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ある患者さんのメール

これは、いらしてくださっているある患者さんが、やはり当院に来てくださっているご家族にあてたメールです。

 

 

 

日々の取り組みについてお考えいただくのにいいと思い、ご本人に許可をいただき、掲載させていただきました。 

 

 

 

状況などがわかりづらいところもあると思いますが、これまでここで学んできた方は、読み取れる範囲でご自身の取り組みや理解している内容を確認しながら読んでみてください。

 

 

 

 

 

『昨日は、遅くまでお疲れさまでした。

 

 

 

食事中の、会話のうどん屋さんの件が、私の中では、何となくモヤモヤひっかかっていました。なんでまた、今うどん屋さんの話が出て来たのか???

 

 

 

今朝気づいたことがあったのでメールします。

 

 

 

例えば先日のうどん屋さんで、目の前の出来事に対して、行動に表すかは、見た人の自由。

 

 

 

声をかける、間に仲裁に入る、見守っている、見ている、様々な選択肢がある中で、何をどう選択するかは見た人の自由。その選択にいいも悪いもない。

 

 

 

ただどう選択し、反応する、行動に表すかというが方向性を出すということではないかと思います。

 

 

 

私が、言った「大変ですね」という言葉は言い換えると、目の前の出来事、見てました、認識しています、私もわかってますよということを相手に伝える意味合いで発した言葉です。コミュニケーション、挨拶の一環みたいなものだと私はとらえています。

 

 

 

私は、できればお互いが気持ちよく過ごせるようにしたいと思っています。

 

 

 

なので、会社で目の前で咳をしている人がいれは、大丈夫ですか?と声をかけます。

 

 

 

それは、相手の存在を認めてますよ。

 

目の前の状況を見てます。

 

理解していますということを相手に伝えるコミュニケーションだと思っているから。

 

声をかけることによって少なくとも、相手には、今日は体調が悪いんですね。

 

そのことを私は認識していますよ

 

ということが、無反応でいるよりは伝わると思います。

 

 

 

相手がいる場合、自分がいくら相手の事を気遣っていても、そのことを行動で示さなければ相手には伝わらないです。

 

相手との関係性をどうしていきたいと思うかによって、自分の行動が変わって来るでしょうし、それが方向性を出すということかなと思っています。

 

 

 

かけた言葉を相手がどうとらえるかも相手の自由。

 

 

 

大切なのは、自分がどう方向性を出すかだと思います。

 

 

 

「このことについてどう思う?」 

 

と意見を相手に求められた時に、

 

「(相手の)したいようにしていいよ」

 

という回答は、相手の考えを尊重してますとも捉えられますが、

 

「自分で考えて下さい。私は一緒に考えません」

 

と相手と一緒に考えることを拒否しているとも捉えることができると思います。

 

 

 

まだ、私の中できちんと整理できていない部分もあり、伝わるかどうかわかりませんが、現在気づいたことをメールさせてもらいます。

 

 

 

何か事象が起こった時は、課題解決の時だと私は思っています。Aと、口論になったのであれば、そのことについてどう考え、今後に活かしていくか?私も年始にAとけんかした時にいろいろ考えました。自分の課題にいろいろ気づきました。

 

 

 

今回のことからいろんな気付きがあるといいですね。

 

不明点は、大さんに相談してみるといいと思います。』