メモ エゴについて

エゴはより狭い視野で自分を大事にしようとし


本心はより広い視野で自分を大事にしようとする


「広い」をめいっぱい広げて行き着くのが全体性


その全体性との差が歪み


エゴを薄くすることは、より広い視野で自分を大事にしていけるようにすること





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コメント: 6
  • #1

    papas (火曜日, 17 1月 2017 13:12)

    こんにちは、いつもお世話になっています。

    狭い視野、広い視野。
    固定観念がないかとはじめから考え直すということを行った際に
    感じることがあります。

    そこで初期の頃に
    考え込むと視野が狭まる癖がある。
    とお伝え頂いたことがあるのを思い出したのですが
    単純に考えると
    これは全体性から遠くなるということであったのでしょうか?

  • #2

    だい (火曜日, 17 1月 2017 13:55)

    papasさん

    そうですね。

    私たちは他の選択肢を見ようともしなくなって「これしかない」という状態になると、わかった気になってそればかりにふけるというのでしょうか、唯一絶対と思い込んだ選択肢に執着してしまう傾向があります。

    他も認めた上で一番いいと思うのはこれ、という感じはより広い視野でものを見えていますが、他を認めずこれしかない、だと、一点しか見ていないので狭い視野になりますよね。

    他の良さをきちんと見ようとはしない感じです。

    考えなくなるため、主体性も弱くなり、正しい方向性も出しづらくなります。

    信じる対象が正しいものであればいいのですが、そこから先を考えない依存で終わると、そこからの成長はかなり長くなると思います。

    papasさんの場合、上から目線になりやすいよ、ということもあったと思いますよ。

  • #3

    papas (火曜日, 17 1月 2017 21:34)

    分かりやすいご返信ありがとうございました
    同時期には飽きっぽいというものと上から目線になりやすいというものもありました。

    とある日のことですが空上の理論であるのに
    それが必ず良いかは分からないではないか。
    であるのに他の意見を受け入れず、
    必ずこれであると効率悪く考えていたのは何故だろうと
    愕然と思った日がありました。
    その癖のようなものが無くなったとは分かりませんが
    改めて気を付けようと頑張ります。

  • #4

    だい (水曜日, 18 1月 2017 00:35)

    papasさん

    癖ですから、思い込みに気づいた時点で相当考え方も変わっていきます。
    ですから前とは違ってきていますが、まだ時折顔を出すこともあると思うので、出てきたときに考えるようにしていけばいいですよ。

    顔を出すにしても、前よりは薄まってきていますし、よくなってきています。

    ある程度正しい理屈が身につけば、やりたいからやる、とシンプルになっていきます。

    しかし、そこまでいかないうちは理屈で考えても半端な損得勘定になることもあるので、やはり地道にコツコツとですね。

    一つ一つをコツコツやることは、一つ一つを意識するため、エゴの好き勝手が減っていきます。

    エゴを薄くするためには、一度に一つという特性を自覚して、一つずつ身の回りのことを取り組むことが大事です。

    そうしたことの過程で、書かれていたような気づきがあって、よりよくしていけます。

    その調子でがんばりましょうね。

  • #5

    RS (水曜日, 18 1月 2017 21:50)

    だいさん

    突然ですが、昨日から急に「エゴ」に対する見方が変わってきました。

    それまでのエゴに対するイメージは、喜怒哀楽という感情で出来た「生もの」系で、あれが欲しい・これが欲しいと泣きわめく子供のように、面倒で手に余るものというイメージしかなかったのですが、それは単にアウトプットとしてのエゴしか知覚していなかったためではないかと気づきました。

    エゴの実体というか仕組みの方は、意外にも機械的で、わりあいシンプルな機能しか装備していないものかもしれない、という認識が芽生えてきました。(そう思うようになったのにはいろいろ経緯があるのですが、そのことはまた次回お伺いした際にお話させていただきます)

    エゴとは詰まるところ、上位の意識体が物質次元で用いる表現ツールで、個々の人間がつながっている上位の相手先の属性によって、それが人間の自由を奪う「操り人形の糸」にもなれば、異形の生命体との双方向コミュニケーションを可能とする「通信回線」にもなる、そんな「諸刃の剣」的なリスクを帯びた宇宙的ツールではないか・・・そんなふうに思えるのですが、実際のところどうなんでしょう?。

    この世界には善もあれば悪もあります(多分、歴史上、悪がなくなったことなんて今まで一度もないと思います)。

    当ブログの漫画「とある神様のやりとり」で示唆されていたような神々の実験というかシミュレーション・ゲームが行われているのだとしたら、善悪トータルで定常状態が保たれている限りは善悪の比率が99:1であれ1:99であれ、より広い全体的な視点で見れば、それらは「バランス」のバリエーション。バランスの中での「両極」状態に過ぎませんから、上位の意識レベルから見れば「それもまたよし」という判断なんでしょうか。

    ただ、さすがに極端な比率までいきますと、それまでの延長的なやり方でのシミュレーションは限界を迎える、つまりどん詰まりになりますから、構成要素の一部入れ替えを施してはシミュレーションをやり直してきたように思うのですが、今度ばかりはシミュレーション・モデル自体の抜本的な改変、なのかもしれませんが・・・。

    現行シミュレーション・モデルにおいて「この先、一輪の梅の花すら咲く可能性がない」となれば、そのモデルは廃棄されても仕方がないのかもしれません。でも、他の上位の存在とは違って、この実験場で「梅の花」を咲かせるシナリオを最後の最後まで諦めない、本気の本気で神としての仕事にひたすら打ち込んでいる存在がいらっしゃるとしたら・・・。

    つい先日までの自分は、人間誰しも上位存在の「操り人形」として、ワイヤーにつながれた宿命を背負った、本当の意味で「真の自由」など望めない小魂。だから、人生あがいても仕方がないという諦観に近い心境で、お祈りを唱えつつも、本心ではこの世界に飽き飽きしていました。

    でも今は、仮にそういう虚しい存在だとしても、それがどうした、それならばせめて自らが心から信頼する存在に、自らワイヤーをつなぎかえてやろう、という「リ・ワイヤリング」の意志が芽生えてきました。

    なんか、スイッチが入った感じがします。

    伝107「気づけよ」のメッセージには、とてつもなく深い愛がある、と思います。本当にありがとうございます。

    長文失礼いたしました。

  • #6

    だい (水曜日, 18 1月 2017)

    RSさん

    読ませていただいて感じたのは、
    「インスピレーションがしっかりおりてきている」
    ということです。

    私の感じていることとは違う点もありますが、注目しているポイントはいいところばかり、という印象でした。

    結果を見ないことには本当に正しい話かわからないこともありますが、私が感じていることや神様から伝え聞いた話をもとに、次回はまた面白いお話ができそうで楽しみです。

    エゴについてはおっしゃるような面もありますし、上位の意識のレベルアップに繋がる働きもするようです。

    ここはいらしてくださった時に改めてお話いたします。

    善と悪という表現は方向性の違いや都合によるものですので、意味は時と場合によってかわるものだと私は考えます。

    バランスをとるというと均衡を保とうとするように考えますが、結果良ければすべてよしという感じで、かなりな無茶と感じることも平気で上位意識はできるようです。
    でなければ64回もやる必要はないですよね。

    比率のお話は面白いですね。

    白と黒の話で考えていた時、白の系統の神様と黒の系統の神様とで力関係を感じる機会があり、具体的な数は忘れましたが、人数?比率は100:3くらいでバランスがとれるくらい、黒の神様は力があるということを感じたことがありました。

    64回目の宇宙ですから、おそらくシミュレーションではなく実践の繰り返しではないでしょうか。

    その辺りのお話も、いらしてくださった時にお話できるかもしれません。

    リ・ワイヤリングのスイッチが入りましたか!
    気づきましたね。

    ご来院が今から楽しみです。