「今」が大事な理由

 

今が大事な理由は、(今の自分の)「思い」を「行動」に移せるのが「今」しかないからです。

 

今の思いを過去で行動に移すことはできないですし、未来で行動に移しても違う思いになってしまっているのでできません。

 

過去のことが忘れられない、引きずってしまう、というのは、その過去が一番大事だという思いが自分にあるから、今に意識が向けられない状態です。

 

運命をつくる力は、今このときの自分の思いに基づく行動によって発揮されます。

 

よりよく生きるためには、過去のことを考えてばかりいるよりは、今この時の自分を良くするためにどうするか考えた方がいいです。

 

「過去のこと」をゆるすことは、それまで大事だと思っていたその重要度を下げることになります。

 

大事だと思うことはいつも思い出しますし、忘れられません。

 

もっと大事なことに気づけば、自然と重要度は下がり、執着も薄れゆるせるようになっていきます。

 

そして、大事なことが本当に大事だと思えるようになり、他の物事もいまの自分にとってあまり重要ではないと思えるようになってくれば、それが重要度に占める割合は高くなります。

 

そのように純度が高くなった状態をピュアというのではないでしょうか。

 

 

 

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コメント: 10
  • #1

    midori (木曜日, 01 9月 2016 09:05)

    意欲がわく在り方、まわりの人への接し方に方向が向き、修正、実践、修正の日々です。
    その中で「対等」というところが大きな課題です。
    すぐ卑屈になり、私なんか…と逃げてきたことに気づきました。
    腹を据えて向き合う努力を続けます。

    昨夜「私なんか産まれてこなければよかった」と何度も何度も思う夢をみました。
    こんな思いがあったことがショックで「そんなことは思っていない!」と否定しましたが、ああ、奥底ではそう思っていたんだ…、そう言えば小学生のころ、父が暴れだすとそう思って心を静めていたことを思い出しました。
    夢の中で何度も何度もお祈りし、自分が産まれたことを否定する私のエゴを認めました。
    素の自分ですね。
    弱い父を認め、より一層父のことが大好きになりました。
    素の自分が出せるとすごく楽なんですね。
    また体がすっきりしました。
    これからもご指導よろしくお願いいたします。

  • #2

    wombat (木曜日, 01 9月 2016 12:33)

    とても端的なまとめ、ありがとうございます。

    中でも、こちらの文が私にはズバリでした。
    『その過去が一番大事だという思いが自分にあるから、今に意識が向けられない状態です。』

    過去のことを思い出している時の自分の状態は、まさにこれだ、と思いました。

    大事なのは今で、
    今、調和していくにはどうしたらいいのかを考える。
    なのに過去の出来事にとらわれて、調和する行動が取りにくかったりするんですよね…。

    だからこそ、そこでお祈りをして、とらわれを薄くしていく。
    それに慣れてきたら、具体的な調和の行動をしていくとよいとも思っています。

    これからの調和を目指していくのに、
    過去にとらわれる必要はないなぁ、と思う毎日です。

    あらためて、スッキリと理解させていただきました。
    ありがとうございます!

  • #3

    だい (木曜日, 01 9月 2016)

    midoriさん

    実践しながら軌道修正を繰り返していくことでわかってくることがあります。
    大きな方向性をまずきちんと自覚していれば、今後も修正をかける機会を得やすくなりますから、その調子でがんばってください。

    事実を知ってショックを感じるということは、自分を美化して考えていたからです。
    自分に対する見方を歪めていた、ということでもあるので、その歪みを減らすなり無くせばショックではなくなります。

    こうした歪んだ物の見方も「思い込み」ですから、やはり癖になっているところがあり、気を抜くとひょこっと顔を出したりします。
    そこで今回のような気付きを自覚していれば、ショックを受けることなく意識して素の自分をすぐに認められるため、また引っ込んでいくことになります。

    これを繰り返すことで新たな癖として定着させれば、エゴのコントロールの理解が実践を通して進んでいきます。

    8月5日のブログ「自信がとっても大事」にいくとさんが寄せてくださったコメント内容を思い出すmidoriさんの今回のコメントでした。

    ありがとうございました。

  • #4

    だい (木曜日, 01 9月 2016 22:31)

    wombatさん

    簡単なことが分からないものなんですよね。
    難しく考えようとするエゴに気づくと、見方ももっとすっきりしてくると思います。
    そのためにはよく考えることも大事ですね。

    お祈りでとらわれを薄くしていくことはいいのですが、私の場合は方向性としてお祈りは大事にしつつ、まずやれることをやってから感謝として祈る、と考えるようにしています。

    具体的にどうしていいかわからない、だからお祈り、ということもあるかもしれませんが、どうしていいかわからないと思えるところまではやれることをやらないと依存や逃げになり、自分のことは自分でやるという理屈からは外れますし、具体的な方法は結局人任せという姿勢になることも時に出てきてしまいますから、時間のかかる取り組みになるような気がします。

    コメントをいただき、ありがとうございます。

  • #5

    零一 (金曜日, 02 9月 2016 01:50)

    「今」しかないのだろうなとは何となく感じていましたが、より明確に感じることができました。

    「ゆるす」という意味も囚われから解放するというちょっとフワフワした理解でしたが、「重要度を下げることになる」という言葉でより明確に理解できました。

    ありがとうございます。

    以前BBSで「仏陀の教えの極意は祈り」という五井先生のお答えや、五井先生の講話の中で「祈りとは生命の現れそのもの」というお言葉などから、最近祈りについて自分なりに考えていました。

    常に全体性に方向性を向けながらブレることなく天命に沿った歩みができていれば、わざわざお祈りをする必要性がないように思います。
    五井先生が「祈りとは生命の現れそのもの」の一例で、植物が育つ姿や心臓が当たり前のように動いている姿を挙げられて、「余計なことをしない」姿だと言われていた事からそのように感じました。

    ところがエゴベースで生きている私たちは、「余計なこと」をしてあちこちわき道にそれてしまったり暗闇に迷い込んでしまったりで、全体性に方向性を向けることができなくなっている(ブレることが多い)のだと思います。

    五井先生が直接実存とお約束をされておろされたのが「世界平和の祈り」だったかと思います。

    BBSで妻に対する回答の中で月読之大神から「やらないよりはまし」というお言葉もありましたが、例え疑いながらでも「世界平和の祈り」をすることで、直接本心に働きかける形で全体性に方向性を向ける(向きたくなる)ように、自然に働きかけてくれるのかなと思いました。

    きちんと全体性と繋がった祈りができるのであれば、どのようなお祈りでもいいような気もします。

    祈りについて、今現在感じていることを書かせていただきました。

  • #6

    wombat (金曜日, 02 9月 2016 10:48)

    だいさん

    お返事、ありがとうございます。

    『まずやれることをやってから感謝して祈る』
    『自分のことは自分でやる』
    『具体的な方法は結局人任せ』
    『時間のかかる取り組みになる』
    これらの言葉が特に響きました。

    「ひとまず、お祈り…」とばかり考えていると
    「あれ?これ依存かも…?」と感じることがたしかにあります。
    「やることはきちんとやる、その上で全託。」という風にバランスをとっていかねば、と改めて思いました。

    また、今回、お返事をいただきまして、
    私自身が凝り固まって考えているところがある、と感じました。
    現在の自分の状態を反省するきっかけをいただきまして、ありがとうございます。

    引き続き、勉強させていただきます!
    よろしくお願いします。

  • #7

    midori (土曜日, 03 9月 2016 07:12)

    ありがとうございます。
    美化していた、まさにその通りだと思います。
    自分や他人を美化し過ぎ、周りもかなりまきこんでいました。
    いくとさんのコメント、その都度修正しながら並べていく、焦らずに周りをよく見る、附に落ちました。
    歪みに気づいたらその都度修正し、ブロックを積み直す、ひとつずつ焦らずに積む。
    自分は正しいとしがみつく癖を認め、その都度修正していくことも意識します。
    また意欲がわいてきました。
    頑張れそうです。

  • #8

    papas (日曜日, 04 9月 2016 00:57)

    こんにちは。
    祈りについての前回の解釈ですが、自分の大きな方向性が世界平和の祈りとほぼ一致していたことから自分だけに適用される内容がありました。
    世界平和の祈りの内容を思う自分であること、です

    世界平和の祈りは私はそのように使っていましたが、
    大きな方向性を出している方には、その方向性をサポート頂けている守護霊様への繋がりを強くする自分にして頂ける効果があると思います。
    私は守護霊様には、気付かず方向性が逸れてしまっていたら軌道修正の切っ掛けになるようなものを見せて頂いたり体験させて頂けたりしたので、それがどれだけ大切なことなのか痛感しています。
    切っ掛けがなければ逸れていることに気付けない自分であることが分かったからです。

  • #9

    papas (日曜日, 04 9月 2016 02:15)

    追記になりますが五井先生との繋がりが抜けている点と祈りの解釈というよりは効果の解釈でした。皆様のお陰でぼんやりとしていた祈りの認識がまとまりました。ありがとうございました。
    結局は全体性に方向性を向けさせる働きがあるのではないかと述べたかったのかなと思います。

    それとは別に、本日は「した方が良い」ことを「やらなければならない」ことと勘違いしていたことと、「やらなければならないと思い込んでいること」と「今やりたいこと」が相反していた時に葛藤が生じることに気付きました。例を上げれば早く寝ないといけない!もうこんな時間になってしまった!でも後これをやりたい!という状況です。実際生活リズムを正し、早く寝て決まった時間に起きることのメリットは大きなものがありますが生活リズムを正すというのはした方が良いものであり、やらなければいけないことではありません。
    何故そう思っていたのかというのは基準を置いていた場所にありました。

    最初からいつも遅く寝て遅く起きる生活を送っていることが基準であったら遅く寝て遅く起きる日があっても何も変わりません。早く寝て早く起きたら良くなるだけです。しかし生活リズムが正しい時を基準に置いたら遅く寝て遅く起きると「悪くなる」と思ってしまい「しなければならないこと」と思っていたようです。
    悪くなると思うと葛藤を生み出してしまうので基準を変えて前のだるい感じに戻るだけと思えば楽です。次の日から早く寝て早く起きて戻せば良いのです

    そしてだいさんが再度書いた内容でもありますが簡単に直せる生活リズムを直したいが生活リズムがどうしても崩れてしまう状況は生活リズムを直すことより優先したい(大切だ)と思うことがあると起きることが分かりました。

    いや何よりも生活リズムを直すのが大切だ!と思うのならば何よりも大切なこと(直すこと)を優先すれば良いのです。

    それは一つの料理を食べるとお腹がいっぱいになる私達が、食べたいと思っている2つの料理からもっと食べたい方を選ぶだけのことです。

    大好物な料理を普段食べていて、そこに良い匂いのする料理が出てくる状況に遭遇したら食べてみる前に、どちらの方が好きな料理だったかなと思い返してみたり、何で普段食べる料理が好きなんだっけ?と思い出したり、一生食べ続けたいほどの料理を見つけ食べ続けることを決めたりしたら、良い匂いのする料理を食べ終えてまたお腹が空くまで大好物の料理が食べられないなんてことも少なくなる、或いは無くなるのかなと思いました

    それは選択の中でただ今一番やりたいことやってるだけです

  • #10

    だい (月曜日, 05 9月 2016 20:25)

    コメントをくださった皆様、ありがとうございます。

    みなさんのお考えひとつひとつが、またそれぞれに他のみなさんの理解を深める促しになっているように感じます。

    皆さんのコメントを通して考えつつ、自分の書いてきたブログを読み返す毎日を送ることで、改めてとても大事なことをこれまで学ばせていただきお伝えしてきたことのだと実感しています。
    私自身改めてきちんと理解をしていきたいと思っています。