メモ 愛

全体性の歪みを取る働きが愛』

 

 

 

愛はだれでも受け取れるでしょうし、そうした機会も度々あると思うのですが、

「それが愛とわかるかどうか」

が問題でしょうね。

 

 

 

わかれば素直に愛を受け入れて、歪みはスムーズに解消されていくのだと思います。

 

 

 

全体性にはすべてがあり、あるものをなんでも使って歪みをとろうとしたら、時に悪く思えるものも使われることがあると思います。

 

 

 

「正しい方向性」

 

「祈り」

 

「正しいことが正しいと分かる」

 

「自由を認める」

 

 

 

これらのキーワードと絡めて考えていただけると、面白いのではないでしょうか。

 

 

 

先月の3回目の体験をした時、生まれて初めて「畏れ多い」という意味を体感したのですが、それが「愛を感じた」ということでもあったのだと、先ほど気づきました。

 

 

 

 

 

 

最後に、今回もある方の文章の引用です。

 

 

 

『神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。

 

間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。』

 

 

 

 

 

写真は息子作「ゴジラ」です。

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    papas (水曜日, 18 1月 2017 01:30)

    愛にも様々な表現がありますが、
    愛を感じる。
    時の愛は確かに歪みが少ない、歪みが取れた際にのみ感じています。

    ところで分かっているようで余り良くわかっていない事に気付いたのですが、
    正しくはないものとは何でしょうか?

    因果応報から余り上手くいかない結果がありより良い結果にすることを正しいこと、
    良くない結果とは行動で間違えた点があったために起こる、これが正しくないこと、
    或いは全体性とは逆に、歪みをためてしまう行為のことを正しくないこと?
    と現状は考えているのですが
    良い悪いという定義そのものも宇宙全史と比べ少し異なっている(視点の置いている位置が異なる?)ように思え、
    混乱している所もあるかと思うのですがどうかよろしくお願いします

  • #2

    だい (水曜日, 18 1月 2017 02:09)

    papasさん

    正しいことは、自分のだした方向性に合っているかどうか、ということです。

    正しくないことは、どこから引っ張ってきたのかわからないので、ご自身で上記の正しいことをもとにお考えください。

    ここで書いている内容は、よりよく生きるということで全体性に方向性を向けていることについて書いています。

    方向性をどこに向けるか、どこまで向けるかで、取り組みも解釈も違いが生じます。

    言葉の扱いの難しさに今日も四苦八苦していましたが、差異を感じるのはそうした違いによるものだと思います。

  • #3

    だい (水曜日, 18 1月 2017 02:25)

    人によって考え方の違いがあることで、その差異を通して考えることができます。

    これまでにもお伝えしていますが、誰が言っているかではなく何を言っているかを考えて、自分なりにいいと思うものが見つかれば、それをどんどん取り入れていけるといいですよ。

    違いを漠然と感じたようですが、良い悪いの具体的な内容を書いてくれた方がもう少し答えられると思います。

    そこが書けていないということは、まだそこまで考えないで質問しているということですので、まだご自身でできることがありそうですね。

    がんばってください。