お節介

『どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。』

 

これはとても大事なことで、今後の私たち自身の運命を大きく左右する要因になります。

 

 

 

『神の愛と言われているものは意識の進化を望むもののみに適応される。間違った方向に進んでいる人間は助けたくても助けられないのが本当のところだ。』

 

まず自分を生き、その自分で考えてだした方向性があっていれば、神の愛を感じられるかもしれません。

 

結果を見て、それが自分の納得がいくものであれば、自分の判断が正しかったとわかります。

 

 

  

『自分のやった結果を自分の目で見るただそれだけ。』

 

目を疑うような事象、耳を疑うような情報、そうしたことがこれからますます増えてくることで、私たちは自分で判断する機会を得て、自らの方向性をだせるかどうか問われていきます。

 

 

 

人の話を鵜呑みにしていたのでは、自分の判断になりません。

 

知識だけ集めても、使い方がわかっていなければ意味のないことです。

 

話を聞いた方、資料を読まれた方、ブログを読まれた方、わかった気になって終わっていないか、よく考えてみてください。

 

ここ数日、私自身の取り組みはもちろん、何人かの方を通して、現状の厳しさを痛切に感じています。

 

 

 

話を聞く気のある方は、聞けるうちに聞いてください。

 

学んだことを実生活でできていれば問題ないのですが、考えもしなくなっている方もいるかもしれません。

  

こうした書き込みは、ただのお節介です。

 

 これまでの各々の取り組みの結果をご自身で見るだけですので、そこに後悔が無いことを望んで書かせていただきました。

 

 

 

いらした方たちには、すでにお伝えするべきことはお伝えしてきたつもりです。

 

それでもなお、変わろうとしない方(先延ばしにしている、行動に移していない)もいますので、ご自身がそれを望むのであれば構いません。

 

お伝えしてきたことを実生活でどう活かすかは、まず皆さんが個々に考えて取り組むことです。

 

私の伝え方の悪さや稚拙さもありますが、やらないことにはご自身で何がわからないかがまずわかりません。

 

 

 

ままならないくらい忙しくなったり、疲れ果てた時に、それでも平常心を保って正しい判断が下せる方は大丈夫でしょう。

 

しかし、たいして忙しくなくても、やることがなくて元気があまっていても、正しい判断を下せないのが私たちです。

 

負荷がかかればなおの事。

 

いまやらないでいつやるの?というところでしょうか。

 

 

 

今朝、目が覚める直前に、上記の『どれが正しいか自分で判断しなければ自分を生きてるとはいわない。』からの一連の話が浮かんできたので、ブログとして掲載しておきます。