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BBSのNo.2891について

BBSでの他の方へのご回答でしたが、これまでここで書いてきたことの自分の整理にもなると思いましたので、私なりの解釈を書いてみました。

 

よければ読んでみてください。

 

 

 

2016/7/9 No.2891

 

月読之大神のお言葉です
「まずそれが正しいのか正しくないのかといった知的な判断と言ったらいいのかしら」
「それがあなた達は出来ない状態に初めからいるっていうことを分かっていなければいけないね」


 

これはpapasさんが先日の「ブログよりもコメント欄のコメント欄でわかりやすく書いてくださっていました。

 

エゴでは完ぺきに物事を理解したり判断することはできない、ということをまず自覚していなくてはいけないということ。

 

 

 

「で、それをね、やはり判断するためには自分を見つめなければいけない」
「自己観照という形は取らなきゃいけない」
「それを反省でもなんでもなく、最初に自分が何を思っているかということを自分を誤魔化さずにただ単に認めること」
「そこから始めなければいけないね」
「こういう思いを思っちゃいけない」とか「これはいけないことだ」とか「こういう思いを思う自分は傲慢なんだ」ということよりも先にまず「自分が色んな思いを持っている」ということを認めなきゃいけないよ

 

・自分の行動や言動に考え方などを見つめることで、エゴ(思い込み)が在ると知ること、認めること。

 

良い悪いの判断が働く前段階、そういうものがあるというふうに存在を認めること。

 

 

 

「そこから始まる」
「そこを誤魔化してしまうと全てが曇ってしまって直観知どころじゃなくなってしまうからね」
「カルマを積むことだけでしかないから」
怒りも強欲な思いも、嫉妬も、さもしい思いも、情けない思いもエッチな思いも浮ついた思いも、傲慢、悲観、そうしたものを全部認めたうえで「あ、それが今の自分なんだ」と全部認めたうえで、
「じゃあ何が出来るのか」
という形をとらないと直観知もへったくれもない

 

・エゴの存在を認め、そこに問題点や課題としての歪みをみつける。

 

「誤魔化す」とは、エゴの存在を認めず、自分には問題(歪み)が無いということにすること。

 

 

 

「やっぱり自分の軸というのをキチンと確立すること」

 

・なにを大事にするか、どういう方向性で取り組んでいくのか決めること。

 

素の自分を認めることで歪みも認め、そこからどうやったら良くしていけるのか、少しでも正確に物事が分かるようになるためにはどうしたらいいのか、を考え自分なりの結論を出す(確立する)。

 

それが方向性をだすこと。

 

(インスピレーションや見守ってくださっている存在たちからの助けは「フォロー」であって「肩代わり」ではないので、まず自分から方向性を出さないとフォローを得ることはできない。ああしなさい、こうしなさい、で本人が方向性を出す前に指示してしまうと、主体性を奪ってしまう。)

 

 

 

「それにはまず今の自分の立ち位置をキチンと見定めること」

 

 

 

・エゴ(不完全さ)でエゴ(不完全さ)をキチンと理解することは難しいため、これはけっこう大変なこと。

 

歪んだ考えで歪みを見ても、より歪めてしまうかもしれない。

 

上に書かれていたように、見定めるために「じゃあ何が出来るのか」という発想でものを考える。

 

エゴの歪みを少しでもわかりやすく把握するために、より大きな視点でものを考えるという方法がある。

 

それが全体性をつかって考えること。

 

より歪みの無い状態(全体性)で歪み(エゴ)を見れば、歪み(エゴ)を歪み(エゴ)として認識しやすくなる。

 

「(歪んだ)思いこみ」がある、とわかるため、立ち位置がわかりやすくなる。

 


「そこから始まる」
素の自分というのを認識するということ
お知らせとか何とかそういうものは二の次

 

・ここでいう素の自分とは、「歪んだエゴ(考え方、思いこみ)」も「歪みの無いエゴ」も両方抱えた状態。

 

 

 

「まずそこがキチンと出来ていないから直観知ということを疑うんだよ」
「というか曇っていて分からない」
素の自分が分かっていれば自ずとわかるということ
「(自分を)誤魔化すということは自分の直観知の領域を曇らせていることなのよ」
「自分を認められないということはね」

 

 

 

・曇っているのは思い込みの歪みによるもの。

 

自分の考え方に癖がある、思い込みがある、そう気づいていれば「情報の読み解き方」にも書いたような考え方で誤魔化すことなくエゴを薄くしていけるため、全体性ともつながりやすくなりよりキチンとしたインスピレーションを得やすくなる。

 

自分は歪んだエゴを抱えた状態なんだ、と認められないうちは、そうした曇りが晴れることはない。

 

「誰かのせいにする」ということも、自分の素の状態での歪みを確認しようとしない、ということですから、やはり曇りは晴れないでしょうね。

 

 

 

多少端折ってありますが、以上が私なりの解釈です。