天命についての気づき

 

16日のことですが、あることをきっかけにして、自身の天命の意味がわかりました。

 

そして、感じたことが、

 

「今まで生きてきてよかった」

 

「自分は今まで自分のために生きてきた」

 

「幸せになるために生きていたんだ」

 

ということです。

 

 

 

天命の意味を私はそれまで勘違いしていて、使命のようなものと捉えていました。

 

しかし、今回の気づきでわかったことは、天命とは自分の思いであり、生きる目的はそれを果たすことに他ならなかったということです。

 

 

 

因果応報は思いで運命をつくる仕組みです。

 

思い通りに生きられたら幸せだと私は思っています。

 

自らの天命の意味が分かった時に感じた幸せな気持ちは、思い通りに生きられた、と素直に思えたからでした。

 

 

 

私たちが生きる目的は、幸せになることです。

 

思うように生きられた時に幸せなのです。

 

自らの思いを果たすため、幸せになるため、私たちは生まれてきました。

 

全てを忘れたところから始まり、自らの思いを探して、それを見つけて、その思いを果たし、幸せを感じる。

 

それが天命を果たすことです。

 

 

 

そのために必要な方法をこれまでブログに書いてきましたし、これからもそれを伝えていきます。

 

全体性、方向性、因果応報、エゴ、など、そうしたことを使ってお伝えしています。

 

指導という形でいらしてくださった方たちにお伝えすることが、私の役目でもあります。

 

まだエゴ主体で生きているので、至らない点もございますが、これまで書いてきた方向性で生きていきたい方は是非いらしてください。

 

施術を受けにいらしてください。

 

お手伝いさせていただきます。

 

 

 

ここまで書いたものを読み返してみて思いますが、私はやっぱり白ですね。

 

黒で書くのは苦手です。

 

黒で書くと、それを読んだ方の中で嫌悪感が出る方もいると思うと、やはり黒で書くにはもう少し自身のレベルをあげないと、と思います。

 

 

 

誤解している方が相当数いらっしゃるようなので一応書いておきますが、黒だから間違っている、歪んでいる、ととっさに判断している方は思い込みがあることに気づいてください。

 

方向性をどう出しているかによりますが、意識を上げるなかで問題になるのは、白か黒かではありません。

 

歪みを生むか生まないかです。

 

 

 

黒を見て「悪」「歪み」「間違っている」と判断した瞬間、白の人はそれ以上考えようとしなくなります。

 

エゴが自らに目を向けなくさせているのです。

 

人のせいにする時点で、なにか自分自身に課題が隠れていると考えるといいですよ。

 

 

 

方向性という言葉の意味をよく考えて、本当によく考えて、考えすぎるくらい考えて、人のコメント等見ながら今後の御自身の方向性を決めていただく時期かと思います。

 

がんばってください。

 

 

 

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コメント: 8
  • #1

    midori (火曜日, 20 12月 2016 09:08)

    だいさんの文章を読み、いつも励まされています。
    子どものことで学ばせてもらった後、2度家族内で大きな出来事がありました。
    動揺し、ぶれながらも、家族の幸せという方向性があるので、それに助けられ、守られ、なんとかたち戻り、過ごしました。
    ただただ目の前に意識を向け、自分に問いかけながら無我夢中で過ごす日々でした。
    そして今回の天命についての記事で更に意欲がわいてきました。
    今家族が幸せに過ごせていることがとても嬉しいです。
    エゴで生きているのでいろいろあると思いますが、否定しない方向性で生きる、いろいろあってOKかも…という方向性も出てきました。
    みちよさんのことを伺いに行きます。
    冬至の日が待ち遠しいのは初めてです。
    心静かに、でも心強く過ごします。
    ありがとうございます。

  • #2

    UEN (火曜日, 20 12月 2016 19:54)

    ご無沙汰しております。

    息巻いて宇宙全史のBBSで質問しましたが守護霊様に一蹴され、少し頭を冷やしていました(笑)
    自分では平常心のつもりでしたが、いざBBSに書き込みとなれば途端にエゴに支配されてしまいました。。
    BBSには魔物(エゴ)が居ますね(笑)おかげでそういったエゴに気づく良い体験ができました(^^)

    明日は冬至ということで?勝手ながら近況報告させてください^_^;(何か機会がないと中々書き出さないので汗)

    頭を冷やしてからは、ずっとエゴの監視というか、なるべく自分の心の動きを追っていました。
    「あ!今、ムカついたな。とか今、嫌がったな。今、見下したな。などなど」時間で言えば0.001秒間におきる反応です。
    日々のさまざまな事象から起こる、わずかな反応をなるべく見逃さないようにしていました。
    それで分かったのですが、自分は相当ネガティブだったということです(笑)

    それをひとつづつ、「何故そういう反応するのか?」という事を考えては正していく作業をしています。
    正すといっても、ただ納得のいく答えを出すだけなんですが。。
    大抵は自分(エゴ)が傷つく事の恐れやコンプレックスによる反応ということが分かってきました。
    「傷つくというのも勝手な妄想なんだよ、だから怖がる事はないよ」。と、それらの反応を自分自身(エゴ)に言い聞かせて納得する感じです。

    そう言う事をやっていた成果なのか分かりませんが、12月上旬頃にだいさんが記事に書いていたような感覚が同時期にありました。
    以前施術の際に話した、「完全な静寂感」や「無敵な感覚(多幸感)」には程遠いとは思いますが普通の気持ち良い状態よりは、少しそっちよりな感覚でした(伝わりづらいですね 笑)

    そしてこの感覚(状態?)の時に
    「もしかして幸せになる事が生まれてきた目的?」
    「というよりすでに幸せだった事に気づく為?」
    「特別な事がなくても既にある幸せを感じられる為?」

    そのような事がグルグルと巡りました。
    私の場合は気づきではなく、こういった疑問符つきの中途半端な感じですけれど(笑)

    それで今回の記事が掲載され、、、嬉しい反面、シンクロが少し怖くなったというか、、びっくりしました(^_^;

    来年は遅くとも夏前、もう少し早い時期に伺いと思っていますのでその際は宜しくお願い致します(崩壊が延期している間に。。汗)


    それでは失礼致します(^_^)

  • #3

    UEN (水曜日, 21 12月 2016 00:12)

    連投になりますがいよいよ冬至ということで、永谷さんから頂いたヒントを素に自分なりに考えてみました。

    全体性(存在する全て)へ方向性を向けるという事は、
    少なくとも今自分の目の前で起きている事の全てが全体性に含まれれますから、
    自分が嫌だと思うことに対しても否定をせず受け入れてみる。「全てを肯定する」

    「全てを肯定する」とは
    私達が定義している、善や悪なども、全体性に含まれるモノの一つなので悪も肯定して受け入れた方がよい。
    (実際は悪と呼ばれるモノも、エゴが勝手に決めて作り上げている事だと思います)

    それでも嫌だと思ったり否定したりするのは、エゴでは全体が理解できずに一部しか見えてないからだと思います。 
    ですので、理解を超えた範囲(全体性)へ進むには、今起きていること全てを受け入れて肯定していく。

    コレが全体性へ方向を向けるということでしょうか。
    僕の現在の理解度ではこれが限界といったところです^_^;
    ちゃんと理解できているかはなんとも言えませんが、言葉遊びの類ではありません。(と思っています)

    僕も全体性へ方向性を向けていこうと思います。
    ありがとうございます

  • #4

    だい (水曜日, 21 12月 2016 00:16)

    midoriさん

    問題にきちんと向き合い、意欲もわき、幸せを感じてうれしい気持ちになれているのは素晴らしいですね。
    他の誰でもなく、midoriさんが取り組んだ結果です。
    因果応報を理解できてきたからです。
    視野もさらに広がりつつありますね。
    その調子です。

    いま、いらしていただいた方にお話ししていることがあります。
    また無理の無い時にでもご来院ください。
    お待ちいたしております。

  • #5

    だい (日曜日, 25 12月 2016 00:55)

    UENさん

    時間がなく返信が遅くなりました。

    ここでいう肯定と否定ということについて。

    正しい、間違っている、ということではありません。

    存在を認める、ということについての肯定と否定です。

    ですから、「否定」と「嫌」ということは同じに考えません。

    全体性の中では存在するものがすべてあり、正しいもの、間違ったもの、歪んだもの、整ったもの、矛盾するもの、様々なありとあらゆるものが理性では判断がつかないレベルであるようです。

    これらを全部あっていいもの、と考えることが全肯定です。

    エゴから全体性を見るとたくさんのバラバラなものがすべて存在しています。

    一方、覚醒した段階では、働きとしてすべてが繋がった一つの自分という認識から、全体性を表現すると「私はある」という全肯定の表現になります。

    「働き」としてみているので、個別のそれぞれを単独としてみてしまうと、個々の働きは全体の働きとはちがうため「私」とはいえず、「あれ」や「これ」は私ではないという言い方になります。

    エゴで「覚醒した人の考え」を書いているので、そこを踏まえて御考え下さい。

    好き嫌いは存在に含まれているものです。

    それがないと自由な方向性は出せません。

    好き嫌いはあっていいものです。



    理解を超えた範囲に進むには、エゴ(の理解)より上位の意識があるんだ、と気づくことです。

    エゴではよくわからない全体性に向かう方向である、あっち、というとっかかりを見つけることです。

    この場合の上位の意識は、より歪みが少なく正しいことがわかりるエゴより上の意識、ということです。

    エゴだけで周りのすべてを肯定するのは大変です。

    嫌なものは嫌ですから、「認めることは嫌と言わないこと」と勘違いしているだけでも、思い込みが邪魔してなかなか前に進まないことがわかっていただけるでしょうか。

    目的が「全体性を効率的に目指す」のであれば、見えない上位の存在を見つけることが大事です。

    そのために因果応報を使います。

    因果応報は、思いに基づいて行動に移したものがカタチになって現れる、という仕組みです。

    因果応報を使うとは、全体性がある、とつよく思うということです。

    実際にあるものならば、取り組み方にもよりますが、いずれそれはなんらかの形で扱えるような現れ方をします。

    感受性に働きかけるような繊細な現れ方かもしれません。

    この辺りのことも一度考えていただくといいと思います。

  • #6

    だい (月曜日, 26 12月 2016 12:21)

    補足です。

    覚醒した段階、と書きましたが、段階も様々ありますので、実存が見える段階とお考えください。

  • #7

    UEN (土曜日, 31 12月 2016 22:12)

    軌道修正有難うございます。m(__)m

    自分が嫌いなモノを「肯定!肯定!」といって我慢する事は、嫌いな気持ちを押し殺して認めてない事になりますね。。まさしく否定です汗

    エゴのチェックの話の部分で、ネガティブと書きましたが「ポジティブ」同様に曖昧な表現ですね汗(嫌い、誹謗中傷、消極的、否定的などなど。。)


    「嫌い」と「否定」(認めない事)は違いますね


    上位の見えないモノをみつけるとは、例えば守護霊様や神様(と呼ばれる存在)を感知できるような感じの事でしょうか
    感受性は高い方かもしれませんので全体性があると強く思い、もう少し意識をしてみます。
    有難うございますm(__)m

  • #8

    だい (土曜日, 31 12月 2016 22:24)

    UENさん

    『上位の見えないモノをみつけるとは、例えば守護霊様や神様(と呼ばれる存在)を感知できるような感じの事でしょうか 』

    見えないものをみつけるというのは、ラブレターに見えない気持ちが込められていることがわかる、そんな感じからまずは考えていただくといいかもしれません。

    「気持ち」は見えませんが、あると思えばあると感じると思います。

    ただ、上位の意識がどういうものか考えていただくこともお忘れなく。



    『「嫌い」と「否定」(認めない事)は違いますね』

    ここはかなりなポイントが含まれていますので、またいずれ。

    よいお年をお迎えください。