

    そしてその集合魂の性格や方向性により今生の目的も過去世も様々ですが、すべての集合魂はこの地球にいる限り最終的には一つに集約されるのです。』

    このことは、だいさんがおっしゃる「全体性」とはまた別のものなのでしょうか?

    だいさんの「全体性」には、「存在するものごとすべて」とありますので、全体を構成する存在=魂だけでなく、起こる現象も含まれているように理解しました。


    との質問をさせて頂いたところ、だいさんにするべき質問とのことで書き込みさせていただきました。


    自分が存在しているこの世界が一つの「時計」だとしたら、あるものははネジの一つであり、他のものはゼンマイであったり歯車であったり、針である。
    時計では、長針・短針が一番目立ち花形ですが、部品のどの一つが欠けていても時計はその働きをしない。
    それ故、どの部品が特別偉いとか重要だということはない。

    自分とこの世界との関係はそんな風に思っていましたが、今は、単に自分が全体を構成している一部であるだけではないように思えます。
    それぞれの魂が、その部品としての最高の品質を獲得すべく学び、最高の時計を完成させるという目的がある。

    これが、「全体性」ということなのでしょうか?
    この場合は、世界は「時計」という方向性を持っていますが、他の方向性を持った世界もあるのでしょうか?


    まだまだ勉強不足で混乱しているところもあると思います。

    コメントいただければ幸いです。

    よろしくお願いいたします。

  • #6

    だい (月曜日, 11 7月 2016 22:39)

    RSさん

    取り組み方や気づく事柄は人それぞれですが、こうして具体的に書いていただけると非常にわかりやすく、みなさんも考えていただくといいと思います。

    RSさんの陰始に対する印象の変遷は、非常に参考になるのではないでしょうか。


    毎度毎度わがままを聞いていただきありがとうございます。
    (※近況報告を個人的にしてくださった内容が他の方にも読んでいただくといいと思い、無理を言ってこちらに再校正して書いていただきました。)

  • #7

    だい (火曜日, 12 7月 2016 00:22)

    タイタンさん

    初コメントをありがとうございます。
    早速ご質問についてです。

    集合魂は全体性に含まれるものとして、同じとは考えていません。

    『だいさんの「全体性」には、「存在するものごとすべて」とありますので、全体を構成する存在=魂だけでなく、起こる現象も含まれているように理解しました。』

    と、書いていただきましたが、今はこれでいいと思います。
    とにかく存在するものすべてがある、という感じです。
    細かく見ていくときりがないので、とにかくシンプルにいまは考えるようにしてみてください。

    No.2891の月読之大神のお言葉、
    『「まずそれが正しいのか正しくないのかといった知的な判断と言ったらいいのかしら」
    「それがあなた達は出来ない状態に初めからいるっていうことを分かっていなければいけないね」』

    とありましたが、「不完全な状態である私たち」という状態を自覚することで、エゴという自他の境目で区切られた以上のことを正確には認識できない、ということがわかります。
    私たちはエゴを越えた認識を得られる覚醒をしないと、集合魂や全体性というものについてもきちんと理解することはできないようになっているようですね。
    (※できないからいいや、でもいいのでしょうが、成長したいならわかろうとすることが大事になります。)

    エゴというものの不完全さを認識しやすくするために、何に対して不完全なのかを考えやすくする目的で全体性というものを考えていただくようにしています。
    そうした対象のないままエゴを認識しようとしても、私はわかりづらかったです。

    どこまでが全体性の範疇なのか、厳密なものは私にはわかりません。
    あると思えばあるし、気づいていないものは無いのと同じですから、どこまでその方が気づいているか、知っているかによって範疇はいくらでも変わります。

    時計の例はわかりやすいですね。
    これもいまはそのイメージでいいのではないでしょうか。
    部品という発想だと、お互いに不足を補いあうことで幸せと思える共依存の今の私たちの境涯には当てはまりますが、依存をひつようとしない自立したものも全体性の中にはあると思います。
    とにかくありとあらゆるものが含まれている全体性そのものは、変化しつづけることで完璧であるようなイメージです。

    『今は、単に自分が全体を構成している一部であるだけではないように思えます。』
    ということでしたので、そこが御自身の探求のしどころなのかもしれませんね。

    時計という方向性以外、といえば、様々な世界が全体性の中にはあります。
    全体性というすべてがある中で、私たちでいえばなにを選択し何を選択しないのか、によって結果が変わってきます。
    より高い意識の存在たちもなにを選ぶかは違うわけです。
    「誰が地球に残るのか」の聖徳太子の章では月読之大神のレベルでも未来は完璧に定まっていないと書かれていました。
    「ゆらぎという不確定要素」によってどうなっていくのかわからない状態であるわけで、私はこのゆらぎをエゴの不完全さだと考えています。
    ゆらぎによってその都度軌道修正を繰り返し、どうなっていくのかわからないからこそ、上の存在たちは見届けているのではないでしょうか。
    しかし、遥か上の存在からすればまだ想定の範囲内、ということにはなると思います。
    ですから、より高い意識の存在がどういう方向性を出しているかによって、いろいろ変わっていくのではないでしょうか。

    今回ご質問にお答えできていないところもあると思いますが、長いのでここまでをご返答とさせていただきます。
    なにかあればまたコメントをよろしくお願いいたします。
    ありがとうございました。


    追伸
    私は講師という位置づけにはなっていますが、皆さんと同じくBBSでのみご指導をいただいております。
    個人指導はおろか、一度もお会いしたこともメールのやり取りさえしていません。
    ここで書いている内容は、宇宙全史の書籍で書かれているものやBBSで掲載されている内容以外は、虚空蔵さんから教わって書いているものではないことをご理解ください。
    宇宙全史でのみなさんの学びの助けになれば、とも思っていろいろと書いてはいますが、ここの内容に目を通してくださっているかどうかさえ分からない状態ですので、ここに書いてあることについてのご質問はまず私に聞いてくださいね。
    よろしくおねがいいたします。

  • #8

    だい (火曜日, 12 7月 2016 19:28)

    タイタンさん

    昨日と今日、タイタンさんのコメントを読み返していますが、やはりまだここで書いてきたことへの読み込みの甘さというものが、どうしても気になってしまいます。

    ある程度書いてある内容を読み込まないままでのご質問は、
    「自分で考える気は無いよ、だから私が楽できるようにあなたがわかりやすく教えてよ」、
    そう言っていることと同じになってしまいます。

    御自身でよくお考えいただくといいかと思います。

  • #9

    タイタン (火曜日, 12 7月 2016 21:02)

    だいさん

    お忙しいところ、早速に何度もご回答いただきありがとうございます。


    虚空蔵55様なら何でもお分かりだと思い、あちらに質問してしまいました。

    たとえそうでも、だいさんにすべき質問でした。
    ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。



    確かに、書き込む前にだいさんのブログの6月の備忘録を何度も探して見たのですが、全体性について書かれている部分が不思議なことに目に入っておりませんでした。


    ご指摘の通り、
    それは守護霊様からの「もっと自分で考えなさい」というメッセージだと思い、やっと見つかったので、先日から何度も読み返しています。


    中途半端に書き込んでしまい、失礼しました。


    もっと読み込み、疑問点がはっきりとしたら書き込みさせていただきます。

  • #10

    タイタン (火曜日, 12 7月 2016 21:05)

    だいさん


    貴重なご指摘、ありがとうございました。

  • #11

    だい (火曜日, 12 7月 2016 21:11)

    タイタンさん

    時間がいつまでもあればあまり今回のようなコメントの返し方はしないのですが、どうしても時間がない、私がそう思っているため厳しめの内容になりました。

    意欲のある方にはなんとか頑張ってレベルを上げていただきたいと思います。
    応える気が起きない場合は、私はなにも書かないかもしれません。

    タイタンさんの書き込みはわたし自身の学びにもなりました。
    ご回答を見て、きちんと伝わった感じがしてうれしかったです。
    がんばってください。
    私も一緒にこれからも学ばせていただきたいと思います。
    よろしくお願いいたします。

  • #12

    タイタン (火曜日, 12 7月 2016 22:51)

    だいさん


    こちらこそ、よろしくお願い致します。

  • #13

    papas (水曜日, 13 7月 2016 03:01)

    全体性について
    今回のBBSも踏まえて考えていたのですが、
    「エゴ(不完全)が私」の私達では不完全であるが故に、全体性の方向が何かということは分かることは出来ないが、向こうとすることは出来る。だから自分の良心、神様、心ある道という自分のコンパスに従って全体性に繋がると信じ、自分だけにある道を私は全力で歩むのだ。それが戦士の道、全力で生きる、全体性に目を向けること、というのが浮かび上がりました。

    これを元に考えると世界平和の祈りを全力で思うことは自分のコンパスに立ち返る、目を向けることにもなるのだなと思いました。

    では全体性は何かと考えることの意味について考えるとそれは自分が何であるのかと問うことのように思え、それは自分を思い出す行程のように思えました。

  • #14

    だい (水曜日, 13 7月 2016 14:44)

    papasさん

    非常にいいと思います。

    『「エゴ(不完全)が私」の私達では不完全であるが故に、全体性の方向が何かということは分かることは出来ないが、…』

    これはタイタンさんに気づいてほしかった内容にもなります。
    「完ぺき」に理解したりわかることはできませんが、不完全とはいえ一部ですから断片的にはできることですので、「できない」と言い切らなくてもいいことです。

    私が自分で考えたものではありませんが、「完璧に動くこと」が方向性のようですよ。

    『・・・自分だけにある道を私は全力で歩むのだ。』
    いつになく力強いpapasさんのコメントは、ドンファンっぽかったですね(笑)

    この調子でがんばりましょう。